[あ-001]
アイコラ
あいこら
 インターネットの中を丹念に探していくと、内田有紀や広末涼子のヘアヌードとか、三井ゆりがファックされている写真などを見つけることができる。とはいっても、もちろんこれらは本物ではなく、アイコラと呼ばれる合成写真だ。アイコラとはアイドルコラージュの略。ヘアヌード写真などの顔をアイドルの顔にすげ替えて合成したものを指す。フォトショップやペイントショップ・プロなどの高性能な写真合成ソフトの出現によって可能になった新しい表現スタイルだ。アイコラの愛好者には、つなぎ目のない自然な合成感を追求していくテクニック派と、素材や状況の設定でインパクトを狙うシチュエーション派がいる。テクニック派が素材として好むのは中井美穂や雨宮塔子など、当分は脱ぎそうにないテレビ・アナウンサー系が多く、こういったものは別名「アナコラ」と呼ばれている。シチュエーション派が作るのは、例えばPUFFYと陽水・民生の乱交パーティー・シーンなど、インパクトを狙ったものが多く、仕上がりのきれいさよりもアイデアのよさが評価を分ける。
 インターネットにはアイコラの掲示板がたくさんあるが、どちらにしろかなりヤバ系の遊びなので、一般に公開しているところはだんだん少なくなり、会員制にするところが増えてきた。制作者たちの目的もズリネタを提供するとか権威の失落を狙うといったものではなく、愛好者同士の新しいコミュニケーション手段として成立し始めているようだ。
WEB URLは掲載できないが、GOOなどの検索エンジンで探せば、必ず見つかる。


[あ-002]
アウトドア
outdoor
 屋外のこと。転じて、70年代以降、日本では主に野外スポーツファッションのことを言う。日本に上陸したのは、75年の『メイド・イン・USA・カタログ』(読売新聞社)以来。単にファッションを目的としたウエアではなく、アウトドアでのスポーツや生活といった実質的な機能に基づいたファッションこそが本物だと言われるようになり、それが日本にも定着した。ただし、一貫して日本では、そのあり余る機能は生かされることがなく、ただブランド名だけが独り歩きしてきた。キャンプセブンやノースフェイス、シェラデザインなどが初期の有名ブランド。あの水難救命具のようなダウンベストが大ヒットしたのもこの頃である。80年代に入ってからは、スポーツウエア+アウトドア・ブランドでかためたアメリカの黒人ヒップ・ホップ・スタイル、いわゆるBボーイスタイルが、日本でもストリートの主流となった。中でも代表的なのがティンバーランド、カールカナイ、ACGなどのブランド。80年代に入ると、“20世紀最後のアメリカの一流ブランド”と言われるパタゴニアが人気に。シンチラフリースという新素材で人気を集め、近年ではレッドウイングの大ヒットが記憶に新しい。今やアメリカン・カジュアルの必須アイテムの一つとして定着してしまったアウトドア・ブランド。とかく能書きの少ないアメリカン・カジュアルの中にあって、なにかとウンチクが言えて、お金を払っただけの満足感が得られるところが、現在の人気の秘密といえる。
WEB Welcome to L.L. Bean
http://www.llbean.com/


[あ-003]
青木雄二(1945年生)
あおき・ゆうじ
 街金融の悪辣かつしたたかな活動ぶりを描いた大ヒットマンガ『ナニワ金融道』の作者。京都府生まれ。岡山県立津山工業高校土木科卒。以後、鉄道会社、キャバレーのボーイ、パチンコ店員、寿司屋の職人見習いといった職を転々とする。好きだった絵を活かしてデザイン会社を設立、社長におさまる。89年、『アフタヌーン』に投稿した『50億円の約束手形』が漫画新人賞に入賞、翌年から『コミックモーニング』誌上で『ナニワ金融道』が連載される。92年、同作品で講談社漫画賞を受賞。 「わしは連載をはじめる前に『罪と罰』を6回読んだんや」と告白しているように、ドストエフスキーを熟読している。東欧・ソ連の崩壊により社会主義が破綻してしまったが、青木雄二は今もマルクス主義者であり、『ナニ金』に描かれている善良な人々があくどい街金融の餌食になるエピソードは、資本主義社会の矛盾をマルクス主義的唯物論で描いたものであった。青木雄二がことあるごとに「神などというものは存在せえへん」と説くのもまた、唯物論者としての彼の世界観でもある。惜しまれながら連載を終了させた青木雄二は、「わしはこれから徹底的に遊んで暮らすんや。美女に囲まれてジャグジー風呂で酒盛りや! 泣けるでえ……」と漫画家引退を宣言。漫画メディアの世界からは姿を消した。多くのファンが彼の復帰を待ち望んでいるが……。
WEB 日本の論壇500人
http://www.php.co.jp/VOICE/people/a/aokiy.html


