[し-001]
J-Movie Wars
j-movie wars
 92年、日本衛星放送(WOWOW)の仙頭武則プロデューサーによって始まった、低予算と作家性を柱とした映画シリーズ。最初は短編映画シリーズとして石井聰互、崔洋一、長崎俊一ら6人による一人10分4短編をつないだ映画でスタート。WOWOWで放映された後に再編集され、劇場公開された。崔洋一の『月はどっちに出ている』はこのシリーズの作品として製作・劇場用長編として作り直されたもので、その後大ヒットを記録した。95年以後昨年まで4期を数え、ここ数年はさまざまな新人監督を送り出してきた。 なかでも河瀬直美監督の『萌の朱雀』は97年カンヌ映画祭でカメラ・ドール新人賞を授賞。他のWOWOW製作の近作は『いさなのうみ』(日垣一博監督)『林檎のうさぎ』(小林広司監督)、『アートフル・ドヂャース』(保田卓夫監督)など。
WEB 


[し-002]
GHB(ガンマ・ヒドロキシ酪酸)
ghb(gamma-hydoroxy-butyrate)
 効きはウルトラ・ショートで安全な睡眠剤。睡眠を左右する神経伝達物質にGABA(ガンマ・アミノ酪酸)があるが、GHBを飲むとほんの20〜30分でGABAに変換される。そしてに強烈な抑制をかけるので、すぐに深い睡眠状態に入る。また、脳内でのドーパミン(覚醒・快感に大きな役割を果たす)の放出を一時的に抑えるため、起床時にはたまりにたまったドーパミンが一気に放出されて、朝からバリバリ活動する体制ができる。さらには深い睡眠をとることで、脂肪を燃焼させて筋肉を作る働きを持つ成長ホルモンがリリースされるため、減量や筋肉増強につながるだろう。GHBはもともと人体の細胞中にごく少量存在する物質なので、代謝後はすみやかに分解され、体内に蓄積される心配がなく安全性が高いことが大きなメリットだ。
 睡眠剤以外の利用法として、作用がアルコールに近いため、ヨーロッパではアルコール依存症者が酒の代用として使用している。使用量は、酩酊:0.5〜1グラム、睡眠:1〜2グラムが目安だが、個人差があるので少量から始めるほうがよい。筆者は1グラムで穏やかな眠気を感じ、2グラムではかなり強烈な眠気に襲われ、3グラムの摂取では、突然頭のスイッチが切れるような感覚に襲われ意識を失い、気がつくと3時間ほどが経過していたという体験をした。大量に飲んだ時の意識喪失感は「あまりに急で、死ぬのかと思ってコワかった」という人もいるくらい強烈だが、実際に転倒してケガを負った人もいる。頭を打って本当に死んでしまうこともありえるので、飲んだら速やかにベッドに入ることだ。製品には粉末(吸湿性が高く保存が難しい)と液体(高価だが保存は簡単)の2種類がある。
WEB International AntiAging Systems
http://www.smart-drugs.com/


[し-003]
ジェニー・シミズ
jenny shimizu
 レズビアン、日系アメリカ人、マドンナとの噂、前職が整備工だったことなど、異例なことずくめのスーパーモデル。ロスでバイクの整備工をしていたが、クラブの前でバイクから降りたところをスカウトされてモデルに転身。『ヴォーグ』『エル』『グラマー』といったファッション誌のグラビアを飾り、ゴージャスでグラマラスなスーパーモデルたちに代わって、アンドロジナスでユニセックスな雰囲気がもてはやされるようになった94年のパリコレで大活躍。ベリショート、へそピアス、4カ所のタトゥ(右腕にスパナにまたがった裸の女、背中に日本語で“そして彼女は去った”の文字etc.)といったワイルドでインパクトの強いルックスと、ユニークな経歴とが相まって、注目を集めた。
 日本では資生堂「レシェンテ」のイメージキャラクターに起用され、『オリーブ』『HaRU』などの女性誌の表紙にも登場しているが、いずれもジェニーの個性を生かしきっているとは言いがたいソフト路線なのが残念なところ。「SM、ボンデージ、性の自由には全面的に賛成」と語るラジカルな一面も、日本ではあまり知られていない。最近では映画にも出演しているが、当人は「アメリカ人が持っている、か弱いイメージの日本人役ばかりオファーが来る」と不満げだ。レズビアンというよりはトランスジェンダーに近いと言われる、マッチョな彼女の魅力を存分に味わえる企画はないのだろうか?
WEB 


[し-004]
自虐史観
じぎゃくしかん
 過去の罪悪や誤ちに重点を置いた歴史記述。中学校の歴史教科書に従軍慰安婦についての記述を載せることの是非をめぐる論争のなかで、その削除を求める歴史教育学者、藤岡信勝が、現行教科書を覆う歴史観を批判して用いた。教科書に限らず、過去の反省と称して自国の歴史を悪しざまに語ることが正義であるかのように思い込んでいる病的な歴史観一般をさし、左派的、進歩的文化人的、市民運動的などのニュアンスを含む。藤岡の主宰する「自由主義史観研究会」が、そんな教科書記述に対抗し、誇りとできる過去の人々の話を書いた『教科書が教えない歴史』がベストセラーとなり、また小林よしのりが『ゴーマニズム宣言』でこの問題を取り上げたことから、論壇をこえて、広く議論される問題となった。自由主義史観研究会を中心として「新しい歴史教科書を作る会」も発足し、シンポジウム開催など活発な運動が続いている。
 当然、多くの反発も起きている。論争の中心は、従軍慰安婦の強制連行の有無だが、近代史そのものをどうとらえるか、歴史教育はどうあるべきか、など多くの論点がある。自虐史観を批判するような議論はこれまでにも繰り返し提起されてきたが、マイルドな左派的感覚が一種の常識のように世間を覆っていた間は、右翼の極論として抑圧され、タカ派雑誌や『産経新聞』ぐらいしかとりあげることはなかった。それが常識が揺らいだため、これまでの抑圧への反発、タブー破り的な快感、さらに昨今の秩序志向の風潮にもかなって、多くの人々の関心を集めるようになったのだろう。最近学校で、この動きに影響を受けた父兄がよく「教育勅語を教えてはどうか」「二宮金次郎の像を建てるべきだ」などと提案しに来るという。
WEB 


[し-005]
自助グループ
じじょぐるーぷ
 同じ障害を抱える者同士が集い、相互扶助を通して、各自が自分の問題を解決していくことを目指す共同体。アルコール依存症者のグループ(断酒会、A.A.)が有名。精神科関連では、ドラッグ、摂食障害、ギャンブル、恋愛依存、ACのグループ等もある。多くの場合、障害者は孤独感と自己不信とに苦しめられているため、同様の問題を抱える者と出会うだけで肩の荷が軽くなる。他人の経験談に耳を傾け、また逆にアドバイスを与えるといった体験が「自己変容」につながり、治療効果が生じるといわれる。しかし、この種の集団には生理的に馴染めないタイプの者もいる。映画『マーズ・アタック!』では、アル中の女がA.A.の会合でスピーチをする場面が出てくる。彼女は火星人の飛来を愛と平和の使者と勝手に解釈し、アル中から回復した自分の未来と重ね合わせた発言をするが、その直後に火星人が大殺戮を開始し、たちまち彼女は酒へ逆戻りしてしまうのであった。
WEB 自助グループ紹介コーナー
http://www.nsknet.or.jp/~hy-comp/selfhelp.html


