[さ-001]
サイエントロジー
scientology
 SF作家ロン・ハバードが創設したカルト教団。ハバードは、50年、SF雑誌『アスタンディング・サイエンス・フィクション』に、「ダイアネティクス」を連載。人間の細胞は個々に独立した記憶体であり、過去の衝撃や恐怖などを保存している。その細胞内の記憶は「エングラム」と呼ばれるが、これを消去し、「クリア」なレベルに到達するための技術が、ダイアネティクスである。反響は大きく、単行本はベストセラーとなり、アメリカ全土にこの一種の心理療法的健康法を行う素人治療家が続出。ハバードは、52年、このダイアネティクス運動を組織化し、宇宙進化論的要素を加えて、サイエントロジーを創設した。前世に遡って「クリア」することで、テタンという太古の不滅の魂、人類の元来の姿である天人的本質が活動を始めるという、宇宙的なスケールの「本当の自分探し」を目標にする宗教団体である。
 簡単な嘘発見器「Eメーター」で「エングラム」を測定し、その浄化のためにセミナーを受けるのだが、「クリア」に至り、また「テタンの活動」に至るまでには数々のレベルが設定されている。レベルごとに高価になる受講料のシステムや、オルグ活動の巧妙さ、厳しい戒律の元での団体生活が狂気じみてみえることなどから、批判は多かったが、訴訟で対抗し、また大企業のようなシステム化を進めて、巨大なカルト組織に成長した。トム・クルーズ、ジョン・トラボルタ、ジュリエット・ルイスなど、有名人の信者も多い。
WEB 


[さ-002]
斎藤学(1941年生)
さいとう・さとる
 アダルト・チルドレン概念の第一人者として知られる精神科医。東京生まれ。慶応大学医学部卒業後、アルコール依存症治療で先駆的役割を果たした国立久里浜病院に勤務。後に東京都精神医学総合研究所に移る。この頃、研究の仕事とは別に幼児虐待をする母親のための電話相談を始め、原宿に個人相談室を開設。アダルト・チルドレン用語をポピュラーにし、多くの「患者」たちが訪れる斎藤学診療所と家族機能研究所の開設は95年。その一方で旺盛な著作活動に励み、著作はベストセラーを誇る。事件などが起こるたびにメディアからコメントを求められることも多いが、その問題意識は日本家族のありかたへの批判に貫かれている。「機能不全」と定義する問題ある家族は日本の家庭の8割を占めるとさえ言う。斎藤の著作は、まず、家庭や子供時代のトラウマからすべてが発するという「テーゼ」があり、それに沿った「症例」が多く集められていると読むこともできる。
 斎藤の功績は、アダルト・チルドレン概念を日本流に翻訳し、誰にでも思い当たるものとして仕立てたところにある。またフェミニズムの足跡や用語、スピリチュアルな思想などが「治療」の場に活かされており、70年代カルチャーの商品化という意味でも興味深い。だが斎藤は、精神医学界から好意的に受け入れられているわけではない。彼は医学界において孤立しているが「患者の悩みに具体的に答えているのは私だ。他の医者は何もしていない」とはねかえす。「生きにくい」という漠然とした思いを「心の病い」にしたところで何の解決をもたらすのかは、疑問ではあるが。
WEB 著者紹介 斎藤 学
http://www.mentalclinic.com/book/saito/shokai.htm
WEB アダルトチルドレン
http://www.mentalclinic.com/ac/indexac.htm


