コミケットという場
まずは、主催者としての立場表明が必要だろう。
ミックマーケットことコミケットは、マンガ、アニメ、およびその周辺のあらゆる表現を許容していくことを約束している。創作も小説も、研究、評論、パロディも全てが、表現である。そして「表現」に貴賎はない。あるのは技術の高低や商品性の有無である以上、「表現」は全て同じ条件で送り出されなければならない。表現者たちの伝えたい、読んでもらいたいという意志が問題であって、パロディもオリジナルも所詮『方法論』の違いでしかないと思う。そうして、他人の『表現』を求めてやってくる人が、それを受け止める。表現、本を媒介としたコミュニケーションの場、出会いの機会を恒久的に設けていくこと。それがコミケットの目的だ。そのことを十全に行っていくためには、できるだけ多くの表現者、つまりサークルや本に参加してもらうことであり、求める人を受け入れていくことであり、場を定期的に維持していくことである。場を準備していくこと、状況をできるだけ自然に反映させていくことをコミケットの準備会は行っていく。売れる本がよいというわけではなく、求める人が多くいるのなら、それは自然のまま、場の中で展開されていかなければならない。恣意的に歪めないようにすることが、表現者の、受け手の、意思や自由を保証することであると思う。参加者を信じて、コミケットは続けられていく。コミケットの内実を決定するのは参加者全てであり、終る時が来るのなら、それもまた参加者の意志の現れということになるだろう。
自前の表現を、自分たちで流通させていくことが当初の目的としてあった。多くの表現に出会いたいという欲求があった。それは他人の考え、他人の創った世界、を見てみたいという単純な望みである。多くのフィクションや情報を求める人たちも似たようなもののはずである。そうしてアマチュアの作品は、時にプロジンの思いもつかない世界を生な形で見せてもくれるのである。コミケットの基本は、描きたいものを描き、それを読みたい人に手渡すという表現の原初的な流通である。そうして、プロジン、既製の作品にあきたらない人が、これらの作品を求めにやってくる。あるいは同好の士を見つけに、やってくる。そこに魅力があることはまちがいないはずだ。
趣味の細分化、総合誌の衰退とクラスマガジンの隆盛、分衆の時代、そうした流れの極限に同人誌はある。また、生のコミュニケーションは、読者の声を反映させ、直に描き手と話せる楽しみを生み作家は肉体を持った読者に出会うことができ、それが双方向性メディアとして同人誌を機能させる。インターネットに先がけて成立した、これらのミニメディアは、だが、情報やおしゃべりの垂れ流し的なコンピュータネットと違い、本、作品として現れてくる。影響を与えあいながら、先に前に進んでいく表現。それに立ち会えることの喜びが読者にはあるに違いない。
また、作り手たちは装丁、紙選びなども含めて「本」そのものを表現として手がけていこうとする。個人誌はとくに、その造本、パッケージそのものが描き手の趣味性の反映であり、丸ごと世界として送り出すことができる。読者は、限定された数であることで、本そのものにレアな価値が付け加えられる。もちろん、より生な形での作者に出会えることもうれしい。ただ、そうしたこと全てが、作品の傾向、完成度といったものより、自らの趣味嗜好、感覚のメッセージを優先させる方に向かわせることは否めない。アマチュアであるが故の、作品にかけられる時間の少なさが、長編よりも短編に傾き、そのことがストーリーより、切り口、スタイル、感性、エピソードといったものを描き手に選ばせることになるのだ。
アニパロ、や、お、い、は、ページ数が少ないゆえに世界やキャラクター、設定などを説明せずにおいしい部分、描きたい箇所を表現する有効な方法だった。もちろん、若いアマチュアの描き手たちが、好きなマンガやアニメの模倣から入ってくるのは仕方のないことであり、そのフェンスの低さも、同人誌が、コミケットが若い世代を引きつけ続けている理由でもある。考え続けている間に年老いていくならば、考える前に描いてしまうのがよい。また、マンガは描けば描くほど上達する。同人誌の作家たちが変容していく様を見るのも楽しい。長編の物語が生まれにくい世界ではあるが故に、「作品」より「作家」への興味、好みが優先されてもいるようだ。
ジャンルと本の種々相