[し-006]
Gショック/データバンク
g-shock/databank
 カシオが生んだ超ヒット商品。安いわりにはプレミアがつき、金持ちからそうでない人まで全方位的に欲しがられる時計。また、これさえしときゃ間違いなし、という安心感も与えられる時計。Gショックは81年、落としても割れない時計として世に誕生したが、その当時は全く売れず、人気が出たのは90年代に入ってから。それまで、やはり同じように安い割にはプレミアがつくと人気だった「スウォッチ」の神話に人々が疑い始め、それにとってかわってブームとなりだした。日本より海外での評価が高く、スティングがしていたモデルやキアヌ・リーブスが映画『スピード』でしていたモデルは、発売後しばらくしてから大人気となった。今では「世界鯨イルカ会議」モデルが人気で、いい大人までもが必死に探したり、持っていることを自慢していたりする。
 一方、84年に誕生しデータバンクも、海外での評価は高かったが日本では全く見向きもされず、ヨドバシカメラなどで安売りされていたが、Gショック人気につられて人気上昇。ただし、こちらはまだ若干クラブに出入りする者(クラバー)たちのとがった匂いがする。どちらも輸出仕様が比較的人気が高く、種類は恐ろしいほど多い。そのため自分がしているモデルがもっともプレミアが高いと信じ込んでいる、おめでたい人も多い。もちろんすでに生産中止になっているモデルにプレミアがつくが、ちょくちょく復刻されるのでユーザーとしては気が気ではない。
WEB CASIO Home Page -- Flow with the Digital Groove!
http://www.casio.co.jp/
WEB G-SHOCKER
http://www.sakuranet.or.jp/~ktf/gshock/


[し-007]
次世代機
じせだいき
 ポスト・スーパーファミコンをめぐる32ビットゲーム機開発及び販売過程において、マスコミが作り出した幻想。94年に松下電器が世界初の32ビットゲーム機となる3DO-REALの発売を発表した時期に端を発するが、口火を切った松下は早々に戦線を離脱し、94年年末に発売されたSCE(ソニー・コンピュータエンタテインメント)の32ビットゲーム機プレイステーションと、同時期に発売されたセガエンタープライゼスのセガサターンのシェア争いにこの言葉が使われるようになった。その後、約一年半遅れた96年6月に、任天堂が業界初の64ビットゲーム機NINTENDO64を引っ提げて参戦するが、ソフト開発の遅れと、2回のクリスマスシーズンを逃したダメージは大きく、任天堂独裁体制を支えてきたスクウェアとエニックスがソニー/PS陣営への移籍を表明するなど、波乱に満ちた結末を迎えた。
 こうして8ビット機ファミコン、16ビット機スーパーファミコンを通じて家庭用ゲーム市場を独占してきた任天堂が、ひとまずそのポールポジションをソニー/PSに明け渡した現在までを次世代機戦争と呼ぶ。が、セガはすでに128ビットゲーム機(?)開発に着手しており、SCEも99年の発売を予定したPSの後継機の開発に着手しているといわれている。本来的には16ビットから32ビット機への移行を機に、ゲーム文化の本質的な進化・転換を期待して産み出された「次世代機」という呼称だが、現在のところ、テクノロジーの進化を追いかけるのに夢中で、ゲームそのものの大きな進化は見られない。結局、テクノロジーの進化とのいたちごっこが続く現在のゲーム業界に、ゲームの次世代を担えるゲーム機はまだ現れていない。
WEB Sega Saturn
http://www.sega.co.jp/sega/saturn/main/
WEB PlayStation Official Homepage
http://www.scei.co.jp/
WEB NINTENDO64
http://www.nintendo.co.jp/n01/index.html


[し-008]
屍体本
したいぼん
 主に人間の屍体のビジュアルを売り物にする出版物。東京・高円寺の総合カルトショップ「バロック」では、屍体報道に対する感覚が開かれているタイの惨殺現場を活写した犯罪写真週刊誌『191』(2000円)や、屍体写真家・釣崎清隆氏の屍体写真集『HARD CORE WORKS』(7800円)、事故屍体ビデオ『レア』(9000円)、タイの屍体ビデオ『DEATH FARM』(1万2800円)などが売られており、密かな人気を博している。AVメーカーのV&Rも屍体ビデオ『デス・ファイル』を出している。こうした動きは、悪趣味雑誌が世に出た95年からにわかに目立ちはじめ、別冊宝島『死体の本』が刊行されたり、大手書店では屍体本コーナーが設けられたり、評論家の布施英利氏が当時月刊誌『PANjA』で「街の死体」という連載をしていたほどメディアでの認知度も高まりつつあった。これを機会に屍体愛好は、若者の一部にカジュアルな趣味として受け入れられることになった。核家族化が身近な屍体との出会いを遠ざけたことで、生のリアルさも同時に損なわれ、結果的に屍体に現実性を見出しているのだ、という分析がよくなされたが、潜在的な屍体愛好家のニーズに情報とソフトの供給がやっと追いついたというのが現状だろう。今日では屍体本を表に置く書店はめっきり減った。神戸小学生殺人事件にしても、インターネットで被害者の屍体を追うサイトなど発見されなかったことを考え合わせると、屍体への関心はやはり一時のブームだったのだ。
WEB 


[し-009]
失楽園
しつらくえん
 渡辺淳一の大ベストセラー小説。役所広司、黒木瞳の主演で映画化され、大ヒット。勢いに乗って、97年7月よみうりテレビ制作でテレビドラマ化。もちろん主演は、「女子大生」「ヘアヌード写真集」とその時々の時代のキーワードに自らの肉体を完璧にハメてきた川島なお美。お相手は古谷“AV女優とヤッちゃいましたu」”一行。制作発表でプロデューサーが「放送コードに挑戦する!」発言をぶち上げたあたりから世間の耳目を集め始め、フタを開けてみたら……ただのエロドラマだった。 「君の体はこんな風になっていたのか…」古谷“鼻の穴開きっぱなし”一行、揉んだり吸ったりして川島なお美の乳首を微妙に隠しながらいやらしく囁く。必死に唇を求める川島なお美、これが女優へのステップアップだとでも言いたげな濡れ場だ。視聴率も20%突破、なお美の乳首一個あたり10%の計算なりとなったこのエロドラマ、1回目の数字を聞いたあるバラエティ作家が俺につぶやいた言葉が忘れられない−「ちぇっ、結局乳首かよ」。
WEB 失楽園
http://www.softbank.co.jp/onhand/rakuen/index.htm


[し-010]
シティボーイズ
city boys
 大竹まこと、斉木しげる、きたろうからなるコントグループ。お茶の間的には、それぞれがピンとしてバラエティ番組で人気を博しているが、彼らの活動の要はGW名物となっている「シティボーイズ・ライブ」といっていいだろう。宮沢章夫竹中直人、中村有志、いとうせいこうらとの伝説的ユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」活動休止直前に、作家・三木聡を迎え、渋谷ジァンジァンでスタート。当然のように着実に動員を増やし、公演の規模も拡大。レギュラーメンバーに中村有志、いとうせいこうを迎え、チケット即時ソールドアウトという異常な盛り上がり方は、ラジカル最盛期を彷彿とさせる。ラジカルがパフォーマンス自体の高いクオリティと井出靖選曲によるBGMとの相乗効果で、いわゆる「お笑い」とは一線を画する舞台を作っていたように、「シティボーイズ・ライブ」でも小西康陽(ピチカート・ファイヴ)をメインに、ヤン富田やファンタスティック・プラスティック・マシーンといったメンバーが公演ごとにオリジナル・サウンドトラックを手掛けるなど、笑いとは別の部分でも「志の高さ」を感じさせている。97年公演『Not Found』では、アルマンド・トロヴァヨーリ、ピエロ・ピッチオーニといった、イタリア映画音楽の巨匠らもサントラ盤に参加。この辺はピチカート・マニアとして知られる、坂口修(大竹まことマネージャー)の「個人的な趣味」が大いに反映している。しかし、そういったスタッフの存在が、モンティ・パイソン→スネークマン・ショウ→ラジカルといった系譜に連なる、いわゆる「お笑い」の客とは趣を変えたファンを獲得することに、結果的に成功している。97年には追加公演として芝居(コント)では異例の日比谷野外音楽堂での公演を超満員の中で敢行。斉木しげるの熱唱はお約束として、メンバー一同尻まで出すサービスぶりで観客の度肝を抜いた。
WEB KITARO'S HOMEPAGE=PINKY YELLOW
http://www.ntt.co.jp/entertainment/culture/kitarou/