[あ-004]
青山真治(1964年生)
あおやま・しんじ
 95年デビュー、世界的に注目を集める映画作家。北九州市生まれ、Vシネマ『教科書にないッ!』(95年)、96年に『Helpless』『チンピラ』『わが胸に凶器あり』、97年『WILD LIFE』『冷たい血』。青山真治の映画の特徴は“悪くない映画”という形容が当てはまらないことである。彼は映画の完成度がすでに古くさい歴史上の概念になってしまった時代にふさわしい、数少ない新しい日本の映画監督である。実際に黙殺された『教科書にないッ!』や『WILD LIFE』は映画祭で授賞するような基準の映画ではない。『Helpless』は『カイエ・デュ・シネマ』誌さえ困惑させた作品だ。おそらく彼の映画でもっとも難解な『冷たい血』もそうなるだろう。それはあまりにも“日本的な映画”だからだろうか? おそらくそうだろう。鈴木清順や大和屋竺をシネマ・ジャポニズム(ジャパネスクではない)の伝統とみるなら−−前者は、後者の映画は1・2・3でジャンプするところをいつも腰が砕けている、と言っていたと脚本家田中陽造は書いている−−青山真治がどちらに肩入れしているかは言うまでもあるまい。
WEB 


[あ-005]
青山ブックセンター
あおやまぶっくせんたー
 驚異的な営業時間とセンスのよい品揃えで好感度ナンバーワンの、東京の代表的書店。通称ABC。六本木、広尾、新宿(2店舗)、天王州、自由が丘に支店があり、本店はもちろん青山だが、代名詞的存在である六本木店があまりにも有名なため、意外と青山の本店は認識されていないかも。その六本木店は、平日だと朝10時から翌朝の5時30分までが営業時間。実に19時間半もオープンしているわけだ。とくに深夜から早朝は、アイディアの枯渇した業界人、孤独な創作活動に人恋しくなったクリエイター、発売されたばかりのファッション誌をチェックするモデル風の女性、終電を逃したクラブ帰りの若者などが数多く集っている。そしてその特殊な営業時間と相まって、和書洋書ともバランスよく配置されているのは、文学はもちろん、アート、音楽、コンピュータ関連、コミック、自然科学など、一般の書店では冷遇されているオルタナティブなジャンルの書籍が中心。また客の年齢層が高いためか、シュリンクされることの多いヘアヌード写真集などがそのまま平積みされ、チェック(簡単に言うと立ち読みだが)できるところもありがたい。サービス精神と勤勉さ、加えて品揃えのセンスまで兼ね備えたABCは本当に文句の付けようがないが、いつ行っても思わず長居してしまうため、店内にソファーとコーヒーの自動販売機があれば最高だ。
WEB 


[あ-006]
あかほりさとる(1965年生)
あかほり・さとる
 アニメ企画、脚本、小説、DJなど様々なジャンルで活躍。脚本家小山高生主宰のシナリオライター集団出身で、デビュー作はTVアニメ『ホワッツマイケル?』。その後、持ち前のプランニング能力を活かし「アイドル歌手であった田村英里子のデビューとタイアップしたものを」と言われれば『アイドル伝説エリコ』を、「『聖闘士星矢』『サムライトルーパー』に続く「鎧モノ」を」と言われれば『天空戦記シュラト』を企画。『〜シュラト』では自身がノベライズも担当、同作の成功に伴い、固定ファンを獲得する。『〜シュラト』の成功後は、過剰なほどのバイタリティとテンションをフルに発揮し、アニメ界の風雲児となる。恐ろしい仕事量を同時にこなす中で、「あかほりカラー」ともいえるヒットの方定式を作り上げるが、反面、似たようなストーリー展開、キャラクター設定ゆえに口さがないファンからは一本調子という指摘が無きにしもあらず。そんな批判を受けてか、最新作ノベライズ『サクラ大戦前夜』では従来の擬音がちでホップな文体からさらなる読み応えを追求、あかほりワールドに新境地を開拓したとも言われている。莫大な固定ファンを持っているため97年には小説の累積売り上げ部数が1千数百万部を突破。代表作は『NG騎士ラムネ&40』『セイバーマリオネット』『爆れつハンター』『MAZE☆爆熱時空』等。ジャンルはOVA、小説、コミック、CDと多種多様。どれもシリーズ化されるのもあかほり作品の特徴。全作品、一定量同質のスケベさ加減がたまらない。
WEB 


