[す-001]
スウェットシャツ
sweat shirt
 これさえ着とけばアメカジ少年といわれるベーシックでチープな最低保証着。昔はトレーナーと言ったが、これも今では「バンド」(ベルトのこと)と同じくらい死語に近づいている。もともとアメリカの学生たちの体操着だったが、日本では60年代のアイビー・ブームの頃流行して以来、1年通して着られるカジュアルウェアとしてすっかり定着した。80年代の終りの渋カジブームでは、チャンピオンのスウェットが大量にアメリカから入荷し、さらにヴィンテージブームの波に乗って、50年代の頃の前Vや両Vといったオールドスタイルも脚光を浴びる。とくに今年の夏は半袖スウェットが流行した。古いスウェットのプリントには生地にインクを染み込ませる「染み込みプリント」やフェルト素材を張り付けて、そこに色を乗せる「フロッキープリント」などがある。
WEB 


[す-002]
スカリフィケーション
scarification
 自分の体に他者から傷をつけてもらう行為。スカーリング(Scaring)、シカトリゼーション(Cicatrization)ともいう。96年末に邦訳出版された『トンデモ超変態系』(ブレンダ・ラヴ著・船津歩訳・唐沢俊一監修、二見書房刊)によると、記録に現れる以前にすでに行われており、4200年前のエジプトの(司祭かダンサーの女性と思われる)ミイラの腹部に見られる傷が最初の形跡らしい。同書では「切開は感情の癒しのための基本的な行為」と紹介された。スカリフィケーションによる「自分で選んだ痛み」は、強い感情を伴うため、不幸な過去の記憶をリセットし、自己に対する積極的な肯定表現としてトラウマ体験の早期治療に役立つとされている。実際それを裏づけるように、カウンセリングの現場では自傷癖のあるACのクライアントが、ボディ・アートとしてのスカリフィケーションを望む告白が聞かれることもままある。日本にも一部スカリフィケーションを施す店や個人営業がすでにあるが、医師免許のない者による違法な治療行為とみなされるため、ピアシング、タトゥーと同様、表看板には掲げられていない。
WEB 


[す-003]
すぎむらしんいち(1965年生)
すぎむら・しんいち
 マンガ家。講談社『ヤングマガジン』を中心に長編を描く。抒情派短編にも巧みな腕を見せる異才。88年『サムライダー』が同誌初連載作で、以降、お笑い自衛隊アクショングラフィティ『右向け左』(作・史村翔)、限定された空間における怒涛のバッドトリップ・スラップスティック『HOTEL CALIFORINA』、記憶喪失男をめぐる絶望的な状況が度を深めるに連れ喜劇性が盛り上がり至高の恋愛劇へと結実する『東京プー』を発表。現在、スタア誕生物語にして親子劇『超・学校法人スタア學園』を同誌連載中。本作はいわゆる青春・恋愛マンガの受けそうな要素を極力排除することを目指したというが、「お色気」は残ってしまっている。すぎむらの描線が色っぽいのだから仕方がない。
 彼は望月峯太郎(85年デビュー)とともに「ヤンマガらしい描線」の持ち主である。80年代、実体の歪みまで写し取ってしまうかような彼らのささくれだった線は、一般的にはあまり上手でないものと受け取られた。事実は逆で、彼らはうますぎたのである。後に望月は世間的な成功を収めたものの、すぎむらに対してはマンガ好きが理解を示すだけという状況が続く。97年も後半になって、ようやく『スタア學園』(目下すぎむらの最長作品)の単行本が売れ始めた。ネジを一本止めないまま突き放されたようなストーリーをかすれた描線が加速させ、世界が奇怪な歪み方を見せるすぎむら作品の快感。どこをとっても一級品、今から手にとっても遅くはない。単行本は全て講談社から刊行されている。
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[す-004]
スクウェア
square
 『ファイナルファンタジー(以下、FF)』シリーズの開発元として知られる日本最大のソフト開発会社。かつてはファミコンやSFCにソフトを供給する開発会社の一つに過ぎなかったが、RPGソフト『FF』シリーズの国民的な人気に伴い、ハード(ゲーム機本体)の売り上げを左右する巨大な影響力を持つに至った。任天堂からソニーPSに移籍した『FF VII』が350万本を超える売り上げを記録し、その結果、次世代機戦争の勝者へとソニー(SCE)を導いたことからも、現在スクウェアは任天堂やセガ、ソニーといったハードメーカーと同等か、それ以上の市場に対する影響力を有しているといえる。
 スクウェアの成功は、『ドラゴンクエスト(以下、DQ)』の対抗商品として『FF』を生み出したことに始まるが、その後も『ロマンシングサガ』や『聖剣伝説』などのヒット商品を産み出し、現在の地位を築いた。彼等の強さの秘密は、業界内でも屈指のCGクリエイターやプログラマーを抱えるデジタル技術力の高さにある。この技術力はすでにゲーム開発の枠を超え、脱ゲーム化の方向へと向かい始めている。97年にはハリウッドの映画産業への進出を意識した海外拠点・スクウェアUSA・LAスタジオとホノルルスタジオを設立し、世界でも先鋭的なデジタルクリエイター集団を組織した。この影響で、日本のCG業界やゲーム業界では、優秀な人材の多くがスクウェアに集結してしまい、デジタルコンテンツ・ビジネスにおけるスクウェアの支配力を圧倒的に高めることになった。
WEB SQUARE HOME PAGE
http://www.square.co.jp/


