[お-001]
大川興業
おおかわこうぎょう
 現在、テレビなどで活躍中のお笑いタレント、江頭2:50、松本ハウスらが所属するお笑い集団、およびプロダクションの名称。主宰者は社長でもある大川豊総裁。83年、当時まだ明治大学の学生だった大川を中心に結成。153社の就職試験に落ちた大川は、85年に自ら大川興業株式会社を設立し、154社目にして自分で自分に内定を出す。その後、お笑い系プロダクションの太田プロに所属。“ドンとなった花火がきれいだな〜”の歌と踊りで一躍人気者となり、テレビなどで活躍する一方で、自ら「田中角栄邸お見舞い事件」などの事件を起こして笑いをとっていた。
 88年頃から活動の場を舞台へと移行しはじめた彼らは、テレビ出演と月給100万円という高待遇を捨て、89年に太田プロから独立。 本格的なお笑い系劇団として芝居の本公演やライブを中心に活動を続け、徐々に動員数を伸ばしていく。これまでに、芝居では22本の本公演を上演。その他にも日本青年館や中野サンプラザを満員にしたコンサートや、若手芸人育成の定期ライブ「すっとこどっこい」の開催、株主総会ライブなどの仕掛けを精力的に展開してきた。
 ここ数年は集団としての大川興業よりも、個々の活躍がとくに目立ってきている。大川自身、自らの借金地獄をネタにした『金なら返せん!』(ぴあ)をはじめ、10本近い連載を抱える売れっ子作家であるし、「浅草橋ヤング洋品店」での“水中息止め4分14秒”や、トルコ共和国での“全裸パフォーマンス事件”で、日本のみならず世界中にその名をとどろかせた江頭2:50、「ボキャブラ天国」で人気の松本ハウス、「関口宏のフレンドパークU」に出演するフランキー為谷など、構成員のテレビのレギュラー出演も少なくない。
 彼らの面白さの真髄は、なんといっても演出家・大川豊が作り上げる強烈な演劇空間にある。パソコン通信やストーカーといった現代のキーワードをいち早くキャッチし、芝居の中に取り入れ、笑いへと転化していくそのセンスが、マニアからギャルまで幅広いお笑いファンの心を惹きつけるのだ。そしてもう一つ、特筆すべきは大川のカリスマ的とさえ言える求心力だ。構成員のピグモン勝田の事故死などつらい時期も乗り越えて、今や一芸能プロダクションとしても強力になりつつある大川興業。江頭2:45の動向も含めて、今後、ますます目の離せない集団である。
WEB 大川興業オフィシャルページ
http://www2s.biglobe.ne.jp/~ookawa-k/


[お-002]
大友克洋(1945年生)
おおとも・かつひろ
 マンガ家/映画監督/プロデューサー。73年にメリメの短編小説に材をとった『銃声』でマンガ家としてデビュー。以後、都市の若者の心象風景やライフスタイルを独自の緻密な線でニューシネマ的に切り取った短編を主に『週刊アクション』誌で発表していく。こうした初期のオフビートな作風は後に小説家、矢作俊彦と組んで送り出した傑作『気分はもう戦争』へと結実していくが、この時期の大友克洋はどちらかと言えばサブカル系のマニアックな若者たちから支持されるカルト作家であり、メインストリームのマンガやアニメのシーンとはほとんど無関係な存在だった。マンガ評論家などからはその圧倒的な画力で早くから注目されていたものの、総体的には「ちょっと風変わりな劇画作家」という認知をされていたに過ぎない。
 それが変化しはじめるのは第一次スター・ウォーズ・ブームに沸く79年、フランスのコミックス作家メビウスを発見、その影響からSFへの接近をハッキリ印象づけた未完の短編『Fire-ball』を発表してからである。後の代表作『アキラ』の原型ともなったこの作品の発表以後、80年代に入り『童夢』『APPLE PARADISE』(未完)など、はっきりとSF的な作品をその創作の路線の一つとして打ち出していく。82年初期の路線の延長にある16mm映画『じゆうを我等に』の公開後、メビウス的な高密度のビジュアルで描かれた『ブレードランナー』的未来世界の崩壊と再生を描く『アキラ』の連載を『ヤングマガジン』誌で開始、名実ともにカルトマンガ家という評価を覆えすことになる(84年『アキラ』で講談社漫画賞を受賞)。アニメへの接近は翌83年の角川アニメ『幻魔大戦』(原作・平井和正)のキャラクター・デザインに始まり、この時の経験からアニメ制作自体に興味を持った大友は、ビデオ用のアニメーション『ロボット・カーニバル』『迷宮物語』の制作に参加。88年には自ら監督して『アキラ』をアニメ映画として制作、公開時の国内での評価は賛否両論だったが、海外では圧倒的な評価を得て一躍カルトムービーと化した。88年のアメリカでの翻訳を皮切りに『アキラ』は世界各国で続々翻訳が刊行、大友は世界的なアーティストとして一名を馳せることとなる。
 大友克洋が日本のコミックス及びアニメのシーンで果たした役割は実はかなりわかりにくい。彼はコミックスにおいては絵そのものが表現であるようなコミックスの在り方をもっとも早く、もっともラジカルに提示してきた作家であり、アニメーションにおいても同様に「絵が動く」こと自体が表現の核であるような非常に先鋭的な作品を提示してきた。この姿勢は基本的に物語を欲する日本ののファンにはあまり理解されず、現在はむしろ海外で正当に評価されているかに見える。
WEB NODE246-TOKYO BACK BONE-VOL.01「拡張するジャパニメーション」
http://www.fpi.co.jp/smachine/node246.001/Welcome.j.html


