[て-001]
ディアブロ
diablo
 『DOOM』『Quake』に代表されるインターネットを使った人気ネットワーク対戦ゲーム、というと聞こえはいいが、実際のところは単なるテーブルトークをベースにしたリアルタイムアクションRPG。Windows95上で動作する。システムとしての斬新性はないが、シンプルかつしっかりと作られた内容で人気を博している。ネットに接続したプレイヤーは、最大4人までが一つのパーティーとなって冒険でき、ゲームとチャットを同時にやるような感覚でマウスでキャラを操作、街で買い物をしたりダンジョンで戦闘をしたりする。英語対応なので日本人にはかなり辛く、日本人同士でやっても日本語は入力できないので全部ローマ字か片言の英語で入力するしかないが、中途半端に英語力があるとパーティーに理解されずに逆に苦しむことにもなる。通常はパーティーのメンバーを攻撃できないのだが、アイコンを押すことにより突如パーティーへの攻撃が可能に。仲間割れなどが発生するとダンジョン内でいきなり決闘が。「Where are you from?」という問いに「JAPAN!」などと答えると、その瞬間に殺されたり、逆に見知らぬ強い外国人プレイヤーが冒険に参加してきて「これ持ってる? あれ持ってる?」と、次々に素敵な武器や防具、薬やお金をくる「あしながおじさん」の伝説もある。
 チャットルームは一種のコミュニティーになっており、そこで様々な情報交換が行われているが、日本のチャンネルはオタクでごった返しているので、行くタイミングを間違えると怖いことになる。「Quake」のように成績というものは存在しておらず、あるのはキャラクターのみ。レベルと所持アイテムがそのプレイヤーのすべてを物語る。死ぬとアイテムと所持金がダンジョンに残るので、人に取られてしまうと丸裸になってしまう。徹夜と称して会社のネットから侵入し、遊ぶ人間も多い。一時日本語版の発売も発表されたが、突如中止となり、日本語版を切望していたユーザーを悲しませた。発売元はBlizzard Entertainment社。MAC版も発売予定。
WEB Tamon' s Diablo page
http://www.techarts.co.jp/tamon/diablo/


[て-002]
T.A.Z
t.a.z
 91年に発表されたアメリカの無政府主義者ハキム・ベイのパンフレットTemporary Autonomous Zone(一時的自律ゾーン)の略。彼はアンチ・コピーライト(反著作権)・ムーブメントの中心人物で、パンフレットには「著作権フリー」の表記がある。T.A.Z.は新しい共同体のありかたについての一つのモデルを提示している。それは、ある土地や時間、サイバースペースなどの領域を一時的に開放し(ゾーン)、国家や権力がそれを破壊する前に自ら解体して他の場所、時間などの改革へど向かうゲリラ的な作戦で、原始的な部族社会をそのモデルの一つとしている。インターネットの発達やレイヴ・ムーブメントの拡大によって、こうした考え方が一部のサイファーパンクスやレイヴァーたちの反体制のモデルになってきた。96年の夏にはT.A.Z.を現実化しようとする試みとして、プラハ郊外で1週間に渡るテクニバル・キャンプが開かれてもいる。
WEB taz
http://www.elnet.com/~lrobin/frames/bey/


[て-003]
DAT
dat
 デジタル・オーディオ・テープの略。MDより何年も前に、手軽なデジタル録音再生メディアとして開発されたDATのフォーマットは、当初は放送局の録音機材かミュージシャンのスタジオ録音用、一部のオーディオマニアの間などで使われていただけだったが、巷に溢れる音楽が総デジタル化されるに及んで、ここ数年の間に再び脚光を浴びることになった。通常のサンプリング周波数が48kHz、最高96kHzの音質は数字的にはCDをも凌ぐ。携帯性に優れ、針飛びの心配もないソニーのDATウォークマンは、テクノ関係のバンドや、暑さでレコードが歪んだり砂で針飛びするような悪条件で曲をかける野外パーティーのDJには必需品になった。海外ではMDよりもメジャーで、再生専用のDATウォークマンもある。97年には単3乾電池2本で録音・再生可能な新製品が発売された。
WEB DAT普及委員会
http://plaza6.mbn.or.jp/~endokun/avdat.htm


[て-004]
THX
thx
 ジョージ・ルーカスが提案するソフトウェア・プログラム。ルーカスの劇場用監督デビュー作である『THX1138』からその名が取られた。映画の音響は、劇場の設備によって、作者側の意図とはかけ離れた状態で上映されることが多い。とくに昨今は、音響効果が作品の重要な部分を占めるようになり、劇場の選び方で作品の印象がカラリと変わってしまうということも珍しくなくなった。送り手側の意図とほぼ同じ条件で上映できるよう、ルーカスフィルムが細かく機材や条件などを設定したのがこの方式だ。日本ではまだ数館のTHXシアターだが、97年夏の『スター・ウォーズ特別編』公開時には、「THXシアターで見てこそ、真の『スター・ウォーズ』体験だ」と、多くのファンがTHXのシステムを堪能した。なおTHXには他にも、ホームシステム用AVセンター及びその周辺音響機器に認定される「ホームTHXシステム」や、VHS/LD/DVDの画質/音質に対して認定される「THXレーベル」などの種類がある。
WEB 


[て-005]
T.M.Revolution
t.m.revolution
 Takanori Makes Revolutionの略。ボーカリスト・西川孝教(愛称ターボー)が先導し、プロデューサー・浅倉大介(Iceman)がサポートする革命のこと。西川によると革命の究極の目標は「全国一億二千万人総T.M.R.化計画」というものらしい。この計画の手前勝手さと恐ろしさは、T.M.Rに賛同するリスナーはもちろん、T.M.Rに関わったすべての人間が強引に(本人の認識には全く関係なく)T.M.Rの1メンバーにされてしまうという点にある。ミュージシャンとしての西川は、95年5月、浅倉大介のシングル制作参加をきっかけに浅倉大介バンドのボーカルとして参加するようになり、翌年3月22日、新宿リキッドルームにてT.M.R.のスタートを発表。同年5月13日「独裁−monoporise−」でデビューした。6枚のシングルと2枚のアルバム、4本のビデオを発表(97年10月現在)。しかし、彼の名が思いがけなく(思惑どおり?)お茶の間に浸透、世間を震撼させたきっかけは、テレビ番組「HEY! HEY! HEY!」での暴走トークにつきるだろう。「地球は僕のために回っているんや」「僕は神、妖精」などといった大胆な発言の数々は、ブラウン管に顔を出す人間としての拘束性から百万光年は解き放たれている。巷ではお笑い系芸人のアイドル化が進行しているが、西川によりミュージシャンのお笑い芸人化が一歩進められたことは間違いない。
WEB Antinos Records Homepage
http://www.antinos-r.co.jp/


[て-006]
DJ
dj
 80年代は楽器を手にしたバンドマン、今はアナログ盤を手にしたDJがモテ男クンの王道である。ターンテーブル2台とミキサー、カートリッジ(針)という必要最低限のラインナップにHOW TOビデオまで付いた“今日からキミもDJだ!”的なセットがかなりの勢いで売れていると言う。この場合のDJというのは、ヒップ・ホップであることが多い。この音楽が持つファッション性や、スクラッチなどの派手なワザは見せがいがある(?)ことなどが理由だろう。ただし、アマチュアDJのお祭り騒ぎを横目にプロは着実にステップアップしており、海外に招かれてプレイを披露する日本人DJも少なくない。U.F.O、クラッシュ、タケムラノブカズ、田中フミヤ石野卓球などとくにジャズ、テクノDJの評価が高いようだ。
WEB 


[て-007]
DJクラッシュ
dj krush
 日本が世界に誇るヒップ・ホップDJ。オールド・スクール・ヒップ・ホップの草創期が描かれた映画『ワイルド・スタイル』に衝撃を受けてDJを志したという彼。ジャパニーズ・ヒップ・ホップ/クラブ・シーンを支えてきた重鎮である。80年代後期、MC MURO、DJ GOとクラッシュ・ポッセを結成。今はなき下北沢ZOOなどで精力的に活動していたが惜しくも解散、ソロ活動を開始し、94年にファースト・アルバム『DJ Krush』をリリース。その後イギリスのレーベルMO' WAXと契約する。インストゥルメンタルのみで構成されたセカンド『Strictly Turntablized』は、ヒップ・ホップの新しい形を呈示し、MO' WAXというレーベルの方向性をも決定づけたと言える。続く『Meiso』、『Mi-Light』ではラッパーをフィーチュアしたトラックも収録しているが、言葉があろうがなかろうが、それはクラッシュのサウンドでありヒップ・ホップ以外の何ものでもない。「ヒップ・ホップとは一つの文化であり、その人の生き様である」と口にするラッパーやDJはクサるほどいるが、彼はそれを有言実行できる数少ない一人であり、そんな人間がヒップ・ホップ輸入国であるこの日本にいるという事実が嬉しい。
WEB mnemonic spinn *thoughts 04
http://www.ltokyo.com/~spinn/mnemonic/thp/th4.html
WEB DJ KRUSH HOME PAGE
http://wwwuser.sunpark.or.jp/dj-krush/index.htm


