[は-001]
バイセクシュアリティ
bisexuality
 男性も女性も恋愛およびセックスの対象になるという立場、両性愛。長い間、「同性愛傾向のある異性愛(者)」または「同性愛であることを受け入れられない中途半端な状態」として、存在を否定されてきた。男女両方と同時期に関係を持っていない限り「これがバイセクシュアルだ」と主張しづらく、一方でその主張は「変態、淫乱」との批判を受けやすいことが、存在を見えにくくしてきた理由だと考えられる。また、80年代には、エイズを媒介する悪役というレッテルも貼られた。
 しかし、社会の多様性許容度が上がるにつれて、偏見が薄らぎ、肯定的なイメージも広まりつつある。たとえば、マドンナは写真集やビデオクリップ等でバイセクシュアルを演じ、サンドラ・バーンハードとの関係をひけらかした。カート・コバーンとコートニー・ラヴは「実際の体験はなくとも自分たちをバイセクシュアルと考えている」と発言。R.E.M.のマイケル・スタイプやドリュー・バリモア、ミッシェル・ンデゲオチェロ、アニ・ディフランコ、日本でも作家の斎藤綾子やタレントの江頭2:50等が自らのバイセクシュアリティをおおやけにしている。96年、『SPA!』の「急増中 バクセクシュアル女への何故?」という特集では、一般人も含めた約20名が写真入りでカミングアウト。今後、異性愛者とも同性愛者とも異なる両性愛者たちの姿がより顕在化していくことを予感させた。
WEB 


[は-002]
ハイテクスニーカー
hi-tech sneaker
 90年代前半から始まった第3次スニーカーブームによってスニーカーの方向性が大きく二つに分かれた。毎年持てる限りのテクノロジーをシューズに注ぎ込んで作られるスニーカーと、オーセンティックないかにもスニーカーらしいスニーカー。前者はハイテクスニーカーと呼ばれ、後者はローテクスニーカーと呼ばれる。ハイテクスニーカーはいつから始まったか?というのは愚かな質問。メーカーは毎年少しでも機能的に優れているものを作ろうとしてきたわけで、それは運動靴の歴史が始まった時と言わざるを得ない。ただ、91年にナイキがエアジョーダンYを大ヒットさせた頃から加速度が増し、94年にリーボックのインスタ・ポンプフューリー、95年、エアマックス95が登場したあたりがピークと言えるかもしれない。
WEB 


[は-003]
ハイパーテキスト
hyper text
 文章中に出てきたキーワードを詳しく説明したい場合、通常は文脈をこわさないために注釈を使う。しかし本文と注釈の関係は、あくまでも主と従の関係であった。これらをすべて並列した関係にし、お互いをリンク、引用しあえる構造にした文章(あるいは映像や音声)の形式がハイパーテキストだ。ハイパーテキストの元祖は第二次世界大戦中に考案されたMEMEXという情報管理システム。これを現代のコンピュータ上で再現しようとしたのが、テッド・ネルソンによる「ネットワーク世界図書館」構想だった。ちなみに「ハイパーテキスト」という言葉を初めて使ったのもテッド・ネルソンである。具体的にハイパーテキストを使ったソフトウェアとしては、マックの「ハイパーカード」やウィンドウズのヘルプシステムがある。どちらも文中のキーワードが別の文書や映像にリンクされていて、マウスのクリックによって次々にジャンプしながらテキストを理解していくという方式だ。しかし、ハイパーテキストが一般的に広まったのは、やはりWEBの普及によるだろう。HTMLという文書構造システムの最大の特徴が、このハイパーテキストであった。色の変わっている部分をクリックするだけで、世界中のデータに一瞬にしてジャンプできるWEBだけが、本当のハイパーテキストの体現といえるかも知れない。
WEB 


[は-004]
バカはサイレンで泣く!
ばかはさいれんでなく
 93年より、『SPA!』誌上で続いている投稿ページ。通称「バカサイ」。たけしやタモリ、笑福亭鶴光などのかつての深夜放送のリスナーや、『ビックリハウス』にせっせと投稿していた者が生み出した、80年代の後夜祭といった感がある。もしくは、ひと回りした「ジャンプ放送局」。PARCO発行のフリーペーパー『GOMES』(現在はWebのみで展開)内の「バカドリル」は、タナカカツキと、「バカサイ」主要スタッフである天久聖一とで、「バカサイ」以前より、同じ方向性でビジュアル的な面白さを追求しているものであり、親戚関係と言える。連載をまとめた本が扶桑社より発売されているが、いわゆる時事ネタは少ないので、今から読んでも理解は可能。ただし、世代的な細かいネタを全て把握するのは困難である。どうやら一時期の吉田戦車のような「この笑いがわかったら最先端」といった踏み絵的なことにはなっていないようで、ひと安心。
WEB インターネットGOMES
http://www.parco-city.co.jp/gomes/gomes0596/index.html