[お-003]
大森克己(1963年生)
おおもり・かつみ
 日大芸術学部写真学科を中退後、スタジオエビスに勤務。88年よりフリーランスとなる。91年にフランスのバンド、Manoneguraと出会い、翌年の中南米ツアーに約半年間同行。この時に撮影された作品が、第9回キヤノン写真新世紀で、ロバート・フランクらに評価され一躍注目を集める。大森は作今、衰退しつつあるドキュメンタリー写真に独自の解釈で新風を吹き込んでいる。例えば、細かな断片的な写真を膨大に集積させる、得意のロードムービー的なプレゼンテーションは、コンサバで古く見えがちなドキュメンタリーを“今”の写真に蘇生させている。また、ファッションやエディトリアルの仕事ではドキュメンタリー的な眼差しを果敢に盛り込み、ロケーンョンを生かしたカジュアルな撮影で画面にライブ感を持たせ、常にフレッシュなイメージを生みだしている。その徹底して現実主義的なスタンスは、あらゆる被写体に対して一貫しており、大森の写真の魅力の核を作り出している。主に雑誌を中心に活動。作品集に、フィリピン、ロシア、ベトナムなど各国に赴いた写真を圧倒的なボリュームでバインドした『Very Spcial Love』(リトルモア)。
WEB 


[お-004]
岡崎京子(1963年生)
おかざき・きょうこ
 マンガ家。東京生まれ。学生時代から雑誌のイラストレーションやマンガで活躍。正式デビューは21歳の時の『セカンド・ヴァージン』(『週刊漫画アクション』)ということになっている。様々な雑誌に若者の性を主題にした、もしくは性を自由に享受する若者の姿を描いたショートストーリーを発表するが、何かこう、とっちらかった印象が残る作品が多かった(当時は女流エッチマンガ家と呼ばれていた)。まとまりを見せ出すのは『くちびるから散弾銃』(講談社・87年)、『ジオラマボーイ★パノラマガール』(88年)、『Pink』(ともにマガジンハウス・89年)といった連載作品からだ。とはいっても話が筋道立っていたわけではなく、ひたすら過剰なおしゃべりと倦怠と憂鬱にまみれた日常がゴロンと提出されるのは依然と変わらない。物語が長編化することで、登場人物の抱える空虚さや彼・彼女らの生きる時代の空気が明確に現れ出てきたため、かりそめに「まとまり」がついて見えたのだろう。『くちびるから散弾銃』の続編ながら、それに先行する時代(80年代前半)を描いた『東京ガールズブラボー』(宝島社)を90年に連載開始。これを転機に、以降死の匂い、タナトスへの接近を感じさせる作品を描き継いでゆく。『リバーズ・エッジ』(宝島社)『ヘルター・スケルター』(祥伝社『フィールヤング』掲載)、『チワワちゃん』(角川書店)などがそれである。これらに見られる煮詰められたような閉塞感の表現は確かに当代一流のものではあったが、「(エンターテインメントの)マンガでないところに行ってしまうのでは」という危惧をも抱かせた。
 彼女は96年5月19日、自宅付近を夫とともに散歩していたところ、酒気帯び運転の自動車に跳ねられて意識不明の重体に陥った。このニュースが流れると、入院先に少女ファンが殺到。祈りが通じたのか一命を取りとめ、リハビリ用の病院に転院して療養生活を続けている。ファンは一刻も早い心身の快復と、ゆっくりとしたマンガ界への復帰を祈願している。
WEB 岡崎京子
http://www.asahi-net.or.jp/~aq4j-hsn/okazaki_kyoko.html