[て-008]
DTP
dtp
 デスク・トップ・パブリッシングの略。パソコンのマッキントッシュと、「クオークエクスプレス」「ページメーカー」といったDTPソフト、「イラストレーター」「フォトショップ」などの画像処理ソフト、日本語のポストスクリプト・フォントなどの登場で、個人でも雑誌などのレイアウトやデザインが低コストで可能になった。DTPによるインディペンデントな雑誌(『BARFOUT!』や『IN NATURAL』など)が数多く出されるようになった反面、従来の編集やデザインの現場では、本来ならば写植屋や印刷所に頼んでいた仕事や、キーパンチャー並みの文字の打ち込み作業までをも抱えるようになり、結局は仕事量が増えたという現実もある。DTPといっても、現実の印刷の段階では、写真はデジタルで入稿されるわけではないし、色指定も昔ながらの見本を添付するやり方で行われているのが普通だ。デジタル化、ということで言えば、新聞の世界ではインターネットの登場もあってコンテンツのデジタル化がもっとも進んでいるが、それ以外で限りなくデジタル化されているのはパソコン雑誌とインディーズ雑誌だけ、というのが現状である。
WEB 


[て-009]
DTPマンガ
でぃーてぃーぴーまんが
 80年代半ばに寺沢武一が、コンピュータによる本格的なマンガ制作に手を染めてから十余年。ハードの普及、作画ソフトの発達のおかげで、マンガの制作過程にコンピュータを用いる作家も多くなってきた。以前はコンピュータを使った箇所の絵が無闇に目立っていたものだが、最近は手描きの部分とのごく自然な融合を果たしている。ものが透けた様子などはペンとインクで描きあらわすのがなかなか難しいが、こんな時にはコンピュータが大活躍することになる。
 彼らの理想は、ペンと同じ程度にコンピュータを自在に使いこなすことだろう。絵や写真を取り込んだり、それを変形・着色したりするのに大した手間はかからない。CGの画像もマンガ原稿として用いることが可能だ(その場合トビラ絵など大きめの絵で使われるのが普通)。鉛筆で描いた絵は通常そのままでは印刷用原稿にはできないが、それを取り込んで加工したり(出力すればペン入れした原稿と同じになる理屈)、タブレットなどを用いてダイレクトに執筆し(この場合マンガ=デジタルデータ)、週刊連載をこなしているマンガ家もいる。早い作家は人物だけなら1ページ15分で描くという。
 編集者や印刷所が果たすべき役割の一部を担うことをマンガ家が厭わなければ、擬音や吹き出し内の文字(叫び声など)も工夫できるなど、机上で限りなく自らの仕上がりイメージに作品を近づけられるわけだ。マンガが紙に描かれなくなり、ひいては印刷されなくなる(モニターで読むものとなる)時代が来る可能性もないわけではない。
WEB 


[て-010]
DVD
dvd
 「デジタル・ビデオ・ディスク」または「デジタル・バーサタイル・ディスク」の略称。平たく言うと、ビデオやビデオCD、LDなどよりも、高画質、高音質、さらに長時間の記録ができるというシロモノ。CDやLD、CD-ROMといったプラットフォームの垣根をなくすという意味でも注目され、すでにDVDが組み込まれたパソコンやテレビ、カーナビなどがリリースされている。ソフトの方は音楽CDと同じ直径12センチで、映画、アダルトなど250以上のタイトルがリリース済み。ただし、ハードの売り上げが思ったよりも苦戦しているのが現状である。そんな中、97年7月、家電メーカー期待のキラーソフトがリリースされた。『新世紀エヴァンゲリオン』(テレビシリーズ)である。DVD版『エヴァ』は、ハードの機能を活かした数々の映像特典(vol.1では隠しモードまである懲りよう!)と、ビデオ、LDにも勝るコストパフォーマンスで、ソフトとともにハードの売り上げにも貢献している。しかし、『エヴァ』のためにハードを買ったコアなユーザーが、購買欲をあおられるようなソフトを提供し続けられるかは疑問である。盛んに言われてることだが、DVDがAV機器の中心となる道は一つ。ビデオのように、テレビ放送などの録画が可能なDVD-RAMをとっとと売り出すことである。
WEB Panasonic DVD Home Page
http://www.panasonic.co.jp/dvd/
WEB GO! GO!! DVD!!!
http://www.dvd.ne.jp/
WEB PIONEER HOME PAGE
http://www.pioneer.co.jp/index-j.html


[て-011]
デヴィッド・カーソン
david carson
 デヴィッド・カーソンは、一瞬にしてエディトリアルデザインの世界を変えてしまったといってもいいだろう。「読めなくてもいい、そんな雑誌があってもいいのだろうか」という疑問に答えを出したのが、92年に創刊された『RAY GUN』である。94年同誌に掲載されたブライアン・フェリーのインタビュー文章において、すべて記号化された読めないフォントが使用されたのが最も衝撃的であった。結局その答えが出るまでには時間がかかったようであるが、答えは現在の『RAY GUN』を見ればわかるであろう。
 元プロサーファーであり、社会学の先生をやっていたというデヴィッド・カーソンは、『SKATEBORDING』(83-87年)、『BEACH CULUTURE』(89-91年)、『SURFER』(91-92年)、『RAY GUN』(92-95年)と雑誌のアート・ディレクションを続けてきた。その後『RAY GUN』のアートディレクションを降りてからは、『SPEAK』のアートディレクションをするもわずか1回で終わる。以後しばらくクレジットに彼の名前を見ることはなかったが、最近になって『blue』(97年)という雑誌でアートディレクションをしている。彼のデザインの評価は別にしても、彼が出てきたことによって、フォントデザイナーというポジションがより明確になってきたといえる。彼がデザインしたアルバート・ワトソンの写真集『cyclops』には、デザイナーとは別に、フォントデザイナーの名前がクレジットされているように。彼の作品は『THE END OF PRINT』という作品集で見ることができる。
WEB David Carson Profile
http://www.dnp.co.jp/jis/gallery/ddd/da/david/david.html


[て-012]
テクノ
techno
 “ポップ”と“ロック”に次いで、個人の解釈や文脈によって意味が違ってくるサブカルチャー用語、もしくは音楽用語。厳密に言えば欧米においての音楽用語としてのテクノなる言葉は、80年代デトロイトの黒人によって発せられた。デトロイト・テクノの先駆者ホアン・アトキンスが、80年代にシカゴで勃興したハウス・ミュージックとの差別化を図るため、デトロイトで生まれた音楽を(ヨーロッパのジャーナリストに向けて)“テクノ”と呼んだのが最初とされている。ソウルやディスコやフィリー・サウンドの延長にあるシカゴ・ハウスに対して、デトロイトの音はクラフトワークからの影響が圧倒的に強く、リズムはPファンク等に影響されたファンクを特徴としている。テクノという言葉自体は、アルビン・トフラーの『第三の波』からの引用で、過酷な社会で暮らすデトロイトの黒人にとって、その響きは未来的でロマンティックなものだった。 そこにクラフトワークらのもつ批評性はなく、テクノはしばしばエモーショナル・テクノとも呼ばれた。つまり、音色や方法論こそ共通するものの、表現の本質においてクラフトワークとデトロイト・ テクノは著しく違う。ちなみにクラフトワークのような音楽については、80年代の欧米ではエレクトロ・ポップという呼称を使うのが一般的だった。と、ここまではいい。
 テクノというタームがややこしく肥大化していったのは、90年代に入ってからだ。80年代後半のアシッド・ハウスやレイヴ文化を触媒に、ハウスはやがて、ヨーロッパの音楽に多大な影響を与えることになる。そして、正統的な黒人ダンス音楽としてのハウスと比して、異形なハウスが次から次へと生まれた。イギリスでは、ドラムンベースの元になったハードコア・ハウスやジ・オーブらによるアンビエント・ハウス、あるいはアンダーワールドの背景でもあったプログレッシヴ・ハウス、ドイツではジャーマン・トランス、ロッテルダムではガバ・ハウス等々、ヨーロッパ人は自らの解釈でハウスを創出していった。が、ヨーロッパで生まれたこれらハウスの多様性も、日本ではテクノと呼んだ。とくにハウスであってもいびつなものや過剰なものはテクノと呼ばれ、ハウスのエリート主義が拒絶したものをテクノは受け入れた。
 テクノは受け皿として寛容かつ曖昧だったあまり、伝統的な黒人ダンス音楽のファンから歓迎されることはなかったが、その代わりにそれまでダンスフロアに無縁だった多くの若い音楽ファンにステップを踏ませることができた。こうした事情から日本では、ユース・カルチャーにおけるダンスへの過剰な欲望、もしくはDJやクラブといったターム、それらサブカルチャーの新しいスタイルを総じてテクノと呼ぶこともある。音楽的な意味ではハウスの支流にすぎないテクノだが、日本ではサブカルチャーのある特定の集団を指す言葉にまで肥大化しているようだ。
WEB TOD AQUARIUM
http://fweb.midi.co.jp/~kazu/
WEB SON1Y TECHNO PAGE
http://www.sme.co.jp/Music/Info/SonyTechno/indexj.html