[は-005]
バクシーシ山下(1967年生)
ばくしーし・やました
 ドキュメントタッチの異色作を撮りつづける、アダルトビデオ業界を代表する監督。V&Rに入社し、安達かおる監督のもとで助監督を務める。監督デビュー作『女犯』(90年)は、撮影現場に来たAV女優を突然複数の男たちがレイプするもので、暴行される娘が必死に抵抗して泣き叫ぶ姿がリアルすぎて、本物のレイプではないかと物議を醸した。犯す際に嘔吐して未消化物を女優に吐きつける異様な男、ポンプ宇野は本シリーズのレギュラー・メンバーとなり、作品をよりグロテスクなものにした。『ボディコン労働者階級』(92年)ではAV女優石原ゆりと共に日雇労務者が集まる山谷に潜入し、労務者たちとの性交を撮影。不景気で仕事にあぶれた山谷の労務者たちの過酷な状態を、アダルトビデオという手法で描き切った傑作となった。
 問題作を撮りつづけるバクシーシ山下の底流には常に生と死が存在し、『全裸のランチ』(93年)ではそのテーマが極限にまで達した。包茎手術で切り取った皮を女優が食べ、AV女優の脂肪を吸引した脂肉をラーメンに入れて女優が食べるといったシーンは、ビデ倫の規約に触れたために、食事シーンになると画面が黒くなり音声もカットされ不完全版として作品化された。出演者たちを極限に追い込むこれらの作品とは別に、AV女優とハワイに飛び、観光気分で山下監督がからむいわゆるハメ撮りお気楽作品もしっかり撮っている。現在はV&Rを退社、「ドキュメント」レーベルを設立し、『監禁コンパ50時間』(97年)をはじめとして力作を制作している。素顔の本人はエログロ的な作風からは想像もつかないおしゃれでキャバクラ好きの好人物である。岡山県出身。
WEB prob9
http://noriten.daifuku-k.co.jp/profile/b9.html


[は-006]
爆笑問題
ばくしょうもんだい
 フジテレビ『ボキャブラ天国』などで人気の漫才コンビ。結成は88年。日大芸術学部の同級生だった太田光と田中裕二が、当時から渋谷のライブハウス「ラ・ママ」で毎月開催されていた『新人コント大会』(元赤信号の渡辺正行が主催する若手芸人育成のための定期ライブ)に出演するためにコンビを結成。デビュー当初はコントを中心にやっていたが、やがて、ネタの面白さをストレートに伝えられる漫才へと移行していく。その後、ライブを中心にファンを増やしはじめた彼らは、お笑いプロダクションの老舗・太田プロに所属。ホンジャマカやバカルディーといった当時の若手らと共にテレビにも露出し始めるが、ほどなく太田プロから独立。その後、紆余曲折の末、自分達が中心となってプロダクション「タイタン」を設立。精力的な活動で再び人気を集め、『ボキャブラ天国』のブームと共に、一気に全国区の人気を得る。
 爆笑問題の時事漫才を、太田光自らあますことなく活字化した著書『爆笑問題の日本原論』(宝島社)は、この手のタレント本としては異例の35万部の売り上げを記録。その他、CMのナレーションなど、意外なところでも活躍している。時事ネタをブラックな笑いに変換する手腕の確かさで、ツービート時代のビートたけしとも比較されることも多い太田のセンスと、一部では「天才的」とさえ囁かれる田中の絶妙なつっこみ。まさに奇跡的ともいえるコンビネーションである。そのクオリティの高さは、単独ライブで見せる約1時間30分におよぶノンストップ漫才の完成度を見れば、誰もが納得することだろう。
WEB 爆笑問題
http://www.iijnet.or.jp/TITAN/bakushou.html


[は-007]
爆走兄弟レッツ&ゴー!!
ばくそうきょうだいれっつあんどごー
 超人気商品「ミニ四駆」を題材にした『月刊コロコロコミック』『小学四年生』連載中の漫画。こしたてつひろ作。冷静な兄・烈とヤンチャな弟・豪の星場(せいば・最初に使用したミニ四駆がセイバーだったためであろう。ちなみに父の名前は「改造」である)兄弟が、数々のライバルに出会い、戦うなかで成長してゆく様を描いている。ミニ四駆シリーズの発売元であるタミヤ模型とのタイアップにより、リリース前のマシンが劇中に登場、その後実際に発売する見事な“あおり”と現実とシンクロした展開が読者を惹きつけている。テレビ東京系で放映されているアニメも人気を博し、現在は新シリーズ『爆走兄弟レッツ&ゴーWGP編』が放映中。
 ミニ四駆には長い歴史があり、最初に「レーサーミニ四駆」(第一弾「ホットショットJr」)が発売されたのは85年、人気が高まり始めた翌年に『月刊コロコロコミック』で『ダッシュ!四駆郎』が連載開始、ミニ四駆ブームに火が着き、87年には初の「ジャパンカップ」が開催されるが、91年に突如人気が下降する。理由はユーザーの年齢的成長が原因。しかしその後、93年に『レッツ&ゴー!!』を連載開始、これが人気を得、ユーザーの入れ替わりによって、新らたな小学生を中心とした第二次ミニ四駆ブームが巻起こる(『ミニ四駆』に関しては、田宮俊作・著『田宮模型の仕事』〈ネスコ/文藝春秋〉に詳しい)。第二次ミニ四駆ブームは子供だけではなく、大人も巻き込み、最近では20歳以上の層をターゲットにしたミニ四駆マニュアルも発売され(タミヤの許可を取っていないため、ミニ四駆の名はひとつも出ていないが)、ワイドショーなどでも、金と知識量で勝とうと頑張る大人の微笑ましい姿が取り上げられたりもしている。類似品も多く出回っているが、なかでもミニ四駆をモチーフにした『ゲームボーイ』専用ソフト『ミニ4ボーイ』(発売元/J・ウィング)は、小学館、タミヤ、アスキーの三社が販売さし止めの仮処分を申請している。小馬鹿にしながらも読むとミニ四駆に挑戦してみたくなる見事な内容で、年齢の高い方は逆に悔しがったりもする。
WEB タミヤ模型ホームページ
http://www.tamiya.com/
WEB 月刊コロコロホームページ
http://www.shogakukan.co.jp/corocoro/index.html


