[ふ-001]
ファイナルファンタジー(FF)
final fantasy
 『ドラゴンクエスト(以下、DQ)』とゲーム市場を二分する国民的人気を誇るRPGソフト。86年に任天堂のファミコン用ソフトとして発売されて以来、現在までシリーズ7作が発売されている。1作目から3作目までがファミコン版。4作目から6作目までがスーパーファミコン版。そして96年にシリーズ7作目をプレイステーションで発売すると発表し、業界内外を驚かせた。ファミコン時代から洗練されたグラフィックセンスの高さは群を抜いており、キャラクター設定とグラフィックを重視した映画的演出が『ドラゴンクエスト』とは違ったファンを集めた。こうした流れは必然的に3DCGと結びつき、次世代機ブームの中で大容量のCD-ROMをメディアにした最適なプラットフォームとしてソニーPSを選び取るに至った。シリーズ7作目であり3DCGを使用した第一作となったPS用ソフト『ファイナルファンタジーII』は、CD-ROM3枚組という大容量からなる圧倒的なグラフィックセンスを見せつけ、約350万本というミリオンセラーを記録した。この作品は同時にスクウェアのデジタルテクノロジーの高さを海外へも知らしめるものとなり、ゲーム開発会社としてのスクウェアから国際的なデジタルコンテンツメーカーとしてのスクウェアへの飛躍を決定づけるものとなった。
WEB SQUARE HOME PAGE
http://www.square.co.jp/
WEB FFのお部屋
http://www.netlaputa.or.jp/〜room/ff/


[ふ-002]
ファンシー系
ふぁんしーけい
 女性の「カワイイ物」嗜好に次から次へと用意される新しい受け皿。キティ、ミッフィー、ドラえもん、ウルトラマン(SD仕様)、プリクラ、たまごっちなど女性主導のゲームトレンドは、大きな市場化した日本国内だけでなく、ピチカート・ファイヴやジャパニメーション・ブームなどの追い風を受けて欧米諸国へも送り出され、貿易摩擦知らずの文化的輸出品となった。が、去年辺りからちょっとした変化も生まれ始めている。ファミコンの登場以降、家に閉じこもりがちの日本男子(あえて男性ではなく男子)の収集魂に再び火をつけたアクションフィギュア(スポーンスター・ウォーズなど)&トレーディングカードブーム。また95年に発売されながら、97年に入って再ブレイクした任天堂の『ポケットモンスター』は、今まで女の子の物というイメージが強かったキャラクターグッズがアイテム数やバリエーションの豊富さから収集魂を刺激し、男子にもバカ売れ。ゲーム自体も戦わせて育てるというシステム・プラス・友達同士の交換が男子の心に深く染み着いた「友情・努力・勝利」のジャンプイズムにストライク。男子主導の新たなゲーム市場を開拓した。それにしてもキティやドラえもん、ポケモンの人気キャラクターであるピカチューのようなカワイサがいつまでたっても支持されるところを見ると、ヒットを導くキャラクターをデザインする公式は、もしかして普遍的ですごーく単純なのかも。
WEB SANRIO Come On Join Us!
http://www.sanrio.co.jp/
WEB 任天堂ホームページ
http://www.nintendo.co.jp/index.html


[ふ-003]
V&R
v&r
 86年4月、安達かおるによって設立され、異色作を制作しつづけるアダルトビデオ・メーカー。会社設立時、大手メーカーが売れるAV女優を独占していたのに対して、みずから監督を務める安達かおるは他社にない作品を制作販売することで活路を見いだした。彼の代表作である『蒼奴夢』シリーズでは、女性の小水をおいしそうに飲み、大便を食する中年男性が登場、世紀末的作品として話題を呼ぶ。『ジーザス栗と栗鼠』シリーズ第1作目では、後藤沙貴が10人の男たちをフェラチオして次々に顔に精液を浴び、業界一過激な作品の評価を得た。以後この10人フェラチオ抜き顔面発射はシリーズの目玉となり、大いに売り上げを伸ばしていく。安達監督はこうしたAV作品だけではなく、世界各地の悲惨な事故・事件現場の死体を撮る『デス・ファイル』のような作品も制作している。人間のインモラルな側面に光を当てて人間を浮き彫りにするのが安達監督の真骨頂でもある。他社がAV女優の力で商品を売ろうとしているのに対して、企画を優先させ中身で売ろうとするV&Rの姿勢は高く評価されるとともに、性的倒錯者が多く登場するために、「変態の駆け込み寺」とも呼ばれている。
WEB Books about V&R
http://www2.saganet.ne.jp/otb/vandr/books.html


[ふ-004]
風水
ふうすい
 中国文化圏に属する人々の間に伝わる地相占い。日本では、易学の哲学的側面は深く研究されてきたが、風水師のような高度な実践はあまり行われてこなかった。ただ、平安京の都市計画で知られるように、かつてはなかったわけではない。94年に荒俣宏が、香港や韓国の風水事情や、日本全国の風水的都市計画の痕跡を訪ねた『風水先生』を発表して、風水ブームの火つけ役となった。ブームになると、それまで別の方法、たとえば「気学」による「家相」判断などをやっていたような占術家たちも、一斉に風水師と名乗り始めた。風水は、どのような土地にどのように建物を建てれば、家庭円満、商売繁盛が得られるかという占術で、インテリア一つで部屋の風水的環境をよくして幸運を招くといった簡単なものから、巨大ビルの建築計画にいたるまで応用されている。その理論には、自然と人間との調和をはかるという、目に見えないエネルギーを含めてのエコロジカルな発想があり、日本でもてはやされたのは、その点が強調されていたためでもあろう。室内のインテリア一つででも、環境と調和していることの心地よさを味わえるという魅力がある。
WEB COPA's CAFE
http://www.t3.rim.or.jp/~so01-cym/home.html
WEB 風水専科
http://www.jsdi.or.jp/~nao/


[ふ-005]
フォーエバーレコード
forever records
 大阪の代表的な中古・輸入レコード店。そもそもは68年、オールディーズものを通販で扱うようになったのが始まり。その顧客リストには大滝詠一、山下達郎らが名を連ねており、彼等がたびたび大阪の事務所兼倉庫に訪れることもあったという。大滝の『ゴー! ゴー! ナイアガラ』(76年)のサンクス・クレジットには初代オーナーである宮下静雄(故人)の名が刻まれており、当時の親交ぶりがうかがえる。アメリカの権威あるレコード・コレクター誌『ゴールド・マイン』に、日本から初めて広告を打ったのもフォーエバーである(その図版にはソウル狂で知られる湯村輝彦のイラストが使用された)。75〜83年には不定期ながらオールディーズ専門誌『フォーエバー・マガジン』も刊行しており、日本のオールディーズ・ファンに様々な情報を提供し続けた役割はあまりにも大きい。店舗を構えたのは82年のこと。80年代後半には店舗数も増やし(現在は3店舗)、コンテンポラリーなものも強化。今日のように最新のものまでロック/ポップスの全般を売るようになるが、音楽を愛する基本精神は変わることなくスタッフに脈々と受け継がれている。現在、大阪の若者たちのミュージックライフをサポートするレコード店タイム・ボム、ジェリー・ビーン、ヴァキューム・レコードの店長がいずれもフォーエバー出身者というのも、フォーエバーの懐の深さであり、蒔いた種といっていいかもしれない。
WEB 