[お-005]
沖縄
おきなわ
 95年の少女暴行事件が起きた際、橋本首相に「私たちは沖縄を忘れていました」と言われたときにはつっこみたくもなったが、たしかに沖縄という土地は本土の人々に時おり思い出されるところらしい。古くは72年、沖縄本土復帰前後は政治の季節にふさわしく沖縄返還が運動のスローガンとして赤旗に染め抜かれ、左翼運動の約束の地となった。しかし返還はしたものの沖縄の米軍基地は固定化され、軍用地のもたらす金は沖縄経済の大きな部分を占めるにいたったのである。
 東西冷戦後においても沖縄の基地は厳然とあり、基地全面撤去のスローガンは現実味をもって語られることもなくなった。それは本土でも安保見直しを誰も口にしなくなったのと同様である。しかし少女暴行事件が発生し「そういえば沖縄にはまだ基地があった」と日本中が思い出したのである。沖縄の地では十数年ぶりに「島ぐるみ闘争」という懐かしい言葉が復活し、大田知事の苦渋に満ちた顔を見るまでもなく、自らの置かれている状況を県民たちが自覚したのだろう。だが政治的な決着といえば、日本政府の巧妙なやり口がまさった。基地問題は沖縄内部でより複雑化したうえに最終的な判断は沖縄の手を離れることになった。戦後50年、沖縄自体基地なきあとのビジョンを明確に持てなかったこともその原因の一つだろう。
 時の流れは「基地問題」において大きな変化をもたらさなかったが、沖縄の文化という意味では歳月を感じる。70年代、沖縄の民謡が本土に紹介されたが、それは正直いって暗く重かった。日本語とはまったく異なる(ように聞こえる)沖縄の言葉で歌われる民謡は、当時の基地闘争の風景と重なって、本土では深刻な顔をして聴かれていた。しかし復帰後20年の92年前後の沖縄音楽ブームは、その曲調の明るさがストレートに受け入れられた。時代は沖縄イコール戦争、基地闘争を知らない世代になっていた。りんけんバンドなどは、その音楽性が日本人に「アジアの血」を思い起こさせたような気がする。日本人は失ったアジアらしさが沖縄に存在することに気づいたのだ。香港や台湾のアイドルたちが注目されたこの頃から、沖縄出身アイドルたちの人気の布石は打たれていたのだろう。
 その意味では「癒し」の場所としての沖縄ブームも同じである。古代の匂いを感じさせる沖縄の習俗や祭り、霊能者の姿が東京の雑誌に特集されるのはアジア的スピリチュアルを見せてくれるからだろう。また文学の世界でも沖縄は2年連続の芥川賞を生み出したが、これも平板化した日本のなかでは「物語」の生まれる土地としての憧れがあるのかもしれない。
 つまり沖縄とは、文化的な意味ではその独自性をもちあげ、政治的には日本の論理に組み入れてしまうという、人々の勝手な欲望を体現する土地なのである。
WEB 米兵3人による婦女暴行事件に抗議する
http://www.ryukyu.ne.jp/~koj/rape/index.html/
WEB 沖縄ページ
http://www.skydogsite.co.jp/webs/okinawa/okinawa.html


[お-006]
沖縄アクターズスクール
おきなわあくたーずすくーる
 安室奈美恵、Max、Speedらを輩出した沖縄のタレント養成所。いま未来のステージママたちの熱い視線を浴びているのは『劇団ひまわり』でも『劇団若草』でもなく、ここ沖縄アクターズスクールなのだそうだ。第二、第3のアムロを夢見てお子様ともども沖縄へやって来るくるママも少なくないとか(この場合パパは単身赴任というパターンらしい)。前出の3組の他、知念里奈、D&D、ジャニーズ対抗馬としての初の男性4人組Dapump、リード・ヴォーカリストはなんと9歳のFolderなど、この1〜2年で数々の恐るべき10代を送り出している。こういった才能が生まれてくる背景は、やはり沖縄の環境が重要なポイントなのだろう。アメリカン・カルチャーが自然に溶け込んだ沖縄の街、そこで生まれ育った彼女たちは、工藤静香を歌うようにジャネット・ジャクソンを口ずさんでいる。先天的なものや後天的な努力ももちろんある。が、ノド自慢大会荒らしのチビッコとはスタートラインが決定的に違うのだ。スポ根というよりは演歌のノリに近い叩き上げのスピリットと、徹底したショービズ気質。いろいろな意味でジャニーズと双璧である。
WEB 


[お-007]
奥崎謙三(1920年生)
おくざき・けんぞう
 原一男監督のドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』に主演した、自称「神軍平等兵」。帝国陸軍に従軍、地獄のニューギニア戦線から生還できた、たった二人のうちの一人になり、戦後は悪徳不動産業者を刺殺。殺人罪に問われ独居房で10年暮らす。出所後に天皇陛下に向かってパチンコ玉を撃ち、天皇ポルノビラを撒き、陸軍時代の元中隊長の長男を殺人未遂(以上、殺人・殺人未遂・暴行・猥褻図画頒布で前科4犯。累計服役拘留期間は27年と7カ月)。獄中から自著『ヤマザキ、天皇を撃て!』『ゆきゆきて「神軍」の思想』『非国民奥崎謙三は訴える!!』『奥崎謙三服役囚考』(すべて新泉社)などを出版。97年8月に府中刑務所を出所すると、新宿・ロフトプラスワンでのトークライブに出演し、そこで熱烈な支持者である特殊漫画家・根本敬からさっそく表敬訪問を受けた。一連の犯罪は「万人を一様に生かすゴッドワールドをつくる手段」だと自認し、“血栓溶解法”という「獄中で神様から授かった」体操を披露する奇人だが、映画を観てファンになる若い人は少なくなく、今後は自身の講演会と上映会をワンセットにして全国を回っていくらしい。妻はすでに亡くなっており、重松修氏が身元引受人になっている。
WEB 君は、奥崎謙三を知っているか!
http://fujiyama.chs.nihon-u.ac.jp/IKUO/OKUZAKI/index.html