[は-008]
BASARA
basara
 田村由美が現在『別冊少女コミック』で連載している超人気作品。単行本21巻で累計1千万部突破。衰えぬ勢いのまま最終章突入。物語の舞台は、20世紀末に文明が滅んで数百年、再び戦国の世と化した日本ジパング。力と恐怖で支配する国王はいるが、各地は分断され、略奪と争いは絶えず、貧民は苦しみにあえぐ乱世である。そんな中で、国王の末子・赤の王に、故郷である白虎の村を滅ぼされ、「運命の子」と予言された双子の兄・タタラを殺された少女・更紗は、死んだタタラになりかわって、生き残った仲間たちと共に赤の王を倒して再び平和な村を取り戻すことを誓う。だが皮肉な運命は、思いがけないところで更紗と赤の王とを結びあわせ、お互いにそれと知らずに二人は愛しあうようになる……。
 しかし、この物語の主題は二人の恋愛の方にはなく、あくまで闘いながらもタタラが問い続ける「権力とは何か、戦争とは何か、国家とは、理想的な政治体制とはどういうものか」という問いかけの方にある。湾岸戦争以来、少女マンガでは同じく「乱世の予感」を基底においた大型連載が相次いだが(たとえば竹宮恵子『天馬の一族』、河惣益巳『火輪』、樹なつみ『八雲立つ』、CLUMP『X』)、この『BASARA』こそは、この時代の問いに、もっとも真摯に答えようとした作品だと言えるだろう。そしてまた、主人公が単なるスーパーヒロインではなく、自分の弱さと向き合い、真正面からそれを乗り越えていこうとする、『巴がゆく!』以来の田村由美の優れた資質を、もっとも十全に開花させた作品でもある。
WEB 参加作家紹介
http://www3.big.or.jp/~river/sakka.html#anchor1449882


[は-009]
橋口亮輔(1962年生)
はしぐち・りょうすけ
 90年代トランス・セクシュアル青春映画の旗手。89年「ぴあ・フィルム・フェスティバル」(PFF)スカラシップ作品『二十歳の微熱』は、売春クラブに勤める大学生と彼に恋する同僚の高校生、彼らに思いを寄せる女の子たちを繊細に描いて注目を集め、長回しと非常に練り込まれた俳優たちの自然さの演出は、高い評価を得る。続いてYES製作の『渚のシンドバット』を発表。高校生とその同級生の男子生徒と女子生徒の傷つきやすいトランスセクシュアルな関係を描いた青春映画として内外で賞賛、フランスでも公開時にはカイエ・デュ・シネマ誌などに高い評価を受けている。橋口はゲイのカップルだけにこもった閉塞した関係性にとどまらず、同性に思いを寄せられたときの男の戸惑いや、その関係を知ったときの女の子たちのヴィヴィッドな反応を丁寧に描いている。そしてその関係が露呈するときの少年少女たちのみずみずしさをとらえるための長回しは、非常にエモーショナルだといえるだろう。
WEB 渚のシンドバット
http://www.acom.co.jp/vc/hot_menu/video/hot96v8/8hot_16.html


[は-010]
長谷川茲利(1968年生)
はせがわ・しげとし
 日本人の勤勉さを証明するアナハイム・エンゼルスの日本人投手。兵庫県出身。90年、立命館大学からドラフト1位でオリックスに入団。翌91年、12勝9敗1Sで新人王を獲得。その後93年から3年連続の2ケタ勝利をあげエースとして活躍。95年頃からメジャーリーグ移籍を要望し、97年エンゼルスに入団する。すでに英会話をマスターしていた長谷川は、米国での入団記者会見でも通訳を必要とせずに英語で質疑に答え、チームメイトはもちろん米国マスコミからも好意的に受け入れられた。97年4月5日インディアンズ戦に先発投手として、メジャー初のマウンドに上がるが4回1/3でKOされる。その後、数回先発として登板するがいずれも失敗し、中継ぎ(セットアップ)に降格になるが、長谷川は腐らず毎日のように相手チームのバッターをビデオで研究し、与えられた仕事にベストを尽くした。9月7日、今期46試合目の登板になるタイガース戦では、4回を投げ自己最多の8三振を奪い3勝目をあげた。そして、65年村上雅則が残した日本人投手シーズン最多登板記録を更新した。成績は決して派手ではないが、彼の地道な努力はチーム内でも高く評価され、今やエンゼルでは欠かせない中継ぎ投手となっている。その勤勉な姿は「メジャーリーグの二宮金次郎」と言っても過言ではない。
WEB 