[ふ-006]
フォトショップ
photoshop
 KNOLLソフトウエア社が開発した画像処理ソフトをアドビシステムズ社が買い取り、88年にバーニースキャンの35mmスキャナにバンドルさせたのがフォトショップである。89年にマッキントッシュが32Bitクイックドローを搭載してフルカラーを扱えるようになったのを受け、90年には正式にフォトショップ1.0として単体での発売が開始された。現在ではマッキントッシュ版の他、ウィンドウズ、SUN、SGI、OPENSTEPなど、さまざまなOSに対応している。それまでコンピュータ上での写真画像処理はサイテックス社のレスポンス・システムなど、数億円と言われるものしかなかったところへ、パソコンで同じことを可能にしてしまったのだから、フォトショップがデザイナーや印刷業界に与えた影響というのは計り知れないものがある。
 写真のレタッチというのは色やコントラストなどのバランスを変えるほかに、風景から電柱を取り除いたり、モデルのシミやそばかすを消すことあたりから需要が拡がっていったのだが、現在では複数の写真を合成して自由にコラージュしたり、3Dソフトと組み合わせて存在しないものを描き出したりする用途にも使われるようになった。最近のハリウッドの特撮映画にもフォトショップが多く使われている。また、個人でもアイコラの作成などにフォトショップを使っている愛好者がいる。
 イギリスでは大衆紙が王室報道の中でフォトショップによる合成写真を一面に掲載した事件があり、ジャーナリズムの倫理が問われたことがあった。<フォトショップを上手に扱えるようになれば、誰が見ても合成だと見分けのつかない写真を作成することができるわけで、“写真は真実を写し取るものだ”という概念をひっくり返してしまったことでも、フォトショップは歴史に残るソフトウェアの一つだろう。
WEB Adobe System Japanese Home Page
http://www.adobe.co.jp/


[ふ-007]
Folder[フォルダ]
folder
 97年8月にAVEXTUNEから『パラシューター』でデビューした、ローティーン以下の7人組のダンス・アーチスト・グループ。男2人、女5人の構成だが、美少年美少女揃い。その声変わり前の声の印象から、“90年代版フィンガー5”と評す声もある。彼らは曲中にある英語のMCもこなすほどグルーヴ感も頼もしく、デビュー直後から女子中高生を中心に、幅広い年齢層からの支持を集めている。美少女4人組のダンス・グループSPEEDの大成功が、日本のダンス・シーンの大衆化に努めてきたAVEXグループを刺激し、さらに若い世代からのダンス・チューンのマーケット育成、開拓に着手したことが推測される。実際、デビュー曲はフジテレビ系の朝の子供向け番組「ポンキッキーズ」のメロディーとして採用されている。こうしたダンス・チューン人気の低年齢化の背景には、バブル期にダンスに目覚めた親の世代の青春回帰願望があるようだが、大人でも群舞が困難な7人編成で見応えのあるダンスを披露できる新世代ダンサーの登場は、日本のダンス・シーンの真の意味での幕開けといっていい。
WEB avex network
http://www.avexnet.or.jp/


[ふ-008]
福家堂本舗
ふくやどうほんぽ
 『ぶ〜け』に連載中の遊知やよみの人気マンガ。京都の老舗の和菓子屋の三人姉妹とその母親を主人公にした連作。ちょっと犬木加奈子を思わせないでもないビー玉のような目の絵柄が苦手と感じる向きもあろうが、読んでいるとなにより京都のいけずなやりとりの真髄がわかるのが面白い、異色作である。とりわけ、もっとも京都人らしい京都人である長 女の雛ひなと、その婚約者の桧ひの山やまのやりとりは絶妙で、まさに狐と狸のばかしあい。すべての言葉に裏がある。たとえば、「これで全部どすか? あなたの預金通帳」「勿論。これから一緒に生活するあなたにうそはつけませんよ。私の全財産です」という会話の裏で思うようbb“絶対、あと二つ三つ通帳隠してるわ、この人”“まさか五つ隠してるとは思わないだろう”。その探り合いの謎かけ遊びで関係をつないでいく二人。しかし、その迷路のような言葉のやりとりが、かえってお互いの心を隠してしまうこともある。言葉の裏の裏の裏を読み、ここぞというときにはストレートに勝負にでる、そんな、伝統と修業をつまなければできない言葉の職人業の世界に、ふ〜む、と感心させられる作品。
WEB 福家堂本舗 第3巻
http://emall.justnet.or.jp/shop/jn_gaoh/08/848595.htm