では、さて、このコミケットの中には何があるのか、ジャンルごとに簡単に紹介してみることにしたい。ジャンルは、コミケットの申込書における配置ジャンルを基本とした。まず、アニメからだ。
・「Cキャプ翼」や、お、い、アニパロのルーツとなっているジャンルで、年齢が高く、ほのぼのからハードまで、少年世界が描かれる。高橋陽一風の絵はない。
・「トルーパー」や、お、い、アニパロで、ショタコン系が少なからずある。
・「ガンダム」全シリーズを対象とするが、「ガンダムW」中心に若い描き手が多い。
・「アニメ(少年)」女の子たちに人気のある少年を主人公にしたアニメで、ギャグからや、お、い、、サイドストーリーまで様々。「忍たま」「サイバーフォーミュラ」「ワタル」「グランゾート」「ライディーン」などが含まれ、このところ「レッツ&ゴー」の人気が上昇中。
・「幽々白書」一時の人気はないが、かわいい絵系が多い。
・「SLAM DUNK」劇画系、アメコミスタイルなど、リアルな絵柄の描き手が多く、一部JUNE系と重なっている。
−−これらのジャンルは大半が女性によって描かれ、女性に読まれる。登場する少年たちをカップリングさせて選ぶことを基本にしているが、時代劇やSFにしてみたり、極道物をやったり、内容的にはキャラ名前さえ違えば、オリジナルといっても通用するものが多く、アニパロ、やおいと一言では言えない。
・「アニメ(少女)」魔法少女物、少女マンガ、同アニメなどをパロディにした物が多く、男女半々、やや男性が多いが、ハードエロというより、少女の気持ちを描こうとするもの、お笑いが多い。読者は男性が多い。
・「セーラームーン」ここも男女半々。女性によるソフトエロも描かれるようになっている。
・「アニメ(男性向)」魔法少女物から「忍たま」「ポケモン」まで、男の妄想によるリメイクがいっぱい。「エヴァンゲリオン」物はまだ多いが「少女革命ウテナ」「ナデシコ」あたりが目立つ。男性によって描かれ、男性によって読まれる。
・「アニメ(その他)」声優、情報誌、評論誌から、ガイナックス、ジブリ、高橋留美子、あかほりさとるなど、マニア系アニメまで、前述のジャンルに入らないものをまとめたところ。懐アニメからまじめな評論、研究誌まで、パロディ、文章と様々なものが入っている。男性がやや多い。
ここ数年伸びてきたのがゲームで、世界と設定、キャラクターはあっても物語や細部のエピソードがないこともあって、自由にドラマが作れるのが人気。若い世代中心に描かれ一部は商業誌に取り込まれている。
・「ギャルゲー」恋愛SLG、育成SLG、「ときめきメモリアル」「サクラ大戦」「卒業」など少女キャラがメインのゲームを、キャラを使ってパロディにしたものが多い。
・「ゲーム(格闘)」対戦格闘ゲームのキャラを使ったパロディ。「ストU」「KOF」「侍スピリッツ」などが人気が高く、迫力ある絵柄、時代劇など「劇画」的な匂いの描き手も多く、勝手にドラマチックなストーリーを創り出そうとしている。
・「ゲーム(RPG)」「FF」「DQ」など人気ファミコンのキャラを使ってのパロディで、やおいアニパロ系の切り口の物が多く、ファンタジー少女マンガとも重なっている。
・「ゲーム(男性)」エッチネタで、ゲームを遊ぶパロディが多い。
・「同人ソフト」自主製作のオリジナルゲームソフト、CGソフトなどで、以前は商業作品になったものも出ていたが、最近はCGが増加している。
・「ゲーム(電源不要)」ボードゲーム、カードゲーム、テーブルトーク、PBMなどで、研究誌、情報誌、FC会誌などが多い。
・「ゲーム(その他)」ゲーム関連の評論・情報誌。またシューティングゲーム、パズル物、落ち物など前述のものに入らないその他のゲームを扱ったもので、パロディマンガを主体にしたものは少ない。男性がメイン。
「小説ジャンル」は、人気小説のキャラクターをマンガ化、キャラクターを使ってパロディにしたものが多く、「田中芳樹」(銀英伝)「炎の蜃気楼」(桑原水菜)「十二国」「フジミ」などが人気があり、やおい系がメイン。ミステリでは京極夏彦が人気上昇中で、昭和20年代の日本を舞台にした猟奇的な世界が登場してきた。キャラの絵など当然オリジナルであり、原案程度にしか作品は使用されていない。文芸作品は、小説、詩、短歌、替え歌などがあり、SF、ファンタジー系のものが多い。女性が7割以上を占めている。
