[ほ-001]
ボアダムズ
boadams
 超自由形音楽集団。80年代後期に山塚EYE(現ヤマタカEYE)を中心に大阪で結成。現在のメンバーは、ヤマタカ、山本精一、ヨシミ、ヒラ、アタリ。以前からボアダムズ以外での活動も多く、ヤマタカがハナタラシ、ノイズ・ラモーンズ、アナーキー7、現代美術家大竹伸朗とのパズル・パンクス、高木完とのサウンド・ヒーローなど。山本は想い出波止場、Novo Tono。ソロ名義で、ヨシミはOOIOO(オーオーアイオーオー)、ソニック・ユースのキム・ゴードンらとのフリー・キトゥン。ソロ名義で、ヒラが花電車、アタリがUniversal Errors……。もしかしたらまだあったかも知れないが、これ以外にも海外でさまざまなコラボレートやライヴを行っていて、とてもじゃないがフォローしきれない。無責任なようだが、これがボアダムズである。こういう人たちの作る音楽が既成の入れ物になんて収まるワケがない。彼らのことを知りたいなら、まずはライヴを見ることだ(あまり回数は多くないが)。95年の『Super Roots 6』以来ボアとしてのリリースはないが、ヤマタカ、山本がレーベルを立ち上げ、OOIOOがデビュー、想い出と花電の新作が完成とここ半年と少しでこれだけの事が起こる人たちだ、久しぶりの新作ではどんなことが起きているかわからない。とにかく余計な先入観を持ってかない方がいいです、この人たちの音楽は。
WEB 


[ほ-002]
暴力温泉芸者(19XX年生)
ぼうりょくおんせんげいしゃ
 中原昌也、最近ではヘア・スタイリスティックス名義で音楽家。また本名で映画評論をはじめとした執筆活動を行う。パブリックイメージでもある、ダウナーで内向的なアティチュードと、時として自暴自棄になっているようにも見えるパワフルな表現は、非常にアンバランスで魅力的だ。最近の作風でもある、人を喰ったようなディスコハウスとノイズなど、様々なジャンルの音楽が彼独特のコラージュセンスでカットアップされた音楽作品はもちろん、レギュラー執筆者の一人でもある『映画秘宝』での映画評は、時として映画そのものよりも面白い。また自作のアルバム、シングルジャケットの素晴らしいアートワークも天才的。代表作は95年のメジャー第1弾アルバムで、彼のノイズ・コラージュ作品の最高傑作『ケ・セラ・セラ』。トラットリアから96年に発表されたシングル『ティーン・エイジ・ペット・サウンズ』はアートワークが最高。DJムードマンのレーベル『ドーナツ』からの2枚のシングルは、ダンス・オリエンティッドなビートにストレンジなサンプリングサウンドで、ダフトパンクの完全に先を行っている。また96年に洋泉社から映画評論集『ソドムの映画市』が発売された。
WEB ARTIST LIST
http://www.toshiba-emi.co.jp/domestic/artists/boryoku/


[ほ-003]
ボキャブラ天国
ぼきゃぶらてんごく
 「タモリのボキャブラ天国」「タモリのスーパーボキャブラ天国」「タモリの○超ボキャブラ天国」「新ボキャブラ天国」と番組名を変え、時間帯を変え、司会を変え、内容まで変えて放送してきた(中断あり)、フジテレビ系列のバラエティ番組。97年秋には、ついに「黄金ボキャブラ天国」として、その名の通りゴールデンタイム進出を達成。一貫して、単なるダジャレを一つの作品として審査するという構成をとっており、きめ細かい番組作りで知られるハウフルスが、全体をうまくまとめている。パネラーの人選には謎が残るが、番組のメインは“キャブラー”と呼ばれる若手芸人にある。爆笑問題、ネプチューン、海砂利水魚、松本ハウスなど、個性的な面々が、危機感を背負いながらも、毎回番組を盛り上げる。彼らの人気も、もはやブレイクと言って差しつかえないほどで、キャブラーの出演するライブのチケットが即日完売することも珍しくない。会場はティーンが観客の大半を占め、よくわからない空間となっている。すでに芸人としての地位を確立しているものも少なくないが、パイレーツ(女子高生のボインちゃんコンビ)のような、芸歴も短く(あるのか?)ネタ的にも演技的にも見れたもんじゃない輩が、他の芸人と同等の扱いをされ、同等の審査を受けているという事実が、“ボキャブラ”というシステムを全て象徴している。
WEB ボキャブラ・ザ・インターネット
http://pweb.in.aix.or.jp/~hinbe/boindex.htm
WEB ボキャ天・ファンダム!
http://www.cse.ec.kyushu-u.ac.jp/~ec193058/yose/cxvch/


