[み-001]
みうらじゅん(1958年生)
みうら・じゅん
 漫画家、コラムニスト、ミュージシャン。キープ・オン・中学生男子なスピリットで数々のマイブームを展開。常に世間を呆れさせている困ったおとな代表。『アイデン&ティティ』(青林堂)などのピュアな作品群で、みんなのハートをグッとつかむ一面も持つ(これって、同じグラサン系でいうと、野坂における『火垂るの墓』的免罪符か?)。オバちゃんのような視線と尋常でないフットワークで展開する数々のバカ活動は、他の追随を許さない。というよりも、イイ大人は誰もみうらのようなバカなことはやらなかったりする。なぜなら面倒くさいから。しかし、みうらは常に人のやらないことを追究し続けてきた。それはある意味で、みうら流のロックスピリットの表れとも言えるだろう。生涯ロケンロールなマイブーマーとして生きるみうらの姿に「バカなことやって仕事になるなんて、うらやましいよなぁ」などと、楽観的な羨望のまなざしを送るヤングはかなり多い。だが、みうらじゅんの数々のバカ活動は、膨大な仕事量をこなし、毎晩朝まで飲み、でもってファミリーを愛し尽くす(ブロンソン思想)といった日常の努力の上に成り立っていることをヤング諸君は知るべきだ。男気の厚さでは歌舞伎町一とも言われ、ザ・ブロンソンズ(with田口トモロヲ)、大日本仏像連合(withいとうせいこう)、ザ・芭蕉ズ(with山田五郎)、勝手に観光協会(with安齋肇)など複数の友情ユニットでも活動。著書はマンガ、エッセイともに多数あるが、みうら童貞時代からの輝かしい道程を知るには『VOWでやんす!』(宝島社)を、マイブームの世界を垣間見るには『マイブームの狼』(毎日新聞社)をとりあえずすすめておく。
WEB 


[み-002]
見えるラジオ
みえるらじお
 オールドメディアの雄、ラジオ界が95年より開始したFM文字放送。受信するには専用のラジオが必要で万人向けではないが、中途半端な“新しいもの好き”(パソコン持ってないような人)の購売欲は刺激する。
 一番のウリは、「今かかっている曲のタイトルとアーティスト名」が文字で確認できること。バイリンガルのDJが、どんなに流暢な発音で曲紹介して「え? 今何て言ったんだ」という時も字で確認できる。
 これは「TOKYO-FM」の場合、1バングミ情報というチャンネルになる。他には2ニュース、3天気、4交通、5コウイウ話モアル、といったものが揃っている。5は、リスナーからの落書帳みたいなものである。この中で、他のメディアにない画期的なものは、2ニュースの中の「スポーツニュース」で、土日のプロ野球デーゲームは、ほぼ絶対、民放の地上波テレビでは終了まで中継をやらない。ラジオも「NACK5」が西武戦を中継しているが、都内でのクリアな受信には骨がおれる。他のカードの結果が知りたくてもあと2時間あまりで始まる「ナイター中継」まで待たなきゃならない。という午後5時前後に最大の効力を発揮するのだ。
WEB Welcome to Visual Information Radio
http://www.tfm.co.jp/mieraji/


[み-003]
ミクロマン
microman
 パズル的要素によって無知なチビっ子たちに創造力を芽生えさせた、男のロマンを内包する小さな巨人。74年にタカラが発売開始。100万分の1を意味する「ミクロ」の名を持った身長10センチに満たないプラスチック製の人形(床屋モデルのような二枚目男児)を中心にしたシリーズではあるが、直径5ミリのジョイントを介して様々な乗物や基地へといくらでも接続していく可能性を秘めた、途方もないスケールの大きさを誇る。さらに、部品がなくなっても余ったパーツでそれなりに組み替えて遊べるので、ワーキングクラスの家庭で熱狂的に支持されていく。モアイやツタンカーメン、土偶や自由の女神を模した収納ケースのデザインも秀逸だったが、その自由の女神に「レディーコマンド」なる女性キャラが入っていたのは、「デビルマンレディー」並みの矛盾だという声も多い。それじゃミクロウーマンじゃないのか、と。気持ちはわかるが、それは大きな間違いである。なにしろミクロマンは単なるミクロな男を意味するオモチャではなく、その中に巨大なロマンを見出すべき代物なのだ。近年、そんなロマンのなんたるかを理解しているとおぼしきナウ・ロマンティックな優良メーカー、その名も浪漫堂が復刻版ミクロマンを続々リリース中。いまのところは人形とプラモデル製のパワードスーツ程度だが、基地やロボットのリリースにも期待したい。
WEB Microman Collection Page
http://www.dtinet.or.jp/~misorin/BBT_Main.html
WEB MICROMAN HOMEPAGE
http://www.bekkoame.or.jp/~arden/micromanhp.html