・「音楽」は「洋楽・邦楽」ジャンルは、特定のバンドのFC的感覚で、ロッカーたちをマンガのキャラクターにして描かれたマンガが多い。黒夢、Luna Seaなどヴィジュアル系が人気だが、アルフィー、B' Z、筋少、フリッパーズギターなど、主だったところはそれぞれサークルがある。女性がメインだが、谷山浩子、中島みゆきなどは男性のサークルである。韓国歌謡曲の研究誌やドイツ・プログレ、はっぴいえんど研究誌といったものさえある。「アイドル」は主にジャニーズ系のグループのキャラを使ったマンガが多く、ダウンタウンやとんねるずなどのお笑いもコンビのカップリング物中心はここに入る。
・「TV・映画・芸能」は「必殺シリーズ」「ナポレオンソロ」「スタートレック」などのTVドラマの研究、パロディマンガ。宝塚のFC会誌、舞台、演劇、ミュージカルまで含まれるが、主にTVが多い。男女半々、研究、マンガも半々といったところ。商業誌ではできない資料集、研究誌もある。
・「スポーツ」は野球、サッカーなどチームのFC的に、プレイヤーをマンガキャラにした物がメインだが、競馬、パチンコ、麻雀などを扱った本も含まれる。馬のやおい本、描き手たちの麻雀実況中継、パチンコ研究、羽生のやおい物、と、様々なものがある。
・「メカ・ミリタリー」は、ドイツをはじめとした軍事関連の研究、資料集、オリジナルマンガなどがあり、お笑い日本軍物、自衛隊の哀話、警察研究、鉄道、バスなどディープなマニア本も多い。
・「特撮」はTV特撮物を中心に研究、パロディマンガ本が多い。「怪獣画集」「天本英世本」、オリジナル・ゴジラマンガなどもある。「Xマン」「バットマン」などアメコミ系の本もこのジャンルに入っている。
・「SF・ファンタジー」は、オリジナルの小説、マンガ、海外SFの翻訳、研究、資料集、オリジナルイラスト集など様々。「と学会」の本はここに配置されている。
・「歴史」は「三国史」「新選組」あたりが人気のテーマで、やおいっぽくマンガや小説になることが多いが、江戸の戯作者世界を扱った本や古代史本もある。歌舞伎本もここに含まれる。
・小説以下歴史まで、コミケットではその他と呼ばれるジャンルだが、1サークル1ジャンルといった特異なテーマ本もあり、10年以上のベテランサークルも多い。
さて、マンガのジャンルだが、大きくオリジナルとFC系に分けることができる。FC系はアニメ系と同じく、パロディという形で原作を扱う物が中心で、研究、FC会誌などが少し混じるというものだ。
・「FC(少女)」少女マンガを扱ったもの。パロディ系は案外少ない。作家本人の作っている本も混じっている。
・「FC(少年)」少年マンガを扱ったもので、パロディ本が多い。「名探偵コナン」「パトレイバー」などなど。
・「FC(ジャンプ)」『少年ジャンプ』のマンガを扱ったジャンルで、「ドラゴンボール」「るろうに剣心」「聖闘士星矢」などアニメ化されたものが多く、アニパロ系の本が多い。このところ「封神演義」の人気が上昇中だ。
・「学漫」大学マン研の創作作品集中心で、学漫本は厚くて安い。大学祭や仲間内でさばかれることが多く、即売会で学漫が参加していているのはコミケットだけである。
・「創作(男性向)」オリジナル・エッチマンガ・ジャンルで、美少女コミック誌、青年誌などで活躍しているプロ、セミプロが多く、人気のあるジャンルだ。単行本にならなかったものを自分でまとめた作品集などもあり、ロリコン、巨乳、SM、シーメール、獣姦、ホモと性のあらゆるバリエーションがある。ダーティ松本、前田俊夫などエロ劇画のベテランも最近では参加している。
・「創作(JUNE)」大人の女性のための少年愛、耽美系作品で、デカダンな本も多い。画力のあるベテランが多く、小説も2、3割混じっている。70年代少女マンガの歪んだ進化をたどったジャンルともいえる。
・「創作(少年)」オリジナルの少年・青年マンガで男性の描き手が多く、SF・ファンタジーアクション、実験作品などが目立つ。プロが人知れず混じっている。
・「創作(少女)」SF、ファンタジーなど物語系の物が多く、きれいな造本・装丁のイラスト集なども出る。雑誌の休刊で未完となった連載が、同人誌で完結させられることもあり、プロ、セミプロも多い。今年の夏、山田ミエコは同人誌作家宣言をした。また、猫を始めとしたかわいいキャラによる動物マンガもここに含まれ、インコ本、ハムスター本などは商業出版物に進出した。