[さ-003]
再販制撤廃
さいはんせいてっぱい
 出版界・新聞界を激震させる流通大革命。本来、商品の値段は売手と買手の双方の合意によって決められる。製造業者などが末端価格まで支配・決定すること(再販売価格の維持)は、独占禁止法で禁じられている。ところが戦後、新聞や書籍・雑誌、レコード、化粧品などは、例外的なものとして許されてきた。その制度が再販制である。しかし、規制緩和の流れのなかで、この再販制を存続させるか否かが大問題になっている。再販制撤廃は零細な新聞社や出版社・小売店をますます苦境に追い込み、小部数の出版物が作れなくなる、というのが撤廃反対派の意見。再販制の現状は自由な競争を妨げているだけでなく、極端な寡占化によって小規模・小部数の出版物が圧殺されているというのが撤廃賛成派の意見。欧米諸国でもアメリカは以前から非再販、イギリスも最近、再販制を事実上撤廃した。「再販撤廃は文化の危機」と煽る撤廃反対派に対し、「アメリカやイギリスに文化はないのか」と賛成派は皮肉る。ドイツ、フランスにも再販制はあるが、日本に比べるとディスカウントした商品を売る第二市場の規模が大きく、割引セール的な商品もはるかに多い。いま日本では、撤廃賛成派の発言が活字メディアから占め出されているというのが現状で、フェアな論議がつくされている状態とはとてもいえない。制度撤廃の成否如何によっては、21世紀のメディア業界地図は大きく塗り替えられることになるだろう。
WEB 業界情報
http://www.ehime-iinet.or.jp/co/himebook/info/info.htm


[さ-004]
サウンドシステム
sound system
 スピーカーとアンプ、DJブース(ミキサー、ターンテーブルetc.)などを含めた音楽の再生装置のこと。レイヴ・パーティーで使われるサウンドシステムは、コンサートやスタジオなどで使われているPAやオーディオ装置とは区別されるし、音的にも全く別のものである。それは音楽を「聴く」ものではなく、「ダンスする」もしくは「音で遊ぶ」ための装置で、デジタル楽器で作られたダンス・ミュージック・ソースを、もっとも効率よく再生する目的で組まれたシステムでもある。サウンドシステムの原型の一つはジャマイカのレゲエにあって、海岸に自作のスピーカーを積み上げてパーティーをするスタイルが、アメリカやイギリスのストリートやクラブに伝わり、ラガやジャングル、ヒップ・ホップという音楽や、レイヴ・パーティーの出現によって「自分たちのサウンドシステムを持つ」というDIY(Do it yourself)的な考え方が一般化していった。そういう立場から見ると、サウンドシステムは自分たちが出したい音を最大限に再生できるべく改良、自作されるものだし、パーティーの参加者たちやグループ、シーンなどによって共有されるような性質のものでもある。日本にもDesert Stormなどの強力なオリジナル・サウンド・システムがある。
WEB from PHYTHM FREAKS
http://www.avexnet.or.jp/noise/party/rhythmfreaks/index.htm


[さ-005]
阪本順治(1958年生)
さかもと・じゅんじ
 90年代邦画娯楽映画の旗手。82年石井聰互監督の『爆烈都市』の美術監督として映画界入りした。川島透監督の『竜二』などのフリー助監督ののち、89年荒戸源次郎製作の『どついたるねん』でテビュー。赤井英和演じるボクサーの復活を人情豊かに描くこの作品で、いきなりその年の映画賞を総ナメ授賞して注目を浴びる。続いて大和武士扮するボクサーが鉄の拳をつけて復活する荒唐無稽な『鉄〈TEKKEN〉拳』、再び赤井英和を主演に、今度は将棋をテーマの『王手』、続いて大和武士と佐藤浩市の組み合わせて男と男の対決が話題になった『トカレフ』は賛否両論を呼んだ。続いて元ボクシング世界チャンピオン辰吉丈一郎の現実の復活までの軌跡と、彼を応援するファンたちのフィクション・ドラマをドッキングさせた『BOXER JOE』、大阪通天閣の神様“ビリケンさん”が開発計画に伴う取り壊しを阻止する『ビリケン』、そして70年代に萩原健一と水谷豊のコンビで大ヒットしたTVドラマを、映画版として豊川悦史と真木蔵人のコンビで復活させた『傷だらけの天使』まで、コンスタントにほぼ1年1作のペースで作品を発表。デビュー以来完成よりは突飛とも思えるアイディアや破綻を求めるような展開と、人情味豊かなキャラクター造形が持ち味。
WEB 