[す-005]
スクランブラー
scrambler
 ファッション、音楽など多岐にわたる分野で影響を及ぼしている「渋谷系」であるが、バイクにもその裾野を広げつつある。渋谷系が愛好するのは、なぜかシングル(単気筒)やツイン(二気筒)が多いが、やはり何と言ってもSR(YAMAHA)を同社のドル箱にまで高めた功績は多大である。SRはYAMAHAが長い期間にわたり、無理して作り続けてきたバイクであり、大胆なモデル・チェンジも敢行せずに一部のマニアックなシングル・ファンにのみ価値をもっていた。しかし、いまではバイクに詳しくない渋谷系ギャルですら、注視するほどの位置につけたのである。
 現在、渋谷系の興味はSRや改造アメリカンから、スクランブラー・タイプへと移ってきたようだ。さすがにSR乗りが増えすぎたせいだろう。スクランブラーとはHONDAの往年のモデルの名称だが、当時、画期的なコンセプト車として、独自のジャンルを拓いた。それはオンロード寄りのオフロード車という面持ちをもつ。混同されやすいので、区別しておくが、オン・オフ兼用のデュアル・パーパスというカテゴリーがあるが、こちらはヘヴィ・デューティー過ぎて、スクランブラー・タイプの範疇ではない。スクランブラー・タイプの中でもとくにTW(YAMAHA)は、SRと同様に息の長いモデルであり、SRやTWでで味を占めた同メーカーの“確信犯”的バイク、ブロンコともども人気が高いとも言える。
 渋谷系バイカーは、サングラスに半ヘルをかぶってガニマタでバイクを乗りこなすのが特徴だ。オフ車に乗っているからといって、林道に行くかどうかは定かではないそのスタイルが見極めのポイント。多くのバイク愛好者たちがもっとも嫌うタイプでもある。現在、バイク・メーカーも渋谷系の動向を無視できず、モーターショーでも70年代復古調モデルが花盛りであり、このブームは当分続くものと思われる。
WEB HONDA HOME PAGE
http://www.honda.co.jp/


[す-006]
スズキ・ツヨシ(1967年生)
すずき・つよし
 ロンドン在住のゴア・トランス(後にサイケデリック・トランスやサイケデリック・テクノと呼ばれるようになった)のDJ。レコード・レーベルのマツリ・プロダクションや、リターン・トゥー・ザ・ソースというパーティーを主宰する彼は、世界的に有名なサイケデリック・トランスのDJ、ミュージシャンであると同時に、この日本ではレインボウ2000、リターン・トゥー・ザ・ソースといったもっとも大がかりなレイヴ・パーティーのDJでもある。中学生の頃にYMOに触発され、やがて80年代のイギリスのニューウェーブを聴くようになり、DJになる前はバンドでドラムを叩いていた、という彼は、日大芸術学部在学時代に何度かインドのゴアへ旅行しながら、東京やゴアでトランスのDJをするようになる。大学を卒業後数年してロンドンへ渡り、その後のレイヴ・シーンの盛り上がりとともにゴア・トランスのDJとして知られるようになった。彼の音は、80年代から90年代にかけての様々なジャンルの音楽やインダストリアル的な要素までをも取り込みながら、いわゆる典型的なゴア・トランスの音を脱構築し続けている。トランスは「四つ打ち」と呼ばれるリズムが典型だが、97年にはブレイク・ビーツを取り入れた曲も発表し、イッセイ・ミヤケのパリ・コレクションでのDJなども行った。
WEB スズキツヨシ
http://www.joujouka.demon.co.uk/