[し-011]
シネコン
しねこん
 アメリカ大手の映画興行会社による複合型映画館(シネマ・コンプレックス)のこと。タイム・ワーナー社は流通大手のワーナー・マイカルと提携して合弁会社を設立、地方都市にシネコンの建設を行ってきた。UCI、AMCらの興行会社もこの日本市場に参入。日本大手の松竹もシネマークと提携、このシネコン市場に加わった。外資系の登場によって日本大手も刺激を受けて映画館設備やシステムの改善に動き始めたところだ。はたして外資系CD店の登場が音楽産業の売り上げを爆発的に伸ばしたような結果を迎えられるのか?
WEB 


[し-012]
篠崎誠(1962年生)
しのざき・まこと
 日本を代表する国際派若手監督。映画ライターとして東京で黒沢清の本を編集し、カリフォルニアの砂漠でアレックス・コックスと語り合い、テヘランでアッバス・キアロスタミの子供と戯れ、若い映画作家を発掘するためインドへと向かう……今まで世界の映画を求めて旅したライター・篠崎誠の常軌を逸した行動力を考えれば、その映画監督第1作に妻の発狂を扱った『おかえり』(96年)を発表したのも納得できるだろう。その作品は越境者オーソン・ウェルズの『アーカディン氏』のようなものではなく、もっと慎ましい夫婦の対話だけでできた映画だった。日常の中で精神に破綻をきたした妻を見つめる夫の姿をシンプルに見つめ続けるこの作品は、世界各国の反響を呼び、ベルリン映画祭再優秀新人監督賞、テサロニキ映画祭再優秀監督賞、ダンケルク映画祭グランプリに輝くなど、上映は30カ国近い数に上っている。次作が待たれる若手の一人だ。
WEB 


[し-013]
篠原ともえ
しのはら・ともえ
 戸川純あたりから連綿と連なる、いわゆる“不思議少女”の90年代版タレント。チープな100円ショップ系小物を体中にまとわりつかせ、ランドセルを背負うという独特のファッションは、本人自ら「これが、シノラーですぅ〜。いま最っ高にオシャレなんですぅ、ぐふふぅ〜」とブラウン管からお茶の間に何十回と呼びかけたアナウンス効果により「これなら私にも似合うu」」と勘違いしたチビ・デブ・ブスの三重苦少女の間でマジに流行してしまうという珍現象をひき起こした。
 97年も半ばのこと「篠原ともえはイジメられっ子だった」という、いわゆるシノラー・バッシングが一部女性週刊誌に掲載されたのを覚えているだろうか? その話、結構ホントじゃないか? なぜなら俺には、「シノラー」とは「本名・篠原友恵」という一少女が何らかの人格の崩壊の危機に瀕した際に、自分を守るために発明した「擬態」である気がしてならないからだ。今度TVで彼女を見る時によく観察してみろ。アイツ、異常に汗っかきだから。あの汗は、超人気者のイケてるタレント「篠原ともえ」が、地味で根暗な「篠原友恵」であることをいつ大衆に見破れるかとドキドキしながら流している冷や汗ではないのか? 彼女が“天然”でないことは確かだ。そして「篠原ともえ」という発明品は“元気印な不思議少女”のブランドとして今暫くの間、疲れた大人達を欺き続けられるハズである。
WEB ・・SHINORERS CLUB・・
http://www.fujiint.co.jp/HEY/TOMOE.html


[し-014]
渋谷系映画
しぶやけいえいが
 渋谷や六本木などの劇場で、レイトショーなどで上映される旧作映画。渋谷系という言葉も、すでに死語となって久しいが、便宜上この名称。対象となる作品は、“とりあえずゴダール”“とりあえずジャック・タチ”だけでなく、ビジュアル面、音楽、雰囲気などにおいて、今日的魅力がある作品。アルマンド・トロヴァヨーリによるサントラ盤が異常人気を呼んだ『黄金の七人』などは、初公開時はお色気テイストの入ったB級泥棒映画と認識されていたが、作品のキュッチュさと、主演のロッサナ・ポデスタのクールビューティぶりが、うまく時代にシンクロしヒットとなった。今までのように、過去の名作を単にリバイバル公開するのでなく、映画史的にはけっして作品のクオリティが高くなくても、音楽やビジュアル面などがよければOKといった観点でセレクションされているのが、特徴とも言える。それらは、ピチカート・ファイヴやカヒミ・カリイといったアーティストたちが、サウンドやビジュアル面などでインスパイアされた作品であったりもする。そして再公開時のビジュアルをコンテムポラリー・プロダクションなどの、いわゆる渋谷HMV系のデザイナーが手掛けることが多いのも特徴だ。「リスクを恐れて、安易にリバイバルに頼る風潮など」と、言う人もいるようだが、時代の要求を受け、映画が再び息を吹き返すのだから、映画にとっても観客にとっても幸福な現象といえるだろう。大量のリイシューCDがあふれかえり、現代の尺度でセレクトされた旧作が次々と劇場公開される東京という街のおもしろさを感じずにはいられない。
WEB 


[し-015]
シベリア超特急
しべりあちょうとっきゅう
 映画評論家、警察評論家として知られる水野晴郎の第1回監督作品。通称『シベ超』(命名/みうらじゅん)。列車内で起きた殺人事件を水野扮する山下奉文が推理していくというミステリー・サスペンス。フィルムサイズが場面ごとに、ビスタビジョンからシネマスコープ、スタンダード方式に変わるという画期的な上映方式「スーパーシネマ方式」を採用。映画ファンの水野らしく、ヒッチコック、ワイラー、ウェルズといった名監督たちの手法を彷彿とさせる場面も多数。しかし、そんなことはどうでもよく、実質主演の水野晴郎が名探偵ポアロ気取りで列車内の殺人事件を推理していく様、唐突な推理、虚空を見つめた棒読み演技など、見る者すべてを「どうにでもしてくれ」という脱力感に浸らせてくれる。その是非は別として、10年に1本出るか出ないかの大怪作であることは間違いなく、ここ数年では久々に登場したカルト映画といえるだろう。この作品によって、水野晴郎のカルト的な存在感が認知されたのか、NINTENDO64のソフト『007ゴールデンアイ』CMに、浜村淳とともに出演を果たした。この2人もジョージ・レイゼンビーらとともにボンド役者の仲間入りということだろうか。この作品は上映する劇場主が好きな方を選べるようにという水野の配慮から、二つのヴァージョンが存在。ビデオ版はラスト2回の“映画史に残る大どんでんがえし”がないヴァージョンだ。次回作の脚本はすでに完成していて、台本にはリチャード・ドレイファス、鈴木京香などの名前が記載されているが、いずれも名前のあとに(想定)の文字が刻まれている点が素晴らしい。なんとか完成させてもらいたいものだ。
WEB 水野晴郎氏
http://www1.kiui.ac.jp/hot/mizuno/index.html


[し-016]
志村けん(1950年生)
しむら・けん
 本名志村康徳、ザ・ドリフターズの一員。ミュージシャンズ・ミュージシャンという、玄人受けするアーティストを指す言葉があるが、志村けんの場合さしずめコメディアンズ・コメディアンといったところか。ダウンタウンの松本や、とんねるずの木梨憲武など、あくまでもコントにこだわり続けるその姿勢に共感する者は多い。また、ドリフ世代のDNAにはしっかりとそのスピリッツが刻まれている。「スイカは必ず口からタレてもいいから一気に食うべし」「身のほどをわきまえない腰元の由起さおりは容赦なく斬りつけるべし」「志村けんの後ろにオバケが現れた時は必ず『志村うしろー』と叫んで知らせるべし」といった「志村憲法」の条文のすべてが無意識にインプットされているのだ。志村けんは今こそコントと心中すべきである。そして我々にはそれを見届ける義務があるハズだ。
WEB 