[あ-007]
秋葉原
あきはばら
 原宿の外国人向けショップ『オリエンタルマーケット』のお土産コーナーに浅草、京都と並んで『ラオックス』のネオンが輝く風景写真が売られるほどに「日本の名所」として世界に認知されている日本最大の電気街。元々は電子機器や電気製品を扱う商店が連なる街だったが、コンピューターと家庭用ゲーム機の普及により電脳系オタクの街に変化、そして近年は「虎の穴」「ラオックス(3、4号館)」「Dブックス」「Kブックス」といったアニメ&ゲーム系の同人誌ショップが軒を連ねるコア・オタク・ワンダーランドに成長している。土、日曜ともなれば駅近くの「シントクセガ秋葉原店」の「UFOキャッチャー」や「ポスターメーカー」といったプライズマシンを物色し、大量のポスターとPC-FXの大きな箱、同人専門店の紙袋を抱えるオタク青年らが嘘や誇張ではなく本当に徘徊している。今年になってからは大手ガレージキットメーカー海洋堂のアンテナショップでもある「ホビーロビー東京」が開店(事実上は移転である)し、長い間、山の手線内で分散していた東京の“濃い”ショップはいま、その「濃い」というキーワードの元、1カ所に集中し始めている。これらの動きに同調するように大手電気屋「メッセサンオー」「さくらや」「石丸電気」などはオタクショップとして日に日に濃さを増し、客足を伸ばしている。
WEB 秋葉原ヤング電気館
http://home.impress.co.jp/akiyan/home.html


[あ-008]
悪趣味雑誌
あくしゅみざっし
 あえて不道徳な文脈で社会の裏を覗き見るノンフィクションやビジュアルを紹介した雑誌群。人気の火付け役は95年に発表された『危ない1号』(データハウス)。同書はドラッグに精通する青山正明が編集長を務めたもので、ハードコアなドラッグ特集を組むとともに、ダスト・ハンティング(霊的ゴミ漁り)を実際に行っている村崎百郎の体験や、特殊翻訳家の柳下毅一郎による屍姦映画の紹介などの記事が収録された。彼らは鬼畜系ライターのイメージ・シンボルとして読者から圧倒的な支持を受け、村崎はその後『電波系』(太田出版、氏を『ガロ』93年10月号で因果者として紹介した特殊漫画家・根本敬との共著)『鬼畜のススメ』を発表するなど目覚ましい活躍ぶりを見せた。悪趣味雑誌には他にも、殺人鬼チャールズ・マンソンを特集した『世紀末倶楽部』(コアマガジン)、アート系悪趣味ビジュアル満載の『TOO NEGATIVE』(吐夢書房)、やおい本から切腹マニアまでマイノリティの世界を紹介した『BAD TASTE』(フロム出版)、街の噂とB級ニュースを目まいがするほど小さな文字で満載した『GON!』(ミリオン出版)など、エロ雑誌を出している出版社ばかりから続々刊行された。それらに詳述されるテーマは、ドラッグ、変態、猟奇犯罪、サイコパス、呪い、死体、フリークス……などの放送コードに引っかかりそうなものばかり。テレビ・ラジオ、新聞といったマスメディアが垂れ流す“毒にも薬にもならない情報”に飽き飽きした者が、報道される機会の少なかった悪趣味の世界の流出を歓迎したことは、市場が百花撩乱の賑わいを見せた結果が証明するところだろう。
 こうした流れの伏線として、94年に発表され、発売3年めで100万部を突破した鶴見済の著作『完全自殺マニュアル』(太田出版)の大ヒットが挙げられる。「自殺は悪くない」という一見不道徳な文脈で成功する自殺の方法を紹介したこの本は、逆説的に悪趣味指向で癒される人々の存在の多さを保証したのだ。この文脈は『完全失踪マニュアル』(樫村政則著・太田出版、94年)や『日本一醜い親への手紙』(Create Media編・小社刊、97年)にも一脈通じている。
WEB 


[あ-009]
アジア映画
あじあえいが
 80年代後半に入って急激に聞かれるようになった、日本周辺地域から輸入される映画の呼称。このあまりにも大ざっぱな呼び名は、おそらくバブル崩壊期にハリウッドを買収した日本企業が自国の映画に目もくれずパワーゲームにもてあそばれて挫折したのと同時期に、当時の中国、台湾、韓国のニューウェーブと呼ばれた監督たち、『黄色い大地』の陳凱歌、『恋恋風塵』の侯孝賢、『旅人は休まない』の李長鎬らが日本に紹介され、当時ピークを迎えた香港映画の興行的隆盛を目の当りにした日本のジャーナリズムの中から生まれてきた。その後紹介範囲は、中国語圏を超えてタイ、フィリピン、インド、マレーシア、モンゴルにまで次第に拡大されていった。また同時期、イラン映画の新しい世代の存在も明らかになり、とくにアッバス・キアロスタミの映画は日本に紹介され多くの観客を得た。またソ連の崩壊によって中央アジア(タジキスタン、カザフスタン、ウズベキスタンなど)のニューウェーブが起こっていることも明かになったが、それぞれ戦争や経済混乱の問題も抱えている。
 やがて福岡アジアフォーカス映画祭がスタート、山形国際ドキュメンタリー映画祭、東京国際映画祭もアジア映画のセクションを強化するようになり、多くの映画が紹介された。台湾からエドワード・ヤン(楊徳昌)、蔡明亮、フィリピンの故リノ・ブロカ、イランのモフセン・マフマルバフ他数多くの優れた人々が紹介された。また香港のジョン・ウー、ツィ・ハーク、それにジャッキー・チェンらハリウッドに向かった人々の映画も紹介され続けている。また香港のウォン・カーウァイは『恋する惑星』で大ブレイク。クェンティン・タランティーノらのシンパも加え、今最も世界的に高い評価と観客を集めている監督といえるだろう。
WEB 