[て-013]
デジキューブ
digi cube
 大手ソフト開発会社スクウェアが設立したゲームのコンビニ流通を手掛ける会社。現在1万6000店舗からなるコンビニネットワークを持ち、プレイステーション用ソフトとセガサターン用ソフトの流通を手掛けている。96年11月5日にサービスを開始して以来、ゲームを日用品レベルまで普及させる試みとして業界の注目を浴びているが、まだ既存のゲーム流通システムとの軋轢も多い。とくにスクウェアの自社開発商品であるPS用メガヒットRPGソフト『ファイナルファンタジーVII』の販売においては、コンビニ流通に有利に供給したため、既存の小売店(おもちゃ屋やゲームショップ)からの不満の声が高まった。
 デジキューブが発足された背景には、PSの成功によりゲームのメディアがROMカートリッジからCD-ROMへ移行した影響が大きい。これまでファミコンやスーパーファミコン用ゲームソフトの生産は、追加注文があってから新たに生産され小売店に並ぶまで、多大な時間を要した。このため膨大な在庫をストック・調整する問屋が重要な役割を担うこととなり、かつて任天堂は、こうした問屋からなる組織「初心会」に比重を置くことで、ゲーム流通そのものを有利にすることに成功してきたのだ。が、CD-ROMをメディアとするPSやSSは、追加注文があってから小売店に届けられるまで最短で3日あればこと足りる。デジキューブはこうしたCD-ROMのメリットをコンビニの持つPOSシステムと連動させることで、ゲームの売り上げを正確に把握しながら商品をリアルタイムに生産・供給できる新たな流通チャンネルを開発したのである。
 こうしたデジキューブの動きは、同時期にソニーが進めていたPS用流通システムと対立することになり、現在も両者の間には大きなミゾが残っている。が、そもそもデジキューブとは、これまでハードメーカー主体で進められてきたゲーム流通に対して、ソフト開発会社――スクウェアが提示したアンチテーゼであると考えれば、この対立は避けて通ることはできない道といえるだろう。
WEB DigiCube Homepage
http://www.busters.or.jp/ip/digicube/index.html
WEB デジキューブについて
http://www.so-net.or.jp/ClubHouse/room/game_zone/log/1997033/messages/2576.html


[て-014]
デジタルカメラ
digital camera
 フィルムを使用せず内蔵されたメモリに画像を記録していくタイプのカメラ。メリットとしては、現像の手間が掛からないこと。搭載メモリにもよるが、100枚程度の写真を連続して撮影できること。撮った画像をすぐに確認でき、気に入らない場合その場で消して撮り直しができることなどがある。撮影した写真はカメラについている液晶で見るほか、パソコンに転送してフォトショップで合成したり、ホームページへ載せるための素材に使われる。デジタルカメラ自体は以前からあったのだが、フィルム式に比べると画像はかなり劣るし、また、カメラ自体が数百万円という高度なものだったので、個人には手が出るものではなかった。しかし、カシオが95年に「QV-10」という低価格モデル(当時の販売価格で3〜4万円程度)を発売したことで、デジタルカメラ・ブームに火がついた。折からの個人ホームページ・ブームも人気に拍車をかけたようだ。撮ったその場で見れるというリアルタイム性からデジタルカメラをメモ代わりに使う者も現れ、現在ではケータイと並んで必須のアイテムといえるだろう。
WEB QV DIGITAL HOME PAGE
http://www.casio.co.jp/QV.htm
WEB OLYMPUS Digital Camera Products
http://www.olympus.co.jp/LineUp/Digicamera/digicamera.html


[て-015]
デジタルフォント
digital font
 デジタルフォントの登場をデザイン革命というには大げさすぎるであろうか。84年の『EMIGRE』創刊以来、90年には日本で「ネビルブロディ展」が開催され、92年には雑誌『RAY GUN』が創刊。その後は日本でもあっという間にデザイン界にコンピュータが普及してきた。そのなかで最もデザイン的に影響を与えたのは、「フォトショップ」でも「イラストレーター」でもなく、「フォントグラファー」だったのかもしれない。フォトショップやイラストレーターといったアプリケーションは、製版や印刷の延長線上と言ってもいい。しかし、フォントグラファーというアプリケーションソフトの登場によって、フォントというデザイン要素の可能性が一瞬にして拡がったといってもいいからだ。『EMIGRE』誌では、オリジナルのフォントが発表販売され、先述した『RAY GUN』では、毎号フォントデザイナーというクレジットが表記されている。これらはデジタルフォントになってからのことだ。アメリカではエミグレ以外にも、t−26やエンボスフォントなどの大手フォントカンパニー、さらには小さなフォントカンパニーがいまだに増え続けている。また最近では、日本でも個人でつくったカタカナフォントが販売されたり、ウェブ上に登場したりするようになった。漢字やカタカナ、ひらがなが混在する複雑な日本語環境のなかで、カタカナやひらがなのデジタルフォントを個人レベルで作成して使用することができるようになってきたということは、高く評価できる。「ゴナ」とか「ナール」さえ使っていれば大丈夫といった文字に対する考え方は、もはや通用しなくなってきているのだ。
WEB FontShop HOMEPAGE
http://www.digitalogue.co.jp/fontshop/index.html


[て-016]
デジタルペイント/デジタルアニメーション
digtal peint/digtal animetion
 近年よく耳にするようになったアニメーション用語。デジタルペイントという言葉が使われていると特殊なことが成されているように思われがちだが、実際は単純に「コンピュータ上で着色すること/したこと」を指す。デジタルアニメーションとは、言葉のとおり、最終的にデジタルデータにさえなっていればよいわけで、デジタルペイントによって仕上げられているテレビアニメ『るろうに剣心』から、『トイストーリー』のようなフル3DCGの映画まで幅広い作品がこれに該当する。ディズニーが87年にCAPS(コンピュータ・アニメーテッド・プロダクション・システム)を開発し、映画『リトルマーメイド』(89年)のラストシーンで初めてデジタルペイントを導入、翌年公開の『ビアンカを救え!』では、セル画を一切使わない、世界で初めての全編全コマをコンピュータで処理をした。国内のデジタルアニメーション事情は、世界に一歩出遅れた感があるが、東映動画では20年前から積極的に導入、テレビアニメ『GS美神』(93年)以降はほとんどの作品で使用され、現在放映中の『ゲゲゲの鬼太郎』『あずみ・マンマ・ミーア』は彩色から撮影までの行程が完全にデジタル化。『攻殻機動隊』を製作したプロダクションIGなどもコンピュータの導入が進んでいる。宮崎駿作品で有名なスタジオジブリは宮崎自身が「俺の時代はコンピュータを使わない」という姿勢であったが、映画『もののけ姫』製作中、セルの枚数の増加と作業の遅れ、仕上の人材不足で導入を余儀なくされ、急遽CG部を発足。大規模なデジタルペイントの環境を導入する。
 コンピュータ化が進むことによって、関係の深い、人間の手でセルを彩色しているプロダクションに仕事を出せなくなってしまうなどの声も聞かれるが、遅かれ早かれ、アニメ界がデジタルペイントの時代になることは否定できない。セルは枚数を重ねることが不可能だがデジタルペイントの場合、彩色した絵を何枚重ねても色が劣化しないため多重合成が可能(ちなみに森本晃司は『ジェリートゥーンズ』で300枚重ねている)、加えて容易な修正作業、色の使用可能数アップ(1677万色)、この他にも従来のシステムであれば大量な絵の具の置場所や完成したセルを乾かすスペースや時間が必要だったがデジタル化によって一挙に解決するなどのメリットがある。しかしそういったコスト削減、効率アップのみによってデジタル化の波が進んでいるわけではなく、国内でのセルの生産が中止や絵の具を輸入に頼らなくてはいけないなど深刻な問題に対する打開策としての面もある。しかしデータ量の問題やオペレーターの不足など今後の課題も多い。
WEB 


[て-017]
デジタルロック
digital rock
 ロックとテクノ(ロジー)が融合した未来型ロックンロール。本国イギリスではこういったタイプのサウンドを「Big Beat」と名付けているが、日本でのこのネーミングは『LOUD』誌での露出がきっかけとか。イギリスの国民的バンド、オアシスと共演して一気にブレイクを果たしたケミカル・ブラザーズに代表されるのが、このデジタルロック一派である。古くはビーツ・インターナショナル、現フリークパワーのノーマン・クックによるFat Boy Slim、サントラ『トレインスポッティング』で注目を集めたアンダーワールドなどは、キャリアのスタートがニューウェーブ期のロックバンドであり、よりロック的アプローチのテクノと捉えることもできるし、フランス版ケミカルとも呼ばれるダフトパンク、ジャスティン・ロバートソンを中心とするライオンロック、90年代初頭のレイヴ・シーンから登場したプロディジーなどは、ロックをネタとして捉えたDJ的視点によるサウンドであるとも受け取れるが、こんな分類は大して意味を持たない。ブレイクビーツの持つ独特のアッパー感と、テクノという音楽をロックと同列に捉えたうえで展開したサウンドであるということが共通項だろう。主要レーベルはSkint、Junior Boy's Ownなど。
WEB デジタル・ロック
http://home.highway.or.jp/mori-h/9704/970428.html