[ふ-009]
藤子・F・不二雄(本名藤本弘、1933年生)
ふじこ・えふ・ふじお
 戦後の日本文化における最重要人物の一人で、世界的なマンガ家。富山県高岡市出身。安孫子素雄(現・藤子不二雄・)と小学5年生の時にコンビを組み、52年『天使の玉ちゃん』(毎日小学生新聞)でデビュー、54年上京。戦後マンガ家の梁山泊となる椎名町の「トキワ荘」に入居(手塚治虫が引っ越した後の部屋)し、二人で一人の「藤子不二雄」として活躍する。『週刊少年サンデー』創刊号から連載された『海の王子』(59年)、続く『オバケのQ太郎』(64年)のヒットで第一線に躍り出た。88年、合作コンビを解消。藤本の代表作に『パーマン』『ウメ星デンカ』『モジャ公』『ドラえもん』『エスパー魔美』『T・Pぼん』『チンプイ』などがある。以上の全てはTVアニメーション化されており、さらに劇場用作品になったものもある。また『未来の想い出』は森田芳光監督により実写映画化された。
 藤子不二雄は出版社ごとに執筆担当を分けていたため、生活ギャグやSF短編といった藤本の作品の多くは小学館(学年誌、『コロコロコミック』)、早川書房(『SFマガジン』)、朝日ソノラマ(『月刊マンガ少年』)、潮出版(『コミックトム』)の各社で発表された。コマ割りは1ページを4段に分けたスタンダードなもの。登場人物も丸を基本とした造型で、線がかすれたりすることなくきっちりと描かれる。曖昧なところがない、極めて明晰な絵柄である。ここに藤本の想像力が加わり、日常から半歩ズレた「SF」(藤本曰く、SUKOSHI FUSHIGIな物語)が生まれる。実際、藤本はSF短編の名手なのだが、エロスや、人間の生々しい欲望や裏切りを描くことはあっても、それはなにか繭の中に閉じこめられた温かなもののように感じられてくるのが不思議だ。生活人/創作者として、藤本がどこまでいっても人間(子供)を、その想像力を信じていたところから来る、上品さなのであろう。
 机に画稿を広げ、鉛筆を握りしめたまま意識を失い、意識が戻ることなく96年9月23日午前2時10分に逝去。死因は肝不全だった。最期まで児童マンガ家・SFマンガ家の“マンガ一代”を体現し、マンガに死し、伝説となってしまった。しかし、物故作家としてその作品が読まれなくなるのは惜しい(多分その心配は無用だろうが)。藤子不二雄の全集として中央公論社「藤子不二雄ランド」全301巻(84年刊行開始。当時個人全集としては世界一の規模。現在は講談社「手塚治虫漫画全集」が全400巻刊行中で、世界記録を更新中。完結間近)があったが、すでに絶版。現在は主に小学館の単行本と、没後の97年に刊行された編集本『藤子・F・不二雄の世界』で多数の作品に触れることができる。藤本の生み出したキャラクターは長く愛され、今も男女を問わずドラえもん人気は根強い。彼の作品やそのアニメーションを見て育った人間が世界中にいる。表現者と呼ばれる者にも有形無形の影響を与えている。そんな人々が作る来世紀は、捨てたものではあるまい。
WEB 藤子・F・不二雄の世界
http://www2f.meshnet.or.jp/~tukikage/fujiko/fujiko.htm
WEB 藤子・F・不二雄先生お亡くなりになる
http://as2.c.u-tokyo.ac.jp/~morimon/FUJIKOF/


[ふ-010]
藤原ヒロシ
ふじわら・ひろし
 DJ、音楽プロデューサー、ショップ『レディ・メイド』ディレクター……。彼がファッション雑誌で紹介するアイテム(工場が閉鎖されるため生産が終了するというレアなスニーカー……、この友達の店に置いてあるニットは数はあまり多く作らないらしい……)は問い合わせが殺到し、瞬く間にマーケットから消えてしまう。藤原ヒロシ=ストリート・ファッション最重要人物説に、異論を唱える者はまずいないだろう。彼は日本のマルコム・マクラーレン? それともアンディ・ウォーホルか?
 そのキャリアを振り返ってみると、80年代の東京にあってクラブ・ミュージックとストリート・ファッションの融合をここまで見事に、そしてわかりやすく(その意味では中西俊夫、佐藤チカといった人々より圧倒的な優位に立っていた)体現した人物は藤原ヒロシより他にはいなかった。そしてかつてロンドン滞在中に“小さなパンクス(タイニー・パンクス)”と言われた藤原ヒロシは、マルコム・マクラーレンの視点がパンクからヒップ・ホップにスライドしたように、その名も「タイニー・パンクス」というヒップ・ホップ・ユニットを高木完と結成する。それはその音楽性よりも、ヒップ・ホップというスタイルをニュー・ウェーブ全盛のあの時点でチョイスしたということにその革新性があったはずだ。
 つまり藤原ヒロシはつねに何かをチョイスする時の、その手つきが圧倒的に優れている。まったくの意表を突くのではなく、あくまで誰もが了解できる範囲内で意外な、しかし必ず共感できるモノをチョイスする。彼の才能がまずDJとして開花したということは、彼が単に音楽通だったということを意味するのではなく、DJという行為がこのチョイスする手つきをもっともダイレクトなパフォーマンスとして成り立たせるからだったからだろう。
 そして、彼はクラブであざやかなDJプレイをするように、各メディアでお気に入りのアイテムやスタイルを公開するようになる。『宝島』誌上そしてフジテレビの深夜番組『FM-TV』で高木完とタイニーパンクス名義で展開した「ラスト・オージー」、『CUTIE』での「H.F.A」にいたる過程で、彼は音楽よりむしろその時々のストリートのファッション・トレンドをサジェストする人として徐々に支持を集めていった。
 ファッションと音楽は、いわゆるサブカル志向を持つ男の子にとってもっとも重きをおかれるジャンルで、圧倒的な目利きとしてのセンスのよさを発揮する彼に、男の取り巻きがつくのも当然なのだろう。ただ、彼は近づく人間にみな平等に接したわけではなかった。彼とともに雑誌に登場したのは結果としてJonioとNigoといったそれぞれ、「アンダーカバー」「ア・ベイシング・エイプ」といったブランドを立ち上げる“才能”を持った人物であり、多くの取り巻きの中から彼らの才能を見出したという意味でも“目利き”なのだろう。
 そうした、雑誌メディアを通じてのトレンド・セッターあるいは、DJ、プロデュース、作曲といった音楽活動は、あくまでも「わかるヤツだけ、ついて来い」といったスタンスであったのが、ここ数年事情が変わってきている。『メンズノンノ』『クールトランス』といったメジャーな商業誌で連載を始め(内容的には前述の「H.F.A」同様、ヒロシがお気に入りのファッションをメインにレコード、本なども紹介するというもの)、藤原ヒロシのマス化とでも言うべき事態が起きている。ヒロシが雑誌で紹介したアイテムはあっという間に店頭から消え、街にはヒロシが雑誌に登場したときと全く同じ格好をした男の子で溢れかえる。そしてここで言う街、ヒロシの「ファミリー」が店を出している原宿(裏原宿)がもっとも象徴的なスポットとして注目を浴びるようになる。その結果、原宿系とよばれるファッションが全国に広がり出した。夏休みにもなると地方のおしゃれ小僧が、徹夜して裏原宿の店に並び、猿の絵が描いてあるTシャツをようやく一枚手に入れて帰るいったことはそう珍しいことではない。
 こうした“ヒロシ現象”をもとに藤原ヒロシを「カリスマ」と呼ぶ雑誌もある(元祖はやはり、『BOON』だろうか。『Hot-Dog Press』は「藤原ヒロシというカルチャー」という特集号も出した)。そう、クラブや一部の雑誌といったアンダーグラウンドで圧倒的な支持を得ていた藤原ヒロシは全国区でカリスマとなってしまったのだ。
 この背景にあるのは何だろう。藤原ヒロシがチョイスするファッションには、奇抜なデザインが施されているものは、ほとんどない。カジュアルではあるが、いかにも着心地のよさそうなシンプルなアイテムが多い。つまりフェイクではない「リアリティのある」ストリートファッションと呼べるだろう。ヒロシ信者はそのファッションを通して、つまり「ストリート」でリアルなライフ・スタイルを送る自分自身を演出したいと願っているのだろう。「ストリートにはスーツにネクタイは似合わない。ジーンズとスニーカー、それに気の利いたスエットやニットがあれば充分」というポーズをとっている。
 ヒロシ信者は、ストリートの住人になるためには藤原ヒロシのスタイルを学ぶのが一番の近道だと考えている。しかしこうした信者たちにとっての『ストリートのリアリティ』とは、必ずしも現実生活の延長には位置しない。むしろ、わざわざ地方から出てきて原宿のショップで買い物をするという行為は現実的にいえば不自然なことだ。にもかかわらず、彼らはストリートという言葉に鋭く反応し、裏原宿を目指さずにはいられない。
 これは加熱しているヴィンテージ・ジーンズの大ブームと同じ構造ではないか。つまり何十万円とする中古のあるいは売れ残りのジーンズを血眼で手に入れ「やっぱりホンモノは違う」などと言うことのウソ臭ささ、しかし当の本人は本物(リアル)を手にしているという自己満足でいっぱい、ということによく似ている。ヒロシの提唱するストリートファッションは魅力的なのかもしれないが、肝心の「ストリート」ヘは延々と電車を乗り継ぎ、到着後も長い行列に加わらなければ店に入ることはできない。また、行列がなくてラッキーと思って店へ入れば、売りものはガラスケースに入ったベルト1本なんてこともある。ヒロシ自身がプロデュースするショップなどは、くわしい場所や電話番号を公表していないので、店を探すことから始めなくてはならないのだ。これらのことは「カッコよくありたい」ということとはものすごーく遠いようにも感じる。
 でもそんな汗水流して、ブツを手に入れ、そしてようやく袖を通すことができる充実感、それこそが現在の「リアルなストリートライフ」なのかもしれない。
WEB Fujiwara Hiroshi OFFICIAL HomePage(C)
http://www.jap.co.jp/FUJIWARA_HIROSHI/home.html