[お-008]
奥田民生(1965年生)
おくだ・たみお
 現在のJ-POPシーンでもっともその動向が注目されているシンガー・ソングライター。PUFFYを作った男として、あの井上陽水とタッグを組む男として、ユニコーン解散以降の彼についてはわざわざここで触れるまでもないが、今や、バンド時代の彼を知るリスナーの方が少ないのかも知れない。バンド・ブームの真っ只中にデビューしたユニコーンは、ポップなサウンドとシニカルな歌詞、ユニークな各メンバーのキャラクター(彼とEBIのルックスのよさも手伝って)で、まさに雨後のタケノコのごとく現れるバンドたちを横目にトップでシーンを駆け抜け、突然解散。多様な音楽性の集合体だったこのバンドは奇跡的なバランスで動いていたのだろう。その中でもソングライター&ボーカリストとして、フロントマンの彼の存在は大きなものだっただけに、ソロ・ワークへの期待も膨らむというもの。『29』、『30』と歳を追うごとに余分なものを削ぎ落としシンプルになってゆく彼の歌。アコースティック・ギター1本で、30男のサラリーマンとコギャルを同じに泣かせる歌を書けるのは、今のところ彼しかいない。
WEB HIT&RUN WEBSITE
http://www.sme.co.jp/Music/Info/HITandRUN/


[お-009]
押井守(1951年生)
おしい・まもる
 日本のアニメーション業界において純粋な“監督”として世界的な評価を獲得した唯一の人物。現在、ジャパニメーションの立役者を語るときに、宮崎駿大友克洋押井守の3人の名前が挙げられるが、押井守は本来、他の2人と同一線上で語られるべき存在ではない。彼の功績を評価する上でもっとも重要なことは、その獲得した世界的な評価の本質が“作家性”にあるのではなく“演出家”としての思想と技能の集積にあるという点である。言い換えれば、彼は演出家としての卓越した技能によって作家性を獲得した人物であるともいえる。
 実写映画と違い、そもそもアニメーションの制作現場には「監督」という職業は存在しなかった。東映動画の初期の時代には、その役割はすべてアニメーターが兼ねており、演出家という職業すら明確化されていなかったのである。それがテレビアニメが人気を高める中で、アニメーションの制作現場が一定規模のシステムを必要とした結果、作品の全体性を把握し、アニメーターをサポートする役割として「演出家」が必要とされるようになり、その後の「宇宙戦艦ヤマト」のブームの中から初めて「監督」と呼ばれる演出家が誕生してきたのだ。が、システム先行で成熟してきたアニメ業界では、制作の主導権は現場のアニメーター(絵描き)にあり、演出家=監督の役割は軽んじられる傾向が強かった。こうした業界にあって、演出力を兼ね備えた優れたアニメーターが監督へシフトすることは必然的な流れであり、宮崎駿を筆頭に庵野秀明森本晃司などはこうした必然的な系譜の中から「監督」としての地位を確立したといえる。
 しかし、押井守は絵描きでもアニメーターでもない。タツノコプロ時代に手がけた『一発貫太君』やタイムボカンシリーズ『ヤッターマン』に始まり、劇場公開作品『うる星やつら2・ビューティフルドリーマー』を経て『機動警察パトレイバー』や『攻殻機動隊』といった現在の流れに至るまで、彼は一貫して演出家であり続け、その演出家としての能力によって、現場から独立した「職業監督」としての地位を築いたのである。
 押井守自身が「アニメーションの監督とはシステムエンジニアだ」と言い切るように、彼の趣向性は作品そのものと同等かそれ以上に「新たな映像を産み出すシステム設計」に向けられている。彼の作品を評価するとき、実写的なカメラワークや実写的なリアリズムといった点が強調されるが、より本質的に彼が評価されるべき点は、作品を産み出す前段階での制作行程の設計にある。彼は『パトレイバー1』『パトレイバー2』の制作を通して、アニメーションの現場作業に入る前段階で、すべてのカットに対するシミュレーションを効果的に行う手法を完成させた。この手法によって彼は、演出家として作品を支配する方法論を確立したのだ。世界的な評価を受けた『攻殻機動隊』は、こうした彼の“システム設計力”の総和としてある。さらに一般には見えにくいことだが、彼が産み出した制作システムは、アニメーション制作という制作期間や歩留まりが見えにくい業界において、費用対効果や制作効率をもっとも高めた手法としても評価されるべきだろう。
 現在、押井守は、実写、アニメーション、ビデオ映像、ミニチュアワーク、3DCG等のすべてをデジタル上で統合した作品の制作に取り組んでおり、今世紀中には発表される予定である。アニメーション制作を通して熟成された演出家としての彼の思想は、ジャパニメーションの枠を越え、新たな映像文化を生み出す実験へと向けられている。
WEB 野良犬の時 押井守作品
http://www.ebic.or.jp/~straydog/oshii/index.html