[は-011]
バソプレシン
vasopressin
 鼻から吸ったら即シャキッ!と集中力が高まる脳内ホルモン。バソプレシンは脳下垂体後部から分泌され、水分が欠乏したとき腎臓に水分のリサイクルを働きかける。つまり抗利尿作用を持つため、頻尿の治療などに使用されてきた。脳内では情報の伝達に関わる神経伝達物質として働いており、アルツハイマー病などの記憶障害の治療薬でもある。一般人が服用しても注意力、集中力や記憶力(とくに新しいことを覚える)を高める働きがあるといわれている。製品は小さな瓶に入った液体。使用方法は、スプレー式ノズルを左右の鼻穴に突っ込んでそれぞれ1プッシュすると同時に息を吸い込む(鼻炎用の点鼻薬と同じ)。事前に鼻をかんでおくとより吸収されてよいだろう。鼻粘膜から吸収されたバソプレシンはすぐに血液でまで運ばれ、数秒から数分でその効き目が現れる。IAS社の製品カタログには「記憶・集中を要する15分前に使用する」とある。筆者は、明確な記憶力の改善は感じなかったが、疲れてボンヤリしている時に使用すると、瞬時に頭がシャンとしてきて、集中力が高まったことは明らかだった。トイレに行く回数が減ったことはいうまでもない。なお、使用回数は1日1、2回まで。血圧の上昇、腹部痙攣など副作用を起こす可能性があり、大量の投与は危険(死亡することもある)だ。
WEB International AntiAging Systems
http://www.smart-drugs.com/


[は-012]
八谷和彦(1967年生)
はちや・かずひこ
 テクノロジーによってもたらされる新しいコミュニケーションの可能性を、作品としてかたちにするアーティスト。ただし、ここでのテクノロジーは電子技術だけではなくスケートボードなどのスポーツ器具までを含むもので、同様に彼が模索するコミュニケーションのかたちも多種多様で必ずしも進化論的なものではない。むしろ現実のコミュニケーションの発達過程においては合理的な観点によって逆に忘れられがちな、出会いの喜びや結ばれていることの安心感といった私的レベルの意思伝達の本質を、鑑賞者とともに再発見していくことに意義がある。その作品世界は、二人の鑑賞者が互いの見ているものと聞いているものを交換する「視聴覚交換マシン」(93年)。視聴覚センサーを埋め込んだ球体を浮遊させた空飛ぶ携帯テレビ電話「ワールドシステム」(95年)。赤外線スコープを使って見えないメッセージを読む「見ることは信じること」(96年)などのほか、インターネット上で不特定多数の参加者が綴る「メガ日記」プロジェクト、さらに飼い主が育成するEメール・ソフト「ポストペット」(ソニー・コミュニケーションネットワーク)の開発まで幅広く展開中である。
WEB メガ日記
http://www02.so-net.or.jp./~mega/
WEB ポストペットパーク
http://www.so-net.or.jp/postpet/ah/


[は-013]
バーチャファイター
Virturefighter
 セガ・エンタープライゼスが発売したアーケード用3D対戦格闘ゲーム。シリーズ第1作『バーチャファイター』は、『ストリートファイター2』シリーズ(カプコン)や『サムライスピリッツ』(SNK)などの2D対戦格闘ゲーム全盛期に登場。当初は従来の2D対戦格闘ゲームに慣れた先入観からか、ゲーム専門誌での注目度も低く、安直なそのタイトルが苦笑の対象にすらなっていたが、リリースされるや否や、2D対戦格闘ゲームのアニメーションテイストや複雑な操作形態、コアユーザーたちを中心とした閉鎖的環境に馴染めなかった層が、その斬新性、快感度に熱狂し、その後口コミやBBSを中心としたネットワークによって人気は広がり絶大な支持を獲得、一躍3D対戦格闘ゲームの代名詞となる。95年の『〜2』リリースによってムーブメントはゲームユーザーのみならず一般層をも巻き込んで本格的なものになり、その熱狂ぶりは有名プレイヤーの存在と共に一般メディアでも報じられ、拍車を掛けた。プレイヤーたちの戦いを収めた対戦攻略ビデオも発売され、その存在は全国のゲームユーザーたちの憧れとなった。『バーチャファイター』登場後、様々なメーカーから3D対戦格闘が多くリリースされたが、その多くが『バーチャファイター』シリーズを製作したセガAM2研出身者によって作られているのも興味深い。今秋にはバージョンアップやチームバトルの追加システムをフューチャーした『バーチャファイター3tb』のリリースが予定されている。コスプレゲームテクノといった極めて「気分」度の高いニューカルチャーの推進にスケープゴートとして使われた側面もあり、そういう意味では「時代と寝た」数少ないゲームでもある。
WEB セガオフィシャルページ「バーチャファイター3」
http://www.sega.co.jp/AM2/welcome/index.html