[し-017]
ジャニーズ・エンターテインメント
johnny' s entertainmant
 ジャニーズ事務所が新たに設立したレコード・レーベル。これまでのリリースは少年隊の恒例ミュージカルのサントラ盤と、待望のCDデビューを果たしたKinki Kids。日本の芸能界にアメリカナイズされたショービズ・スタイルを持ち込み、斬新な戦略で次々と成功させていったジャニー喜多川の手腕は、90年代に入って(光GENJI以降)ますます冴えているようだ。SMAPの場合、まずドラマやバラエティで個々のキャラクターを売って順次ブレイクさせ、それをSMAPとして集結させて「SMAP×SMAP」やCDを通したキャラをまたそれぞれの活動にフィードバックしてゆくという、落ち目→バラ売り→解散というこれまでの図式の逆を行くパターンだ。Kinki Kidsはデビュー曲に山下達郎&松本隆を起用、音楽面は正統派で勝負してお笑い要素との絶妙なバランスを保っている。デビュー当時はAvextrax所属らしいユーロビートを展開していたV6は、玉置浩二作の「愛なんだ」よりシフトチェンジ。70年代のソウル・ミュージックのエレメントを用いて80年代風のライト・テイストに仕上げたSMAPサウンドのキーパーソンである、CHOKKAKUがアレンジを手掛けていることにも注目。
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[し-018]
ジャパニーズ・モデル
japanese model
 「アンチ西洋美」にとどまらない独特の個性をもった日本のモデル(広い解釈でアジアン・ビューティ)。アジア人の魅力が見直されている。芽はあった。『CUTIE』等の雑誌では日本のモデルがむしろ重宝されていた。キッチュなスタイリングやヘアメイクは、日本人モデルに施してこそよい意味で違和感が強調され、市川美和子らはスターモデルとなった。また「ブスかわいい」のキーワードで男性誌にもその存在を知らしめた。それからは大場純子と英姫が「エリートモデルズ世界大会」に出場するなど「キッチュ」を越える大局を迎えた。
 事実世界のスーパーモデルに、かなりアジア人が目立つようになっいる。日本からのアヤコや田辺あゆみは、シャネルのコレクションに出るなどの大出世。紙表現の世界では小林基行らフォトグラファーも一役買った。リアルでルーズな世界観をもつ写真には、細かく震える小動物のような、デリケートな存在感を持つ日本人の男の子女の子が不可欠になった。こうなるとモデルと普通の子のボーダーはない。また、カヒミ・カリィや野宮真貴(ピチカート・ファイヴ)などフォトジェニックなミュージシャンらも、進んでモデル仕事をアピールに組み込んだ。96〜97年はウォン・カーウァイ等のアジア映画が、香港返還のカウントダウンと同時にクレッシェンド的に盛り上がり、アジア女優が日本でも人気に。資生堂「ピエヌ」のキャンペーンには、ミシェル・リー、ケリー・チャン、という香港スターに、緒川たまき(次期は中谷美紀)がモデルとして登場、西洋人モデルに遜色のない魅力を見せた。資生堂は「プラウディア」でもセシリア・ディーン(『VISIONAIRE』編集者)、チャイナ・チャウ(エイズ死モデル、ティナ・ラッツの娘)、今井美樹らを起用、アジアン・ビューティーにご執心はさすがである。緒川、中谷、今井というチョイスも「いかにも」だ。
 玄人くささのないリアルな存在感が魅力のモデルに対して、逆にタレントは自己プロデュースのできる「おしゃれな」人たちが人気で(前出のミュージシャンも同様)両者は近付きつつある。その証拠に江角マキコやりょう等の人気モデルがどんどん女優になっていった。これは男性モデルにもあてはまる。どちらにしろ今の流行を握るのは女の子、ここに挙げたモデルや女優は圧倒的に女の子からの支持のほうが高い。その中でも特権的なところに立つのは、写真家ヒロミックスだろう。彼女は日本の若い男の子女の子を活写できるアーティストであるだけでなく、本人もモデルとして極めてフォトジェニック。その彼女が今のタイミングで、やっとジャパニーズモデルの写真集を出すのは余裕である。
WEB NODE246 JAPANESE ALT CULTURE
http://www.softmachine.co.jp/node246.003/index_j.html
WEB elite TOKYO
http://www.elite-tokyo.co.jp/index0.html


[し-019]
ジャパニメーション
じゃぱにめーしょん
 本来は80年代後半くらいから主にアメリカで言われるようになった日本のアニメに対する呼称。これが転じて欧米での日本のアニメ人気を言う際に「日本のアニメ」を指して使われるのが現在の日本語としての「ジャパニメーション」である。初期のアメリカにおけるジャパニメーションという言い方には、実はかなり揶揄するような響きが込められていた。実際、本書の形式的な原型であるアメリカ版のオルタカルチャーには「アニメ」という項目と「マンガ」という項目は存在するが、「ジャパニメーション」という項目は存在せず、最近では広告などでも「アニメ」と表記する場合が多い。これは92〜93年頃に「ジャパニメーション」という言葉の響きを嫌ったアメリカのアニメ/マンガファンが、「アニメと呼ぼう」という呼びかけを行ったためで、97年夏に行われた「ジャパニメーション・エキスポ」のように「ジャパニメーション」の名を冠したイベントが行われるようになったのは、むしろ日本でのこの言葉の受け取られ方のためである。
 日本でこの言葉がマスメディアで積極的に流通しだしたのは95年くらいからだが、これはアメリカでの人気の純粋な反映と言うよりは、オタク文化が市場として成熟していく中で、その人気を言説として主張していくことによっていわゆる「オタクな趣味」を文化産業として(その文化的なヒエラルキーを含め)主流化していこうという意図を持った、岡田斗司夫や村上隆といった人たちがマスメディアで発言しはじめたためであり、こうした人達が登場したことを含め、むしろ日本で「オタク」という層がなんらかの発言権を主張しはじめたことの反映であると言える。とくに村上隆が広告プロデュースを手がけ、アメリカからの凱旋を謳った、士郎正宗原作・押井守監督による劇場用アニメ『攻殻機動隊』の97年の日本での再公開はそうした意味合いを強く押し出したイベントだった。
WEB Steve's Anime(Japanimation)Page.
http://www.netspace.org/〜stv/anime.html


[し-020]
シャ乱Q
しゃらんきゅー
 つんく(Vo)、はたけ(G)、しょう(B)まこと(Dr)、たいせー(Key)、不動の5人による人気ロックバンド。主演映画『シャ乱Qの演歌の花道』が公開されるなど快進撃が続く。「〜系」など、どの流れの中にもおらず、「グラム歌謡」という範疇に収められそうになった時もすぐさま『空を見なよ』など軽快なポップスを生み出し、音楽性の広さを見せつけるとともに決して聴衆に尻尾をつかませない。88年、大阪で結成。シャッターズ、乱、QPという三つのバンドが合体してシャ乱Qとなった。
 バックボーンとなる特定のライブハウスを持たず、活動の拠点は大阪城公園でのストリートライブ。シャ乱Qを筆頭としたアマチュアバンド群「すっぽんファミリー」によるこのストリートライブは、毎週日曜昼、よほどの天候の荒れのない限り行われ約4年も続いた。常時300人を動員した「城天」と呼ばれるこのライブの盛り上がりを、当時を知る人は「すぐそばの大阪城ホールのコンサートに負けぬ熱気」と語る。ストリートライブといえば現在は禁止されている原宿ホコ天がお馴染みだが、そもそも若者の街である原宿に対し、大阪城周辺は若者には無縁の場所だった。シャ乱Q(というよりボーカルのつんく)の牽引力の凄さがわかってもらえるだろう。年間100本近いライブをこなしていた彼らは、92年、NHKの公開オーディション「BSヤングバトル」で「ラーメン大好き小池さん」を披露しグランプリ獲得。「18ヶ月/お嬢様」でデビュー。しかしデビュー後は鳴かず飛ばず。セカンド・アルバムのタイトルは「売れっ子への道 渋滞中」と自嘲している。94年「上京物語」「シングルベッド」のヒットでついに不遇を打ち破る。シャ乱Qの曲は“ダサイ”“暑苦しい”と捨てられてきたものの集積所の感がある。そして、いつの間にか購買ターゲットから捨てられてきたリスナーが、ここに帰ってきたのだろう。
WEB ●マサコの部屋● シャ乱Q情報がいっぱい!
http://www.rr.iij4u.or.jp/~mmako/home.html