[ふ-011]
父性の復権
ふせいのふっけん
 社会規範の崩壊が意識されるとき、きまって出てくる秩序志向の復古主義。96年に、東京女子大学で深層心理学を専攻する林道義の書いた『父性の復権』がヒットし、以後たびたび話題になっている。父親には、家族を統合し、理念を掲げ、文化を伝えて、社会ルールを教える役割があり、その慈愛ある権威が喪失したことで、子供らの病的な無軌道さが生じてしまった。だから、父権を回復せねばならないという、いたって常識的な正論である。
 世の中の秩序崩壊が著しく、援助交際だの酒鬼薔薇事件だの、少年少女たちの行動にとまどった大人たちが、子供たちを自分たちの理解できる範疇に引き戻すべく考えるときに、もっともわかりやすい一案であり、なにか事件のあるたびにやはり父性が必要だと繰り返し話題になった。宮台真司らが援助交際を肯定的に語るなど、大人の秩序感から子供らが流離してゆくことを認める思潮があることへの反発も、一部には働いているかもしれない。父性の喪失には社会史的必然性があるわけで、こうした素朴な反動はあまり実効力のない、慰めにすぎないようにも見えるが、むしろ大人さえも、こうして深層心理学者に理想像を改めて提示してもらわねば、どうすればいいかわからないほどに、規範が喪失していることの証左と見るべきかもしれない。
WEB 


[ふ-012]
府中青年の家裁判
ふちゅうせいねんのいえさいばん
 同性愛者の団体であることを理由に府中青年の家の宿泊を拒否されたことは違法・違憲であるとして、「動くゲイとレズビアンの会・アカー」が東京都を相手取り損害賠償を求めた訴訟。目に見えにくい日本のゲイ差別の実体に輪郭を与えた画期的な事件として、日本のゲイ・ムーブメントに偉大な功績を残す。
 経緯は以下の通りである。90年2月、府中青年の家で合宿を行ったアカーは同性愛者の団体であることが原因で、他の利用団体から嫌がらせを受ける。当局に善処を求めたが職員からは誠実な対応がなされず、後に所長より「同性愛者に都民のコンセンサスはない」「あなたがたが来ると、余計な心配をさせられる」などの発言がなされ、東京都教育委員会は5月に予定していたアカーの合宿の請願を拒否。91年2月、アカーはこれを同性愛者の施設利用権と学習権を侵害する差別的な取り扱いであり、人権の侵害であるとして、損害賠償を求め東京都を提訴。94年3月、第1審判決で東京地裁は東京都の処分を違法とする判決をし、アカーの完全勝訴。同4月、東京都控訴。97年9月、東京高裁は都の訴えを退け、同性愛者による府中青年の家の施設利用の権利は認められた。この一連の裁判では、判決に「同性愛と同性愛者のついて」という章が設けられ、同性愛者がこれまで様々な差別を受けてきた当事者であり、同性愛は異性愛と同じ同等の性的指向であることが認められることとなった。
WEB 


[ふ-013]
復刻ブーム
ふっこくぶーむ
 文庫ブーム、70年代マンガブームから広がる形で浸透中。最近のヒットは、大泉実成『消えたマンガ家』(『Quick Japan』連載。太田出版でも取り上げられた、異能の作家・徳南晴一郎の『復刻版怪談 人間時計』(『怪談 人間時計』『猫の喪服』を収録。ともに62年描き下ろし刊行作品)。「QJマンガ叢書」で刊行され、装幀のよさと、古書価も高くなっている幻の傑作の復刻という話題性もあって、3万部を超す売り上げを記録した。これは本体である『QJ』の最近の売り上げを上回る数字である。この成功により、叢書は米沢嘉博と竹熊健太郎両氏の監修で順次刊行がスタート。No.01『悪魔くん』(水木しげる)、02『ガバメントを持った少年』(風忍)で幕開けし、『怪談 人間時計』もNo.00として組み入れられた。以後、03『聖マッスル』(宮崎惇・ふくしま政美)、04『地獄くん』(ムロタニ・ツネ象)、05『寄生人』(つゆき・サブロー)とシリーズは好調だが、徳南・ふくしま・陽気幽平・ジョージ秋山・中本繁など、まだまだ強力なラインナップが控えているという。
 大手の講談社でも、貸本版『墓場鬼太郎』(水木しげる)のシリーズで傑作との評価が高い『怪奇一番勝負』『霧の中のジョニー』を当時のまま完全復刻、豪華帙箱入り、限定1000部で、各巻限定番号と著者直筆サイン色紙をつけて売り出そうとしたところ、1万円を超える高額商品であるにもかかわらず、予約だけでほぼ完売となった。角川書店では廉価版で『墓場鬼太郎』全編を全6巻で復刻、これも売れ行き好調である。
 これまで、文庫やスペシャル版でない形の復刻は、時代の狭間に消えたマンガ家の作品と大御所の有名作がほとんどであったが、ここへきて永井豪の珍作『へんちんポコイダー』の復刻が予定されるなど、変わった動きも出てきている。なお、長く品切れとなっていた作品を重版して世間に出すだけなのに、「復刻」という言い方(売り出し方)をする大手出版社があるが、恥ずかしいのでやめていただきたい。
WEB 懐漫倶楽部
http://tokyoweb.or.jp/chihaya/natuman/