[は-014]
ハッカー
hucker
 「ハック」という言葉は60年頃のマサチューセッツ工科大学(MIT)の学生たちのスラングから一般化した。当時のMITでは、高度なテクニックを使い、誰もやらなかったような芸術的ないたずらのことを「ハック」と呼んで賞賛していた。MITにコンピュータ・プログラミングのコースが開講されると、コンピュータに魅せられた学生たちは、研究室の大型コンピュータを自由に使うため、許可されたアクセス以外にもコンピュータを使おうと試みた。そこから新しいプログラムや設計のテクニックが生まれるようになるのだが、彼らが自分たちのことを「ハッカー」と呼んだのが最初のようだ。しばらくの間は「ハッカー」という言葉は、コンピュータを使って素晴らしいことをなし遂げた人に対する賞賛の言葉であったが、82年にジョン・バダムが監督したアメリカ映画『ウォーゲーム』で、主人公の少年が学校や軍のコンピュータに侵入する場面が描かれたあたりから、次第に「ハッカー」という言葉はコンピュータへの違法侵入者として使われるようになった。現在はアメリカでもヨーロッパでも、ハッカーという言葉が“犯罪者を含むコンピュータ・マニア”として扱われている。また、一概にハッキングといっても、電話のただ掛けやコンピュータ・ウィルスの配布、ソフトウエアのプロテクト外しやパスワード破りなど、さまざまな行為を指しているケースが多い。ただし、一部にはネットワーク侵入などの犯罪的行為のことを「クラッキング」と呼び、本来の称号であった「ハッキング」と区別しようとしている人々もいる。
WEB ガストさんと呼ばないで
http://pweb.ar.aix.or.jp/〜k-seki


[は-015]
発言テロップ
はつげんてろっぷ
 90年代に入り「今出演者が言ったオモシロイことをよりわかりやすく、視聴者にここがオモシロイところでちゅよ〜、さっ、さっ笑って下ちゃいね〜」と強調する目的で頻繁に使われだしたテロップ。今や、バラエティの出演者の言うすべてのコメントをテロップでフォローしていると言えるほど無駄なものが多く、「テロップ、画面上でうるさすぎるんじゃぁ〜」とさぞお怒りのことであろう。そう。裏では番組スタッフ自ら『ツン○番組』と自潮気味に揶揄しているほどヒドイ。現場のディレクターは、ハッキリ言って今テロップ中毒になっているのだ。テレビなんぞをそんなに集中して見ている人間なんかいないに違いない、だからよくワカルようにテロップを……という老婆心が今のテレビのテロップのじゅうたん爆撃を生んでいる。この傾向は、テロップにおける新軌軸が発明されない限り当分続くだろう。ホント、そのうちドラマのセリフにもテロップつけたりして……。
WEB すーぱーてろっぱー
http://www.compal-international.co.jp/trp/trp.htm


[は-016]
ハッピーセット
happy set
 マクドナルドのおもちゃ付き子供向けサービスセット。海外では「ハッピーミール」という。おもちゃ付き4点セットで、おもちゃのキャラクターは常に4タイプある。このサービスがレギュラー化した87年当初は「お子様セット」と呼ばれていた。95年に大人向けの「バリューセット」の対として、「ハッピーセット」と改名、ディスカウントされたサービス値段(400円)でリニューアル、今日に至っている。毎月変わるおもちゃのキャラクターは、ドナルドなどオリジナルキャラクターからディズニー、スヌーピーと様々である。87年の最初のおもちゃは(株)河田のダイヤブロックであった。以後たくさんのおもちゃが登場したわけだが、マニアの間ではインターネットで情報が交換されたり、ものによってはフリーマーケットなどで高額で売買されているという。本来子供向けのサービスであったはずだが、小さい頃にこの商品を消費した世代である女子高生女子中学生が抵抗なく買っていくというのが今日的な傾向であるらしい。
WEB Disney Happy Kid's & PEZ HomePage
http://www.yk.rim.or.jp/~masaru/
WEB Welcome to McDonald's Japan
http://www.mcdonalds.co.jp/