[し-021]
ジャングルライフ
jungle life
 関西のレコード店、ライブハウス、プレイガイドなどに強力な配布力を持つ隔月刊音楽フリーペーパー。93年創刊。発行部数は3万部。A5版、100ページの中に情報がぎっしり詰まっており、手に取った誰もが「これ、本当にタダでもらっていいの?」と恐縮する。内容も現代音楽から歌謡曲まで広すぎるほど幅広く、執筆者も高名な音楽評論家から浪人生、主婦にまで至り、扱いの違いもない。ガレージ、アジアン・ポップス、宅録の特集があるかと思えば、マンガ、プロレスの特集が突拍子もなく飛び出し「編集部の嗜好が見えない」ことにかけては随一。言い方を変えれば「好む音楽を偏愛し、他のジャンルを軽んじる」精神がまったくないわけで、このグローバルな姿勢は見習うべきだろう。
 にしてもこの品揃えの豊富さは驚異的。編集者はあらゆる音楽に精通した者なのだろう、と思いきや、そうではなかった。『ジャングルライフ』は“編集長に音楽の知識がまったくない”音楽誌だったのだ。広告代理店のヒラックスは「広告営業の勉強に」と社員の前田孝子に音楽誌の編集長になることを命じる。青天の霹靂であった前田は手当たり次第、音楽について書けるライターに声をかける。そのうち「この人、音楽について何も知らないな」とバレはじめる。本来なら書くことを拒まれるのだろうが、前田の人柄のよさにほだされてか続々原稿が集まる。ただし、それら原稿は「書きたくても依頼のない、たまらなく好きな音楽」について書いたものばかり。このジャンルに見境のない濃い濃い原稿の集合体は、いつしか関西の学生にとってバイブルのような存在となった。マニアックな原稿、時に激しい論争が並んでいるのに「やりくりアパート」的ほんわかムードが漂う稀有の雑誌だ。また人気執筆者、戸川昌史の単行本『猟盤日記』の発刊は多くのレコードコレクターに影響を与え、フォロワーを生み出した。
WEB JUNGLE ON LINE
http://www.hirax.co.jp/jungle


[し-022]
じゅわいよ・くちゅーるマキ
じゅわいよ・くちゅーるまき
 全国に約800もの支店を展開する大手宝石チェーン。大量に流されるCMスポットのため、この“じゅわいよ・くちゅ〜るマキ”というかなり気持ち悪い語感を持つコトバを、深夜にテレビを見ている限り頻繁に耳にすることになる。
 いったいなんやねん、“じゅわいよ”って。いっぺん自分の彼女や彼氏にそのワケのわからん言葉口にさせてみいっちゅーねん! 見てみい、ムチャクチャ卑猥な唇の動きになるっちゅーねん。“くちゅ〜る”もどういう意味やっちゅーねん! クンニリングスしてる時の音とそっくりやっちゅーねん。ブルース・ウィリスのあのスケベ丸出しの笑顔見て宝石欲しなる女どこにおんねん、おったら連れてこいっちゅーねん。しかもなんでBGMが華原朋美やっちゅーねん。風呂場で抱きあうなっちゅーねん。胸毛と出た腹なんとかせいや、コラ!オッサンっちゅーねん−。心の中で無意識にツッコむ自分に気がつく時、アナタはすでにCMの術中にハマっているのだ。
WEB 


[し-023]
少女革命ウテナ
しょうじょかくめいうてな
 97年に放映されたテレビアニメの中でもっとも「濃い」と評判の作品。監督は、『美少女戦士セーラームーン』の演出で絶大な支持を得、劇場版『セーラームーンR』(監督担当)で独自の作風が異質とされながらも評価を受けた幾原邦彦。独立後初の監督作品である『ウテナ』は、強烈な個性の登場人物、過剰なほどの象徴&観念的演出、「王子様」「薔薇の花嫁」「世界の革命」「ディオスの剣」「永遠」「奇跡のチカラ」「天空の城」「黒薔薇」−−と並べただけで目眩すら起こしかねないキーワード群など、故寺山修司の劇団『天上桟敷』に影響を受けた監督の世界が全面に押し出された作風で、一部の熱狂的な支持を得ている。と同時に、そのアクの強さとキャラクターがネックになってかいまだブレイクには至っていない。企画・原作/ビーパパス、原案・監督/幾原邦彦、原案・漫画/さいとうちほ、キャラクターデザイン/長谷川眞也。決闘シーン楽曲はJ.A.シーザーの合唱曲を使用している。
WEB 


[し-024]
少年ナイフ
しょうねんないふ
 “世界で一番有名な日本のバンド”を自負する大阪の女のコ3人組。結成されたのは81年のこと。独特のヘンテコなポップ・センスは、ライブ活動を開始するや周囲の知るところとなり、京都のゼロ・レコードから83年に『BURNING FARM』をリリース。たまたまアメリカに渡った作品が面白がられて、85年頃よりアメリカでも作品がリリースされはじめる。様々なコンピレーションへの参加依頼も次々あり、あれよあれよという間に世界の好きものの間にその名を轟かせる。
 89年には熱心なファンに招かれる形で初USライブを。さらに同年には、ソニック・ユース、レッド・クロスら30以上のバンドの参加による、彼女たちのトリビュート盤がリリースされるという盛り上がりにも発展する。故カート・コバーンも彼女たちへの大ファンで、カートたっての願いでニルヴァーナと共にツアーを数回行ったこともある。92年、『LET' S KNIFE』でメジャー・デビュー。その後も『ROCK ANIMALS』『BRAND NEW KNIFE』と順調にリリース、長期海外ツアーも定期的に行っている。海外での評価ばかりに終始してきたが、日本で着実に活動していたことを抜きには語れない。周囲の状況は変わっても彼女たちはひたすらマイペース。ライブMCではベタベタの大阪弁も飛び出すといった具合で、いい味だしている。いろんな動物や、アイスクリーム、チョコレートなど甘い食べ物がいっぱい歌詞に出てくるナイフ・ワールドは不変だ。
WEB 少年ナイフ
http://www.parco-city.co.jp/sk/sho_desk.html


[し-025]
初回限定仕様(プレミア盤)
しょかいげんていしよう(ぷれみあばん)
 初回プレス分のみ特別仕様になっているCDやアナログ盤のこと。これを売りに出すと、アイテムによってはもの凄いプレミアが付くこともある。近頃、よく初回限定パッケージを見かけるような気がする。初回盤を買うとポスターとステッカーとカンバッジがもれなく付いてくるというのとは違って、盤のパッケージそのものがもうコレクターズ・アイテムなのだ。まず思い出されるのが、安室奈美恵の『Sweet 19 Blues』の4種類のジャケット。もちろんメガ・ヒット確実のアルバムではあったが、このジャケ作戦がヒットに拍車をかけたのは言うまでもない。もう一つ大きな話題になったのは、今年の春に発売されたSMAPの2枚組アルバム『Wool』。“ウルトラ・ブリスター・パッケージ”というスペシャル仕様、しかも限定リリースだという情報だけが流れ、実物は発売されてから店頭で確認するしかなかった。その実物とは、『スター・ウォーズ』グッズが入っていてもおかしくないようなシルヴァーに光るスペイシーなパッケージに、二つのカンバッジ、豪華ブックレット仕様の歌詞カードを封入とマニア心をくすぐるアイテム揃い。これらのアルバムを財テク目的で買った人も多かっただろう。
WEB 