[あ-010]
アジアコーヒ日の出通り店
あじあこーひひのでどおりてん
 大阪一のおカルト喫茶店。「コーヒー」ではなく、あくまで「コーヒ」。これは大阪の古い喫茶店に共通する特徴。JR環状線・玉造〜鶴橋間に伸びる日の出通り商店街にあり、その外観は今にも崩れ落ちそうなバラック。店内は6畳ほどの広さしかなく、古いデコラのテーブルが一つあるのみ。常にテレビのボリュームが最大になっており、耳をつんざくよう。天井からはボロボロのモビール、ヒモなどが何本もぶらさがり、頭をかがめていないと額にくっつく。灰皿代わりのカップラーメンの容器には吸い殻がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。飼っている猫に匂いがたちこめ、テーブルは何年も拭いた形跡がないなど不潔さが行き届いている。
 コーヒを銘打っているがメニューにコーヒーはなく、あるのはインドカレーと謎のドリンク「ネーポン」のみ。ネーポンとはネーブルとポンカンを足したネーミングの瓶入り柑橘風味ドリンク(とはいえ果汁0)。この店とネーポンのことを中島らもがエッセイに書いてから(エッセイの内容は、らも氏が店内でシャブ中の男にからまれる一騒動)テレビ番組「探偵!ナイトスクープ」「たけし・さんまの世紀末超偉人伝説」が取り上げ全国からネーポンを買いに客が訪れるようになった。一本200円だったり500円だったりと値段は日によって変動するが、持ち帰りは1000円と決まっている。高すぎる気もするが、これはあまりにも持ち帰り客が多いため瓶が回収できず、やむを得ずらしい(現在は瓶がなく、ミスパレードなる別の容器に入れ売られている)。60年、大阪のコーヒー問屋「アジアコーヒ」のフランチャイズ店として開店。コーヒーを出していた頃は、いっぺんにナベに作り置きし、玉杓子ですくい取り、ビアグラスに入れレンジで温めて出していた。皿はカレー皿、スプーンはカレースプーン。アイスコーヒーは湯呑みで出てくる。当然の如くコーヒーを注文する客はいなくなり、現在の体制となった。ただカレー、ネーポンともに品切れの場合もあるので要注意(なぜか売るものがなくても店は開いている)。
WEB アジアコーヒー
http://www3.big.or.jp/~stars/ajiko/


[あ-011]
アジア製DOS/V
あじあせいどすぶい
 自動車のような工業製品は、アメリカ製、ヨーロッパ製、日本製と、それぞれが独自の製品特性とマーケットを持ち、世界中でシェアを競い合っている。しかしデータの共有化が必要とされるコンピュータは80年代の半ばまで、そのほとんどをIBM、DELL、コンパック、アップルなどのアメリカ製とNECや東芝などの日本製が占めていた。
 ところが80年代後半からコンピュータ産業は韓国や台湾の猛追を受ける。メモリの生産は韓国やマレーシアが、そしてマザーボードのアッセンブルは台湾のメーカーが、安い人件費と最新の生産設備を武器にして急激にシェアを伸ばしていった。この原因は、ウィンテル(ウィンドウズとインテル)プラットフォームの世界的な席巻にある。ハードディスクやCD-ROMなどの規格がきっちり決まっているし、アメリカや日本のメーカーのラベルが貼ってあるマシンでも生産や組立は台湾やシンガポールで行っていることが多い。どこの国で生産されたコンピュータであっても、使い勝手や性能、そして信頼性が同じであれば、賢いユーザーはブランドにこだわらず値段の安いものを選ぶことができる。また、最近のコンピュータに要求されるスペックは進化が速いため、数年で使い捨てるような状態にあることも理由の一つだ。この流れに上手く乗った台湾のエイサーなどは独自のブランドイメージを確立して成功した。また、さらに安くマシンを組み立てたいという人はマザーボードやハードディスク、CD-ROM、筐体をそれぞれ別々に購入して自分で組み立てることにより、自分の望むスペックのマシンを入手することができるようになった。秋葉原や日本橋にはこういったアジア製の部品が数多く売られている。
WEB ASUS WWW Server
http://www.asus.com.tw/
WEB SOYO--Today Manufacturing Computer Mainboard For Tommorrow
http://www.soyo.com.tw/
WEB ABIT New HomePage
http://www.abit.com.tw/