・「評論・情報」マンガ評論、資料研究本、イベント関連の本がメインだが、その他訳のわからない物は全てここに入っており、旅行本、医療、薬品本、変な飲物本、トマソン、オカルト、性風俗研究まで、種々雑多に展開されている。非合法文献の復刻、マンガ誌のインデックス、税金、郵便など役に立つものも多い。串間努の『日曜研究家』はこのジャンルから出てきた。
――コミケットには、どんな本でもある。だが、求める人がそれと出会えるかどうかは運次第なのだ。
こうした「本」そのものを創り、売ること。それを手に入れること。人と出会うこと。参加者はそうした諸々を目的に会場にやってくるのだが、そのマーケット的機能とは別に、コミケットには他の即売会と違う、何らかの漠然とした期待がある。また多くの人間が、その場所に同じ時間と空間を共有しにやってくる。「イベント」という言葉本来の持つ気分、失われた共同体への想い、祭りの原初的エネルギー、自分の居るべき場所、自分を求める人……ある意味、社会や日常から失われていった古い事どもがここには生きている。自然発生的な「市」の発展のパロディの形をとり、大衆消費社会のレプリカであることを引き受けることで、コミケットを核にした同人誌世界は、自律した世界に向かう。――だからそれは、いつまでも、外側から覗き見される存在であり続けることになるのだろう。(米沢嘉博)
WEB
[こ-016]
COMITIA
comitia
オリジナルのキャラクターを用いた同人(自主制作)マンガ作品の展示即売会。参加・出展できる作品にはオリジナルの小説・評論・グッズなどがあり、商業マンガも条件付きだが出展できる(オリジナル作品を展示・即売するという趣旨のため、コスプレは禁じられている)。主催は「COMITIA実行委員会」で、コミケのように既存のキャラクターを原典にしたやおい作品を排除し、あくまでも「自己の作品の発表」を目的としている。東京では10年以上前から催されており、1日に5時間弱のオープン時間でありながら、商業誌で活躍しているマンガ家も含め、1000サークル以上が参加している(一般入場者は、来場時もしくは事前に600円程度の出展ガイド誌『ティアズマガジン』を購入する必要がある)。東京では、池袋サンシャインや東京流通センターなどの展示場で年に4回ほど開催され、97年末までに42回を数えている(告知チラシでは回数に応じて『COMITIA 42』のように表記される)。こうした動きは全国に飛び火し、大阪・名古屋・新潟などでも年に1、2回開催されている。
コミケが有名キャラを合言葉にしたお祭りだとしたら、COMITIAは自分の表現媒体を同人誌に見つけた者たちのサンクチュアリ(聖域)かもしれない。いずれにしても、同人誌即売会が動員の約束された一大イベントとして成立する背景には、表現としてのマンガ(あるいはマンガ周辺)のマーケットが充分に巨大化したことが挙げられる。コミケほど大規模でないため、即売のために出展しても儲けは大きくない。だが、こうしたマンガのイベントが、同人誌に「開かれた自己表現のメディア」としての意味を約束し、このイベント自体が、コミケ同様、「同人誌を通じてのセルフヘルプ・グループ」としての機能を結果的に果たしていることは明らかである。
WEB COMITIA HomePage
http://pweb.in.aix.or.jp/~comitia/index.htm
[こ-017]
コム・デ・ギャルソン
comme des garcon
言わずと知れた日本のファッションの金字塔。名前の意味は「少年のように」。リアルクローズ全盛の現在、やりたいようにやっていながら少しも評価が揺るがないのは、川久保玲がとっくに芸術家として認知されているから。本人にはそれは必ずしも喜ばしい称号ではないようだが。川久保はアーティストとして開き直ることは決してなく、またビジネスも投げ出すことのないスタンスで、二十数年の間服を作り続けている。「カラス族」と呼ばれたDCブランド全盛の時は、まさにマスの気まぐれなストライクゾーンに入ったこともあったが、近年はとくに(本人は嫌だと思おうが)アートとしての純度がより高まったように思える。なかでも97年春夏の、体中にごろごろとコブ状のバッドを入れたドレスは、言外に込めたメッセージを受け取らずにはいられない。そこには確かなテクニックと厳しい哲学が在り、要するに美しい、強い。だから「こりゃ今年のギャルソンは着れないわ」と言いつつも、そのオーラを浴びたくて青山のギャルソンに足が向く。