[さ-006]
サザエボン
さざえぼん
 『天才バカボン』のパパの顔と『サザエさん』のヘアスタイルを併せ持つリミックス・キャラクター。キーホルダー、バッジ、Tシャツなどグッズが人気を呼び、携帯電話やたまごっちと並び必携アイテムと称された。これに見かねた原作者の赤塚不二夫、長谷川町子美術館、手塚プロダクションがサザエボンと、サザエボンの同類商品「鉄腕波平」「波平アトム」の販売差し止めを求める訴えを起こす。東京地裁はこれを受け、サザエボン最大手販売元「大成」(福岡県春日市)に対し、販売など差し止める仮処分決定をした(ちなみに決定以前に販売は終了していた)。
 サザエボンの生みの親はダウンタウンの松本人志。関西ローカルの人気番組「4時ですよ〜だ」(87年〜、毎日放送)の大喜利コーナーの中で、解答フリップに描かれたものだった。これを偶然、大阪は阪急・十三駅前で駄玩具の露店「TOY魔人」を開いていた津川英司さんの娘さんが見ており即スケッチ。このスケッチを元に在庫のプラスチック製サザエさん人形の頭をカッターで切り、バカボンパパの頭に移植。サザエボン人形が誕生した。ハンドメイド・サザエボンを冗談で店頭に並べたところまたたくく間に売り切れ、噂は駅前から全国に広がる。そして、そもそも類似品だったサザエボンの類似品が大量に出回ることになり、アンテナ・ショップまでできる始末。音楽でいうリミックスとブートレグの境界スレスレを生きたスリリングなキャラクターのサザエボンだったが、先述の判決となった。サザエボンはアメリカの「ポパイ版権消滅騒ぎ」とともに“キャラクターの著作権とは何か”をお茶の間に突きつけた。
WEB サザエボン
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/youhei/sazaeb.html


[さ-007]
笹野みちる(1967年生)
ささの・みちる
 著書『Coming OUT!』(幻冬舎)で自らレズビアン宣言することによって、日本における「レズビアン=佐良直美」のスキャンダラスなイメージを払拭した、勇気ある女性アーティスト。国会議員の母と高校教師の父の間に生まれた一人娘である彼女は、中学3年生の時に音楽に目覚め、バンド活動を開始。同志社大学在学中にレコード会社からスカウトされて、88年にバンド「東京少年」としてデビューする。『Shy Shy Japanese』『陽のあたる坂道で』等のヒットを飛ばすが、男社会の音楽ビジネスに馴染めず、3年間で解散。地元京都に戻って、“自分探し”の途中、92年に出版された『「レズビアン」である、ということ』(掛札悠子著/河出書房新社)と運命的な出会いをする。レズビアンであることを自覚するとともに、「セクシュアリティを自然に折り込んだ歌をうたいたい」と、93年にソロとして再デビュー。しかし、周囲の意向によって、カミングアウトはできなかった。95年、歌いたいことを見失いつつあった笹野は、掛札悠子のサポートによって『Coming OUT!』を出版。メジャーシーンの女性アーティストとしては日本で初めてのカミングアウトを果たした。著書はセクシュアリティやジェンダーに悩む女性たちの支持を受け、ラジオや雑誌など、活動の幅を広げる結果となった。現在は京都在住のシンガーとして、より自分らしい表現形態を模索中である。
WEB 笹野みちる
http://kuchem.kyoto-u.ac.jp/www/hikari/kitahama/sasano/sasano.html