[す-007]
鈴木裕(1958年生)
すずき・ゆう
 アーケードゲームの神様と称される、セガエンタープライゼスのゲーム開発者。家庭用ゲームの神様・宮本茂と並んで、ゲーム業界をリードする人物。その開発力の高さは、ジョージ・ルーカスやスティーブン・スピルバーグをはじめとするハリウッドの映画産業からも注目され、お忍びで彼の元を訪れる映画関係者も少なくない。彼がセガ社内に発足したゲーム開発部署「AM2研(第2アミューズメント開発部署)」は、セガ社内にありながら、椰子の木を模した独自のブランドマークを掲げ、セガという企業イメージ以上に強固なブランドイメージを確立するに至っている。
 鈴木裕のゲーム開発の思想は“現実(リアルであること)をゲームの中のリアリティとして再現するための、精緻なシミュレーション美学”に集約される。例えば、彼の処女作であり、同時に日本初の体感ゲームとなったバイクゲーム『ハングオン』は、当時GP500のチャンピオンライダーであったフレディ・スペンサーをイメージして開発されたが、彼がこのゲームの制作過程で編み出したコーナーリング・テクニック−コーナーリング中のブレーキングと後輪のスライドは、当時のレース界ではまだ、バイクの構造上の問題から実現されていないテクニックだったという逸話までが残されている。こうした彼の思想は、ポリゴン(3DCG)と出逢うことによって、90年代のアーケードゲームの潮流を紡ぎ出すに至った。
 世界初のポリゴンによる対戦型格闘ゲーム『バーチャファイター』シリーズや同じく世界初のポリゴンによるレースゲーム『バーチャレーシング』など、そのすべては、現在、競合メーカーが産み出し続けているアーケードゲームのアーケタイプとなるものだった。ナムコが開発した人気格闘ゲーム『鉄拳』シリーズや、PS用人気格闘ゲーム『トバル』シリーズなどの開発者にも、AM2研で彼の思想を吸収した人間が数多く含まれていることからも、その影響力の強さがうかがい知れる。
WEB 鈴木裕プロフィール
http://www.sega.co.jp/AM2/SuzukiYu/index.html


[す-008]
進め!電波少年
すすめでんぱしょうねん
 元祖アポなしロケ番組。テレビ界、とくにバラエティの世界はほぼ10年周期でセックス・ピストルズ的番組が出現する。パンクを一度聴いてしまえば、それまでのロックがとろくて聴いちゃいられなくなるように、その番組によって、若者達の笑いの価値観が一変してしまうのだ。あんなに好きだったドリフが、「ひょうきん族」の楽屋落ちのリアルを見せられて一瞬にしてセピア色に変わったように。「元気が出るTV」のスレスレの危なさとくだらなさを味わった体で、もう「タケちゃんマン」が笑えなくなったように。電波少年のせいでタレントはより本物リアルなリアクションを求められるようになった。そして「いったい次は何が起こるのか!?」というテレビのメディアとしての本質を体現した90年代型バラエティの時代がやって来たのである。果たして次に来るものは何か? そんなこと知ったこっちゃないとでも言いたげに、今もドロンズは南米アメリカ大陸でヒッチハイクを続行中である。
WEB 進め!電波少年
http://www.ntv.co.jp/denpa/