[て-018]
デジタローグ
digitalogue
 ネヴィル・ブロディ、江並直美、五味彬を中心として、93年に設立された会社。原宿の裏通りにあるデジタローグギャラリーも運営している。デジタルコンテンツ・パブリッシャーとして、いち早くCD-ROMやデジタルフォントなどを手掛けた同社だが、CD-ROMの代表作として五味彬撮影の『YELLOWS』(93年)、『AMERICANS 1.0』(94年)、『YELLOWS CONTEMPORARY GIRLS』(97年)、伊島薫撮影の『NEW BEAUTY』(93年)、荒木経惟撮影の『アラキトロニクス』(94年)、松本弦人作品の『ジャングルパーク』(96年)などがある。なかでも『ジャングルパーク』は、97年8月現在6万本という、CD-ROMとしては驚くべき販売部数を誇る。フォントについてはFont Shop Japanを運営し、同社の「FONT FONT」シリーズ、「FUSE」の販売をしている。
 デジタローグの最も注目すべきところは、ギャラリーも同時に成立させているということである。92年にオープンしたデジタローグギャラリーでは、オープニングのネヴィル・ブロディのタイポグラフィー展以降数々の展覧会を開催しているが、場所的に、またスペース的に決して好条件でないにもかかわらず、デジタルという切り口で集客することができる数少ないギャラリーである。なかでもすでに3回開催されている「フロッケ展」というイベントは、フロッピーのコミケというネーミングの通り、若いデジタルクリエイター達のコミュニケーションイベントとして定例化しつつある。ここから次世代のデジタルクリエイターが出てくるかもしれない。欲をいえばもう少し広いといいのだけど。
WEB DIGITALOGUE homepage
http://www.digitalogue.co.jp/


[て-019]
デス渋谷系
ですしぶやけい
 ピチカート・ファイヴ等に代表されるおしゃれな「渋谷系」の裏の顔。90年代に渋谷がサブカルチャーの発信地となったことを受け、この街がそれらの廃棄場としての役割も担い始めたことを示す言葉(「暴力温泉芸者」こと中原昌也の名前が引き合いに出される機会が多いが、むしろこの言葉が似合うのは安藤昇だろう)。「裏」といってもアンチという意味でなくあくまでも「デス」であることに注目したい。もちろん実体などあってないようなものだが、消費に奔走する90年代に疲弊した者の気分としてはこれ以上の的確な表現は見当たらない。音楽面ばかりが注目されていた中で、97年、阿部和重が発表した小説『インディヴィジュアル・プロジェクション』はデス渋谷系文学の登場を予見させる。フォーク全盛の頃から渋谷は新宿に比べるとさほど幻想を抱かせない街であったが、状況は大きく変わってきた。例えるならば新宿がウルトラマン、渋谷はウルトラセブンといったところか。
WEB SIBUYAKEI
http://leo.comp.cs.gunma-u.ac.jp/~takeshi/other/sibuya.htm