[さ-008]
札幌
さっぽろ
 日本で2番目にセクシュアル・マイノリティためのプライド・マーチを実現させたゲイ・パワー溢れる街であり、多くのゲイ・アクティヴィストを生み出した地。「札幌ミーティング(現在は、HSA)」というゲイ・リブ団体があり、彼らは東京に引き続き、96年に300人もの参加者を集めた「レズ・ビ・ゲイ・プライド・マーチ」の実現という快挙をなし遂げたほか、エイズ関連やマスコミのゲイ差別への抗議など活発な活動を続けている。札幌は日本で2番目に元気なゲイタウンなのだ(一番はやっぱり東京!?)。地方であればあるほどゲイは生きにくいのが実際なのだが、何故、札幌なのだろうか?
 オーストラリアには「マルディグラ」と呼ばれる、毎年50〜60万人もの人出で賑わう世界最大のゲイのお祭り(メインは華やかなゲイパレード)があり、シドニーはゲイが経済的にも政治的にも力を持つ、世界でも屈指のゲイタウンだ。オーストラリアは入植者により作られた国であり、歴史も浅い、広大な土地を持つが産業は牧畜と観光ぐらいしかない……なんだか北海道と似ているようだ! 札幌のパレードがいずれは「マルディグラ」のように大きくなることを期待して、これからは北海道を「日本のオーストラリア」と呼ばせてもらおう。
WEB レズビゲイ・プライド・マーチ
http://www.eskimo.com/~hibino/special/1stLesBiGay/


[さ-009]
佐内正文(1968年生)
さない・まさふみ
 95年にキヤノン写真新世紀・優秀賞を受賞。以後、雑誌、CDジャケット等で活躍し、97年、初の写真集『生きている』(マッチ・アンド・カンパニー)を発表後、とくに注目を集めるようになる。写されているのは、佐内の生活圏内を思わせるミニマルな日常の光景ばかり。家の階段や、車、植木、犬、空などが、どこか茫洋としたカラープリントの世界に息づいている。
 90年代になって、日本の若い写真家の多くがラボに頼らず自分でカラープリントを焼くようになった。これは安価なシステムが市場に出回ったことと、70年代後半〜80年代半ばにアメリカの大きな写真思潮であった「ニュー・カラー」の影響が大きかったわけだが、佐内のカラーに関していえば、この文脈はあてはまらない。佐内はコンセプトを立てるよりも、まったく自分の目、直感に忠実な写真家である。それがニュー・カラーに近いスタイルと交錯し独自の表現となっているように思える。他の作品集に『カミヲトコ』(CD-ROMインナーブレイン)、代表的な仕事に、中村和義の全CDジャケット。
WEB 


[さ-010]
サブ(1964年生)
さぶ
 走り続けることにこだわる俳優=監督。銀行強盗、ヤクザ、ジャンキーの3人がひたすら走り続ける『弾丸ランナー』(96年)で注目された。“走る”とはラオール・ウォルシュの『遠い太鼓』やハワード・ホークスの『特急二十世紀』のようにもっとも映画的な要素だが、またそれだけにもっとも自主映画で用いられるイメージでもあり、それにこだわり続けるさぶはもっとも原始的な題材を扱ったために逆に新鮮に写ったといういい例だろう。一方根岸吉太郎監督『永遠の1/2』、大友克洋監督『ワールド・アパートメント・ホラー』などに出演した俳優としての肉体性に訴える、超シンプルな方法を取っているとも言える。『弾丸ランナー』はヨコハマ映画祭新人監督賞を授賞、97年ベルリン映画祭にも出品されている。第2作目は『ポストマン・ブルース』で、やはり郵便配達、殺し屋、ヤクザの3人が自転車で走りまくる。
WEB 


[さ-011]
サプリメント
supplement
 ビタミンやミネラルなど、日頃不足しがちな栄養素を目的別に補給するための健康食品。アメリカの日常では欠かせないアイテムであり、市場は巨大である。一般的には錠剤タイプがほとんどで薬品イメージが強い。日本では厚生省のビタミン剤規制緩和を受け、93年、大塚製薬がアメリカのサプリメント大手メーカーであるファーマバイト社の「ネイチャーメイド」を輸入販売したことを皮切りに、食品メーカーや医薬品メーカーが続々とこの市場に参入してきた。
 そして「サプリメント」という言葉を日本に根付かせたのが95年に発売された武田食品の「ベタープラス・サプリメント」であろう。この商品は、アメリカの瓶入りで水で服用するという医薬品のようなサプリメントに対して、日本型のサプリメントを初めて提唱したものだった。薬ではなく、お菓子にきわめて近い食品といったイメージで、噛んでもおいしく、携帯に便利なケース入りといったソフトな路線は、20代〜30代の女性に広く受け入れられたようだ。大塚寧々を起用したCMも「サプリメント」という耳慣れぬ言葉を定着させることに効果的であった。また種類の少なさも(発売当初5品目、現在7品目)、日本人のビタミンやミネラルに対する知識の乏しさに対応したものであった。以後、ドリンクタイプのものやゼリー状のものなど様々なタイプが市場に出回り、この国のサプリメントは独特のやや風変わりな発展をとげている。
WEB ビタミンのお勉強
http://www2f.meshnet.or.jp/~misawa/terma/sapuri/lesson.html