もちろん静かに鑑賞するためのオブジェとして機能しているだけではない。「コム・デ・ギャルソン シャツ」はストリートの男の子の定番だし、92年から始まった「ジュンヤ ワタナベ」はギャルソンの中のリアルクローズと呼べる性格を持っている。96年のロゴ入りエア・バッグはDC古着屋で5万円のプレミアが付いているし『VISIONAIRE』ギャルソン号の白熱ぶり。「活発に動いている」ブランドなのである。また特筆すべきはヨウジと並ぶ著名人からの支持。よい意味でも悪い意味でもギャルソンを着るステイタスに魅かれ、その上経済力もあるならユニフォームにするのも当然か。青山店ではシーズン毎にバーゲンと見まごうまとめ買いをしている文化人、芸能人に遭遇する。
WEB ***Ofis Etoh!***
http://www.netlaputa.or.jp/~ofis-eto/cdg-right1.htm
[こ-018]
小室哲哉(1958年生)
こむろ・てつや
TMネットワークの一員として、84年4月にプロデビューした音楽家。当初は、日本のテクノ・ポップ史において、YMOの後を引き継いだ存在という認識が強かったが、80年代後半以降はヒット・チャートの常連として、大衆音楽界には欠くべからざる人物となる。とくにTMネットワークの解散後は、単なるキーボード奏者/サウンド・クリエイターとしてではなく、作詞・作曲を含めた総合的音楽プロデューサーとして特大ヒットを続発。日本歌謡史上の記録を次々に塗り替えた。ヒップホップはもちろん、ハウスやテクノ、R&Bなど従来のダンス・ミュージックを完全に消化し、いくつもの編成/スタイルによるグループ、ソロ歌手など、多種多様なタレントを次々と世に送り出した。小室プロデュースによるタレントを公開オーディションするテレビ番組も誕生。小室のタレントを吟味する姿勢、育成の厳しさ、小室自身の状況などもそこで自動的にドキュメントされるという趣向は画期的であった。小室それ自体が一つのジャンルとして機能していることが、そこでは暗に示されていた。音域を圧倒的に広く使用したメロディに口語体の歌詞をっぷりと入れ込む様式は、“小室風”として95〜96年にかけて、完全に90年代日本歌謡のスタンダードとして定着した。
小室作品主要支持層は女子高校生であると言われるゆえんは、このメロディーに詰め込まれた言葉の行列にある。お互いを激励し合い希望を持って生きていこうということを、日常語ほどはくだけていないが、語尾のほとんどが“よね”や“たね”であることで、連帯感に念を押すようにできている。すんなり一度聴いただけで唱和できるようなメロディではないだけに、むしろ聴こうという気を刺激する。これといって結論はないし、ときにはペンションの客用ノートに残されたような随想を、朗々たるメロディに乗せてしまう術は、もはや完成された特殊技能というべきだろう。
WEB TK Gateway Index
http://www.komuro.net/
WEB PLANET TK Index
http://www.komuro.com/index.htm
[こ-019]
コモエスタ八重樫
こもえすた・やえがし
音楽家、DJ。東京パノラママンボボーイズのメンバーとして、またその深くて広い音楽知識に裏付けられた数々の和物音源の発掘者として有名な人物だが、彼の活動を追うと、雑貨屋の経営やDJと音楽家という二つのスタンスを両立して行ってきた音楽活動など、すっかり常識的になった90年代的なスタイルを、早くから体現していた事がわかる。ピチカート・ファイヴの小西康晴がスタートさせたレーベル「レディメイド」のアーティストとして、ファンタスティック・プラスティック・マシーン(田中知之)と共に、彼のバンドの5thガーデンが招かれたことも、音楽性はもちろんだが小西氏のコモエスタ仕事へのリスペクトがあればこそではないだろうか。
WEB
[こ-020]
コラージュ
collage
もとは美術用語で、画面に新聞紙や雑誌の切り抜きや写真を貼り付け、特殊な効果を狙う技法。音楽に対して使われる場合のコラージュも基本的に意味は同じで、テープやサンプラー、ターンテーブルなどを使って音を継ぎ接ぎしてゆく手法をいう。97年2月に初来日を果たしたイギリスのストレンジなコラージュ・ユニット、ストック・ハウゼン・ウォークマンは、チープなコラージュ・ミュージックとファーに包まれた奇妙なジャケットで渋谷のレコード店を中心に話題となり、続く『Organ・Trasparants』は渋谷系リスナーの間でブレイクした。モンド、ラウンジの範疇で語られることも多い。