[ふ-014]
物欲
ぶつよく
 今彼らが気持ちよくなる為に必要な物は最上級の一品ではなく、大量の類似品である。
 質ではない。むしろ量だ。もちろん、質に対して、こだわりがない訳ではない。しかし、その質について彼らが論じる時、彼らの歴史に、部屋の中に、膨大な浪費と多大な労力と、古墳に並べられたハニワのような同一物の群れがないかぎり、「質」を語る説得力と満足が得られない。
 そしてまた、そこで言われる「質」についても、製品上や構造上という意味での「質」ではないから、話はますます厄介である。  古ぼけて劣化した上着や泥だらけの靴。眺めるだけのオモチャ。品質を度外視して、そこにあるもの。
 それは「価値」である。
 彼らは、自分たちのみが認める価値を探し、求め、収集し、その欲求を満たしてゆく。
 この物欲の流行。これがOLのブランド品漁りといかに違うのかといえば、たぶん、なにも違わない。根本的な部分はほぼ同質のところなのだが、前者を“物欲としての文化”と称し、後者を“物欲としての物欲”と、ここで区別する理由はいくつかある。目に見えて違うことといえば、ブランド品の場合、家に並べておくと泥棒に盗まれる可能性があるが、彼らの宝物の場合、泥棒に盗まれる以前にオカンに捨てられる可能性が高く、よしんば盗まれたにしても、犯人は友人であるというところだろう。
 つまり、その「価値」は一般的な見解ではない場合が多いということだ。
 そして、これが文化的な行為につながるという話をこじつける前に、このモノたちの背景にある流れを考えてみなければいけないだろう。
 もう、今の時点でピカピカのオリジナリティを持った創作や表現が登場することはかなり不可能に近い。出尽くしたといえば平凡だが、つまりはそういうことである。
 例えば、大昔なら音楽とファッションが連動して世の中に送り出され、そこからオリジナリティのようなものが登場したのだろうが、もしもこの時代に何か新鮮な音とファッションが発明されたところで、それが主流になりえる集中力をすでに世間は失っている。
 おそらく、その意味ではヒップ・ホップが最後の連動型だったのだろうが、それこそが、オリジナルを逆説的に表現した体系だった。
 もう今や、本当のオリジナリティや発明は存在しないし、必要とされていないのだ。
 現在、かろうじて残され、与えられた表現は、再構築と再発見なのである。
 とにかく、当たり前のことを改めて取り上げたり、組み合わせていくしかない。
 そんな時代の中で、彼らが夢中になっている“モノたち”を見ても、それがよくわかる。
 デニム、スニーカー、トイ、スウェット、ブーツ、フライトジャケットなど、昔から、普通に平凡に存在していたモノばかりである。
 服装はよりカジュアルになり、数年前なら大学落ちまくってる浪人生のような装いが、オシャレと称されるようになった。
 もちろん、ここでいうオシャレとは彼らの世界での話であって、世界のモード的にはどうかは、論じるまでもない。
 しかし、彼らがそれをオシャレと呼ぶ理由のひとつに「ライフスタイル」みたいな言葉がある。TPOにかかわらず、自分なりのスタイルでラフにタフに暮らしているという、思想といっても大げさでない言い草。
 華やかなステージにジーンズで登場するアーチストの方が、ポリシーを感じるという見解。これはニューミュージック歌手に対してブスだから歌が上手いとか、才能があるんだろうと感じる錯覚に近いものもあるが、ライブエイドの時、チャールズ皇太子の横でタキシードにスニーカーのボブ・ゲルドフが足を組んで横柄にしていたカッコよさに通ずると思えば、個人的には共感しないこともない。
 ところが、そのジーンズ1本がただのカジュアルではなく、高額な代物であるということで話はより一層ややこしくなってくる。
 彼らの欲しい物は希少品である。希少品ともなると、どんなモノでもたいがい高価になる。そして、彼らはその希少品をひとつではなく、たくさん持ちたがるのである。
 レア、ミント、デッドストック、限定、別注、コンプリート、そんなキーワードが彼らの物欲をよりかきたて、それはある種、強迫観念にも近いものさえ植えつけた。
「数が少ない上に高い」。そんな、やめときゃいいモンをやめない時、人間は燃える。
 売ってない物を探して見つける喜び。この感覚。彼らをコレクターと呼ぶには少々大げさだが、これはコレクターなら、すべての人が持ち合わせている蜜の味でありトラップでもあるのだ。
 以前、新聞の仕事で、毎月いろんなコレクターの人を取材したことがあった。ミニカーや箸置き、カエルやピエロの物なら何でもといった具合に、たくさんのコレクターにお会いしたのだが、これらの人がたいがいみんな同じ事を言うのが、今となっては興味深いところである。
 その中でも、カエルの物なら何でもと、瀬戸物からヌイグルミまで集めるタイプの人はとにかく、見つけたら闇雲にという集め方だが、その方向とは違ってミニカー収集家の人の場合は彼らと似たタイプに分けられる。
 彼らの集める物やミニカーには限りがある。“何年製の○○”、また新作は何が出るというように、自分の欲しい物があらかじめカタログや専門誌によって解っているのだ。
 ミニカー収集家の方も、自分が欲しいと思っている何十年も前のミニカーを、毎日カタログで眺めるらしい。そして、そんな毎日を送っていると、自分とそのミニカーとの距離が精神の中で近づいていくと言うのだ。
 そして、いずれ本当に出会うのだという。
「毎日、その事ばっかり考えていると、本当に出会えるんですよ」
 すべてのコレクターの言ったセリフである。物を媒介として精神世界に到達する。奇跡的な現象が自分の中では当然に映る。この感覚は少しでもその道の断片をかじった者ならば理解できる事だが、実際にそんなことがあるのであって、彼らもただ物を買い求めるという事以上に、その物から様々な無形の喜びを得ているのである。だからこそ、彼らは物集めに、そこまで熱中できるのだ。
 例えば、彼らが何かを買い集めることが同じ価値観を持つ者同士のコミュニケーションとして存在している。
 そして、冒頭でも記したように、それらを数多く所有することが彼らの気分をより満足させる。どれだけ価値のあるスニーカーやトイでも、それひとつでは何の意味も持たない。
 なぜならば、スニーカーを履く、オモチャで遊ぶという本来の使用目的とは異なった所で、その意味が成立しているからなのだ。
 彼らの部屋にそれぞれが、ひとつ、ふたつと増えてゆくことにより、彼らは精神を満足させてゆき、知識も得てゆく。部屋の空間がそれで埋め尽くされていくのと比例して、その分野に於いて成長してゆく自分に酔える。
 高額な代物だけではない。一万円程度で手の届く物でもいい。失敗を重ね、レプリカやブートをつかみ、経験を積んで、それぞれが次の価値観を見つけてゆく。
 この「物欲」という近頃の風潮をマスコミにあおられているとか、ミーハーだと言うムキもあるのだろうが、そんな事は彼らにとってどうでもいい話である。
 ちょうど、何か特別な自分を漠然と模索していた彼らにとって、この「物」に対することで感じ取った何かは意義が大きいし、手っ取り早かった。それが自分の中で、ある種、精神の治療になっているのだとすれば、こんなに価値のある泥靴は他にない。
 ただ、ナチュラル志向を口にするわりにはその知識のぶん、他人の服装や持ち物を自分たちの価値の中で値踏みする目つきには気持ちの悪い、悪趣味を感じるが、結局、芸術とは無縁の文化には、歴史的にも、差別をすることによって、その位置を確立し、アイデンティティを得るものだから、仕方のない事ではあるが、幼稚な事でもある。
 しかし、この物欲が向けられている対象(トイや洋服など)自体が、そもそも幼稚といえば、その通りの事なので、これも、ことさら非難するまでもない。
 ある雑誌のインタビューで女性ミュージシャンのひとりがこんな事を言っていた。彼女もまた、そんな彼らと同一性の趣向を持つタイプのひとりである。
「みんなが、同じ物を着たり、集めたりしているけど、それを批判する方の人は苦手です。いい物だからこんな欲しいと思うんだし、逆にそれに手を出さない方が不自然だと思う」
 もう、論調もこうなってくると、どちらが正論なのかは見当もつかないが、彼らの中の法則を曲解すれば、物を集め、持てば持つほど没個性につながってゆくということにもなる。だが、彼女自身も言っているように、個性ということを服装や趣向で計ることすらが今は存在しないということなのだろう。
 オリジナリティのない時代。物を集めることをメディアに彼らなりの知識とオリジナルを探す。趣向は幼児退行し、子供の頃、メンコやキーホルダーを集めたのと同様の感覚で夢中になる。きっと、そんな感覚になれる何かに巡り合いたかったのだろう。
 何はともあれ、出会えた事が幸せである。
 数年経って、この風潮を改めて眺めた時、それは大昔の現象と同じようにとっても斬新に映るかもしれない。
 40年前のクタクタの上着に大金を払い、腕には安価で高機能なデジタルウォッチを、足元にはハイテクなズックが装備され、部屋の中にはそれぞれのスペアが整然と大量に並んでいる。そんな風景。
 とってもアニメ的でサイバーパンクな世の中に見えるかもしれない。
 そして、これからネット上、デジタル上ですべての交流が行われていくだろう。 「物」のようなアナログな存在を足で探し歩き、それをコミュニケーションのツールとして使った最後の文化かもしれない。
 みんながコレクターや評論家になりたがった時代。
 次世代の若者が今の時代を知った時、“買い物しまくるのが流行ってたんだって。へんな時代だったんだなぁ”と驚くかもしれないし、これを次世代の人が“オリジナリティのある時代”と呼ぶのかもしれないが、それは今のボクらが考えることでもない。(リリー・フランキー)
WEB 