[す-009]
スター・ウォーズ
star wars
 77年に公開されたジョージ・ルーカスによるSF作品。スター・ウォーズ(以下、SW)サーガと呼ばれるその世界は、映画以外にも、サイドストーリーを描いた小説コミックなど、実に多岐に渡っている。その根幹をなす映画は、全6話からなり(以前は全9話と明言されていた)、すでに4〜6話にあたる『新たなる希望』『帝国の逆襲』『ジェダイの復讐』が公開。現在は99年からの公開に向け、1〜3話の撮影が進んでいる。97年には新3部作公開の前哨戦として、特撮部分のCGなどによる追加や音声のリマスタリングなどを施した『3部作特別編』が一挙公開され、旧作にも関わらずヒットを記録した。
 83年の『ジェダイの復讐』公開後は、SWはすでに過去の作品として、冷遇された位置にあり、フィギュアは模型、書籍などSW関連商品の発売は続いていたものの、それはあくまでもマニア向けといった感が否めなかった。しかし、洋服屋や雑貨屋といったショップの店頭で輸入物のオモチャが売られるようになり、そのアイテムの一つとしてSWが再び脚光を浴びることとなった。そういった流れとタイミングを合わせたように、『特別編』公開を控えた95年に、ケナー社が「POWER OF FORCE」というフィギュアシリーズの発売を開始。過去のものよりも高いクオリティ、キャラクター全種類発売も現実のものとなりそうな勢いのアイテム数、日本の正規輸入元であるハズブロージャパンによる良心的な価格設定(発売当初は円高も手伝って680円。97年10月現在は850円)もあり、初心者からマニア層まで幅広い人気を獲得した。
 そして、『スポーン』とともに昨今のフィギュアブームの牽引車的存在となった。それら一連のSWブームの中心となったのが、初公開時に小中学生だった20代後半から30代前半の人間である。彼らはSF、そして映画の原体験としてSWを捉えている。小中学生の頃の当時よりも、当然金銭的にも余裕ができ、その結果がフィギュアやグッズの収集へと向かわせているのだろう。特別編の公開はビデオまたはフィギュアでしかSWを知らない、新たなるファンにとっても絶妙なタイミングとなった。悪く言えば、ルーカスのマーチャダイジングを巧みに利用した宣伝戦略にまんまと乗せられたとも言える。しかし、これら一連の事象も99年公開の新3部作を踏まえたルーカスによる壮大な戦略の序章に過ぎない。そういう商売がらみの話を抜きにしても、ルーカスが実に20年ぶりにメガホンを取る新シリーズは、20世紀と21世紀をまたにかけた「事件」であることだけは間違いない。
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[す-010]
スチャダラパー
すちゃだらぱー
 オモロラップ(この場合、対ハードコア)の第一人者。ヒップ・ホップという音楽は、その成立過程からも、社会などに対して牙をむくといったリリックが多かった。近田春夫はこのメッセージ性をスタイルとして取り込み、「頭の中ではそんなこと思ってないんだけど、毒づいたほうがサマになる」という理由のみで、ビブラストーンのリリックを書いたという。スチャダラパーはこのメッセージ性という壁を(これは日本でヒップ・ホップが根付かないと言われた理由の一つだったりする)、半径数メートルの事柄のみを歌詞に盛り込むことで、独自の世界を確立したと言える。それは、何気ない日常、他人から見ればどうでもいい話、仲のいい友達の話といった他愛のないものがほとんどだ。リーダーでターンテーブルを担当するシンコが言うところの「1にビート、2にベース、3、4がなくて、あと余談」である。このセンスある余談と、シンコのビート感あふれるバックトラック、そして力強いボーズ、そしてフニャモラなアニという2MC。スチャダラを単なるオモロラップと勘違いした安易なフォロワーが出てきても、その多くが結局「スチャダラのマネじゃん」で終わってしまうのは、彼らのスタイルがいかにオリジナリティにあふれ、クオリティにあふれ、クオリティの高いものであるかの証明とも言える。音楽だけでなく、ちびっこカルチャーをはじめとする、さまざまな対象を視野に入れる文科系特有の貪欲さと、演劇や「ポンキッキーズ」でも違和感のないポピュラリティ。ヒップ・ホップスターであり、ポップスターでもあるスチャダラは、日本のラップシーンだけでなく日本のエンタテインメント界の財産とも言える。
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[す-011]
スーパーモデル
super model
 ナオミ効果でついに日本の隅々にまでその存在を知らしめた、世界を股にかけるミリオネア・モデル。写真集は出る映画は作られる、しかし意外に長持ちしているスーパーモデル・ブームだが、最近はその数もネズミ算式に増え、さすがのモデルウォッチャーの奥恵美子さんも音をあげるほどである。スーパーモデル黎明期のいわゆるグラマー・モデル達は、女優になったり事業に手を出したり結婚したり第二の人生考え時期。ケイト・モスが開いたキャラクター・モデルの最近はといえば、ここはもう無法地帯、カレンはナゴムギャルみたいだし、アイリスはそれに輪をかけて放送禁止のルックス、そしてスーダン出身のアレックに至ってはブラックはブラックでもほとんど『世界女族物語』(ヤコベッティ)である。スーパー過ぎる。  理由としてはファッションのリアルクローズ化により、それを着るモデルの個性に比重がかけられたことや、今やモデル・ウオッチの視点がステージ上のキャット・ウォークではなくバックステージの普段着やライフスタイルの方に移行したことなどが挙げられる。その目で見れば、ハリウッド女優と同じ特性を持つグラマー・モデルは、いかにも前時代的ということになる。最近注目されたモデルはといえば何といってもミラ・ジョヴォヴィッチだろう。チャイドル〜不遇の女優・歌手時代を経たおかげで、独特の存在感を持つモデルとして見事に再生、スーパーモデルのトップに立った。そしてリュック・ベッソンの『フィフス・エレメント』のヒロインに抜擢され、悲願の女優返り咲き。しかし、やはり日本では「ナオミよ〜」CMが、タイミング、クオリティー等もろもろの要素を総合しても、スーパーモデルにまつわる事件のトドメであり最高峰、それ以降のスーパーモデルは今やファッションおたくのためだけに存在している。
WEB SuperModels Online
http://www.supermodels-online.com/
WEB SUPERMODEL COM
http://www.supermodel.com/