[み-004]
水村美苗
みずむら・みなえ
 小説家。未完のまま遺作となった『明暗』(漱石)の続編を書き継いだ『続 明暗』で知られる。その筆力もさる事ながら、装丁、書体まで視野に入れた創作は、内面表出に傾きがちな従来の小説家のスタイルからはあきらかに異質である。「日本近代文学」を歴史の内部から書き継ぐのではなく、かといって外部から傍観者的に分析するのでもなく、その境界線に立とうとするスタンスには、長い滞米生活で直面した、日本人の女性として生まれ育ったことに対する醒めた視線がうかがえる。英文混じりの横書きで執筆された『私小説from left to right』はその最高の成果。「バイリン小説」などとも呼ばれたが、彼女の作品の特質は2カ国語併用による日本語の現代文学的拡張などとという点にはない。むしろ、いまある「日本近代文学」そのものが、明治期における異国語からの翻訳や創出といった不自然な起源を内面化した結果であることを、(作者自身と推測される)ひとりの滞米女性の不安な内面描写に重ねてたどり直すものである。
WEB 


[み-005]
三谷幸喜(1961年生)
みたに・こうき
 上手さ、遅筆さともに、ポスト井上ひさしの呼び声が高い脚本家。テンポがよく、起伏に富み、ちょっぴり泣かせて気持ちよく笑える芝居を“ウェルメイド”な芝居という。もちろんこの言葉には、しばしば毒気が足りないという皮肉も含まれがちだが、商業演劇の基本は何といってもウェルメイドである。そして今、日本でもっともウェルメイドな作家が三谷幸喜なのである。ハゲ俳優の新境地を開き、躍進めざましい西村雅彦らを輩出した人気劇団・東京サンシャインボーイズの作家として、劇団最盛期の94年に30年の充電期間に入ることを宣言。以後、『王様のレストラン』『古畑任三郎』などのテレビドラマの脚本を書く一方で、斎藤由貴主演の舞台『君となら』などの脚本も手掛けるのだが、役所広司と陣内孝則の共演で話題となった『巌流島』では、台本が仕上がらず初日直前に陣内孝則が怒りの降板。結局、井上ひさし御大が行使していた初日順延をかましたのは記憶に新しい。三谷は脚本家を辞めようかと悩んだともいうが、やはり劇作でこれをあがなわんと続投を誓う一幕もあった。が、三谷しかいないというのもまた日本のウェルメイドの現状なのである。
WEB 笑いの大学
http://www2k.meshnet.or.jp/~takara/mitani.html


[み-006]
ミニゲーム
みにげーむ
 小さなボディーに液晶画面、数個のボタンが付いた、携帯性に優れた小型ゲーム機。シンプルながら面白い、電池さえあればいつでもどこでも楽しめるのがウリ(ここではソフト交換が可能なものを携帯ゲーム、そうではないものをミニゲームとする)。ミニゲームの歴史は古く、誕生は任天堂が発売した「ゲーム&ウォッチ」シリーズにまでさかのぼる。「ゲーム&ウォッチ」は名刺大のカード型時計にゲームがついたという触れ込みで発売された小型ゲーム(だが、表示パネルである液晶画面の大部分はゲームのための絵が描かれており、どう見ても時計はおまけでしかない)で、大ヒットを収めた。小さく薄く、軽いためにどこへでも持ち歩けるのが魅力である一方、シンプルで誰もが熱中してしまうゲーム内容がこの製品の成功の秘密である。放物線を描きながら、燃え盛るビルから次々と飛び降りる人を救出する『ファイヤー』、タコの足から逃れつつ海底の宝を持ち帰る『オクトパス』等、『ゲーム&ウォッチ』のゲームは、モチーフよりもアイデア、奥深さよりもシンプルさが活きている。
 その後家庭用ゲーム機の勢いに飲まれ、淘汰されたミニゲームだが、96年に突如として現れたキーホルダーサイズ『テトリス』が大ヒット。低価格、コンビニエンスストアでも買える手軽さがうけ、サラリーマンやOL、学生らが通勤電車の中で熱狂した。ヒットに続けと『パックマン』や人気パズルゲーム『ぷよぷよ』をモチーフにしたものなど豊富な種類、多岐に渡る内容のミニゲームが発売されたが、大半が著作権無視の海賊商品であったため、本家メーカーが後発で販売、海賊商品の締め出しを狙うも価格の高さがネックとなり惨敗する。そんななかで生まれた数少ないオリジナルアイテム『たまごっち』(バンダイ)は、アイデアの面白さとシンプルさというミニゲームの本来の文法を守りながらも「携帯ペット」という新しいジャンルを確立している。
WEB 