[お-010]
oshow
oshow
 360。全方向から音を飛ばす12面体のスピーカー。スピーカーのメーカーとして有名なBOSEに対抗した洒落でネーミングされた。開発した日本人スタッフは約5年の時間をかけ、その間に新しい回路が偶然発見されたといわれている。外形はサッカーボールのようだが、目を閉じて音を聞くと生演奏をしていると錯覚してしまうほど、空気の波動が体を包む自然さが最大の魅力。販売を担当するのは東京・渋谷に事務所を置く株式会社ファミリー・パートスリー。音楽業界筋によると、すでに有名ミュージシャンや一部のクラブで導入されているらしい。定格は、許容入力100W、出力責圧70dB、寸法は280×280×280、周波数特性200〜20kHz、インピーダンス10Ω、重量5.2kg。
 90年代には日本でも立体音響の開発が進み、有名ミュージシャンの曲にヴァーチャル・オーディオやホロフォニクスなどが導入されはじめ、2チャンネルで立体的定位を演出できるシステムが数多く登場してきたが、oshowの出現はスピーカーそのものを全方位にすることで自然音に聞こえるような再生を実現させた点が画期的といえる。当分はプロユースとして認知されるだろうが、今後リスナー環境への関心が今以上に高まれば、21世紀にはポピュラーなものになっているかもしれない。
WEB 


[お-011]
お宝ガールズ
おたからがーるず
 97年に創刊され、アイドル・女優の発掘写真ブームの火付け役になったコアマガジン社発行の雑誌。もちろんこの『お宝ガールズ』以前にも、アイドルの素人時代の写真であるとか、女性タレントのキャンペーンガール時代の写真をスクープとして掲載する一般男性雑誌やマニア向け投稿本は存在した。また古書店の中にも、アイドルの写真集やグッズ、レコード、ポスター等にプレミアを付けて販売する店は昔からあったものだ。また下準備として、折からの鑑定ブームや、『サンタフェ』以降のヘアヌード写真集ブームなども影響しているだろう。が、マニア特有の知識の競い合いや、読者の興味を一時的に刺激する一般誌の発掘作業と、この『お宝ガールズ』が打ち出している編集方針は確実に一線を画している。まず何よりも発掘されたネタそのもののインパクトよりも、それをどのような角度で紹介するかという点を重要視していること。掲載写真1枚1枚に付けられたキャプションには、紹介者のクールかつ愛情に満ちた視線を感じとることができる。また浅野温子や田中美佐子といったトレンディー女優界のオールドスクーラーが70〜80年代に発表した写真集を「レア・グルーヴ」と表現し、10年以上たった現在の浅野らの現状とは切り離して、その写真集の素晴らしさを再検証するその試みは、ネタとして使えるか使えないかという部分のみを絶対的な価値基準とし、誰にも見向きもされなかった埋もれたレコードに光を当てたヒップホップDJ的なセンスそのものだ。97年7月号からは遂に隔月刊化。本気で応援してます。
WEB 


[お-012]
男気
おとこぎ
 恋愛至上主義が大手を振るい、女性上位時代とも言える軟弱な世の中において、男のアイデンティティ復権、そして友情(男対男)至上主義といった、男的精神全般を指す。また、80歳に手が届こうというのに、アクション俳優として第一線で活躍するチャールズ・ブロンソン(本名・ブチンスキー)に“男気”を感じた、みうらじゅん田口トモロヲが、男気ユニット「ザ・ブロンソンズ」を結成したのは、男気業界的には記憶に新しい。ブロンソンヒゲとテンガロンハット、『マーズ・アタック!』でのトム・ジョーンズ、バート・ レイノルズのヌード写真、大橋巨泉のパイプカット、黒板五郎の生き様、反町隆史のノースリーブTシャツ……。男気の世界は実に深遠なるものだが、そのすごく深ーい場所には「モテたい」という、対女性思想が存在してしまうのが、男気の悲しさでもある。
WEB 