[す-012]
スーパーロボット大戦
すーぱーろぼっとたいせん
 ロボットもののTVアニメをストーリーおよびキャラクターのモチーフに使用したシミュレーションRPGシリーズ。いわゆる「SD」(スーパーディフォルメ)と呼ばれるキャラクターの等身を引き下げた絵柄を使用して、アニメのストーリーを作中に折り込みながら展開するこのゲームは、決してメジャーなジャンルではないシミュレーションRPGというゲームでありながら、キャラクターゲームという枠を逆手にとる形でゲームボーイ、スーパーファミコン、プレイステーションとハードの変化とともに徐々に支持層を広げ、次世代機ブームの中発売されたPS版では、シミュレーションもロボットも本来無関係なOL層にまでその人気を拡大した。
 このゲームの美点は、そのよく考えられたシステムやいくつものTVアニメをサンプリングしながら一つの物語を紡ぎ出すことに成功しているストーリー、難しすぎない難易度など多々挙げられるが、実際の人気の原動力となったのは、ガイナックス制作のTVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のヒットと前後するオタク文化の一般化と、それに伴うように露になったメディアの送り手にかつてのアニメの消費者が浮上してきたことによる、過去のメディア体験に対するノスタルジックな空気である。すでに本来無関係だったユーザを巻き込んでしまっているこのマニアックな遊びの宝庫のような作品は、逆にそうしたユーザのガンダムやマジンガーZの原体験になってすらいる。
WEB 