[て-020]
哲学
てつがく
 オルタ・カルチャーなんて知らない。
 サブ・カルチャー? そんな昔の話は忘れてしまった。
 もう衒ってる年齢ではない。「文化」とか「芸術」とか、臆面もなく言ってしまえないのは、かえって情けない。
 そこでまず「哲学」だ。
「ゲンダイシソウ」だの「にゅーあか」だのといった、あぶくがみんな流れてしまって久しい今、洗われて露出したごっつい岩盤だ。頼りになりそうではないか。  数年まえ、「哲学ブーム」という声がちょっと囁かれたが、ここに到って、心ある読書人のあいだで、そいつが静かに沈着しそうな気配がある。
 キーパースンは、やっぱり永井均。中島義道、三浦俊彦ら、故大森荘蔵に連なる哲学者たちも、それぞれがんばってるけれど、ピカ一は永井だと思う。
 昨年、『〈子供〉のための哲学』(講談社学術文庫)が評判になった。「子供」じゃなくて〈子供〉ってとこがミソ。これがどういう意味かは読まなきゃわからないけど。
 この本では、二つの問題が考えられている。
 まず、「なぜ自分は自分なのか?」。次に、「なぜ悪いことをしてはいけないのか?」。
 心身に特定の両親からの遺伝子を受け継ぎ、無意識と記憶とに、これこれの幼児体験、しかじかの人生経験が蓄積されて、かくなる自意識を持ったから、あんたはそういうあんたなんだという普通の答えに、永井はどこまでも首を振る。
 そんなことを問うたんじゃない。そういう身体と性格を持った特定の個体が、なぜ他ならぬこの〈私〉なのか?を知りたいのだと。
 二つめの質問も、善悪の相対性を指摘したいのだろうと早がてんするとやけどする。そうじゃないのだ。たとえ殺人が絶対的に悪であるとしても、ではなぜこの〈僕〉がそれをしてはいけないの?と、問うているのだから。
 永井は、最初の問いを小学生の頃から、次の問いは中学生の頃から、考え続けてきたという。
 永井は、他ならぬこの自分が抱いてしまった疑問を、他人にわかってもらえるか否かにかかわらず考え続ける過程こそを哲学と呼ぶ。ゆえにかつて哲学者が考えて残した結論は、既に普遍性を帯びてしまった限りで既に哲学ではなく、「思想」にすぎない。一時売れまくった『ソフィーの世界』(NHK出版)など、そうした「思想」を倫社の教科書程度の水準で解説し、砂糖をまぶした代物でしかない。
 だが、永井にとってはいかに心外であろうとも、私は右の二つの問いが、「思想」、もしくは「人生論」として興味深かった。静かな哲学ブームをささえている人々の多くにとっても、それは同様ではないか?
 肩書、容貌、能力、性格、さらに自意識といった、他人による理解、認識の可能性がある「自分」を超えでてゆく、他ならぬこの〈自分〉性というものがある……。道徳、真理といった普遍的な何かが定立されたとたんに、それに反してなぜ悪いと問い返す〈自分〉がある……。そして、〈自分〉は決して他に理解されないと自覚した者同士の間にのみ、本来の理解と友情は成立しうる……。
 80年代以来の「自分さがし」ブームとは、他人に対して見映えがよく、自分も気にいる「仮面」がきっと探せるというバーゲンへの殺到だった。その対極で今、ここにある自分をその「本来」まで巻き戻してみようという動きが、実は随所で始まっているような気がするのだ。そうした「本来」のさらに彼方に、たとえば、永井の〈自分〉が待っているのかもしれない。
 自分をいったん巻き戻してみる試みが、それぞれが強さへ向けて歩むためのきわめて今日的かつ有効な第一歩ではないかと私が確信するに到ったのは、今野敏の小説『慎治』(双葉社)を、興奮とともに読み終えた時からである。
 『慎治』の舞台は中学校。2年生の慎治はいじめられっ子だ。3人のいじめグループは、慎治を巧みに孤立させた上で、心身両面からの脅威を加え続けて、既に彼の日常からあらゆる逃げ場を全て奪い去っている。そんな出口なしの状況の中、ついに万引を強要されるに到って、脅迫とプライドの板ばさみにまで追い詰められた慎治はついに真剣に自殺を考え始める。
 そこに一人の教師が登場する。慎治のクラス担任古池は、事なかれ主義の典型的無気力教師で、ガンダムのガレージキットやフルスクラッチ・モデルの製作とオリジナル・ビデオ・アニメだけが生き甲斐という35歳の超「おたく」。彼はしかし、教え子に自殺されるとやばいという消極的動機から慎治を助けざるを得なくなる。だが、古池にできるのはただ、慎治を自分のアパートを埋める膨大なガンダム・モデルを見せることだけだった……。
 しかし、慎治の場合はこれこそが、いじめがもたらした閉塞状況を、彼が自ら突破してゆく動機を生み出す唯一の起爆剤だったのである。
 今野敏が描くいじめの心理は、加害者被害者ともにリアリティに満ちている。いじめられっ子は、常にいじめグループの嫌な要求を拒絶できずに引きずられてゆく。それは腕力や意志が弱いゆえというよりも、自我自体が未熟で、自らの責任で行動する孤独と不安に耐え切れず、他への追従を選びがちな弱さに、つけ込まれているというべきだろう。
 いじめグループから、俺たちは友達のいないあいつと遊んでやってるだけだといった弁明がしばしば吐かれるのはこのためである。そして、万引の強要のように、彼が同時に追従している学校や家庭の倫理といじめっ子からの要求との板ばさみ状況が生ずると、彼は自殺よりほかに逃げ場を失ってしまうのだ。
 自殺まで考えてるのなら、いじめが待っている学校なんか来なくていいと登校拒否をアジる古池に、慎治は、「でも……親がうるさいし……」とうつむく。古池はすかさず、「そうやって、あっちもこっちも立てようとするから追い詰められるんだ。(中略)何が大切で何が大切でないか、わからなくなっているのが、今のおまえだ」ときわめて的確なアドバイスを示す。
 対策はただ一つ。慎治の自我を育成すること。そして自我育成とは、彼を、いじめっ子の要求をふりきるなど何でもなくなるぐらい熱中できる大切な何かに目醒めさせることにほかならない。かくして古池は、ガンダムの架空未来史の深さと広さを講義し、本格的なプラモ製作のテクニックを手ほどきしてゆく……。
 殊に内向型の人間が、学校と受験勉強、会社勤め、人づきあいといった、世間のならわしの数々にうちひしがされ、といってそれらを拒絶する生き方にも踏み出せないのは、それらをたかが一手段と見下せるような己の生の大切な目的−熱中できる何かがわからず、あっちもこっちも立てようとしてしまうからではなかったか。
 「まだ風を切ると涼しい時間で、わたしの髪が清々しく靡きました。(中略)わたしは全身で鉄塔を感じ、鉄塔のためだけにその1日を費やせる悦びに包まれていました。それは子供心にも、一生で数えるほどしかない最も幸せな日の1つのように思われました」
 退屈な日常の全てが、このためにこそあると思える何かとは、たとえばこんなふうに自覚されるだろう。
 これは、銀林みのるの小説、『鉄塔武蔵野線』(新潮社)の一節である。幼少期から近所に立つ高圧線の鉄塔に親しんできた少年美晴は、ある日、鉄塔のプレートに記された「武蔵野線76」といった番号に気づく。畑と雑木林の向こうに立つ次の鉄塔は「77」だ。この大いなる連鎖の秘密を知った少年の胸にはるかな1号鉄塔を見たいというロマンが宿る。数日の後、彼は万全の準備を整え、弟分と二人で「鉄塔調査隊」を結成、自転車を駆って1号鉄塔めざし旅立った……。
 上はそんな旅立ちの朝のときめきを語る一文である。『鉄塔武蔵野線』は、この夏、長尾直樹監督により最高の映像化が実現したが、このモノローグはシナリオで効果的に生かされ、予告編でも用いられていた。
 この夏、92歳で逝ったV・E・フランクルの、あのナチ収容所体験記録、『夜と霧』(みすず書房)には、豊かな内面世界を生きてきた者の方が、頑強な身体を持った者よりもより壊れにくく、過酷な日々に耐えられたという有名なくだりがある。かく言い切れるものなのか、正直いってわからない。しかし、フランクルがこの世のいかなる力も奪い得ないものとして、「未来への希望」とともに「過去の生活の豊かな体験」を挙げるとき、私は、たとえば、60歳過ぎて冷戦下のハンガリー政府に逮捕され、闇の水牢の半年間を含む厳寒の独房に7年間幽閉された英国の言語学者エディス・ボーン博士が、毎日、世界の都市の旧知の市街へ想像上の散歩にでかけ、習熟する6カ国語の語彙目録作成に没頭して、精神の解体を防いだというエピソードを連想しつつ、こう思う。
「豊かな内面生活を生きる」とは、「一生で数えるほどしかない最も幸せな日」の自覚、最も大切な熱中の瞬間、あるいは、まぶたを閉じればたちまち細部までがなつかしく甦ってくる場所、そうした記憶の輝きに裏づけられて、自分にとって何が大切で何が大切でないかの明晰な洞察が済まされていることにほかならないと。
 ただしここで、そうした大切な時間を場所を自らの体験の中に自覚できるのは、特権的な少数の人々に限られるのではないかという疑問が、当然ながら生じてくる。
 だが、はたしてそうか。
 私は昨年末、上梓された『まぼろし小学校』(小学館)で、その偉業の一端が知られはじめた、「日曜研究家」こと串間努の仕事を思い出す。
 登下校時の買い食い禁止、メロディオン、脱脂粉乳に先割れスプーン、運動会の紅白帽子と応援歌、肝油ドロップ、検尿の紙コップ、流行の替え歌etc.……。
 小学校生活を織りなしていたおなじみの断片的ディテールから出発して、それらの地域的世代的広がりの実態から、教育制度的な背景までを、パソ通ほかを利用した全国的な呼びかけによって解明してゆく串間の「学校民俗学」は、教育史、児童文化論、都市民俗学、家政学などのいずれからもこぼれた小学校文化という領域を、着実にすくい上げつつある。
 誰もが通過してきた日常的なもろもろに、どこまでもこだわって「研究」してゆきたい何かを発見し続けられる串間の感性は、あるいは特権的であるかもしれない。 だが、彼の徹底した研究がすすみ、ミクロな事象から掘りすすんだ調査というトンネルがたどりついた出口から見晴らされたのは、子供たちの生活をも覆っていた経済成長期というマクロな時代相の鳥瞰図だった。
 たとえば、70年代に流行したお子様グッズ、「フラッシャー付き自転車」「電子ロック筆箱」「多種装備付き学習机」といった商品の盛衰を、アンケートとメーカー取材を積み重ねて追跡してゆけば、戦後の欠乏の影からは脱したものの、デザインの洗練とブランドにはまだ遠いある過渡期の姿が、過剰な非実用的デコレーションで飾られたバロックな文具と玩具があふれた頃として、いつしか具体的に描きだされてくる。
 ここには、私たちが現代史の鳥瞰図から出発して、我々の記憶を織りなすディテールへ到達するという逆の思考の筋道さえ体得できれば、串間の卓越した感性に欠けた我々凡俗にもまた、「経済成長」「高度消費社会」といった学ばれた教養を正しく用いて、日常のディテールのそれぞれを「意味」で満たし輝かせてゆく技法が使えるかもしれぬという希望が宿ってはいないか。
 ようするに、極私的に大切な何かをあらかじめ知っていて、そこを起点として普遍へとどく構築を企てる者もいれば、普遍的な物語という規矩を手がかりにして、自分にとって何が大切なのかを探りあててゆく者もいるというわけだ。
「普遍的」などと、だいぶおおげさな話になってきてしまった。何も大仰を衒うつもりはない。普遍的な物語とは、早い話が「ことば」である。
「高度成長」、「消費社会」、「鉄塔調査隊」、「ガレージキット」、「自分」、「悪」……、いずれも何らかの状況ともに生まれ、さまざまに用いられていながら、幾重もの意味を蓄えてきた「ことば」であり、その用法の歴史と可能性に思いを馳せれば、たちまち「物語」を立ち上がらせるに足る膨大なデテールが秘められている。  いや、「ことば」に限ることはない。映像で表されるイメージも、メロディーラインやリズムも、律動する身体のフォルムも皆、人間が何らかの意味を封じこめ、また新たに喚起できる限りで、普遍的な物語の原基、構築用の煉瓦となる「かたち」なのである。
 ほんとうはそれぞれに広がりと奥行きと濃淡を孕んだ「かたち」を、「情報」と呼んでしまった頃から、私たちの果てしない文化浪費は始まった。なんとかカルチャーなどと衒うようになってこの方、何とおびただしい情報−メロディが、イメージが、ことば−が、私たちの体内を通り過ぎていったことだろうか。
 長かったシュトルム・ウント・ドランク――流行ったりすたったりの繰り返しが去って、もしも、多少なりとも、砂州のごとき堆積が、胸裡に認められるならば……。死んだ「情報」から「かたち」を、畏敬とともに甦らせたいならば、少なくとも蓄積して悦にいったり、ひけらかして得意がったりするいやしさは、卒業しておいてもらいたい。知識も、センスも、体験も、それなりの何かを構築するための素材として使いこなせてなんぼという季節がもう、とっくにやってきているのだから。
 20年まえ、倉多江美の少女マンガの背景の書棚に吉本隆明が収まっていたり、諸星大二郎のSFマンガに描かれた書棚に『さかしま』が逆さまに入っているのを見つけて、うれしがったものだ。「情報」で悦にいる、得意がるとは、たとえばこうした閉じた共犯意識に浸ってしまう楽しみ方をいう。
 たとえば庵野秀明監督は、そんなマニアへの隠微なウインクとして、生命の樹だのロンギヌスの槍だのを描きこんだわけではあるまい。どこまでも己の作品をより効果的によりスタイリッシュに構築するために、最適の「ことば」、最適の「イメージ」を採用したまでであろう。それに対して、あっ、これってあれがネタでしょ、何とかの象徴なんだよねなどと喜々とする姿は、とてもなさけなく、いやしい、と思う。
 誰かが自分の大切な何かを、普遍的な物語の方へ構築していった仕事に感じるところがあったならば、少なくとも、知ったかぶった寸評や、ネタあばきや、あらさがしではしゃぐのは恥じようではないか。
 感動は、それぞれの現場で、それぞれの大切から出発した構築を試みる参考としてゆく。それが礼節ある対応というものだ。むろん構築されるのは、マンガだの映画だの音楽だのの狭義の作品には限られない。プロジェクト、株式会社、政治体制、家族、何よりも人生……。それらは相互に共鳴し干渉し反撥しつつ、知らずして「時代」という場=物語を生成してゆくだろう。
「すべての芸術、ことに文学なんかは、子どもの心の、幼心の完成じゃないでしょうか。それの発展ですね。それがやっぱりほんものだと思いますな」
 27年まえ、稲垣足穂はインタビューに応じてかく語った。インタビュアーは、一昨年、オウム信者たちに欠如していたものは、「文学」であると喝破した瀬戸内寂聴である。芸術、そして文学。永井均の仕事を思えば、当然、哲学もこれに加わる。つまりは文化の全てがそうなのだろう。
 近代は戦後民主主義は、幼心のわがままをそのまま甘やかした。伝統は新保守主義は、旧陋な完成ばかりをふりかざした。幼心と完成は、切り離せない。そして、宮沢賢治に倣えば、永遠の未完成、これ完成なのである。
 オルタ・カルチャーなんて知らない。
 サブ・カルチャーなんて忘れてしまった。
 以後、私たちは、ただなすべきことをなすのみである。(浅羽通明)
WEB 鉄塔調査隊
http://www.actcine.com/tetto/