[あ-012]
アナル・ファック
anal fuck
 肛門に男性器を挿入するセックス。AFと略される。日本の風俗店ではSMクラブなどでM嬢を相手に3〜4万円の予算でできたが、96年頃からイメクラや性感でもオプション・メニューに加える店が増え、その半額のAF専門店が登場し、男性誌でもこぞって特集を組み、一気に大衆化の時代に突入した。女子高生の援助交際やテレクラ不倫など日本の暗部が露呈した時代風潮とのシンクロをふまえて「アナルな時代」と呼ぶ識者も現れた。ゲイの間では通常のセックスだが、「ヴァギナより快感を得られる」と言い出すAFフリークの男たちは、一部で「アナラー」と呼ばれている。多めの愛液もしくはローションを肛門に塗り、ペニスを女性上位か後背位で挿入するスタイルがポピュラー。AFは直腸に異物を差し込む行為であるため、スキン(ローション付き)を着用しないと性病に感染したり、大腸菌が侵入したりしやすく、スキン着用でも腸内ポリープになる危険もあると指摘する医者も少なくない。
WEB 


[あ-013]
アニース
anise
 96年5月に創刊され、約1年で休刊してしまった、日本で唯一のレズビアン&バイセクシュアル女性のための情報誌。このジャンルは男性向けポルノやレディスコミックでは人気が高いが、セックス面だけでなくライフスタイルまでカバーするソフト路線の雑誌を商売として成立させるのはまだまだ難しいようだ。もっとも、アメリカやオーストラリアなどにはレズビアンのためのフリーペーパーまである。レズビアン&ゲイを消費者の一員と認識する企業からの広告と、雑誌を支持する読者によって支えられているのだ。
 日本では、雑誌『クレア』の特集「ゲイ・ルネッサンス’91」を皮切りにメディアにおけるゲイ・ブームが巻き起こった。その余波を受ける形で『宝島』や『ぴあ』といった雑誌で、画一的ではないレズビアンの姿が紹介されるようになり、それまで閉鎖的なイメージの強かったレズビアン・コミュニティに新しい風が吹き込み始めた。95年、「本物のレズビアンのための雑誌があれば売れるのではないか」と考えたアダルト系出版社が、コミック雑誌の形態で『フリーネ』を創刊したが、マーケティング不足から2号で休刊。その外部スタッフたちがゲイ雑誌の出版社に企画を持ち込んで生まれた『アニース』も現在は休刊中だが、在庫が山ほど残されているので、今後も単行本的に読みつがれていくだろう。この流れの中から再び新しいものが生まれてくることを楽しみに待ちたい。
WEB アニース ホームページ
http://www02.so-net.or.jp/~badi/anise/anise.html


[あ-014]
アニメタル
animetal
 70年代アニメ主題歌をヘヴィメタル・アレンジにして歌うバンド。メンバーは日本のヘヴィメタル草創期の知る人ぞ知る錚々たるメンツながら、企画物に徹した潔さゆえか今ニッポンでいちばん金ヅルになる人種・アニメファンの取り込みに成功。日本のヘヴィメタルバンドとしては史上空前の売り上げを記録し、一大ブームとあいなった。
 しかしブームの常か、シーンはどんどん奇形化。元ピンクレディのMIEが歌うアニース・レディ(そのままやんけ!)、レゲエ・アレンジにしたアニレゲエ、パンク・アレンジにしたアニパンクと次々に商魂たくましい類似バンドが登場。そのうちデスアニメ(デスメタル+アニメ)、アニメンカ(アニメ+演歌)、タカシマアニ(高嶋忠夫+アニメ)、スチャダラアニ(ラッパー)、アニーよ銃をとれ(アニメ+高橋由美子)、ア〜ニキィ〜(赤信号小宮+アニメ)などが登場するハズ!さらに……(この項、永遠につづく)。
WEB ANIMETAL
http://www.sme.co.jp/Music/Info/Animetal/index.html