[お-013]
大人計画
おとなけいかく
 グローリアスな暗黒大河ドラマを描く劇団大人計画の松尾スズキが描く世界は、グロテスクとか悪趣味を超越している。例えば特殊漫画家・根本敬が描くような、生まれついての因果や頑張ってもどうしょうもない救いのなさをトコトン煮込んでる。だから、よくもここまでというくらい不幸な人間が集まり、それぞれの運命の糸が絡みもつれして話がとんでもなく宇宙的な方向へと展開してしまうのである。その壮大さはブニュエルやリンチにも匹敵する。ただ初期の大人計画の物語が混乱の果てに収集がつかなくなり大カタストロフを迎えていたのに対し、最近は運命や不幸をつきつめたその先に、人間存在を肯定する一筋の光明を投げかけ、松尾や役者たちが物語の新しいスキルを身につけているのを実感させる。加えて役者で演出助手の宮藤官九郎らが“グループ魂”なるコントトリオで活動したり、AV監督・井口昇や漫画家・河井克夫を役者として起用したりと、大人人脈も多彩。何かしでかしそうな人たちである。
WEB 


[お-014]
オートレース
auto race
 アイドルの転職で一躍脚光を浴びるようになった公営ギャンブル。元SMAPの森且行がオートレーサーに転身し、97年7月6日、川口オートでのデビュー戦を飾った。この日の女性観客は通常の9倍の約9000人。オートレース史上これだけの女性客が詰めかけ、黄色い声援が飛んだのは初めてであった。森が出走した第3レースの単勝一番人気はもちろん森。勝った森の払い戻し金は百円で、ほとんどの人が払い戻しせず、記念に車券を持ち帰った。彼がオートレース界の新星となるのか、単なる客寄せパンダで終わるのか真価が問われるのはこれからである。ただオートレース界にとって、森が金の卵であることは間違いない。ちなみにオートレーサーは選手寿命が長く、一流選手となれば年収は1億円を超える。選手の平均年収は約1000万。
WEB AutoRace Homepage
http://www.autorace.or.jp/
WEB Angel
http://www.t3.rim.or.jp/~m-angel/


[お-015]
オヤジマンガ
おやじまんが
 『週刊漫画サンデー』『週刊漫画ゴラク』『週刊漫画Times』などの青年向けというよりは大人(成年/盛年)向けの雑誌に載っている、「マンガ」というよりは「漫画」と書いたほうが似合うようなタイプの作品をいう。笠太郎(『流れ板 竜二』原作・牛次郎)、郷力也(『ミナミの帝王』原作・天王寺大)、たがわ靖之(『包丁無宿』)、司敬(『野望の群れ』)、土山しげる(『極道ステーキ』原作・工藤かずや)、檜垣憲朗(『ジ・ゴ・ロ』原作・早乙女正幸)、渡辺みちお(『まるごし刑事』原作・北芝健)らがこの分野の現在の大物作家で、原作が付く場合が多い。人間の欲望(食欲、性欲、集団欲、暴力欲その他)を、あからさまに描き出した作品がより好まれる傾向にある。
 最近、モンドだのバッドテイストだのとちった横文字を喜びそうな諸氏が、例えば行き当たりバッタリで話が展開するたがわ作品を過剰に持ち上げてみせる動きがある。こういった諸氏は、決して柳澤公夫(柳沢きみお)、新田たつおら大手出版社にも描く青年(大人)マンガ家を取り上げようとしない点で一致している。もちろん、そういった流行とは全く無関係に、オヤジマンガは平然と連載され続ける。青年誌が部数を下げ続けるなかで、上述の三誌などは長年部数を維持する健闘をみせている。
WEB 


[お-016]
オラオラ
おらおら
 極端に男らしさを演出するゲイ特有の言語体系。「おら!とっととくわえるんだよっ!!」といった使われ方をする、「ほら」「そら」といった意のかけ声が語源。「たまんないっスよ」「先輩のデカイのが欲しいっス!!」と語尾に不必要に「ス」をつけ加えるのが文法上の決まり事である。多くの異性愛の男性が相手の「女らしさ」に性的なファンタジーを持つように、多くのゲイは「男」の持つジェンダー・イメージに性的興奮を感じる。ゆえに「男らしさ」を強調したセックス・ファンタジーを好むゲイも多い。そのため体育会などの男社会や、先輩後輩といった男同士の人間関係がファンタジーの背景に利用されがちだ。そうした虚構世界の言語として使われるのが「オラオラ」である。「おらおら、入れて欲しいんだろっ!」「お〜ら、イイかぁ?」といった具合だ。
 「オネエ言葉」では、フツウの女が「イヤよ」と言うところを「イヤぁ〜よぉっ!!」とコブシをまわしてしまう。それは「女らしさ」のパロディ表現である。それと同様に「オラオラ」は男らしさのパロディだと言える。90年代に入って浮上したこの「オラオラ」は、ゲイ自身が脅かされ続けてきた「男らしさ」に対する不安感を払拭しつつあり、それをパロディとして楽しむ余裕を持つようになれたことを示している。もちろんオラオラ口調だからといって、本人が「男らしい」かどうかはまた別の問題である。俗説として、オラオラ系のゲイほど普段はオネエであるとも言われているぐらいだ。つまり、ファンタジーやパロディを楽しむことができるのは一種の卓越した才能だということだ。
WEB 