[は-017]
バッファロー・ドーター
buffalo daughter
 ギター、ターンテーブル、ムーグというオルタ・カルチャー的な編成でありながら、革新性という意味でもっとも正しい活動を繰り広げているロックバンド。ヤン富田や小西康陽(ピチカート・ファイヴ)のプロデュースでアルバムをリリースしていた四人組のガールズ・ポップ・バンド、ハバナ・エキゾチカのメンバーだったシュガー吉永と大野由美子が、グラフィック・デザイナーでありDJでもある山本ムーグと共に93年に結成。当初はドラマーも含めた4人組だった。
 アートディレクター・松本弦人関連の仕事で音楽を担当した後、94年に米国音楽が主宰しているインディーズ・レーベル、カーディナル・レコードから6曲入りアルバム『SHAGGY HEADDRESSERS』を発表。翌95年にも同じくカーディナルからミニ・アルバム『AMOEBAESOUNDSYSTEM』をリリースし、その近未来的なサウンドで話題を呼んだ。96年にメンバーがグランド・ロイヤルの所属アーティストである、ルシャス・ジャクソンの来日公演で直接CDを渡したのがきっかけで、レーベル・オーナーでもあるビースティ・ボーイズのマイク・Dに気に入られ、7インチシングル「THE LEGEND OF THE YELLOWBUFFALO」とアルバム『CAPTAIN VAPOURATHLETES』をグランド・ロイヤルから発売。また前後して全米ツアーも行い、好評を博した。また裏渋谷系オルタ・ポップのニュー・ヒロイン、嶺川貴子のアルバム『ルーミック・キューブ』(96年)をフル・プロデュース。他にもKoji1200や吉川ひなの、スチャダラパーリミックスなども手がけた。ボアダムスやチボ・マット等と同じく、メイド・イン・ジャパンのレッテルを云々されることもなく、ジャーマン・ロック、ミュージック・コンクレート、ヒップ・ホップ、サーフ・ロック、テクノなど、あらゆるジャンルを縦横無尽に行き来するバッファロー・ドーターは、猛牛の様に様々な音楽を飲み込み、咀嚼し、これからも世界に突進していくだろう。
WEB BUFFALO DAUGHTER TOKYO 1997
http://buffalo.eccosys.co.jp/


[は-018]
パーティー
party
 同じ目的を持つものどうしが、主催者の決めた時間に約束の場所に集まり、飲食付きの会合を楽しむ行為。日本では、90年代ほど参加者自身が「パーティー」と呼ぶ機会の増えた時代はなく、今日では様々な性格のパーティーが催されるようになっている。クラブで定期的に行われる人気のパーティーにはシリーズ・タイトルが冠され、フライヤーと称されるチラシをそこで入手すれば、次回の日程を知ることができる。現在クラブでは、テクノ主導のダンス・パーティーや、コスプレイヤーのドレスコード(=着用する服で入場者を限定する約束)のある「コスプレダンパ」、SMルックなどのフェティッシュな衣装で集まってエロティックなパフォーマンスを堪能しながら客どうしのコミュニケーションを楽しむデパートメントHのような「サロン」など、多様化の一途をたどっている。それは同時に細分化の証しでもあり、テクノでもDJによって客筋は微妙に異なり、同じフェティッシュ系でもパンスト生地の全身タイツがドレスコードになるものや、シリーズ・パーティーでも特定の回だけドレスコードやその他の入場制限を設ける場合もある。これらの「お約束」は、パーティーの趣旨に理解ある参加者を集めることで、パーティー内の結束を固め、より深くパーティーを楽しむためのもの。
 パーティーはクラブ中心と思われがちだが、水面下では、ホテルを舞台にした乱交パーティーやカラオケを舞台にした服装倒錯者のパーティー、喫茶店を舞台にしたバニーガール愛好会「うさぎ☆ハウス」など、小規模ながら展開される無数のパーティーは枚挙にいとまがない。97年には『裏サークルの本』(三才ブックス)が刊行されてその実態の一部が明らかになったが、世紀末に近づいてパーティー・マニアが増殖した背景には、個人の趣味が多様化し、それを反映したインターネットやパソ通のフォーラムで告知されたオフライン・ミーティングで「マニア指向のカミングアウト」のチャンスが与えられたことが大きい。今日のパーティーがもたらす“同好会的安心感”は、自己肯定を実現する自助グループ(セルフ・ヘルプ・グループ)の機能を果たしているといえよう。
WEB 


[は-019]
波動
はどう
 波。物質のもう一つの姿。バイブレーションと言うと感覚的に、波動というと科学的にイメージされるのが不思議。近代科学と宗教の世界観を融合させようと試みた者の多くが、物質の波動性に注目し、それを「科学的」にとらえたところの“霊性”などと理解してきた。古くから見られた生気論的な発想だが、92年に江本勝の『波動時代人の序幕』が出版されて以後、精神世界やその周辺での流行語となり、最近では何でも説明してしまう万能語のごとく使われている。いわゆる“波動グッズ”も無数に登場した。江本の著書がもてはやされたのは、アメリカの謎の発明家ウェィンストックが発明したという「共鳴磁場分析装置」(通称MRA)の宣伝をしたことに由来する。その装置は、あらゆる存在が持つとされる固有波動数を計測し、さらにその波動を別のものに「転写」することもできるというもので、たとえば人間の身体を「計測」して、故障のある箇所、病名、原因などを知ることができ、その結果に応じて「よい波動」を「転写」した「波動水」を飲めば、病気も癒えるという次第。「科学的」な装いながら、結局は病気治しの水になってしまうのであった。
 同様な機能をうたう装置は各種見られるが、いずれも実体はたんなる嘘発見器にすぎないと言われる。肝心なのは、何かを“霊的に”いいとか悪いとか言ったとしても信じない人も、波動の「コード」、すなわち未知次元的な質を“数値化”して語られると、けっこう信じてしまったことである。これまで“質”を表現しにくかった精神世界系のグッズが、その優秀さを“数値化”して宣伝できるようになった。食品の優秀性、人間の精神的優秀性、環境の安全性、「気」の強さ……なんでも波動で語れるので、便利である。精神世界の波動理論は世界を変革する新理論などと装いながら、きわめて科学主義的であり、点数主義的な世界観なのである。
WEB 