[あ-015]
アブストラクト・ヒップ・ホップ
abstract hip hop
 巨大化、肥大化してゆくメインストリームのヒップ・ホップへのアンチテーゼとしてイギリスより現れたヒップ・ホップの新しい形。大ネタを多用したトラックとセックス、ドラッグ、ガン&マネーばかりのリリック(歌詞)、メガヒットのためにギャングスタを演じるラッパー……といったステレオタイプな現在のヒップ・ホップのフォーマットを意図的に逸脱し、トラックのみで聴かせるスタイルが多いため、インストゥルメンタル・ヒップ・ホップとも呼ばれる。
 ダークでダビーな音響とヘヴィなビート、グラフィティ・アーティスト、フューチュラ2000らの抽象的なアートワークによる一連の作品が、このサウンドをイメージ付け、その総本山となったのがMO'WAX。アシッド・ジャズ・ムーブメントの後期に設立されたこのレーベルは、94年頃から現在のカラーへとシフトしDJシャドウ、DJクラッシュ、U.N.K.L.E.などをリリース、95年のコンピレーション『Headz』で人気と評価を決定的なものとする。オーナーのジェームス・ラヴェルは、クラッシュら日本人アーティストの作品を積極的にリリースし(日本初のヒップ・ホップ・レーベルMajor Forceのコレクターでもある)、ファッション・ブランドA BATHING APEとコラボレートするなど大の親日家である。今年に入ってアメリカでもDJシャドウが大ブレイクし、グランドロイヤルとのライセンスがスタートするなど新たな展開を迎えている。
WEB Bit Noiz Records
http://www.ipro.ad.jp/records/index.html
WEB CyberSoul
http://coconet-j.com/cybersoul/c-soul.htm


[あ-016]
阿部和重(1968年生)
あべ・かずしげ
 デス渋谷系文学。サブカルチャーとは縁があっても、正統文化とは無縁と考えられていた渋谷の有象無象ドロドロのアンフォルメルを〈映画〉を媒介に純文学の形式に再構成した筆力は絶対の買い。ただし『インディヴィジュアル・プロジェクション』が「成功」した要因は、大胆な飛躍、それを支える緻密な構成もさることながら、常盤響によるいかにもな装丁や、帯コピー「渋谷はいま戦争状態みたいだ!」によるところも大きい。つまり、人々は待っていたのだ。中上健次の「路地」や村上龍の「基地」、そして島田雅彦の「郊外」の例を挙げるまでもなく、一代をなす作家は必ず固有の「場所」と「顔」を持って世に出される。その点でも大合格だ。こうなってしまえば誰だって、90年代文学のホープと呼ばずにはいられない。ただし個人的には、レベルの低い文学界などを価値の尺度にせず、現状の日本文化全ジャンルの頂点を極める根本敬の長編漫画を乗り越えるくらいの個性と形式の確立をめざしてほしい。その線でいけば、ちょっと「文学」に媚びを売った感なきしもあらずの『インディ』よりも『アメリカの夜』の線をとりたい。
WEB 


[あ-017]
A.P.C.
a.p.c.
 ジャン・トゥイトゥが手掛けるフランスのブランド。ファムもオムも日本で凄まじい人気である。カジュアルへの考え方の賢さもあるが、やはりA.P.C.の勝因は「音楽を感じさせた」ことにあると思える。アニエスb.が明らかに「映画のイメージ」を後ろ盾にしていたのに対し、A.P.C.は音楽にそのイメージを寄せている。ジャン自身が「音楽好き」を明言しているし、定期的にCDを出しているのももちろん理由の一つだが、上品なのにどこかルーズなその服は、楽器を持ってもライブに行っても違和感はない。事実「渋谷系」からの支持は絶大である。アニエスb.の服は「プリズュニック」(パリのスーパー)の服を拡大解釈して作られている、つまり「ヌーヴェルヴァーグ映画」の登場人物である。その難解な匿名性が一般に拡まり、ただの普通の人が着る服になった時、その辺りに敏感な自意識を持つ人たちがA.P.C.にどっと流れた。実際、多少なりとも創り手を標榜したい人にとってA.P.C.の考え方は全てツボにはまるようだ。生地を老舗メーカーに別注したり、通販のV.P.C.でなんと他のデザイナーの服を売ったり、吉田カバンとダブルネームのバッグを作ったり、売れ残った服を「A.P.C. SURPLUS」というわざわざ作ったショップで安く売る……、という発想の自由さは若々しい(ジャンは現在45歳)。
WEB A.P.C Japan
http://www.eastbywest.co.jp/