[ほ-004]
ポケットモンスター
pocket monster
 任天堂の携帯ゲーム機・ゲームボーイ用育成RPGソフト。96年2月の発売以来、驚異的なロングヒットを記録し続けている。ベースはRPGだがモンスターの収集・育成・対戦という3点のシステムを導入することで、全く新しいゲーム性を産み出した。たまごっちブームや次世代機ブームの影に隠れ長いこと注目されることがなかったが、その水面下で小学生を中心に巨大なコミュニティを形成した。『ポケモン』にはこれまでにない遊びの要素が多分に含まれているが、その核になっているのが“蒐集”である。全150匹のモンスターを蒐集して図鑑を完成させるという目標を持たせながら、モンスターの出現率が違う2タイプのカートリッジを販売。どちらか一方では150匹すべてを集めることはできない。そこで自分のカートリッジでは出現しないモンスターを持っている人と通信ケーブルを使ってお互いに交換する。ここに“コミュニケーション”の要素が加わる。さらに集まったポケモンを各自“育成”し、再び通信ケーブルをつないで、今度は“対戦”する。こうした一連の要素がGBという携帯端末の利点を最大限に生かし、小学生の間に巨大なコミュニティを形成する「共通言語=コミュニケーションメディア」となったのだ。
 これらの動きは、アーケードで対戦型格闘ゲーム『バーチャファイター』をコアにゲーマーのコミュニティが形成された状況によく似ている。が、『バーチャファイター』がアーケードという“場所”に制限されていたのに対して、『ポケモン』は場所的制限までを解き放ち、ゲームを“自閉的なメディア”から“能動的なコミュニケーションメディア”へ昇華させた。次世代機ブームの中でハイスペック、ハイクオリティの方向へゲーム開発が収束していく中で、もっとも革新的なゲームの進化が、GBというローテクなハード環境において実現されたことは、ゲームの進化が必ずしもテクノロジーの進化に依存するわけではないという事実を示している。
 隣同士たまたま乗り合わせた学校も違うポケモン・トレーナー(ユーザーのことをこう呼ぶ)同士がケーブルをつなぎ、はしゃいでいるのを目の当たりにする時、確実に新しいコミュニケーション形態が根づき始めているのを実感させられる。
WEB 任天堂ホームページ
http://www.nintendo.co.jp/index.html


[ほ-005]
ポケベル
ぽけべる
 電話回線を使用した携帯用連絡ツールであるポケットベルの略称。サービスは68年からスタートしているが、ビジネスユース以外に広まったのは90年代に入ってから。93年放映のドラマ『ポケベルが鳴らなくて』(日本テレビ系)では、裕木奈江と緒方拳の密会の連絡にポケベルが利用された。それを見た当時のギャル層は、「私も奈江ちゃんみたいに不倫した〜い!」と言って、ポケベルに群がっていった……という青写真を、ドラマの企画者である秋元康は睨んでいたのかもしれない。しかしこの頃から女性を中心とした裕木奈江バッシングが始まり、ポケベル普及にこのドラマはほとんど貢献していない。たぶん。実際に一般層利用者急増の直接のきっかけとなったのは、低料金化とフリーワードが使えるようになったこと。現在では携帯電話、PHSに押され気味だが、その日のニュースや天気予報などの情報が自動的に配信されるサービス(NTTドコモの「インフォネクスト他」)などで、他の端末機との差別化を必死に図っている。目下のライバルは、見えるラジオか? ちなみに広末涼子を起用したNTTドコモのCMは、広末そのもののCMだったことは記憶に新しい。
WEB TTM HOME PAGE!!
http://www.ttm.co.jp/PB/
WEB 関西テレメッセージのホームページ
http://www.ktm.co.jp/
WEB NTT-DoCoMo PAGE
http://www.nttdocomo.co.jp/