サンプリング、カットアップ、リミックスは、椹木野衣が著書「シミュレーショニズム」(河出文庫)で提示した90年代の重要な戦略であるが、コラージュはそうしたもののもっともシンプルな方法論だろう。
WEB
[こ-021]
ゴールドマン(1963年生)
ごーるどまん
パンクSM、ギミックSMのジャンルを独壇場にしている中堅AV監督。AVメーカーのアルバイターとして出発したが、すぐに演出家として頭角を現し、88年、『電撃!!バイブマン』で商業作品デビュー。独特のパンクSM嗜好がAVファンの注目を集めた。89年には、ビニールテープで女体をボンデージするアンビエントSMビデオ『TOKYO BIZARRE』シリーズ(自主販売)と、監督自身が側頭部に小型カメラを装着して撮影した『NEW変態ワールド なま』(アートビデオ)を発表。前者はカラフルな粘着テープの質感と有用性を巧みにボンデージ・ワークに取り込み、現在のSMアートの手法に大きな影響を与えた。また後者は男性の完全一人称視点の映像で、ヴァーチャルセックス映像の先駆けとなった斬新な手法は、今なお色褪せることがない。
90年に制作プロダクション、オフィス・ゴールドを主宰して以降は、低予算AVを多作しており、年間約50本の発表ペースを崩していない。最近では、Wet&Messyの白眉『ザーメンくらぶ』シリーズや、幼児回帰のリビドーを激しく刺激するお医者さんゴッコ物の『THE集団検診』シリーズ(ともにクリスタル映像)など、通俗的ななかにも作家性を強く打ち出した作品を次々と発表し、日本のスカムカルチャーシーンに多大な影響を与え続けている。また。ミュージシャンとしても、エキセントリックなノイジー・ロックでライブ活動を行い、自主制作CDも多数発売。名刺の肩書きは「炎のフォークシンガー/魂の詩人」である。
WEB
[こ-022]
是枝裕和(1962年生)
これえだ・ひろかず
新世代の“静かな映画”作家。テレビマン・ユニオン出身で、ドキュメンタリーを中心に活動し、『しかし……福祉切り捨ての時代に』で91年ギャラクシー賞優秀作品賞授賞、『もう一つの教育−−伊那小学校春組の教育』でATP賞受賞。主に社会的テーマをとりあげている。93年『映画が時代を写す時−−侯孝賢とエドワード・ヤン』を製作。95年宮本輝の小説を原作の映画『幻の光』を発表、ヴェネツィア映画祭金のオゼッラ賞ほか受賞、国際的にも注目された。ある日突然夫が自殺し残された妻と、再婚した漁村の夫の生活に忍び寄る空虚と不安をおおう光と影、ロングショットが“日本映画の美学”と高く評価される。単館ロードショーでもヒットし、興行上でも日本映画作家の新しいあり方として印象づけられた。またヒロインを演じた江角マキコもこの作品以後注目され、その後の活躍は周知のとおりである。
WEB
[こ-023]
コロコロコミック
ころころこみっく
小学館発行の小学生向けカルチャー総合誌。とは、いってみたものの、77年の創刊当初は、『ドラえもん』と藤子マンガを浴びるほど読むことができる、単なるブ厚いマンガ雑誌だった。今でも基本的にマンガ雑誌であることには間違いない。そんなコロコロが現在のカルチャー総合誌色を強めたのは、すがやみつるの『ゲームセンターあらし』(78年)の登場からだろう。ゲームセンター全盛期に、主人公が荒唐無稽な必殺技でテレビゲームをプレイするというこの作品は大人気を呼び、読み切り作品から連載に昇格、テレビアニメにまでなった。以後、コロコロは藤子作品プラス子供たちのカルチャーを巧みに盛り込んだ作品を掲載し、現在のようにメーカーと連動する展開を見せる。これまでも「ビックリマン」をはじめとして、全盛期の『週刊少年ジャンプ』とともに、小学生カルチャーを発信するメディアの代表格となった。ここ最近でコロコロがヒットさせたものには「ポケットモンスター」「ミニ四駆」「ハイパーヨーヨー」「ビーダマン」などがある。