[お-017]
オルタ・カルチャー(翻訳版)
おるた・かるちゃー(ほんやくばん)
 ナサニエル・ワイスとスティーヴン・デイリーが編纂した著作。「90年代のアンダーグラウンド、オンライン、オーヴァー・ザ・カウンター(レンタルビデオ・ショップなどを指す)に関するAからZまでのガイド」との副題が本の内容をずばり表現している。96年1月、全米でハーパー・ペレニアル社から発売され、一躍ベストセラーとなった。内容は、映画、音楽、ファッション、コンピュータ、社会現象、ドラッグ、物、ライフスタイルなどの分野で、いわゆる主流(メインストリーム)に対する傍流(オルタナティヴ)の文化を、およそ900の項目に分類し、その項目に詳しい筆者の主観に満ちた文章で紹介している。
 この中で、著者たちは、オルタ・カルチャーをアメリカの戦後5番目の文化と捉えた。彼らによれば、1番目は、50年代に起こったロックンロールの動き、2番目が60年代のヒッピー文化、3番目が70年代のディスコとパンクの文化、そして、4番目がMTVが生み出した音楽と映像の文化、そして、5番目がここで語られるオルタ・カルチャーである。以前の言葉で言えば、サブカルチャー、あるいは対抗文化というものが、90年代的な「オルタナティヴ」という言葉で表現された。また、原書のタイトルの表記「alt. culture」は、インターネットの世界の「ニューズグループ」の中で使われる表記で、それをタイトルにした点も非常に90年代的。
 日本ではほとんど知られていないような細かいことなども、詳しく書かれていたりして、アメリカ文化マニアにとっては、座右の書ともなっている。しかし、扱っている物がなまものだけに、すぐに古さを感じさせる項目も存在する。そこで、彼らは本の内容をすべてインターネット上に公開し、無料でアクセスできるようにした。ナサニエルたちによると、そうすることによって、新しい情報を常にアップデートすることができるという。翻訳版は、97年2月、リブロポートより発売された。
WEB alt.culture
http://www.altculture.com