[し-026]
書店の超大型化
しょてんのちょうおおがたか
 90年代後半の書店の新傾向。80年代の書店を象徴したのは、郊外型化・専門店化・複合型化だった。しかし、小売店の形態が変わっても、流通システムは旧態依然としたまま。品揃えによって特化しようという専門書店は(漫画など一部の例外を除いて)行き詰まり、複合型店もレンタルビデオ部門の過当競争と低価格化で減少した。代わって大きな傾向となったのが店舗の超大型化である。東京だけをとっても、八重洲ブックセンター本店、紀伊國屋書店新宿タイムズスクエア店、リブロ池袋店、ジュンク堂池袋店など、売場面積1000坪超のメガストアが続々登場。地方の中堅都市でも300坪超の大型書店は珍しくない。従来、書店業界では100坪以上の店舗を大型店と呼んできたが、その定義の変更が迫られている状態である。背景の事情には三つある。POSレジ(コンピュータ化され、リアルタイムでデータ収集を行えるレジ)の普及により、小人数で広い売場の管理が可能になったこと。バブル崩壊により店舗の家賃が下がったこと。そしてなにより、現在の出版流通システムでは、店舗の規模こそが配本を得る上で有利だということ。商品配給は集客力と売り上げに直結する。もっとも、売場が広いからといって、それが品揃の充実に直結しているわけではない。また、1000坪超のメガストアが必ずしも成功しているわけでもない。今後は、いよいよ大型店間の淘汰が始まるという観測も業界にはある。
WEB 八重洲ブックセンター
http://www.yaesu-book.co.jp/
WEB 紀伊国屋書店インターネット仮想書店 BookWeb
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/


[し-027]
ジョン・C・リリー
john c lilly
 “世界で一番ケタミン遊びをしている科学者”と評され、“LSDの摂取量も世界一”との説もある、アメリカ・ニューエイジの先駆的人物。15年、米ミネソタ州はセント・ポール生まれ。父親は銀行のオーナー、母親は当地の地主一族と、上流階級に生まれた彼は、幼少の頃より神童ぶりを発揮して多方面の書物を読破、文学・思想・哲学などから次第に、サイエンスの優位性を確信するようになる。また、子供時代に何度も「天使=超知性体」と遭遇するという、特異な神秘体験を有する。あのMIT(マサチューセッツ工科大学)より難関と言われるカリフォルニア工科大学(通称カルテック)に特待生として入学、物理学を専攻するが、やがて生理学に興味を覚え、ダートマス大学医学部とペンシルヴァニア大学医学部で学業に励み、その後、ジョンソン財団やNIH(米国立衛生研究所)といった米国屈指の名門機関で生理学や脳神経生理学の正統な研究に従事。脳の「快・不快地図」などの研究で、周囲からはノーベル賞確実と見られていたものの、人間の脳の持つ神秘的な可能性に魅せられて、次第に“正統科学”から離脱していく。
 そうして、イルカと人間とのコミュニケーション・システムの開発、リリー自ら薬物(主にLSDとケタミン)を摂取したうえで、視覚や聴覚ばかりか全身のありとあらゆる感覚を遮断する隔離タンクに入っての「心」と「異次元空間」の探究、アメリカ・ニューエイジの総本山エサレンでのワークショップの指導、チリの秘教的サークル「アリカ」でのグルジェフ・ワークの修行等々、“マッド・サイエンティスト”の名を欲しいままにすることとなる。TV番組『わんぱくフリッパー』に登場する心優しきイルカ博士や、鬼才ケン・ラッセルの監督作『アルタード・ステーツ』(79年)でタンキング実験中に類人猿になってしまった若き精神心理学者のモデルとしても有名。著作には、怪しげな精神世界に深く分け入ったベストセラー『意識の中心』(平河出版社)や、自叙伝『サイエンティスト』(平河出版社)、『イルカと話す日』(NTT出版)、『LSDとバイオコンピュータ』(リブロポート)などがある。現在はハワイに在住、女性ボディビルダー兼モデルのリサ・ライオンを養女とし、齢80を迎えた今でも、人類とイルカのコミュニケーションが実現する日を夢見つつ、未だにケタミン漬けの日々を送っている……らしい。「宇宙速度を超えると宇宙警察に逮捕される」というリリーの言葉は、彼の人生を象徴する意味深くも難解な箴言といえよう。
WEB Isolation Tank
http://www-ks.jaist.ac.jp/~iwata/tank.html


[し-028]
ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョン
jon spencer blues explosion
 ジョン・スペンサー率いるNYのトラッシュ・ブルース・ロックンロール・バンド。ジョン・スペンサー・ブルース大爆発!とはナイス・ネーミングである。憂歌団というのも素晴らしくよい名前だが、名は体を表すとはよく言ったもので、憂歌団とJSBE共にイカした名前のブルースメンではあるが、その爆発具合があまりにも違う。ブルースの名のもとにハイ・テンションで突っ走る彼らのサウンドは生ライブで体験してこそ。このバンドは80年代後期のNYで結成されたPussy Galoreを母体とするが、ここからはジュリー・カフリッツとソニック・ユースのキム・ゴードン&ボアダムズのヨシミとのフリー・キトゥン、ニール・ハガディによるロイヤル・トラックスというユニットが生まれている。また、ジョンが奥方クリスティーナ率いるボス・ホッグで、ドラマーのラッセル・シミンズがチボ・マットとのユニット・バターO8でそれぞれ活動しており、その他コラボレーションやプロデュース、リミックスなど精力的にこなしている。『Crypt Style』(92年)、『エクストラ・ウィドウス』(93年)に続く『オレンジ』(95年)で現在の地位を不動のものとした。最新作は『ナウ・アイ・ガット・ウォリー』。
WEB NOVA EXPRESS
http://www.softmachine.co.jp/news/NOVAE/NE07/NE0701.html


[し-029]
シンイチロウ・アラカワ
しんいちろう・あらかわ
 パリに拠点を持つ日本人デザイナー。パリにオンリーショップがある。コレクション発表で、下北沢の商店街や表参道をねり歩いたり、京都で三味線をバックにファッションショーを行ったりする様はいかにも「逆輸入」の人、という感が強い。ホンダとコラボレートしたりするのも。最新コレクションのバックステージはヒロミックスが撮影した。彼が、洋服フリークに絶大の支持を持つクリストファー・ネメスのアシスタントだったこともあり、そのゾーンの人にはちょっとしたカリスマになっている。女性誌には日記風のエッセイを持ち、そのルックスと相まってアーティストの印象を強めている。また荒川の常連で、カルト・モデル藤本祐をなんとプレスのポストに置くなど、日本人離れした思考が注目されている。
WEB 


[し-030]
心斎橋筋2丁目劇場
しんさいばしすじにちょうめげきじょう
 吉本興業経営の小劇場。150席あまりの小さな劇場がメディアを変える力を持つことを証明してみせた重要な劇場であり、現在関西では「2丁目」といえばこの劇場を指すほどの知名度がある。開館は86年5月。きっかけは吉本総合芸能学院「NSC」(ニュースタークリエイション)だった。「師弟制度にとらわれないタレントをつくる」ことを目的としたこの“お笑いタレント養成学校”は、第1期からダウンタウン、トミーズ、ハイヒール、吉本新喜劇の内場勝則など優秀な人材を輩出した。師匠のいないノーブランド芸人が続々誕生するなか、彼らの活躍の場を確保することは火急のこととなった。そこで南海電鉄が管理していた南海ホールを2000万円かけて改装、心斎橋筋2丁目劇場はオープンする。
 「花月劇場から掛け離れた笑い」を目標に、大崎洋(現ダウンタウン・チーフマネージャー)の陣頭指揮のもと様々な実験的イベントが行われる。87年、公開生放送バラエティ「4時ですよ〜だ」(毎日放送)がスタート。この番組によってダウンタウンとともに劇場の存在が広く知れ渡ることとなる。以降、今田耕司、東野幸治、吉田ヒロ、130R、ナインティナイン、雨上がり決死隊、千原兄弟、ジャリズムなど新しい笑いの才能を生み出し、育み、出荷する機能を果たしている。ただ劇場自体がブランド化し「温室」となってしまった感もある。不遇をたっぷり強いられてきたキャブラーと呼ばれる関東勢の反逆に抗えるタレントを作り出すためには、さらなる厳しさが必要とされるだろう。
WEB 2丁目ファンクラブ
http://hands.galaxynet.or.jp./~chu/
WEB よしもと2丁目ワチャネット
http://town.hi-ho.ne.jp/enterT/yosimoto/