[て-021]
デプレニル
deprenyl
 ハンガリーのJ陽sef Knoll教授によって開発された現代版不老長寿薬(?)。脳内の神経伝達物質を分解する酵素MAO(モノアミンオキシダーゼ)-Bだけを阻害するので、結果的にドーパミンなど神経伝達物質の量を増やす。パーキンソン病はアッパー系の伝達物質であるドーパミンの減少が原因とされるため、デプレニルは50年代からパーキンソン病の治療に使用され、近年は、同様にドーパミン不足によるアルツハイマー病の諸症状改善や鬱病の治療にも用いられるようになった。性欲増強効果があるという報告もあり、さらに寿命を延ばす効果も囁かれている。動物実験レベルではあるが、デプレニルを投与されたネズミの集団は、投与されない集団に比べて40%寿命が延びたという結果が出ているのだ。人間にも通用するならば、120歳といわれている理論寿命は150歳以上にまで延びることになるし、暦年齢は70歳でも外見は40歳と夢のように若く見えてしまうかも。製品には錠剤と液体の2種類があり、液体タイプは錠剤よりも割高だが、一滴=1ミリグラムなので少量を飲む場合には計量が楽。
WEB International AntiAging Systems
http://www.smart-drugs.com/


[て-022]
でも、やるんだよ!
でもやるんだよ
 自分の置かれた(マイナス的)状況を踏まえながらも、やり抜こうという精神。自分から自分への言い聞かせ。元は、犬を500匹飼育する「しおさいの里」で働く、いわくありげなオヤジが、犬のエサを入れる容器を冷たい水でゴシゴシ洗いながらの発言。「こんなの水でちゃちゃっちゃっとやりゃあ、それでいいだよ。な、こんな事無駄なことだと思うだろう。そうだよ、無駄な事なんだよ。でも、やるんだよ!」(根本敬著『因果鉄道の』KKベストセラーズ)。この本は一部でバイブル的に深く読まれ、スチャダラパーが「ノーベルやんちゃDE賞」の歌詞でこのフレーズを使用。スチャ以外にも、この言葉は「裏流行語大賞」的に多く用いられた。自分のおかれた星を把握した、ドン・キ・ホーテ的人物だけが口にして、初めて重みが感じられる言葉である。
WEB 


[て-023]
テレビ(作る専門家と見る専門家、他は無しの時代)
tv(つくるせんもんかとみるせんもんか、ほかはなしのじだい)
 ここ数年で、テレビがどんどんわかりやすいものになってきていることは衆目の一致するところだろう。この場合の「わかりやすさ」は、「やさしい」という言葉があてはまる場合もあるし、また「とっつきやすい」「理解できないことを言わない」「明るい」と、よりフィットする表現は場合に応じてあるわけだが、すべては「難解なるもの」の対極にあるものと考えられる。
 簡単な例では、「発言テロップの増加」が挙げられよう。バラエティ番組などで、出演者の発言をそのままテロップに起こして編集時に差し込む手法は、NHK以外では完全に定着した。と同時に「あれが邪魔だ」という意見が「心ある視聴者の意見」として活字媒体をにぎわすこととなった。この「テレビ」と「心ある視聴者」の断絶もまた今日的な様相を呈してきている。
 「わかりやすさ」の加速を感じた一例として、94年3月に放送された「知ってるつもり!?」がある。拙著『10点さしあげる』(大栄出版)にも書いたことだが、この回番組が取り上げた人物はフェデリコ・フェリーニ。番組の冒頭で司会の関口宏は「フェリーニの映画はよくわかりませんよねえ」と言った。たしかに公開当時「難解」と言われた作品もあるが、開口一番に取り上げるポイントがそれか?と、見ていた私はちょっとびっくりしたのだ。それは例えば、「小津安二郎の映画といえば白黒作品が多いです」とか「黒澤明といえば息子さんの嫁が林寛子です」といった物言いに近いものを感じてしまったわけだが、関口宏及び「知ってるつもり!?」制作サイドは、この「難解さ」を、フェリーニの人生をめぐる悲劇性のキーワードとして取りあげ番組を作った。それは、映画界のどんな偉い人であっても、番組を観る人は一般視聴者であるから、一点でも視聴者を置き去りにした番組を作ってはならないという信念のあらわれのようでもあった。番組中「『ローマ』っていうシャシンは、わからなかったなあ」と芦田伸介がため息をつき、小田茜が「私も最近『道』をみましたが、むずかしくて」と、いよいよもって救いようのないコメントをする中、「私はむずかしいとは思いません」と小声で発言していた映画評論家・田山力哉氏も今はいない。思えば何故呼んだんだ?というキャスティングだが、このようにテレビは「インテリ層」を置き去りにする形で、どんどんわかりやすくなっていく。
 さて、ではなぜそうなっているのかというと、早い話が個人別視聴率調査の導入である。よりテレビを見る層、よりCMを見て購買力に結びつく層に支持されるように番組を作るには「難解」は御法度、「難解以前」の一般常識でさえ、「ないと恥かしい」ではなく「なくても平気だ」にシフトしつつある。
 ではテレビは「頭が悪くなった」と結論を急いではいけない。よりシュアな視聴率を取るという作業の中で、ニーズのないところに力を入れる必要がなくなっただけのことで、視聴者は「おまえこんなことも知らないのか」と居丈高に振るまうような特権的な司会者を嫌ったのだ。
 「居丈高」な人がたくさん出ている番組といえば「朝まで生テレビ」だが、よりによってこの番組で「女子高生の援助交際を大人は叱れるのか!?」といったテーマをとりあげ、スタジオに大勢の現役女子高生を招いた回があった。パネラーの侃々諤々の議論の際中、彼女たちは次々と席を立って帰ってしまうのであるが、意見を求められたひとりの女子高生が、困惑気味に「だって、なんつうか、さっきからみんな大声出してんだもん」と言った。
 実に明解。改めてみてみると「朝生」には女子高生の嫌いなものしかない。
 一方、大半のモチベーションを「視聴率」に置いているドラマやバラエティはどうなっているかと言うと、「心地よいわかりやすさ」を目指し、ちょっと前じゃ考えられないくらい、丁寧な番組作りが行われている。細かい編集や、前述の「テロップ」もその重要な要素だが、このテロップ、実は言葉の選び方やタイミングなど、かなりのセンスが要求される。というわけで、ディレクターが編集所でいかにいい仕事をするかがかなり大きい。って、なに当たり前のこと言ってるんだと言われそうだが、そうじゃない番組がちょっと前までかなりあったのだが、そういった番組がどんどんなくなってきているのだ。いちばん減ったのが出演者の意向が最優先される番組。タレントが野放しになっている番組である。そしてライブの「ありもの」をそのまま持ってきた番組。このようなディレクターの腕のふるいどころの少ない番組は少なくなった。
 早い話が「テレビ作りのうまい人の番組は本当によくできている」という事実が「テレビを熱心に見る人」にだけよく伝わっているという図式が成り立っているのだ。ある番組が好きでたまらない、という人の「好き」のレベルは相当に高くなっている。それに応えつづけるために、送り手は日々番組作りに工夫と努力を惜しまない。という「美しい関係」はそうそういくつも簡単に作れるわけではないが、意外と多いのではないか? 「意外と」というのは、ある番組が「すごく面白い」ということは、その番組を見る人が「すごく面白い」と感じている、という事実だけで充分であり、その裾野に「ちょっと面白いと思っている」という層は存在していない。もっと言うと、その番組を見てない人が見ると、「どこがいいのかさっぱりわからない」ことになっているからである。だから今の世の中「DAISUKI」は「すごく好き」な人と「とにかく嫌い」という人の2種類しかいない、といういことである。むろん前者が日本で100人ぐらいだったらダメなわけであるが、ある程度の層を不動にがっちりつかんでいる、というのが現在の「番組」と「視聴者」の関係である。常に「たまたま見た人」が5%という番組はありえないし。
 注文の多い客に対して、納得の品を出し続ける需要と供給の関係は固い絆となり、お互いの距離は近くなる。ものすごく好きなテレビ番組を自分で選択して見ている人は、ものすごく好きなテレビ以外のことをテレビに求めることはしなくなる。ここ1〜2年の社会現象になるほどのメガヒット商品が、ことごとくテレビで宣伝されたものではないし、またそれらの人気を当てこんで作られた番組は少ないし、あってもパッとしない。例えばついこの間に、プリクラや女子高生のカメラ好き、というブームを当てこんだ番組があったが、実にどうも見ていて座り心地の悪い番組であった。出来がどうのこうの、という以前に、番組のモチベーションがテレビの外にある、というだけで基本的な熱量みたいなものが決定的に欠けてしまっているのだ。
 そんな例以外にも、もっとつまらない番組があるじゃないか、という意見もごもっともで、はなから視聴者のことを考えて作ってないぞこれ、という番組もある。テレビ局の都合で、どうしても各方面への行政上のいきさつで作られている番組はあるが、最近ではそういう番組はひと目でわかるくらい「ダメさ加減」が明白である。そういった構造そのものまで「わかりやすく」なってきている。
 話をテレビと「テレビ以外のもの」の関係に戻すと、これはかなり明確に、分離されてきたと言えよう。「なにごとも『持ちつ持たれつ』ですな」という蜜月の終りというか、むしろ仲が悪くなってきた、というか。
 例えば「映画」。テレビ局が映画製作に乗り出してきたこととリンクするように「単なる映画紹介を目的とした番組」やコーナーが中央からなくなってしまった。昔は「ジェームス・ボンド――魅力のすべて」といった新作007映画の宣伝番組を、ゴールデンの2時間スペシャルで放送していたのだ。これは前述した「ありものをそのまま持ってきた番組」の一典型である。
 かくして「テレビ以外のもの」を必要としなくなったテレビには、「テレビに出る/出ない」「テレビに出てほしい/出たくない」という、キャスティングにまつわる浸透圧のようなものにも変革がもたらされた。
 過去、なかなかこの人はテレビに出ない、といわれた人々が一斉にテレビに出始めていることだ。フォーク、ニューミュージック系のアーティストたちが、まるで横の連絡でも取りあったがごとく、一斉に軽いフットワークでテレビに登場、トークや司会をこなしている。歌を歌いに来ているのではないのだ。しかし一方、「歌うため」にゲストとしてやってくる人もいるが、前者のアーティスト(トークでレギュラー)にくらべ後者のアーティスト(歌いに来たゲスト)は、「テレビ色に染まってない様子が浮いてしまう」という事態を招いている。それだけ、腹をくくってよそからやって来た吉田拓郎や谷村新司は、テレビでレギュラーを持つなら、「テレビの人」にならなければならない、という意志を全身から発している。
 「テレビの人」は、常にテレビに出続けていなければダメで、それは「あの野沢直子も、ブランクを置いてテレビに出ると見ていられなかった」という事実でも明らかだ。
 今、テレビの中のヒエラルキーは、現時点での「テレビの人度数」によって決められているようなもので、これはタレントにもスタッフにも共通して言えることで、もちろん視聴者にもこれはあてはまる。
  テレビをあまり見ない「テレビの人度数」の低い人がテレビ批評をしてみても、あたかもそれは、「ロックを聴かない人のロック批評」みたいなことになってしまう。そんなロック批評を載せる音楽雑誌はないわけだが、活字メディアでの「テレビにまつわる文章」は減るどころか増加の傾向にさえある。
 メディア間の仲の悪さを見せることは、世代間の仲の悪さ、男女間の仲の悪さが、真剣に取り扱うとシャレになんないレベルに来てることの目くらましなのだろうか? (高橋洋二)
WEB 