また、誌面のみで限定販売されるスペシャル・アイテムも人気を呼んでいる。中でも一般発売では赤と緑のみの販売だった「ポケモン」の青カセットは、通常品とはモンスターの出現率などが異なる内容で、高い人気を呼んだ(後に小学館の学習雑誌およびローソンで再発売)。そういったレア・アイテム目当て、そしてポケモンやミニ四駆関連の情報誌として、コロコロを定期購読するイイ大人も多い。97年秋からは、コロコロのテレビ版「おはようスタジオ」が放送を開始(大人的には志賀ちゃん司会の旧「おはスタ」を思い出し、思わずニヤけずにはいられないわけだが……)。テレビ版の放送、「ミニ四駆」そして任天堂の救世主とも言える「ポケモン」という追い風に乗って、今後ますますコロコロは影響力を強めていくことだろう。現在もっとも熱いメディアといっても過言ではないだろう。
WEB コロコロ
http://www.shogakukan.co.jp/corocoro/index.html
[こ-024]
コンテムポラリー・プロダクション
contemporary production
CDジャケットデザインがなぜこんなに面白いのだろうか。それはコンテムポラリー・プロダクションがあったからといってもいいだろう。レコードからCDへと移行するにともない、それまでのレコードジャケットという2次元的なデザインの概念ではなく、CDを“パッケージデザイン”という概念で捉え、透明ケースを使ったり、特殊印刷を使ったりといった、新しいCDジャケットスタイルを次々とつくりだし、日本のミュージックグラフィックスシーンを引っ張り続けてきたのが、信藤三雄率いるコンテムポラリー・プロダクションである。松任谷由実のレコードジャケットデザインから始まり、ピチカート・ファイヴ、フリッパーズギターなどのポップでお洒落なジャケットデザインにまで仕上げてしまう。そのグラフィックセンスは渋谷系を代表とする名ジャケットとして語り継がれている。しかし現在のコンテムポラリー・プロダクションは、2次元的な世界だけではもはや語ることができない。ミスターチルドレンでは映像を手掛けたり、コーネリアスではまた違う特殊パッケージを使ってみるなど、CDパッケージデザインを中心にしたミュージックヴィジュジュアルの追求というのが、最近のコンテムポラリー・プロダクションの特徴であるといってもいいのではないだろうか。それらの作品は、作品集『DESIGN BY CONTEMPORARY PRODUCTION』やCD-ROM『THIS IS CONTEMPORARY PRODUCTION FOR THE MUSIC』でみることができる。
WEB
[こ-025]
コンバース
converse
ヒールの部分に星をもつ「オールスター」で有名な、ローテクスニーカーの雄でありバスケットシューズの代名詞ともいえるシューズメーカー。17年、アメリカ・マサチューセッツで冬の防水用のラバーシューズを製造していたマーキー・M・コンバースが、なんとか夏にも売れるシューズを作りたいと考え、当時始まったばかりのプロ・バスケットボールに注目。このスポーツの専用シューズを作ろうと手掛けたのが、伝説の「オールスター」だった。このシューズをいち早く認めたのが、当時のスタープレーヤー、チャック・テイラー。彼は選手時代オールスターを愛用しただけでなく、引退後もこのシューズの素晴らしさを全米の学生たちに普及する仕事に就いたのだ。その彼の働きもあって、コンバースのバスケットシューズの人気は、またたく間に全米に広まっていった。60年代末には初のレザーアッパーのバスケットシューズを開発。当時としてはかなり良質のレザーを使っていたため、材料の確保に苦労し、4年間しか作られなかった幻のワンスターなど、数々の名品を生んだ。97年からは、シカゴ・ブルズの問題児、デニス・ロッドマンと契約し、話題を集めた。ちなみに、コンバースのバッシューは、70年代まで全てオールスターが正式モデル名。ワンスターなどはニックネームだ。
WEB CONVERSE MAIN
http://bccns.bcc-net.co.jp/moonstar/converse/converse.html
[こ-026]
コンピレーション・アルバム
compilation album