[ふ-015]
船井幸雄(1933年生)
ふない・ゆきお
 経営コンサルタント会社・船井総合研究所の創業者で、会長。会社経営者にその信者が多く、本人の著書によれば“経営の神様”と呼ばれているという。一方、ニューエイジ風の人生論や文明論を説く著書が人気で、そのなかには超科学的発見、発明、超能力的現象などについて紹介するものも多い。その際に、「びっくり現象」や「本物」などのキーワードを駆使する。超科学の研究者のほとんどが「一度は船井さんのところを通っている」と言われるくらい、怪しい人材に広大なネットワークを持ち、95年以来、年に一度、そうした多彩な人々の講演会と展示即売会を組み合わせたイベント「フナイ・オープン・ワールド」を開催している。
 船井は、現代社会の諸問題の原因を、自我の競合するような「近代のパラダイム」に求める。そして、まもなく人が自我にこだわらず、全体の調和した「エヴァの時代」がやってくるという。ニューエイジの典型的な終末論的選民思想である。いかなる不幸も全体調和の視点からみればすべて「必要・必然・ベスト」であるという現状肯定の人生論を持つ船井は、人々が現代の諸問題に気づき、船井の推薦する「本物」商品を買うなどしていれば、いつしか「百匹目の猿現象」が起きて、同じように考える人が爆発的に増え、自ずから世界変革は起きると主張する。だから、あなたもその変化にさきがける猿になれ、と船井は誘惑する。船井ファンは、船井の著書に自分の考えと感覚的に似たことが書いてあるのをみつけ、自分も百匹目までの一匹なのだという喜びと慰めとをみいだしている。
WEB 


[ふ-016]
プライド・マーチ
pride march
 社会的弱者である同性愛者たちが、権利獲得や地位向上のために、プラカードなどを掲げて街を練り歩くこと。ゲイ・プライド・マーチは、69年6月、ニューヨークのゲイバー「ストーンウォール・イン」で、度重なる警察の嫌がらせにゲイが抗議した出来事をきっかけに、「同性愛者であるプライドを主張するために行進しよう!」と翌年から開催されるようになった。現在ではアメリカ各地やヨーロッパなど全世界に広がり、6月をゲイ・プライド・マンスとして映画祭やスポーツ大会といった様々なイベントを行い、最後の週をプライド・ウィークとしてパレードやマーチで締めくくる都市も多い。本家ニューヨークでは、毎年6月、ゲイ・イベント目当てに訪れる観光客が10万人単位にのぼると言われており、その経済効果は軽視できないものとなっている。シドニーで毎年3月に開催されているマルディグラは、リオのカーニバルばりの豪華絢爛なパレードが売りで、「80万もの人出で賑わう世界最大のゲイのお祭り」と旅行ガイドにも紹介されるほどだ。
 日本でも、94年から東京レズビアン・ゲイ・パレードが開催されるようになり、95年には2000人以上の参加者を記録した。また、96年からは札幌でもセクシャル・マイノリティ・プライドマーチが行われ、日本全国から約500人が参加。97年には10月10日体育の日にダイク(レズビアン)マーチが企画されるなど、その動きは広がりを見せはじめている。
WEB 