[ほ-006]
ホモ・エロティーク
homo erotique
 ゲイのセクシャルなイメージを作品化したアートを指し示す言葉であり、エロ写真やスケベな落書きなど、巷に溢れるポルノグラフィーを芸術作品へと変身させることのできる権威ある美術評論家が唱える魔法の呪文。また、ゲイのアーティストたちの作品を、ゲイの文脈の中で正当に評価しようとする動き。美術評論家であり、97年東京新宿・三越美術館で開催された「ロバート・メープルソープ展」のキュレーターであったリチャード・マーシャル氏にインタビューした時、ホモ・エロティークについて彼はこう語った。「まず、男と男の間のエロティシズムであるということ。次に、作者もゲイ。ゲイじゃない作家のホモエロティシズムを描いた作品というのもあるけれど、それはうまくはいかない。第三に、性的な刺激、興奮があること。セックスというのは今や何でもありというアートの世界において唯一残されたショッキングな素材だと思う。ショックとかポジティブな意味での変態性というのがホモエロティックアートの中のもっとも強いエレメントです」(ジープロジェクト『G-men』No.12「小倉東の聞いておきたい話」より)。ホモ・エロティークの作家として挙げられるのは、ロバート・メープルソープを筆頭に、ゲイ・ポルノ雑誌で活躍していたジム・フレンチ、ブルース・オブ・ロスアンジェルスなどの写真家。トム・オブ・フィンランド、ジョージ・クェインタンスほかのイラストレーター達である。
WEB who's who/メイプルソープ ロバート
http://muse.dnp-sp.co.jp/Japan/DNP/forum/who/list/list49.html


[ほ-007]
ボランティア
volunteer
 その語源をラテン語の義勇兵、志願兵に由来する、社会奉仕活動家のこと。95年1月の阪神大震災以来、若者を中心とするボランティア活動が活発になってきた。日本では、ボランティア活動が社会制度に組み込まれている欧米とは違って、こうした形態の社会活動は馴染まないと思われていた。しかし、6000人以上もの死者を出した阪神大震災の際には、全国各地からボランティアが駆けつけ、最初の2カ月間だけで100万人にも達した。10代、20代の若者が7割以上を占めたが、日を追うごとに中高年世代のボランティアも増加していった。たとえば兵庫県が臨時に開設したラジオ局「FM796フェニックス」を支えたのは、フリーのアナウンサー、放送学科の学生、主婦などのべ70人の民間ボランティアであった。
 そして、この95年は「ボランティア元年」と呼ばれるようになる。ロシアのタンカー「ナホトカ」が沈没し、日本海沿いの浜辺に大量の重油が流出した際にも、阪神大震災のときに活躍した人々ばかりでなく、油の回収のために全国からボランティアが集まっている。福井県三国町の海岸には、多い日で3000人ものボランティアが訪れていた。阪神大震災の与えた影響は大きかったが、ボランティアに対しては世代によって意識のズレがあるようだ。兵庫県西宮市の「西宮ボランティアネットワーク」が「震災ボランティアを今後も続けるか」と調査してみると、30代以上の7割以上は「続ける」と回答しているが、10代の6割近くは「もうしない」と答えている。
WEB 


[ほ-008]
ホンマタカシ(1963年生)
ほんま・たかし
 広告代理店・ライトパブリシティを経て91年にフリーランスとなる。一時渡英、『ID』誌などで作品を発表。帰国後、雑誌媒体を中心に活動を続ける。現在では80年代に活躍著しかった“広告写真家”とアートの志向の強い“オリジナルプリント作家”へのアンチの姿勢を打ち出し、90年代に東京で写真を撮ることをもっとも意識して活動する写真家と目されている。『CUTIE』『SMART』などでは日本人モデルによるファッション写真を長年継続。『SWITCH』『DUNE』などでは、先鋭的なアーティストを撮り下ろしたポートレート、自作シリーズの定期的な連載(ex:ニュートーキョースタンダード/「H」)をみせている。
 美術、写真の思潮に明るいことなどから、カルチャーリーダー的な存在でもある。また、対メディアに対する写真家としての振る舞いは完全に篠山、荒木以降のものを感じさせる。主な作品集に、90年代半ばの少女たちの姿をとらえた『トーキョーティーンズ』、ベストセレクション的な『BABYLAND』(ともにリトルモア)、近年テーマとして撮り続けている都市郊外の光景をアイスランドに追った『HYPER BALLAD』(スイッチ・パブリッシング)など。モノクロをあまり撮らずカラーを多用する。淡い色調のプリント表現が特徴的。
WEB NOVA EXPRESS
http://www.softmachine.co.jp/news/NOVAE/NE10/NE1006.html


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