[お-018]
オルタナティブ
alternative
 オルタナティブ。中学校の英語で、読み方の難しい単語の一つとしてよく出てきて、英和辞典をひくと「二者択一の」という訳語がまっさきに挙がっていることが多い。代わりのもの。代替品。「サブ」と同様、オリジナルというか本流があって初めて成立する概念である。が、「サブ」という、一段下のニュアンスはない。本流と拮抗してタメ張る力はあるんだぞ、という感覚だ。山にこもって仙人になるのは、オルタナティブな生き方である。本物の医学に対して民間療法や、それ以下の各種インチキ療法が「オルタナティブ医療」なんて大それたことをほざく。連中は、自分たちのアレが西洋医学にとってかわれると思っているわけだ。
 アメリカで「オルタナティブ」なライフスタイルに対する本流とは何か。それは家族つくって郊外にマイホーム買ってという、高い経済成長を背景とした親たちのライフスタイル(あるいはそれへのあこがれ)であり、それを発展させたヤッピー的な生き方(大企業に入ってばりばり仕事して出世して金稼ぐ)だった。それを否定するかつてのビートやヒッピー文化は元祖オルタナティブだ。そして90年代。アメリカでも不動産やジャンクボンドのバブルがはじけて、人口的な要因なんかも手伝って、別のライフスタイルをかっこいいとする価値観がかなり一般化してきた。音楽もファッションも映画も、オルタナティブな文化現象はすべてこの価値観の上に成立している。すべて、その本流ライフスタイルが支えてきた本流文化に拮抗するものとして存在している。
 日本の状況は決定的にちがっている。本書の項目は、どれもはっきりした「本流」を持たない。一つには、文化的な「本流」が大して強くないことがあるだろう。映画でも小説でも、ろくな本流がねぇんだよな、これが。岩井俊二ごときがすでに本流扱いなんですもの。その一方で、文化でないライフスタイルとしての本流がえらく強い。日本人の50歳までのライフスタイルを見ると、その8割がほとんど同じ時期に学校を出入りして同じ時期に就職・結婚し、同時期にガキをこしらえているだろう。これほど強力なパターンの前で何ができようか。これはたぶん、日本において「文化」というものがそもそも本流なんかではない、本当に侮蔑的な意味でのおまけにすぎなかったという事情が影響している。文化がライフスタイルを規定し、それが主流ライフスタイルにすらもの申すことができる、つまりは世の中を変えられる、変えようという認識と意志は、『ゴーマニズム宣言』を貴重な例外として、まったくない。
 ベン&ジェリーのアイスクリームとか、スターバックスやコーヒーコネクションのコーヒーとか、アメリカでベンチャー企業と称されるものの多くは、まさにオルタナティブな文化から生じている。アップルだってヒューレットパッカードだってマイクロソフトだってそうだ。そこにはすべて、世界を変えようという意志がある。みんな、「世界がこんなであっていいはずがない」「もっとまともな仕事の仕方がある」「もっと望ましいシステムがある」という理想があった。メインストリームの生き方は、ありかたは、まちがっていると断言できる論理と自信があり、それを自ら実証するだけの勇気があった。
 そして上に挙げたものはすべて今、メインストリームとなった。かれらが本当に最初に主張した通り世界を変えたのか、それとも逆に「本流」にとりこまれたのかは、意見はわかれるだろう。が、かれらは少なくとも、下部構造に食い込んで、自分たちの考え方の普遍性をそれなりに示した。そしてそれが、一定期間にせよサステイナブルであることを示した。これはサブカルチャーが決してできなかったことである。
 その意味で、本書の項目で本当にオルタナティブの名に値するものはあまりない。
 どれ一つとして「変えよう」「変えなきゃ」という意志に基づいてなんかない。みんな、「現状のままでいいや」「基本は今のままで、ちょっと暇がつぶせりゃいいや」という意識が充満している。全生き方にまで及ぶ欧米オルタナに対し、こちらは放課後・終業後の「5時からオルタナ」とでも言おうか。ほとんど唯一、インターネットと、その上に成立しているGNUやLinuxなどのフリーソフト運動は、確実にオルタナティブの名に値するだろう。これまでの生産と流通システムに、まったく異なる原理に基づいた新しいプロセスを接合しているから。マイクロソフトなんぞのウィンドウズだのオフィスだのなんて腐れたソフトが主流であっていいはずがない、そうでない状況を作っていこうという意識があるから。そして日本でも一部はそれに自覚的だから。本書にはないけれど、『ぴあ』は日本の真のオルタナティブ文化なわけ。アメリカにおけるMTVと同じ意味でね。
 にもかかわらず……アニメやマンガは、何かを変えようなどという意志をいっさい持たないまま「本流」の活字出版や俳優映画をなぎ倒し、さらに世界まで制覇しつつある。あるいはカラオケ。あるいはテレビゲーム。これはオルタナティブじゃない。
 しょせん不可欠とは言い難い本流の追加物なんだけれど、でも追加物のほうが肥大して本流をくってしまっているという文化状況。それが本書で「オルタナティブ」と称されているものの正体ではある。たぶんこれは、おまけカルチャーとでも言うほうが正確なんだと思う。グリコのおまけが実の商品よりもえらくて、しかしその実の商品から切り離したら何の魅力もないように。そしてその本流たるライフスタイル(そして戦後の企業システム)が徐々に限界を見せつつある現在、いつのまにかしっぽが犬を振るような形で、本流を揺るがすつもりではなかったオルタナティブな文化現象が、あっさり本流を変えてしまうような事態が、ないとは言えない。さっき貴重な例外として挙げた『ゴーマニズム宣言』の成功が示しているとおり、それは決して夢ではない。とはいえ、まだ現実でないのも事実だけれど。
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[お-019]
オルタ・バイナリーズ・ピクチャーズ・エロティカ
alt. binaries. pictures. erotica
 インターネット上のニューズグループ内に設けられた、エロティックな画像の投稿場所。バイナリーというのはテキスト以外のファイルのことで、ここでは主に画像や動画などのデータを指す。ニューズグループには、テキストによる論争や意見交換の他、データの保管所としての役割があり、世界中の投稿写真マニアたちが毎日のように新しい画像を投稿している。最初は男性誌をスキャンした程度のものが多かったが、デジタルカメラの出現などにより、日本では法に触れるような画像も数多く投稿されるようになった。このニューズグループにアクセスするためにインターネットを始めた人も多い。しかし、現在のようにインターネットが普及してしまうと、ボランティアによって無料で運営されているニューズグループは内容的にもそろそろ限界を迎えているようだ。いまだに投稿は盛んに行われているが、その大部分が有料ポルノサイトの広告となってきている。
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[お-020]
音響派
おんきょうは
 音響感を大切にしている人たち。ストラクチャーでなくテクスチャー。方法論ではなく音色、その音自体のピュアな感触を表現しているアーティストたちが、ここ3〜4年台頭している。その中でも聴きやすくポップな音響をクリエイトしているのがステレオラブだろう。ギター・ポップやラウンジなどのリスナーにも広くアピールする彼らのサウンドは、ポップな要素の中にストイックなまでの音色へのこだわりが窺える。トリッキーやポーティスヘッドとも比較されるダブ色の強いサウンドのライカ、ラウンジィなテクノを聴かせるマウス・オン・マースなどをリリースするレーベルのToo Pureは、音響派の宝庫である。その他、ブリストル産男女ユニットのフライング・ソーサー・アタックや、ステレオラブなどのプロデュースも手掛けるジョン・マッケンタイア率いるトータス、彼ら周辺のバンドを擁するシカゴのスリル・ジョッキー・レーベルからも、刺激的な音響作品がリリースされている。
WEB 音響派
http://home.highway.or.jp/mori-h/9701/970129.html


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