[ふ-017]
フライヤー
flier
 クラブイベントやライブの告知に関するチラシを、90年代的に英語で言い換えるとこうなる。また、新しくオープンする店の告知やセールのお知らせなどは、ショップ・フライヤーと呼ばれる。主な配布場所はレコード店や洋服屋、雑貨店、ギャラリーなど。無料で配布されることを前提に制作されるものがほとんどなので、必然的に制作費は低予算。しかしデザインや紙質、判型などに工夫を凝らしたり、フリーペーパーのように読み物として充実させたスタイルをとるものも多い。今ではショップのレジ横や入り口付近は、キャッチーでポップなグラフィック、そしてイベント情報の博覧会と化している。クラブカルチャーが根付いているロンドンやニューヨーク等、外国の都市でもフライヤー事情はまったく同じで、面白そうなイベントやショップをガイドブックに頼らず探す一番よい方法は、まず目についたレコード屋や洋服屋にとりあえず飛び込み、こうしたフライヤーを手に入れることだろう。
 このストリート発のメディアはとにかく機動性が高い。雑誌などに掲載してしまうと、規模が小さく、ひっそりと行われるアンダーグラウンドなパーティーの場合、オーガナイザー(主宰者)が意図した客層と異なった人々が集まってしまって会場の雰囲気が変わってしまうといったこともある。そのため配布場所を限定したり、印刷枚数を少数にして客層や客数をコントロールしたりするのに利用することもあるようだ。
WEB 


[ふ-018]
プラダ
prada
 プラダ創業者の孫娘ミウッチャ・プラダが手掛ける、グッチと並び現在日本の女の子が最も好きなミラノのブランド。好きといっても彼女らの場合、あの「三角マーク」がバッグに付いていればいいわけで、実はアナーキーなミウッチャの世界観を堪能しようとするはずもなく、今日もミラノ郊外の工場でアウトレットを1円でも安く買うために旅行に出る。ミウッチャの本領はむしろセカンド・ブランドの「ミュウミュウ」(ミウッチャの愛称)で発揮されている。ドリュー・バリモア、クロエ・セヴィニーといった曲者をイメージモデルに起用してきたことからもわかるように、質が高く知的で自由なアイデアは、プラダ>同様粗悪なコピーを産みに産んだ。96年に始まったファッションとアートの祭典、フィレンツェ・ビエンナーレでは、なんというかやはりというかあの「牛まっぷたつ」でおなじみのダミアン・ハーストとコラボレート。今度はちゃんと生きてる仔馬でよかった。
WEB 


[ふ-019]
プラミラセタム
pramiracetam
 現時点では最強のスマート・ドラッグスマート・ドラッグとは、ありていにいうと「頭がよくなる薬」の総称だ。なかでも、記憶と密接に関わる脳内神経伝達物質であるアセチルコリンを活性化させるピラセタムという薬が、代表的な存在。簡単かつ乱暴に言うと、神経伝達物質は脳内で情報を運ぶ働きをしているから、記憶を司るアセチルコリンがちゃんと働かないと、ものを覚えたり思い出すことがうまくできなくなる。そこでピラセタムが効果を発揮するわけだ。
 そのピラセタムを進化させた形で登場した、最新・最強の薬がプラミラセタムだ。効果はピラセタムの10倍以上といわれ、脳内へも迅速に吸収される。つまり、極少量ですばやくその効果を享受できるのである。どんな薬でも作用には個人差があり、とくにプラミラセタムは強力であるため一概にはいえないが、100mg〜600mgを1日に1、2回程度服用することで劇的効果を体験できるだろう。筆者の体験では、300mg服用後30分で、頭の回転がとてもスムーズかつ速くなったように感じ始め、集中力もビシッと異常な高まりを見せた。それまでダラダラやっていた原稿書きも、とたんにサクサク進み始め、予定通りに終了することができたのだ(この原稿もプラミラの力を借りて書いた)。ただ、通常よりも発汗量が増え、感情もアッパーでホットな状態に移行し、ちょっと落ち着きがなくなる傾向にあった。電話では、知らず知らずのうちに喋りのスピードが加速していき、相手を驚かせたこともあったくらい。よくいえば、行動意欲が高まるのだから、外へ遊びに行く際に服用する手もある。
WEB International AntiAging Systems
http://www.smart-drugs.com/


[ふ-020]
ブランド古着
ぶらんどふるぎ
 今や古着もブランドである。男の子のリーバイス戦争や、ヴィヴィアン、ギャルソンのDCリサイクルは今に始まったことではないが、ここで指すのは海外ブランド古着のこと。近年の異常なブランドブーム、まあ簡単な人はデパートでローンを組んだり、ハワイや香港の免税店で現行商品を買ったりしていればいいのだが、それに飽きたらない人がいるのが世の常。「ワンルームに住んでる娘と同じ物持つのやーよ」ってことで次の出番はママ。ママが昔持ってたシャネルのバッグ、ヴィトンのバッグ……、これで「ポッと出」のブランドギャルとの差別化ができるし、なにより今手に入らない「レア商品」なんだから。これはデカい。お金持ちで、物もちのいいママを持った娘は幸せだ。そして世は空前の60〜70年代ブーム。クレージュ、エミリオ・プッチ、ミッソーニ……、これはさすがにママを頼れないし、こうブームだとやはり「見栄(意味)」より「お洒落(フォルム)」を取ったほうがなにかとお得である。最近は日本にも、この時期のコンディションのいいブランドを扱う古着屋が増えた。この傾向は全世界的でNY、パリ、ロンドンでも前出のクレージュ、プッチをはじめカルダン、サンローラン、エルメスなどの、中でも「時代を感じさせる」アイテムは人気である。もちろん日本からの買い付けが大挙押し寄せているのは言うまでもない。ファッションの大体のサイクルが体内時計でわかってしまった今、服はとっておくのがいいんじゃないか。次の狙い目はティエリー・ミュグレーだね間違いなく。
WEB COMFORT
http://a-cm.com/comfort.html
WEB Spick&Span
http://www.bekkoame.or.jp/~ax/