1曲当たり100円(!)なんて計算になるものもあるバリューなヒット・コンピレーションは、出せばメガヒットを記録(当たり前か)、洋・邦楽さまざまなスタイルのコンピが街に溢れている。シリーズ物コンピでまず思い出すのは、サバービア・ファクトリー監修による『Free Soul』。自分が気持ちよく聴ける/踊れる音楽であればジャンルなんて関係ない、自由な心で楽しむソウル(フィーリングを持った)・ミュージックというコンセプトのもと、レコード会社の壁も越えてコンパイルされヒットとなったが、結果的にそれさえも一つのジャンルと化してしまうのがニホンの悲しいところ……。また、豪華なメンツが一堂に会し、夢の共演曲も収録したサウンドトラック盤も多くリリースされており、とくにヒップ・ホップ/R&B界隈では、サントラからのヒットは今や常識となっている。そして国内外のDJによるノンストップ・ミックスものは、DJのプレイを楽しめるだけでなくコンピとしてもリスニング可能。『MixUp』シリーズは石野卓球、ケン・イシイ、田中フミヤらによるハイ・クオリティなプレイと、小松崎茂によるアートワークで人気を博した。
WEB
[こ-027]
コンピュータ
computer
コンピュータ、特にパーソナルコンピュータは、たてまえ上はいろいろ役にたつことにはなっているのだが、実際には何の役にも立っていない。これはミクロ的にもマクロ的にも実証されており(トーマス・K・ランダウアー「そのコンピュータシステムが使えない理由」アスキー刊)、作業能率があがるわけでなし、売り上げも収益性も何ら変わらず、一方でメンテナンスに大きな時間とコスト、そしてソフトの代金とアップグレード費と設置場所と学習時間が割かれ、ついでに「これ、なんで動かないのー?!」「文字化けしてるー?!」などフラストレーションも含め、コストだけはガンガン発生する。情報武装とやらを進めた企業が、収益あがってウハウハになってるか?
ご冗談を。
また家庭に至っては、ホントにコンピュータを入れてなにをするのか、まともに答えられる人なんかほとんど一人もいない。よくまあみんな、あんな30万もするものをホイホイ買うもんだなあ、と思ってたら、案の定その後需要がパタッと止まってしまった。この点に関する限り、家庭のほうが企業より賢いかもしれない。
一方の供給側、特にソフトウェアもひどい状況である。マイクロソフト製品の惨状については、もはや我が国の提灯持ちパソコン雑誌(というより広告の束)ですら無視しきれなくなりつつあるんだが、MS製品なんかまだいいほうなのである。大手のソフト屋の単品の大規模システムなんかだと、動けばまだマシ、というのが常識だとか。Linuxなどの一部フリーウェアのほうが、ずっと優れた開発モデルになっているのは、驚異というか呆れるというか。
これだけ生産性に貢献しないしろものが、これだけの規模でどかどか職場や家庭に導入されているというのは、考えてみれば異様な現象である。「少数の人間を長時間、また多数の人間を短時間だましておくことはできる。しかし多数の人間を長期にわたってだまし続けることはできない」と言ったのはリンカーンだったはずだが、パーソナルコンピュータは数少ない例外で、みんなひたすら嬉々としてだましだまされ続け、結果として世界中のオフィスにすさまじい計算能力(CPU)が配備されながら、システムモニターを見ればわかるとおり、それが1%も使われていない。余った分を集めて何か有益な活動をさせようという試みはあって、暗号解読や地球外知性体情報の発見なんかに向けられるようにはなっているのだが。
かつてパソコンは、IBMに代表される既成のコンピュータ体制に対するまさにオルタナティブな存在だった。それがビジネス化されて、そのオルタナティブ性が崩れたとする見方はある。が、何かがおかしい。なぜこんな収益に貢献しないものが買われ続けているのか、まったく説明がつかないからだ。いわば、オフィスでも家庭でも、みんな文字通り高価なおもちゃを争って導入しているのだ。しかもバブルにしては、あまりに大規模に長く続きすぎている。通常の収益原理からははずれているという点で、いまだにコンピュータはオルタナティブではあるんだが、どうも何か陰謀があるのではないか。この先人間が世界の主役でなくなる時代に先立ち、人間が次の世界の主役たる機械に操られ、巨大な情報処理能力を用意させられているのではないか。インターネットの(これまたあまり生産性に貢献しない)ブームは、その次代の支配者たる機械のために、コンピュータをすべてつないで一体化する試みだったというわけだ。 そしてその先、人類は全地球的なコンピュータ網にとって、大腸菌のような存在と化す、かもしれない。
WEB マイクロソフト
http://www.microsoft.com/japan/
WEB コンピュータの空き時間を集めて暗号解読をするプロジェクト
http://www.distributed.net/