[あ-018]
アムウェイ
amway
 世界各国に広がるネットワーク・ビジネスの最大手。59年、米国のJ・ヴァン・アンデルとリチャード・M・デヴォスが創立した。本社はミシガン州にある。日本アムウェイの創立は、77年。米国アムウェイの子会社の100%出資である。当初は洗剤を数種類扱うだけで大きく広がり、今では高価な鍋のセットや浄水器を主力に、300をこえる生活用品、栄養補給食品を扱っている。その商法は、“マルチまがい”と批判されることも多い。「ディストリビューター」(江頭2:50が大川興業に入る前の職業でもある)と呼ばれる販売員は、個人的な人間関係をもとに商売するため、オープンな商売では法的に不可能な商品アピールも可能である。たんなる無リンの合成洗剤を「環境に優しい」と宣伝しようと、栄養補給食品の効果を激しい思い込みで薬事法の制約をこえて説明しようと、まず問題になることはない。香具師やしめいて見えるが、たいてい販売員自身が信じこんだままを語っているので、妙な説得力がある。
 このビジネスの特徴は、たんなる商品販売でなく、「成功」と「幸福」を追求する、疑似宗教的なイデオロギーがまといついていることだ。ポジティブ・シンキングの成功哲学に洗脳され、すっかり信じこんだ“いい商品”“いい商売”を人に広めることで、自己実現をはかろうというのである。その自己実現のイメージが、アメリカ中流のライフスタイルだったりするのが、またやるせない。
WEB AMWAY HomePage
http://www.amway.co.jp


[あ-019]
アルケミーレコード
alchemy records
 関西を拠点にリリースを続ける、日本を代表するインディーズ・レーベル。設立は84年。“KING OF NOISE”を標榜する非常階段のJOJO広重が社長を務めているだけあって、ノイズものの充実ぶりは他レーベルの追随を許さない。カタログには非常階段はもとよりインキャパシタンツ、ソルマニア、マゾンナなど、世界に冠たるジャパ・ノイズの面々がずらりと並ぶ。海外のノイズ・バンドとの交流も盛んで、カナダのニヒリスト・スパズム・バンド、米ニューヨークのボルビトマグースの来日公演を実現したりもしている。
 そんなふうにとくに近年はノイズ色が濃いが、一方で、原爆オナニーズ、スペルマ、ダンス・マカブラ、赤痢、エンジェリン・ヘヴィ・シロップといったバンドの作品をコンスタントにリリースしているレーベルでもある。いずれもパンク、サイケなどのジャンルに関係なく強烈な個性を放つバンド揃いだ。ハナタラシ、想い出波止場、花電車といったボアダムズ各メンバーのリーダー・バンドの初期作品も、アルケミーからのリリースである。コンピレーションものにもひと癖あり。アルケミー・アーティストのお楽しみ袋的余芸集『愛欲人民』シリーズ、また、ソロ・ワーク集『GUITAR SOLO』シリーズからは、通常の音楽活動からは絶対知りえないパーソナルが浮かび上がってくる。これもアルケミーならではの姿勢がうかがえるところ。JOJOは言う、「錬金術はどちらかといえば損をする魔法らしい」。名言だ。
WEB アルケミーレコード
http://pweb.pa.aix.or.jp/~jojo/


[あ-020]
アレキサンダー・シュルギン(1925年生)
alexander shulgin
 数々の新しいサイケデリック・ドラッグを合成した化学者で、ティモシー・リアリーは「シュルギンと(夫人の)アンは20世紀のもっとも重要な化学者である」と評している。レイヴ・カルチャーとともに欧米でブームを巻き起こしたMDMA(エクスタシー)の継父、新しいサイケデリックス2CBの開発者としても知られている。バークレーに生まれ、50年代にダウ・ケミカル社に入り65年まで在籍、その後、自らの研究所を設立する。60年代の初めからベヨーテなどのサボテンに含まれる幻覚誘発性成分メスカリンに代表される、フェニルエチルアミン系のの化学物質の合成の研究に従事する。62年、シュルギンはメスカリンの化学構造を変え、作用時間を延ばした最初の合成ドラッグTMAを作り出す。翌年、さらにメスカリンの効力を50〜100倍に高めたDOMを合成する。このDOMはSTPという名称で、67年にサンフランシスコのゴールデンパークで開かれた“ラブ・イン”の際、5000錠が配られたりした。シュルギンは200種あまりもの向精神ドラッグを生み出すが、94年、DEA(麻薬取締局)とEPA(環境保護局)の調査を受け、法律で規制されたドラッグを研究のために分析するライセンスを失い、研究を政府によって禁止されてしまった。しかし、現在でもサイケデリックスのシロシビンやDMTなどが属するトリプタミンについての大著をまとめあげる仕事、を精力的に続けている。
WEB 