[は-020]
パトリック(1965年生)
patrick
 3歳にしてDJになる運命を予感したアメリカ人。16歳で来日、4年間の東京滞在中に流暢な日本語をマスター、現在ではオネエ言葉もこなすほどの超バイリンガル。都内のクラブ・シーンでのDJプレイのほか、96年に「POSITIVE BEAT RECORD」レーベルを発足させて、毎月1枚のペースでREMIXレコードをリリースしている。また真剣ではあるが決して悲観的ではないスタイルで、自らのHIVポジティヴを公表し、AIDSとHIVの意識を高める活動を明るくパワフルに展開中。94年8月より『SPA!』誌上で「カミングアウト大作戦」(現在は「パトが行く!」に変更)を連載、持ち前の博愛精神とポジティヴ・シンキングで、ヒステリックではないHIVへの理解を浸透させることに成功した。座右の銘は「チョイス&カミングアウト」。パトちゃんスマイルの奥には、前向きな選択と有言実行という強い意志が燃えている。
WEB 


[は-021]
バトル系
ばとるけい
 現在、バイク乗りは多岐にわたる車種から派生した様々な「系」で分類できるが、バトル系は車種よりもそのファッション性やフンイキから語られることが多い。中でもバイク乗りたちの間で高い人気を誇る皮革メーカーのカドヤが生み出したバトル・スーツ(転倒時の衝撃緩和のためのプロテクターを装備した迫力あるフォルムの革ジャン)が一世を風靡し、それが一つのカテゴリーとして定着。バトルスーツにあえてオフロード用のヘルメットなどを組み合わせ、独特の世界観を構築する。殴られたら痛そうなビョウ付きグローブなど、見るからにバトル系は喧嘩が強そうな装飾で他車を威圧する。生態についての明確な定義は不明だが、ある風俗誌ではバトル系の乗る車種をKATANA(SUZUKI)、GPZ900R(KAWASAKI)、V-MAX(YAMAHA)などとして挙げていた。これら車両の多くは10年前のデビューだが、どれも息の長いモデルであり、最新モデルの向こうを張った改造を施している車種ほど、バトル度は高いと推測される。
 バトル系のヒーローと目される佐藤信哉は、主に『ミスター・バイク』誌などのメディアを通じて、全国に信奉者を多くもつ。これは、一人のカリスマを擁するコミューン文化でもあり、歌わぬロッカーこと佐藤氏は、バトル系の頂点に位置している。バイク乗りにとってのカリスマは多く存在するが、そのほとんどはサーキットを出自の背景にもつ。バトル系が異彩を放ち続けるのは、あくまで彼らが「ストリート」にこだわる点にある。日本にストリート・カルチャーは存在しない、という批評は疑わしい。まず、バトル系を見よ、である。
WEB Welcoome and Rideon!!
http://www.khi.co.jp/mcycle/index-j.html
WEB SUZUKI INTERNET PRESS
http://www.jsb.co.jp/suzuki/
WEB ようこそヤマハ発動機へ
http://www.yamaha-motor.co.jp/start-j.html


[は-022]
花形文化通信
はながたぶんかつうしん
 97年9月、発刊100号を機に終刊した関西を代表するフリーペーパー。タブロイド版。金マリという目に優しい生成り色の紙に中間色の文字。シンプル極まりない紙面構成は地味なぶんだけ、他の装飾過多なチラシ、ミニコミ群に埋もれることなく、その存在をアピールしていた。一見素朴な印象のある紙面だが、内外のジャンク、ノイズ系アーティストや激しい作風の現代美術作家を取りあげることもあり、油断ならなかった。メディア不毛の地、関西に『はなぶん』の残した功績は大きい。
 情報誌『Lマガジン』『プレイガイドジャーナル』を退社した編集者が集まり、編集・企画プロダクション「繁昌花形本舗」を設立。これを母体に“独自のメディアを”と、89年、『花形文化通信』を発刊。小演劇の劇場やライブハウスに来た客に直接手渡すという、恐ろしくミニマムな配布活動が劇場関係者や音楽業界に強烈なインパクトを与える。また、内容もブレイク前の東京スカパラダイスオーケストラや電気グルーヴなどを一面にフィーチャーし、まださほど知名度のなかった濱田成夫や鮫肌文殊に連載を持たせるなど先見性もあった。さらに初代編集長、塚村真美の紙面を使っての「3Dは面白い」オルグがきっかけとなり一大3Dムーブメントが起きる。ほか、ゲンズブール・リバイバル、椎名誠監督作品の上映とフリーペーパー最大の利点“機動力”をもって次々に新しい潮流を生み出していった。今後は雑誌とインターネットに発信基盤を移行するとのこと。次はどんな「花形文化」を見せてくれるだろうか。
WEB 