[す-013]
周防正行(1966年生)
すおう・まさゆき
 97年現在の日本で監督名で客を呼べる数少ない映画監督。大学卒業後ピンク映画の助監督として高橋伴明らの下についた後、83年『変態家族・兄貴の嫁さん』でデビュー、小津安二郎のパスティッシュとも言われた作風でカルト的人気を得る。続く『ファンシイダンス』で寺、3作目の『シコふんじゃった。』では大学の相撲部と、これまでのあまり題材とされなかった素材でコメディを発表。とくに最弱相撲部の奮闘を描いて、折しも若貴ブームの中、大ヒットした『シコ〜』は、批評・観客動員の双方で最高の評価を確立した。続く『Shall Weダンス?』で周防が舞台に選んだのは駅前のさびれたダンス教室。そこに生き甲斐を見いだす妻子ある中年サラリーマンの姿を描きまたも大ヒット。アメリカでも15分カットされた短縮版が全米50万人以上を動員、ハリウッドで再映画化の動きも見られるなど国際的市場にも進出、監督自身は作品に出演した草刈民代と結婚するなど多くの話題となった。
 デビュー以降、周防正行は常に何らかの反応を呼び起こしてきたわけで、すでに終わってしまった大衆娯楽としての映画を背負う存在として、アニメーションを除き、90年代前半のあいだ孤軍奮闘してきた存在と見られる。80年代に森田芳光や大森一樹が担ってきた役割にも似ているが、現在大半の観客は彼らの監督名で映画館に足を運んでいるわけではない。アニメーションや北野武竹中直人のようなスターを除けば、周防正行岩井俊二と並んで、大衆的映像がテレビやビデオといったブラウン管上だけとなった時代に大衆を劇場に向かわせる力を持った20世紀最後の映画監督として、記憶されるだろう。
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[す-014]
スポーン
spawn
 マーブル、DCという2大コミックで活躍していたトッド・マクファーレンによって、92年に生み出されたアメコミキャラ。ある陰謀に巻き込まれて殺され、悪魔との契約によってスポーンとしてこの世に蘇ったCIA捜査官アル・シモンズ。彼がスポーンとしてのアイデンティティに苦悩するといったストーリー。キャラクターの権利を出版社が持つことが常識となっているアメリカコミック界の現状を打破するため、トッド・マクファーレンがクリエーターの権利獲得のために、イメージコミックスを設立。同社の第1作となった本作は、170万部のセールスを記録。全世界40カ国、16言語で発売されるまでに至った(日本版は小社より出版)。また、本作のフィギュアが系列のマクファーレン・トイズから発売。ガレージキットを彷彿とさせる精密な作りで、幅広い層からの人気を獲得し、現在の世界規模のフィギュアブームの牽引車的存在として、またクオリティの低かったアメリカ製フィギュアのクオリティ底上げにも貢献した。スポーンのフィギュアはちょっとした彩色の違いや、ショップ、国、期間などの限定品など、いわゆるヴァージョン違いが把握できないほど種類が多いのも特徴。そのあたりがマニアを泣かせ、そして燃えさせている。ケーブルテレビでのアニメ放送に続き、実写による劇場版も公開(日本では98年公開)で、今後さらに盛り上がることは間違いないだろう。
WEB SPAWN
http://www.gaga.co.jp/~pro/spawn/index.html


[す-015]
スマート・ドラッグ
smart drug
 飲むと「頭がよくなる薬」の総称。人間の活動には神経伝達物質が重要な役割を果たしている。覚醒、抑制、記憶、意欲など、それぞれを司る神経伝達物質の分泌量が極端に減ってしまうと、正常な活動ができなくなる。たとえば、ある種の鬱病やパーキンソン病は、運動や情動を司るドーパミン不足が原因といわれている。逆に神経伝達物質が充分満たされていれば、体もも円滑に活動できるわけだ。その神経伝達物質の原料となるアミノ酸やビタミン、あるいは神経伝達物質そのもの、それに神経伝達物質の活動を促進する薬などをまとめてスマート・ドラッグといっていいだろう。
 スマート・ドラッグのほとんどは、薬事法によって日本では入手できない(一部は脳梗塞などの治療薬として処方されている)。利用者は主として、ビタミンやアミノ酸類はアメリカから、それ以外の薬物はアメリカでもFDA(医薬食品局)が規制しているためヨーロッパの国々から個人輸入している。自分だけが個人の責任において使用する限りは、これらの薬物の輸入は法律に抵触しないからだ。ただし、販売・譲渡することは法律違反だから、大量の薬物輸入は販売目的とみなされてしまい、税関で没収される事態もありうる。酒に強い人と弱い人がいるように薬の作用にも個人差があるので、すべての人にとって適切な使用量はないし、薬である以上は副作用も覚悟しなくてはならない。だから使用する際は、文献をあさったり他者の体験を参考にして、最初のうちは少量を試しながら自分に合ったものを見つける必要がある。スマート・ドラッグに関する参考文献は以下の通り。『頭のよくなる薬スマート・ドラッグ』(第三書館)、『SMART DRUGSU』Health Freedom Publications(洋書)、『ミラクルファーマシー』1〜3(同人誌)、『VRP社カタログ(1997年版)』、『IAS社カタログ』、『脳100の新知識』(講談社)。
WEB Miracle Phamacy
http://www2b.meshnet.or.jp/~miracle/


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