[み-007]
宮沢章夫(1956年生)
みやざわ・あきお
 80年代を超克した80年代のカリスマ的劇作家。“80年代はスカだった”という論調が高まりつつあったアーリー90'sにおいて、シティボーイズ竹中直人、いとうせいこうらとともに伝説のラジカル・ガジベリビンバ・システムでステージに80年代をもっとも反映させた劇作家・宮沢章夫は、なぜか一人劇評を書いていた。書きながら彼は80年代を再評価し、演劇の方法を探っていた。そんな再構築の作業がいつしか、消滅した町の地図を作る男の物語『ヒネミ』という芝居にかわり、演劇界の芥川賞といわれる岸田戯曲賞を受賞。これを機に宮沢は遊園地再生事業団という自らのプロデュース集団を活動基盤に、何もなく何も起こらない空間をいかに楽しむかという“寒さ”と紙一重のきわどい芝居に向かって加速している。スチャダラパーの出演、ワークショップの開催、エッセイの名手として『わからなくなってきました』の出版、渋谷系ファッションと伸びゆく長髪、と賑やぐ身辺に反し、芝居はますますその要素を削ぎ落とし、まさに“わからなくなってきました”状態にある目の離せない作家が宮沢章夫である。
WEB 遊園地再生事業団PAPERS
http://www.u-ench.com/index.html


[み-008]
宮部みゆき(1960年生)
みやべ・みゆき
 “ミステリーは女の時代”を実証する芸域ぜa href="ta.html#[た-009]" TARGET="text">旅Cそmク邁函87年、『我らが隣人の犯罪』でオール讀物推理小説新人賞を受賞。以来、『かまいたち』で歴史文学賞佳作、『魔術はささやく』で日本推理サスペンス大賞、『本所深川ふしぎ草紙』で吉川英治文学新人賞、『龍は眠る』で日本推理作家協会賞、『火車』で山本周五郎賞と、まさに賞を総なめ。こうなると、まだ直木賞を取っていないのが不自然に見える。ある編集者は「女流作家は1年で巨匠になる」と言うが、宮部みゆきはその代表といえるだろう。しかも、注目すべきはその“芸域”の広さである。いずれもエンタテインメントという共通点はあるが、『我らが隣人〜』や『魔術は〜』にはほのぼのとした人情小説の味わいがあるし、『火車』はカードローンと多重債務、自己破産という現代の社会問題をとらえた「社会派」。その一方で宮部は江戸っ子的な時代小説も書く。「巨匠」であるにもかかわらず、「巨匠」らしくないところがまたいい。ひところ何かと比較されることの多かった高村薫が、全国紙でコメントする堂々たる社会派作家的風貌を備えたのに対し、宮部はあくまでおきゃんな下町娘であり続けている。なお、『火車』は大阪が舞台だが、東京育ちで土地勘のない宮部に大阪を案内したのが高村、逆に高村が『マークスの山』のように東京を舞台にしたものを書くとき、案内したのが宮部だったというエピソードが伝わっている。
WEB 宮部みゆき基礎講座
http://lis2.huie.hokudai.ac.jp/~maki/mmc/liz15/m_tok.html


[み-009]
宮本茂(1952年生)
みやもと・しげる
 日本のゲーム開発者の中で、もっとも神格化された人物。8ビットゲーム機ファミコンの草創期からNINTENDO64に至る現在まで、任天堂のゲーム開発を束ねるクリエイターとして、常にミリオンセラーのヒットを産み出し続けている。もともと工業デザイナーとして任天堂に入社した彼がゲーム開発に踏み出したきっかけは、任天堂が米国で失敗したアーケードゲーム事業の尻ぬぐい的に回された仕事にあった。このとき手掛けた『ドンキーコング』が米国及び日本で爆発的なヒットを呼び、ゲーム開発者・宮本茂(が誕生したのだ。その後、ファミコンブームの到来とともに、『ドンキーコング』の中に現れるナイト役のマリオを主役にしたアクションゲーム『スーパーマリオ』シリーズを開発。このゲームはファミコン〜スーパーファミコンを通じて世界的なブームを引き起こし、累計1億本以上という前人未到の販売記録を打ち立てた。現在の家庭用テレビゲーム文化の基礎は、これら彼の手がけたソフトによって開拓されたものであると言っていい。
 他の代表作には『ゼルダの伝説』や『マリオカート』『スターフォックス』などがあるが、そのすべては日本の子供達のみならず、国境や年齢、世代を超えた普遍的な人気を誇っている(米国でのマリオの人気はミッキーマウスまでを凌駕した)。マイケル・ジャクソンを筆頭に世界のトップスターがサインを求める稀有な日本人クリエイターとしても知られる。N64が不調の現在においても宮本が手がけた『スーパーマリオ64』に対する評価は高く、今後もゲームカルチャーを牽引し続けるトップランナーであることは間違いない。
WEB 任天堂ホームページ
http://www.nintendo.co.jp/index.html






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