[は-023]
バービー人形
ばーびーにんぎょう
 米マテル社から発売されている女児向け人形。1959年にハンドラー夫妻によって作り出されたバービーは、世界初の大人の体型をした人形として人気を呼んだ。81年からはタカラでオリジナルとルックスの異なる日本版バービーを製作(85年マテルとの契約終了後はジェニーとして発売)。それ以後は、バンダイとのライセンスで日本版は製作されたが、91年で契約終了。現在はマテルジャパンによって、オリジナルと同様のものが販売されている。男子でいう「G.I.ジョー」のように、世界中の婦女子から絶大な人気を誇るバービーだが、男のハートをもグッとつかんでしまったのが、限定発売された「スター・トレック・バービー」だろう。バービーがウフーラ、ケンがカーク(テレビ版)のコスチュームに身を包み、手にはパーサーなどの小道具となりゃ、飛びつかないわけにはいくまい。この「スタトレ・バービー」を契機として、険しいバービー道に足を踏み入れ、アーミーや宇宙服バービーといったレアものを探す男子も続出する有様だ。また、『スター・ウォーズ』の12インチフィギュアやGIジョーとバービーの着せ替えも一部では流行。これもフィギュアブームの副産物か? 先頃、車椅子に乗ったバービーのお友達がショップ限定で発売され、ニュースを耳にしたフィギュア野郎が口々に「ヤバい!」を連発。まぁ、確かにヤバいです。
WEB 


[は-024]
ハマの大魔神
はまのだいまじん
 縦に1メートルも変化する魔球を投げ、三振の山を築く横浜ベイスターズの守護神、佐々木主浩。97年8月のチームの快進撃の立て役者。8月28日にはプロ野球新記録となる15試合連続セーブを達成するなど数々の記録を更新した。9月7日には史上3人目の200セーブポイントを達成し、日本記録を破るのも時間の問題とされている。マウンド上に立つその姿は、まさに仁王立ちする大魔神。今やテレビ、ラジオ、スポーツ新聞を問わずハマの大魔神は佐々木の枕詞となっている。また横浜ファンは佐々木が登場すると思わず手を合わせて拝んでしまうほど。スタンドからの声援も今では「ササキー!」などと呼び捨てにするふとどき者はおらず「ササキ様!」と呼んでいる。今メジャーリーグの球団がもっとも欲しい日本人選手。
WEB YOKOHAMA BayStars InternetFanClub
http://ifcnet.ne.jp/baystars/index.html


[は-025]
パラッパラッパー
parappa the rapper
 リズムに乗るという全く新しいゲーム性を生み出した突然変異的ゲームソフト。アクションゲームソフトでもシューティングゲームソフトでもなければ、RPGでもアドベンチャーゲームソフトでもパズルゲームソフトでもない。従来のゲームにはなかった軽快なラップのリズムに合わせてコントローラーのボタンを押し、画面上のへなちょこなキャラクターをどれだけうまくリズムにの乗せられるか、を競う。ただそれだけ、にもかかわらず、そのキャラクター設計とサウンドの絶妙な組み合わせによって、全く新しいゲームジャンルを開拓した。ゲームの制作段階においてもサウンド主導でゲームを開発するという画期的な方法が採られている。また、ゲームに登場するキャラクターがティーンエイジャーの間で圧倒的な人気を博し、任天堂のマリオ、セガのソニックに対抗するプレイステーションの看板キャラクターにもなっている。
WEB ぺらっぺらっぺぇ(パラッパラッパー)
http://www.broadway.or.jp/~tasahi/game/index.html


[は-026]
パンク
punk
 今や、テクノノイズと並んで海外進出が容易な数少ない音楽がパンク。レベル的にも本場イギリスやアメリカと充分拮抗しうるクオリティとオリジナリティを持つ。80年代から、そういった流れに先鞭を付けていたGISMは、パンクにヘヴィメタルを融合させたサウンド・アプローチとガナる歌い方が、後に海外でデスメタルというジャンルが生まれるきっかけとなり、大阪出身のSOBは「世界最高速」と評価を得た。最近の日本のパンク最大の話題を生んだのがハイスタンダード。世界的なメロコア(メロディック・ハードコア)・ブームに乗った彼らは、アメリカのファット・レック・コーズと契約し、作品を全世界で発売。1年の半分を海外ツアーで回る彼らこそが、世界でもっとも知られた日本のバンドといっても過言ではない。ちなみに、今のパンクはスケーター系ファッションが主流で、髪の毛を逆立てて皮ジャン着て……といったパンクスは、今やオールド・スクールと括られている。
WEB SOB
http://www.threeweb.ad.jp/~mn453721/sobvicious.htm


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