[し-031]
新宿西口
しんじゅくにしぐち
 ブートレグのゴールデン・トライアングル。違法盤であるブートレグが軒を並べて堂々と売られているのは、世界広しといえどもここだけ、世界屈指のブートレグ店街である。ここでは入手できない物はないと言っても過言ではないほど、カタログも豊富である。新宿西口の存在は海外のロックマニアの間でも有名で、ジミー・ペイジ、メタリカ、ソニック・ユースなどミュージシャン自身が、来日の際に観光に訪れたほどである。
 ブートレグに収録されている音源は、スタッフが横流ししたと思われるレコーディングのアウトテイク、コンサート会場での隠し録り、テレビやラジオでオンエアしたオリジナルライブなど。15年以上前のものはほとんどがカセットで隠し撮りした類のもので、音質が悪い。ところが88年以降のCDの普及とDATなどの登場で、音質のクオリティが一段と上がった。現在ではこのまま公式盤として遜色ないレベルの物もある。もしこんな商売を米国で堂々と行ったら、瞬時に著作権侵害で大問題になる。この現状の背景には、日本の音楽産業が家電メーカーを母体としてスタートしハード先行で始まった点がある。対して欧米の音楽産業は出版社からスタートしソフト先行で始まっており、この違いが日本人の著作権意識の稀薄さにつながっているのではないだろうか。だいたいパクった曲が大手を振って大ヒットする国なのである。ただし、さすがに日本人アーティストのブートレグは扱われていない。
WEB SHINJUKU.OR.JP
http://shinjuku.or.jp/
WEB Tokyo Shinjuku Nightト
http://www2e.meshnet.or.jp/~einz/index.htm


[し-032]
新世紀エヴァンゲリオン
しんせいきえう゛ぁんげりおん
 いわずとしれた一世風靡作。サンプリング/カットアップ/リミックスに代表されるポスト・モダンなシミュレーション技法を極限までつきつめたサブカルチャーの最終消費形態、もしくは最終殲滅形態。事実上、エヴァによってサブカルチャーは意味を失ったと言ってよい。「人類補完計画」と称されるプロジェクトをめぐって展開する「戦争」を描いて一大社会現象に発展。西洋オカルティズムから膨大な量のシンボルを引用し、精神分析を思わせる手法でそれらの意味を無限にズラし続ける演出によって多大な論議を巻き起こした。綾波レイに代表される特異なキャラクター設定や、「使徒」とよばれる敵の形状デザイン、さらには明朝の文字を挿入しつつめくるめく展開される編集技法も従来のアニメ作品に例を見ない。以下では本作品について、主にその形式、さらには歴史的背景といった側面から考えてみたい。
 ジャンルを超えて人気を獲得したアニメとしては、かつての『宇宙戦艦ヤマト』『機動戦士ガンダム』に系譜する。が、エヴァにおける舞台設定は、敵と味方、正義と悪といった価値観が固定されていた前者、そこから一歩進んで両陣営をめぐっての善悪の相対性や交流の可能性を描いた後者とくらべても、さらにいっそう先に進んでいる。「使徒」と呼ばれる素性の知れない「敵」は、実のところ「殲滅」されることを目的とされており、人類補完計画を実行しようとする一部人類の要請によって派遣されている。もっとも、ここで肝心なのは、味方のなかの敵、敵のなかの味方といった相対性の描写ではないということだろう。むしろ、「敵であること=敵でないこと」、「味方であること=味方でないこと」、さらには「自分であること=自分でないこと」、「逃げ出すこと=逃げ出せないこと」というふうに、エヴァにおける二元論の無化は「両性具有」的というよりは、哲学の脱構築理論でいうところの決定不能性に近い。
 こうした設定に、電子情報資本主義の子宮回帰的自閉を反映するとの意見もあるようだが、たとえそのような反映があったとしても、ヤマトやガンダムに見られる素朴きわまりない物語性の黙認から、物語に呪縛されざるをえないアニメというジャンルの貧しい素性を直視し、みずから腑分けできるだけの冷酷な次元に達したことは積極的に評価してよい。エヴァが、サブカルチャーの歴史を構成するすべての要素をバラバラに分解し、たがいに置き換え、創作よりも編集を重視しているのはそのためである。その意味では、エヴァの「物語」が一向に先に進まなかったり、中途で挫折することを安易に批判することは賢明な態度とはいえない。エヴァは結果的に2本の劇場公開作を生み出したが、同時期に公開され、記録的な大ヒットとなった宮崎駿の『もののけ姫』と比較した時、そのことは明白だろう。いかに「よく動く」とはいえ、結局のところ素朴な文明批判でしかない『もののけ姫』は、自然と文明との対立においても、両者を媒介する主人公の役割においても、その矛盾を解決するだけの理念も、矛盾を矛盾として直視する勇気もないまま大河ドラマ風音楽を大音量でがなりたて、物語を暴力的に終結させる。一方エヴァは、いかに完成度において劣るとはいえ、その不完全性は上記の要素に加えて自然と人工との境界を消し去る人工自然、終わることの不可能性と構造的反復、自己言及的悪循環といったモダン/ポストモダンな問いをアニメのレベルで実践することによって得られた必然的な結果である。ちょうど、わたしたちの生が「終わることのない非日常」に繋ぎ止められたまま、永遠のいまを奇妙なノスタルジーとともに生き続けるほかすべがなくなってしまっているように。
 エヴァについては多くの論者による多角的な分析が試みられたが、以上のことをふまえるならば、エヴァを一大叙事詩のごとく解釈し、そこに一方的な神話学的ないしは象徴主義的分析を加えて「補完」(エヴァ補完計画?)することがいかに無益な読みであるかは明白だろう。むしろエヴァは、「アニメ」としての完成度を判断中止しても、それらを成立させる暗い基礎条件を問い直した、いわばアニメ基礎論ともいうべき性質を持っている。そのことは、綾波による「補完」をシンジが最終的には拒否して、地上の「気持ち悪い」自分に戻っていったことにも見て取れる。ある作品についての最高の批評が別の作品であるとするならば、エヴァに評論や解説の類は必要ない。それ以前に、エヴァンゲリオンという作品自体が、エヴァについてのもっとも含み深い評論行為となっているのだから。
 したがって、ここではやや別の角度から考えてみよう。漫画家の楳図かずおの作品に『14歳』(小学館)と題する作品がある。これは終戦後、日本に進駐してきたGHQ総司令官ダグラス・マッカーサーが、欧米を成熟した大人にたとえると、日本人は未成熟な12歳にあたるとした発言を受けての設定であった。楳図はそれまでも、子供が子供のまま、大人の社会から切り離されて自立せざるをえない試練を、様々なかたちで描いてきた。小学校がまるごと人類の絶滅した未来社会にタイム・スリップしてしまう『漂流教室』(小学館)、幼い少年少女がセックスを経ずに自分たちの子供をつくろうとする『私は真悟』(小学館)など、いずれもそうである。これらは、『14歳』に典型的なように、しばしば荒唐無稽な舞台設定を持つため、幻視的な未来描写としてとらえられてきたが、そこには楳図独自の日本人論が展開されていたのではないだろうか。つまり、戦争に破れることによって成熟した西欧社会の産物である民主主義や市民社会に身を置かざるをえなくなった日本人の姿は、ある意味では『漂流教室』に描かれた小学生たちのように見えるのである。未成熟ではあってもそれらを血肉化し、制度化していかなければならなかった日本人は、まさしくおとなでもこどもでもない、いわば14歳的な存在であった。
 14歳といえば、エヴァとシンクロする能力を持った子供たちも14歳であった。なぜここで彼らが14歳であるのかはさておき、肝心なのは、この年齢が身体的にも精神的にも、そして彼らをめぐる社会的環境においても、男女の分化をはじめとする社会参入の条件が準備されるきわめて不安定な時期だということである。社会的にも精神的にも自立できていないにもかかわらず、戦闘や組織の中で一人前のおとなとしての任務を果たさなければならない彼らの様子は、どこかで楳図の設定を思わせるのである。と同時に、エヴァに代表される和製アニメそれ自体が、戦後、政治経済ばかりか文化においても、そのほとんどをアメリカに倣わなければならなかった日本が見よう見まねでうみだした、暗中模索の最終形態なのではなかっただろうか。いわば、漫画から和製アニメに至る戦後日本のサブカルチャーの系譜そのものが、どこかで「14歳」的な特徴をもつのである。
 日本のサブカルチャーを「14歳」をキーワードに探ってみることは、興味深い試みである。「漫画」は「コミック」とは異なる文法と形式を持つし、「アニメ」もまた同様である。それらをディズニーやハリウッドとの完成度や技術水準の比較で見るかぎり、「和製」はどこまでも劣るか、もしくは健闘を称えられるにとどまる。けれども、「漫画」や「アニメ」は、もはや理想的などこかへの途上にあるのではないし、そこには独自に評価されるべき固有性がある。楳図が描いた「14歳」の少年少女たちが、おとなになることなく、場合によってはおとなと敵対しながら、固有の秩序とコミュニケーションを見出していったように。
 最後にひとこと。あらゆる時代、あらゆる地域の表象を土着の歴史的文脈から切り離し、自由に編集することによって生まれるハイブリッドな怪物=エヴァの背後にはこのように、日本の戦後に特有の非歴史性、未成熟性が見え隠れしている。したがって、そこに由来する無政府主義的自由(シミュレーショニズム)は、人を解放する享楽的な自由のように見えて、実際のところ解消不可能な自閉と紙一重だし、エヴァを見るかぎり、その疑惑は限りなくクロに近い。しかし、かといっていまさら「大人」しく歴史的思考を回復しようとしても、その行為自体が一種のキッチュになりかねないご時勢である。ましてや、エヴァについてのもっとも消極的な評価、オウム真理教が現実のレベルで行ったことを空想のレベルで殺菌消毒し、「作品」化した、とする向きに同調するのではもともこもない。何度も繰り返したように、エヴァのベクトルはあくまで物語破壊工作に向けられており、そうである以上、その成果は現実の物語や共同体を突き抜ける方向から外に開かれる必要がある。いっそのこと、この非歴史性を突き詰めるだけ突き詰めて、すべての馴れ合いが砕け散る次元まで行ってしまうというのはどうだろう? つまり、エヴァがアニメおよびサブカルチャーという「書誌」のレベルで行ったことを、自己追放やアイデンティティの分解、物語への嘲笑といったレベルで、自己の肉体と日常の次元で実際に生きてみること、である。そしてそのとき、エヴァに刻印された自閉の兆候ははじめて、「外」へ向かって開かれることになるだろう。(椹木野衣)
WEB 