[さ-012]
サマタマサト(1959年生)
さまた・まさと
 音楽とビジュアルをコアにした4人組のマルチメディアバンド・デラウェアの中心メンバーで、作詞・作曲からデザインやアートディレクションまで総合的な編集作業すべてに関わるマルチクリエイター。その手法的な特徴は、切なくなるほどミニマルな形象と色彩に純化された抽象的なグラフィックと、ポップな感覚にあふれるストレートなメッセージの融合といえるだろう。それは彼が影響を受けたという50年代のロックンロールと60年代のポップアートやビートルズ、70年代のクラフトワークとラモーンズなどのもつさまざまな感性や価値観が、20世紀末の東京で結合することによって生まれた第三の感性と呼ぶにふさわしい。
 80年代に音楽雑誌の編集者として活躍した後、90年代からデジタル編集に着手。松本弦人と共にフロッピー・マガジン『APE』と『MOP』を刊行。電子版ファミリーアルバム『ALBUM FAMILY』の制作を経て93年にデラウェアを結成し、8センチCDとブックレットとテキストペーパーをパッケージした『DELAWARE Vol.1』を発表。以後デラウェアはメンバーの変更を経ながら、シングルCD-ROM『PERFECT DAY』『WASABII』、バッファロー・ドーターとのカップリングによる音楽CD『ジャングルパーク・オリジナルサウンドトラック』をリリース。他にも立花ハジメとのコラボレーションによるTVCF制作、フリーペーパー『Surfin' USSR』の発行、音楽CD+CD-Extra『Surfin' USSR』など、デラウェアの活動においてはさまざまな表現メディアが自在に取捨選択されている。
WEB SHIFT
http://www.iacnet.or.jp/shift/005/jp/artj.html


[さ-013]
サンプリング
sampling
 音の標本化。サンプラーという機材を用いて自然音、楽器音、人声を採り入れ、その音でメロディやリズムを演奏する。ヒップ・ホップ界では、とくに著作権の問題をどうクリアするかが大きな課題である。大胆に使用する場合はカヴァー曲として申請するパターンもあるが、原点に立ち返れば、過去の楽曲に敬意を表してのサンプリングだったわけで、サンプル・ネタにされたおかげで息を吹き返すアーティストも少なくない。
WEB 


[さ-014]
さんまのスーパーからくりTV
さんまのすーぱーからくりてれび
 TBS系列で毎週日曜夜7時より放送されている人気バラエティ。雑談の帝王・明石家さんまが司会を務める、涙あり、笑いありのまさにゴールデンの保守的な視聴者層にアピールする王道のつくりで、今や局の看板番組の一つである−というのが一般的な認識であろう。そして、今だに「モンティ・パイソンみたいな笑いを追求」するシニカルなお笑い好きにはもっとも唾棄すべき対象かもしれない。だからいつまでたってもダメなんだよお前らは(・渋谷陽一)。
 「会話はキャッチ・ボール」と言うさんま師匠の至言が、まんま番組になっている奇跡を見よ。必ず大喜利でいうところの「お題」として機能し、笑いの寸止めで処理されている各コーナーのVTR。そして、マイクロフォンマスター・さんまを中心に繰り広げられる解答者ラツパー達の日本一激しいボケ合戦。一度マイクを奪われたら二度とは回ってこない。まさにお笑いのフリースタイル・バトルがここにはある。
WEB 


inserted by FC2 system