[て-024]
テレビ東京の深夜アニメ
てれびとうきょうのしんやあにめ
 『新世紀エヴァンゲリオン』の再放送が高視聴率をマークし、それに気をよくしたテレビ東京では、96年秋より新作アニメを深夜に多数投入。同年秋の番組改編でも、『エルフを狩るモノたちU』など、新作4本がスタートしている。視聴率が悪くとも、ビデオやサントラCDで採算の取れるシステムが確立されているアニメ界と、視聴率を取りたいテレビ東京とが手を組むことによって起きた奇跡と言える。深夜にアニメを放送するのは前例がなかったわけではなく、フジテレビが24時間の放送体制を開始した87年の『レモンエンジェル』(桜井智のデビュー作として、もやは伝説的作品)をはじめ、『スーパーヅガン』(フジ)、『行け!稲中卓球部』(TBS、97年秋復活)などがある。ただしこれらの作品は内容的な問題で、深夜でなくては放送できなかったのだろうが、現在のテレ東の深夜アニメは、そのまま夕方に移してもほとんど問題ないというのが特徴(OVAを深夜に放送してるだけとも言えるのだが)。97年秋からは日本テレビ、テレビ朝日、毎日放送も、この時間帯に新作アニメをぶつける。コアなアニメ・ファンはそれでなくとも声優ラジオで忙しいこの時間帯、彼らがちゃんとした社会生活を営んでいけるのか、ちょっと心配。
WEB 


[て-025]
TV Bros.
tv bros.
 87年に創刊された東京ニュース通信社が隔週刊で発行するテレビ>番組情報誌。創刊時にアドバイザーとしていとうせいこうと泉麻人を起用し、テレビ雑誌でありながら大きくサブカル系に偏った特集と150円(創刊当時)という低価格で、一人暮らしの大学生などのハートをキャッチした。この二人が担当した「コンビニエンス物語」は初期ブロスの名物企画。ほかにも堀井憲一郎のライフワークであるテレビに関する事象をなんでもカウントし統計化して話題を呼んだ「かぞえりゃほこりのでるTV」や、テレビ局やタレント事務所からのクレームが相次いだという、現在でも大人気のコーナー「ブロス探偵団」は、連載初期にナンシー関がメインライターとして活躍。テレビ鑑賞家としての彼女に焦点を当てるきっかけとなった。ここ数年はテクノをはじめとしたクラブミュージックや映画に関する情報も専門誌並の濃さで、来日した大物DJやミュージシャン、俳優などへのインタビューなど、それら目当てで購入する人も決して少なくないだろう。歴代の執筆者も、竹内義和、高橋洋二、川勝正幸、桜沢エリカ、岡崎京子、カーツ佐藤、高城剛、石丸元章、いであつし、石野卓球、山田五郎、デッツ松田、椎名基樹、天久聖一、スチャダラパー、鶴見済、柳下毅一郎、しりあがり寿、小山田圭吾(コーネリアス)、トータス松本、爆笑問題、岡田斗司夫、川崎和哉、町山智浩など。時代や顔ぶれは変わっても人選は限りなく一貫している。またブロスでの連載からブレイクして、一般レベルでの注目を集めるケースも多いのではないだろうか。
WEB TVBROSホームページ
http://www.path.or.jp/~tvbros/


[て-026]
テレンス・マッケナ(1946年生)
terence mckenna
 「ネオ・サイケデリック・グル」「精神世界の宇宙飛行士」と呼ばれる民族植物学研究家、サイケデリックスの思想家。カリフォルニア大学バークレー校で生態学、資源保護、シャーマニズムを専攻し、その後、変性意識と民俗薬理学の研究に携わる。60年代からアジアや南米を幅広く旅行したが、とくに71年、アマゾン川流域のシャーマニズムと幻覚性植物を探る旅での体験は後の彼の人生を決定づけることになる。70年代中期、マッケナは幻覚誘発性のキノコ(シロシベ・クベンシス)の家庭栽培技術を確立し、そのマニュアルを匿名で出版した。これによって自然界のナチュラルな幻覚剤ともいうべきマジック・マッシュルームの入手が誰にでも可能になり、アメリカではその栽培が一気に広まっていった。このことは、ティモシー・リアリーらのLSDによるサイケデリック革命が、LSDの非合法化によって圧殺され、後退していった70年代の局面を転換させる契機になったといえよう。マジック・マッシュルームによるサイケデリック体験は、アメリカ、ヨーロッパの精神文化・音楽・アートの深部に多大な影響を与え続けている。さらに90年代レイヴシーンの中でのマッケナの表現活動は“テクノ・シャーマン”とも評され、注目を集めている。
 邦訳著書は『神々の糧』小山田義文・中村功訳、『幻覚世界の真実』東堂健訳、(ともに第三書館)。
WEB 