[し-033]
真保裕一(1961年生)
しんぼ・ゆういち
 社会システムと闘う個人の魅力を描く“新”社会派ミステリー作家。元アニメやマンガの原作を書いていた真保の、作家としてのデビュー作は91年の『連鎖』(江戸川乱歩賞受賞)。主人公は厚生省の食品Gメン。友人の死と農薬に汚染された食品の横流しを調べていくうちに、放射能に汚染された食品にまつわる犯罪が明らかになるという小説である。続いて『取引』の主人公は元公正取引委員会の審査官、『震源』では気象庁の研究官を主人公としている。ファンの間ではこれらを「小役人シリーズ」と呼ぶ。漢字2字のタイトルと、強大な敵を前にした無力な個人というスタイルは、イギリスの巨匠ディック・フランシスを思わせる。しかし、『朽ちた樹々の下で』や『ホワイトアウト』(吉川英治文学新人賞受賞)では、主人公こそ営林署員やダム職員という「小役人」的人物であるものの、ハリウッド映画ばりの派手なアクションの連続で、これまでとは違った一面を見せた。その両面が巧妙に融合したのが『奪取』。偽札作りというテーマを、印刷や製紙などについてのデータまで丹念に追いながら、強大な社会システム(ここでは国家とヤクザ)と闘う弱小な個人を描いている。ちなみに『奪取』は日本推理作家協会賞と山本周五郎賞をダブル受賞した。なお、ヒット作を出すと注文が殺到し、乱作するうちに才能を枯らしてしまうエンタテインメント系作家が多い中、一年一作のペースを頑固に守り通す稀有な存在でもある。
WEB 真保裕一著作リスト
http://www.inv.co.jp/~baba/book/list/shinpo.html


[し-034]
新本格派
しんほんかくは
 トリックと謎ときを最重要視するミステリー界の一派。一口にミステリーといっても、今やその裾野は際限なく広がっている。書店の棚では“ミステリー”と一括されているものも、その中身は多種多様。冒険小説、クライムノベル、エスピオナージュ、サスペンス、ホラーやファンタジー、伝奇ロマンetc.……。しかも文章のタッチなどによって、“社会派”“ユーモア”“人情”などといった形容がつき、“旅情サスペンス”“ダークファンタジー”と際限なく細分化し増殖している。また、出版社も、名称を恣意的に用いる。 たとえば新潮社は新潮ミステリー倶楽部賞と日本ファンタジーノベル大賞を主催しているので、“ミステリー”、“ファンタジー”を用い、それに対してホラー小説大賞を主催する角川書店は“ホラー”を用いる。が、その指示する内容にはそう大きな違いはない。近年のミステリーは国際政治や経済など様々な情報を盛り込むことによって物語の厚みは増したものの、基本であった“謎と推理”に関しては薄くなっている。そこで登場したのが新本格派である。 有栖川有栖、我孫子武丸、法月綸太郎、森博嗣ら主に講談社ノベルスを活躍の舞台とする作家たちである。たとえば森博嗣の『すべてがFになる』は、孤島の研究所内の密室という3重の密室内で起きた殺人事件が題材。作家が提出したトリックを、読者がどう見破るか。新本格派が提出するのは、作家と読者の知的ゲームである。
WEB Impression!
http://www.inac.co.jp/mystery/result/voter/sdata01/40.html


[し-035]
Jリーグ
じぇいりーぐ
 観客と選手の未熟により、衰退する日本のプロサッカーリーグ。93年3月12日にスタートした日本のプロサッカーリーグ。この年Jリーグブームが日本全国を席捲した。日本サッカー史上ここまでこのスポーツが日本国民に注目されたのは初めてである。93年Jリーグの公式戦観客動員総数は411万8837人を記録する。Jリーグの前身であるJFLの時代から見れば信じられない驚異的な数字であり、Jリーグ元年としては大成功を納めた。ところが95年頃から観客動員に徐々に陰りが見え始め、Jリーグのチケットはプラチナカードでなくなった。そして、97年になると人気チームの対戦でも満員になることはまれで、人気のないチームの試合には閑古鳥が鳴くようになった。このJリーグの衰退は日本のブームの常として、ある程度予測できたことではないだろうか。
 Jリーグが短期間で異常な盛り上がりを見せたのは、今までサッカーに興味がなかった人達が注目したからだ。ところがブームの繁盛と衰退の時間は比例する。まさにこの法則にJリーグはピッタリと当てはまった。
 さらに選手達は人気があることに安泰して、徐々に怠慢なプレーも目に付いてきた。もし選手達がもっと危機感を持ってプレーをしていたら、今とは違う結果になっていたのではないか。つまりプロスポーツ選手としての意識の未熟さに原因があった。
 また熱狂的なサポーター(観客)の未熟さにも問題があるだろう。サポーター同士の喧嘩、グランドへの乱入や発煙筒などの投入れなどあっては子供や女性は恐くて会場から足が遠のく。記憶に新しいところでは、97年8月3日の清水対柏戦では、試合後清水のサポーターが柏の選手の乗ったバスの前に座り込み、4時間の足止めを食わした事件にはファンの未熟さ以外の何ものでもないだろう。またそのようなサポーターに対して、迅速で適切な対応が出来なかった運営側の手落ちは言うまでもない。
 さらに言うならJリーグはチーム力の平均化のため積極的にレンタルトレードなどをして、リーグの活性化を図ろうとしている。ところが生え抜きの選手が数年後には他チームに移籍するなど、チームの地域密着性を掲げるわりには愛着心が希薄になっている。そんな中、開幕時には10チームだったのが、5年目の97年には17チームにも無軌道に拡大したことが衰退に拍車をかけた。
 Jリーグがこの状況を打開するには98年のフランスワールドカップに日本チームが出場し活躍するしかないだろう。そうでなければ2002年の日韓共催のワールドカップなど、韓国に対して失礼である。
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