[む-001]
村上隆(1962年生)
むらかみ・たかし
 90年代の幕開けとともに日本のオタク文化の感性を現代美術シーンに投入したアーティスト。日本製のアニメやマンガが欧米において新しい文化現象として認知されたことと呼応して、海外から熱い注目を集めるとともに、日本の現代美術の新しいアイデンティティの確立者として国内のオタク世代の若者を中心とした支持を集めている。かつてウォーホルが60年代のアメリカにおける大衆的な図像を大量生産の技法で作品化したように、村上はオタクの記号やそこに共通して見られる感性を作品化する。“美術史初の芸術家によるオリジナル・キャラクター”である「DOB君」は、日本画風の絵画、バルーン彫刻となって画廊や美術館に展示されるだけではなく、Tシャツにもなって衣料雑貨店で販売された。デザイン原型をガレージ・キット界の鬼才ボーメに依頼し、1/1フィギュアをワンダーフェスティバルで発表した「プロジェクトKoKo」やアニメ『攻殻機動隊』凱旋記念上映PRプロデュースなど、オタク・スピリット溢れるコアな仕事はメイン/サブといった文化の二項対立を大胆に跳躍するものといえる。
WEB 


[む-002]
村上春樹(1949年生)
むらかみ・はるき
 日本の戦後、とりわけ68年から89年の約二十年期に固有の文学形式を確立した小説家。冷戦構造に組み込まれることへの抵抗に端を発した政治の季節が終わり、暴力と歴史の闇が日本社会のアンダーグラウンドに幽閉されたとき、村上春樹の文学ははじまったといえる。彼の作品の全編を通して流れているのは、失われたなにかへのノスタルジーだが、けっして甘いだけのものではなく、いまに生き残ったものを責め苛み、ゾンビのように半死の状態に至らせる。主人公はいまは見えない暴力と闇が存在したことを知っており、また、いまなお地下アンダーグラウンドに存在することも知っているが、最終的には破滅的な闇を断ち切って生の肯定につながる「いまここ」を選択しようとする。けれどもその選択は単純な二者択一のものではなく、選択することによって両者がわかちがたく一体化してしまうような悪循環の場所であり、主人公(もしかしたら作家も)はいつも自分の選択の結果を受け止めきれず、自分の選択の結果を前にして立ち尽くす。これら光と闇の奇妙な弁証法が、村上春樹の小説では主に女性をメタファーとして恋愛や不倫のモチーフ、SFやミステリーの形式で淡々と描かれている。もっとも、通俗的なモチーフや形式のなかにリアルな闇と光の所在を暗示するという手法は、現実それ自体がSFやミステリーにみえかねないほど混乱してしまえばその有効性を一気に失う。そして、そうした「日常」を支えていた冷戦構造が、国内のバブル崩壊への反映とともに崩れ去った89年以降、『ねじまき鳥クロニクル』での解消不可能にみえる混乱や、『アンダーグラウンド』での唐突に見える試みなどが、村上春樹の方法論の射程と限界を示している。
WEB 村上朝日堂
http://opendoors.asahi-np.co.jp/span/asahido/index.htm
WEB 春樹堂
http://www2b.meshnet.or.jp/~haruki/index.html


[む-003]
村上龍(1952年生)
むらかみ・りゅう
 日本文学に最初に現れたポップの小説家。芥川賞を受賞した『限りなく透明に近いブルー』に端を発する「村上龍」という現象は、「日本近代文学」に事実上の終わりを告げるとともに、文学の担い手を広く知識人の手から解放した。文壇ではこのことを認めるのに抵抗があったらしく、その後、文学を知識や技術、歴史の側に取り戻そうとする傾向が見られ、村上龍は一種アウトサイダー的な孤立を強いられてきたが、傾向と対策だけでなんとかやりくりしてきた作家が停滞をむかえると、文学の世界は、演劇、映画、ロック、パンク崩れの素性の知れない若者たちによって占拠されつつあり、さまざまな解釈を施されてもいるようだが、その歴史的な発端が昭和51年における村上龍の登場にあることはいまでは明白であろう。さて、ポップとは、広義には50年代に頂点を迎えるアメリカの物質文化を、狭義にはそれをモチーフに据えた美術の動向(ポップアート)を指す。作家が生まれ育った佐世保という基地の街は、圧倒的な力を持つアメリカの存在が、観念ではなく物質として露出している場所であった。けれども、アメリカン・ウェイ・オブ・ライフを単に日本語に置き換えた「ポップ猿」と村上龍を峻別しているのは、彼が「ポップの波打ち際」を歩むことを決意しているからにほかならない。それは、アメリカという「彼方」におぼれることなく、かといって日本という「土着」に安住しきることも拒否し、両者の境界を歩むことを意味する。いうまでもなく「波打ち際」は実体としては存在しない。しかしそれは観念とはちがって、現実に存在する。『限りなく透明に近いブルー』から『ラブ&ポップ』まで、そして『海の向こうで戦争が始まる』から『五分後の世界』にいたるまで、村上龍はこの波打ち際で「内なる戦争」を言語化している。
WEB 龍声感冒
http://www.tky.3web.ne.jp/~eiga/ryu/


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