[て-027]
電気グルーヴ
でんきぐるーう゛
 石野卓球、ピエール瀧、まりん(砂原良徳)の3人による音楽ユニットで、我が国のテクノ普及に於ける最大の功労者。中心人物である石野は前身グループである「人生」が音楽的にテクノ・ポップの域を出なかったことを反省し、89年に電気グルーヴを結成(砂原加入以前のメンバーは石野、瀧、CMJK)。91年にキューン・ソニーと契約、英マンチェスター録音のアルバム『フラッシュ・パパ』でメジャー・デビューを果たした。93年のアルバム『ビタミン』発表以降は自らを「テクノ専門学校」と呼び、それまでのテクノの文脈を覆えした。メンバー個々の活動も盛んで、石野はDJ、瀧は俳優、砂原はプロデューサーとしても高い評価を得ている。極めて質の高い音楽を提供する一方で、背景に特殊漫画家の根本敬の影響も依然として濃いままなところが素晴しすぎる。97年発表のアルバム『A』から「シャングリラ」が大ヒットとなったが、この状況すらもシニカルなギャグでないかと思わせるバランス感覚は、現在の日本ではあまりにも希有な存在といえよう。
WEB 電気グルーヴ合衆国
http://sme.sonymusic.co.jp/denki/index2.html


[て-028]
電子出版
でんししゅっぱん
 紙とインクによってではなく、CRTや液晶画面と電子情報による出版物。ワープロやパソコンが普及しはじめて、まず現れたのがフロッピーによる自費出版物だった。印刷や製本の手間がかからないだけでなく、ディスクをコピーするだけで簡単に増刷できる。ボイジャーのエキスパンド・ブックは、その本作りをより簡単に見栄えよくすすめるシステムである。その後、インターネットの普及によって、自費出版路線はホームページにとってかわられた。悲惨だったのがNECのデジタル・ブック。液晶画面を持った文庫本程度の大きさの端末に、ディスクを挿入して読む。伊達公子をCMに起用するなど、それなりに販売努力をしたが、ほとんど普及しなかった。現在、電子出版の主流はCD-ROM。話題になったのは五味彬の写真集『YELLOWS』だが、その後、現在に至るまで写真集で成功したCD-ROM写真集は出ていない。現在のところ電子出版で唯一成功しているのが辞書・リファレンス系のCD-ROMだ。なかでもソニーのデータ・ディスクマンは大成功と言えるだろう。重くてかさばる書籍版よりも、データ・ディスクマン版『広辞苑』のほうがはるかに使いやすい。マイクロソフトの『エンカルタ』、日立デジタル平凡社の『マイペディア』など、電子辞書はタイトルを徐々に増やしている。書店のなかでも、店舗の特徴づくりのために、専門の売場を設けるところが出現している。
WEB Consumer Products:Data Discman-INDEX
http://www.sony.co.jp/ProductsPark/Consumer/DD/index.html


[て-029]
電磁波
でんじは
 現代の科学技術への不安を象徴する、不可視の存在。日本では90年代半ば、携帯電話機の普及と同時に、「携帯電話を使うと脳腫瘍になる」などの噂が急激に広まった。電磁波といっても幅広いが、主に問題にされるのは、携帯電話のマイクロ波と、高圧送電線周辺の電磁界である。79年にアメリカの学者が、高圧送電線近くに住む子供には小児ガンの発生率が高いというという論文を発表して以来、電磁界の健康への影響が研究されるようになった。これまでのところ、疫学的な調査では有意とみられる結果もあるが、実験的にはその因果関係は確認されていない。最近では、影響を否定する実験結果も発表されているが、いったん不安にかられた人々はそれを電力会社、電話会社による陰謀ととらえがちで、まだ恐怖感は拭われていない。むしろこの程度に有害だと発表されない限り、不安は消えないのかもしれない。身近に蔓延していながら、目には見えず、理解し難い電磁波は、放射線障害のイメージを連想させて、いっそう恐ろしい。あらゆる家電製品に向けて不安感が拡大している面さえある。有害電磁波を「中和する」などと称する怪しい商品も多く売られている。電磁波の影響について科学が最終的にどんな結論を出すかは未明だが、現在の電磁波恐怖は、フォークロアとしての研究対象にもなりそうである。
WEB Electromagnetsm Wave
http://www.myshop.co.jp/advantage/emwave.htm
WEB 5. electromagnetic wave
http://www2a.meshnet.or.jp/~hamamura/chap5/chap5.html


[て-030]
天童荒太(1960年生)
てんどう・あらた
 コミュニケーション不全時代の都市生活者と家族の問題を描くサイコホラー作家。デビューは本名の栗田教行で書いた『白の家族』(角川書店)。この作品は87年、第13回野性時代新人文学賞を受賞。しかし、その後は文筆活動を休止して、映画『ZIPANG』『アジアンビート』などの原作・脚本を手掛ける。ちなみに彼は明大文学部演劇学科の出身である。93年、天童荒太の名で日本推理サスペンス大賞に応募、グランプリを獲得する。受賞作『孤独の歌声』は、連続猟奇殺人事件を題材にしたサイコホラー。“よい家族”に恵まれなかった犯人が、理想的家族を作ろうと誘拐・監禁・虐待の挙げ句に殺人と死体遺棄を繰り返す。事件を追う女刑事、奇妙な形で事件に関わるミュージシャンの卵、そして犯人のそれぞれの視点が次々と入れ替わる。都市生活者の“孤独”がテーマだ。天童の評価を決定的にしたのは、95年に発表された『家族狩り』(新潮社)。描かれるのは都会の住宅街で起きた一家惨殺事件である。一家心中か、それとも殺人事件か、という謎を解いていきながら、幼児虐待・家庭内暴力・崩壊する家族・崩壊する学校など、都市と家族を巡る問題が562ページの長編のなかで次々と顔を出す。しかも、殺人現場の視覚的グロテスクさは前作をしのぐ迫力である。『家族狩り』は96年、第9回山本周五郎賞を受賞した。その後に起きた諸々の事件は、優れたフィクションは現実を先取りするということを実証してみせた。
WEB Ehime人物図鑑「天童荒太」・前文
http://www.ehime-np.co.jp/zassi/tokushu/np-tokushu-9605-04.html


[て-031]
電脳戦機バーチャロン
でんのうせんきう゛ぁーちゃろん
 セガエンタープライゼスAM3研製作のアーケード用3Dロボット対戦シューティング。ビデオゲームにおいて長い間鬼門とされていたロボット物に意欲的に挑戦し、成功した数少ない作品。メカニカルデザインにカトキハジメを起用した他、アニメロボットなるものに対して自覚的な開発スタッフのリファイン的センスが、潜在的なアニメロボット支持者の心を掴み、同時にロボットというフィクションを扱いながらも単なるシミュレーターにするのではなくゲームとして上手に昇華させたことが功を奏し、リリースから2年が経ついまもなお、人気のロングヒット作となっている。
 開発者のヒーロー化はゲーム誌の基本行動だが、その例に洩れることなく『バーチャロン』開発スタッフも、ゲーム専門誌『セガサターンマガジン』でコーナーを連載するなど積極的に登場。昨年からはドラマCDやガレージキットなどメディアミックス展開も開始している。これらのキャラクター商品などを含めた『バーチャロン』の市場的数値は決して悪くないが、突出したパワーを生み出せずにいるのも事実。96年冬にはセガサターンへの移植版が発売されたが、その後家庭用ゲーム機通信対戦用モデム「X-BAND」対応版が発売、一部のファンからは「最初から出して欲しかった」と非難の声が上がるも「X-BAND」での通信対戦は「X-BAND」自体の寿命を延ばすのに一役買うほどの盛り上がりを見せる。97年夏に行われた第35回JAMMAショウで、待望の続編『電脳戦機バーチャロン/オラトリオ・タングラム』が公開。その注目度の高さは、国内のアニメロボット好き人口の多さを物語っている。
WEB 


[て-032]
電波系
でんぱけい
 特殊漫画家・根本敬と共著で『電波系』(太田出版)を書いた、工員兼鬼畜ライターの村崎百郎のテキストによると、「意識のある間は絶え間なく、さまざまな音や声やビジョンを頭の中で直接受け取り続けている」精神障害者。このように勝手に頭の中に入ってくる余計なメッセージに翻弄され、自我が崩壊する危険にさいなまれた人々の「表現」は、90年代中盤から悪趣味雑誌を中心に続々紹介された。中目黒にあった電波喫茶では、店の戸にクラクラするような意味不明のフレーズ「とりこじかけ(虜仕掛け)」などが書き散らかされており、それを根本が雑誌で紹介したことにより、このタームはにわかに関心を集めた。電気グルーヴ石野卓球は、根本をレスペクトしているために、自作の曲『虹』のリフレイン・フレーズに「とりこじかけ」を採用したといわれている。
 テクノパーティー電波系に通底しているのは、閉塞した現実に対するリアクションであるという点だろう。学校や社会、メディアで当たり前のように享受される「真空パッケージされた平和や幸福」に対する欺瞞を未消化のまま「表現」したものが電波系のものだとするなら、村崎が電波系ライターであると同時に鬼畜系ライターとして動物虐待の勧めから自身の強姦、下着泥棒、せんずり体験の告白まで悪業の限りを書いて、一部に熱狂的に支持されているのもうなずけないだろうか。
WEB 


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