[あ-021]
アロマテラピー
aromatherapy
 芳香療法。植物から抽出した芳香成分を多くふくんだ精油を、美容や健康、そしてリラクセーションのため、嗅いだり、オイル・マッサージや入浴剤として使用したりする。アロマテラピーという言葉は、28年にフランスのルネ・モーリス・ガットフォセが発表した書のタイトルから生まれた。日本では86年頃に話題になりだした。バブル経済全盛期でもあり、ヒノキの香りをオフィスに流して生産性を高めるというインテリジェント・ビルが現れ、「香りビジネス」などという言葉も登場したが、それもアロマテラピーの応用ではある。ラベンダーには鎮静・鎮痛効果、ジャスミンには抗欝効果、ローズマリーには覚醒・代謝促進効果など、それぞれのハーブを目的ごとに使いわけ、またブレンドして用いるが、好きな香りであれば、脳の快楽中枢を興奮させるといわれる。べつに脳を持ち出さなくとも、いい香りと感じるのなら気持ちいいに決まっているが、脳の奥深くに作用している印象が魅力でもある。嗅いでいるだけで癒されていくような印象がより説得的になるからだ。オイル・マッサージや入浴なら、なおさらいい。気持ちよさやリラックスを求めるこの頃の欲求にぴったりかなって、いい感じ。
WEB Welcome to JAA AROMA
http://www.jaa-aroma.or.jp/
WEB Aroma-net 97-03-03
http://www.tyo.laterra.or.jp/~aromanet/
WEB Herb Crafts Club In Japan
http://www.yin.or.jp/herbhcc/


[あ-022]
庵野秀明(1960年生)
あんの・ひであき
 大ブームとなったアニメーション『新世紀エヴァンゲリオン』の監督。大阪芸術大学在学中に、ガイナックスの前身である自主映画サークル“ダイコンフィルム”に参加する。なかでも監督作『帰ってきたウルトラマン』で、変身後のウルトラマンの姿を素顔をさらして演じた姿は、今でも伝説として語り継がれている。一方、ペーパーアニメ『じょうぶなタイヤ』などで見せた緻密な作画テクニックは、映画『風の谷のナウシカ』の巨神兵登場シーンといった商業作品でも遺憾なく発揮された。ガイナックスの商業デビュー作『王立宇宙軍〜オネアミスの翼〜』では、メカアクション部分の作画監督を担当。飛び立つロケットの周囲に舞う氷片を1枚ずつ描き出すなど、アニメーターとしての彼の技術は、この作品で頂点を極めた感がある。
 演出家としてのデビュー作は、英国の人気TVシリーズをMTV風に再編集した『コンプリート・サンダーバード』。その後、88年にオリジナル・ビデオアニメ『トップをねらえ!』を監督する。この作品で、ロボット+美少女というマニア向けの安直な企画を全銀河系規模の戦争ドラマにまで押し上げた、演出家としての手腕が高く評価された。続いて手がけたTVアニメ『ふしぎの海のナディア』では、ジュール・ベルヌの『海底2万マイル』を徹底的に脚色。クライマックスは19世紀のパリ上空で空中戦艦と巨大円盤が大決闘を繰り広げるという展開で、見る者を驚かせた。彼の監督作では、父と子の相克のドラマが繰り返し描かれている。また演出テクニックとしては、過去に自分が影響を受けた映像・コミックを巧みにカットアップし、再構成していくという手法が取られている。肉体のオリジンである父親と、精神のオリジンである過去の作品へのこだわりは、彼の作品世界を読み解く重要なキーポイントだろう。『エヴァ』に続く次回作は、商業作品としては初の実写映画『ラブ&ポップ』(原作・村上龍)。援助交際というテーマを、彼がどのように描くのか興味深いところだ。
WEB ガイナックスネットワークシステム
http://www.gainax.co.jp/


[あ-023]
安野モヨコ(1971年生)
あんの・もよこ
 人気急上昇中の女性マンガ家。もともとは『別冊フレンド』(講談社)で少女マンガを描いていたが、編集方針が変わったために講談社の専属をやめて、ヤングレディース誌である『フィールヤング』に『ハッピー・マニア』の連載を始めてから人気がブレイクする。『ハッピー・マニア』はそれまでの作品とはまったく違い、直観と勢いと純粋な欲望だけに従って、あとさきを考えずに行動する主人公・シゲタカヨコ(重田加代子という立派な漢字があるのだが、なぜかカタカナで認識されている)のキャラクターが新鮮で、ウケにウケた。目の前の男に恋をして、「おいおいほんとにスルのかよ〜」と心の中で自分で突っ込みながら、すぐHしてしまう女・シゲタカヨコ、それでもなぜかうまくいかず、幸せを求めて次の男に突っ走る女・シゲタカヨコ、「よっしゃ〜」(?)と叫んで、行動あるのみ、とにかくいつも走ってる女・シゲタカヨコ……。「恋愛が発生したあとにそれを安定させるまでを描いたマンガがない」ということでこの連載を始めたという安野モヨコだが、新しい時代の女の子の恋愛のスピード感をつかまえてみせたということでは稀有な作家だろう。岡崎京子、桜沢エリカに続く新しい世代の女性マンガ家が出てきたということで、今、各方面から注目され、引っ張りだこである。97年4月には、『CUTIE』に連載中の『ジェリー・イン・ザ・メリーゴーランド』の第1巻(宝島社)も上梓された。
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