[ふ-021]
ブリスターパック
blister pack
 一般的なフィギュアの包装形態。店頭でのディスプレイで見栄えがするように、商品が透明の容器の前面に収納されているのが特徴。『スター・ウォーズ』や『スポーン』などのフィギュアは容器と台紙が接着してあるために、一度開けてしまうと最初の状態に戻すことは不可能となり、一度開封することによってフィギュアの価値自体が下がってしまう。まぁ、別にフィギュアを転売する者などほとんどいないのだから、価値が下がろうと関係ないのではあるが、妙なコレクター魂ゆえにブリスターから出さずにミント状態でコレクションする者も多い。どうしても出して遊びたい場合は、同じものを2個以上買う「マニア買い」をしたり、台紙部分を傷つけることなくカッターで容器を切り取る「マニア開け」など、様々な苦労をしながらフィギュアを楽しんでいる。セガが『新世紀エヴァンゲリオン』のフィギュアを、和モノとしては珍しくブリスターパックで発売。いわゆるエヴァ・ファン以外のフィギュア・ファンをも巻き込んでの人気を呼んだのも、ブリスターというパッケージ効果の勝利といえるだろう。SMAPの2枚組ベスト盤のパッケージに採用されたのは記憶に新しい。
WEB 


[ふ-022]
フリーホームページ
free home page
 神戸の殺人事件で犯人の中学生の氏名や顔写真、住所などがインターネットのホームページに掲載された。このような過激な情報は一般のサービス・プロバイダでは拒否される可能性が高く、また登録者がすぐに特定されてしまうため、tripod.comやgeocities.comといったフリーのホームページ上におかれることが多い。これらのサイトは自分のホームページを持っていない人のためにディスクスペースを公開していて、基本的に誰でも無料でホームページを開設することができる。ページは登録内容によってジャンル別に分けられていて、ほとんどはスポーツや旅行、クルマなど、趣味的なページの集まりだ。サイトの運営はバナーと呼ばれるちいさな広告によって成り立っている。しかし、サイト自体が膨大なものになってしまったため、匿名で過激な内容を登録するケースが増えた。特に英語圏のサイトでは日本語によるページの内容をチェックすることは難しく、一時は無法地帯に近い状態であった。「WeReZ(ウェアーズ)」などの違法コピー集やアイコラエロ画像の販売など、インターネットの影の部分をある程度担っていたとも言えるだろう。しかし、神戸の事件以降は日本語のわかるスタッフを増やし、チェックも厳しくなっている。なお、人気サイトのgeocities.comはソフトバンクによって日本でもサービスが始まる予定。
WEB Tripod
http://www.tripod.com
WEB ジオシティーズジャパン
http://www.geocities.co.jp/


[ふ-023]
ブレイク・ビーツ
break beats
 2枚のレコードのイントロや間奏部分を、2台のターンテーブルを使って延々と繋いだビート。ヒップ・ホップというサウンド・スタイルのベースであり、DJの作り出すこのビートの上にラッパーの声(ラップ)が載っていくわけで、上モノ以上にセンスが問われる重要な部分である。プロもベッドルームDJも皆、まだ誰も聴いたことのない隠れた“お宝”を掘り当てるべく、日々腕を耳を磨いているのだ(ネタ元を集めたコンピレーション盤『Ultimate Breaks&Beats』シリーズは一家に1枚の定番モノ)。ジャングル/ドラムンベースの進化に大きく貢献していることにも見られるように、現在のシーンにおけるブレイクビーツの役割は非常に大きいものである。フレキシブルに変化するビートのマジックはオールド・スクールの昔から色褪せてはいない。
WEB ULTIMATE BREAKES & BEATS INDEX
http://www.asahi-net.or.jp/~WR3S-FKI/breaks.html


[ふ-024]
Play Station
play station
 任天堂独裁時代に終止符を打った、現在もっともスタンダードなコンシューマー(家庭用)ゲーム機。CR-ROMを採用し、32ビットRISCチップを搭載している。94年12月3日に発売されて以来、97年8月時点で、国内販売台数850万台、世界市場では2000万台を突破し、次世代機戦争と呼ばれたポストSFC(スーパーファミコン)をめぐるシェア争いで圧倒的な勝利を収めた。94年12月に発売された当初は、同じ大手家電メーカーの松下電機産業がその1年前に開発した32ビットゲーム機・3DO-REALの失敗の印象がだぶり、業界内では同時期に発売されたセガエンタープライゼスのセガサターンや翌年に発売が予定されていた任天堂のNINTENDO64に注目が集まっていた。が、3DCG(ポリゴンの処理能力)にアーキテクトを絞り込んだマシンの性能と安価な開発環境の整備によってソフト開発会社の取り込みに成功し、現段階ではコンシューマーゲーム機のスタンダードマシンの地位を確立している。
 もともとPSの開発者である久多良木健は、89年に任天堂が開発していた16ビットゲーム機SFCのサウンドシステム開発を手がけた開発者でもあり、その流れからPSの原型は任天堂とソニーの協力下で開発が進められていた。が、その後、CD-ROMをメディアにすることや会社の方針の違いなどからプロジェクトが瓦解。久多良木を中心にソニーが独自のプロジェクトを発足し、開発に至ったという経緯を持つ。
 家庭用ゲーム産業の中でPSが果たした最大の功績は、任天堂独裁体制の牙城を突き崩し、ソフト開発会社にプラットフォーム(ハード)を選択する自由を与えたことが挙げられる。これまでソフト開発会社は、市場の80%以上のシェアを独占していた任天堂の傘下でゲームを開発するか、あるいはそのアンチテーゼとしてのセガ派になるかの二者択一しか許されなかったが、SCE(ソニー・コンピュータエンタテインメント)という第3の選択肢の登場によって、この“冷戦構造”が崩れ、ソフト開発会社にプラットフォームを選べる開発の自由を与えることになった。
 任天堂独裁下からPSへ流出した開発会社の中には、任天堂の繁栄を支えてきたスクウェア(『ファイナルファンタジー』の開発元)とエニックス(『ドラゴンクエスト』の開発元)の2社も含まれており、SCEのゲーム業界支配は一層、強固になりつつある。が、PSによるソニーのゲーム業界参入は、同時にサブカルチャーとしてのゲームをビジネスとしてのゲームに変容させることにもなり、大手企業のマーケティング重視型ビジネスは、ゲーム文化の質的低下と衰退を招くとの声も高まりはじめている。ソニーの参入によって開かれた“自由の扉”の向こうに、ゲームの未来があるのかは、まだわからない。
WEB PlayStation Official Homepage
http://www.scei.co.jp/


[ふ-025]
フレンチ・ハウス
french house
 近年台頭しているフランス産クラブ・ミュージック。“フランス版ケミカル・ブラザース”などと呼ばれるダフト・パンクのブレイクと前後して、イギリスでのNuhouseムーヴメントにも通ずる新しいテイストのフレンチ・ハウス・ミュージックがワールドワイドな注目を集めた。パリコレの音楽やビヨークのリミックスを手掛けるなど国内外で活躍するベテランDJディミトリ・フロム・パリス、ジャジー・ハウスの先駆的存在サン・ジェルマン、アブストラクト・ヒップ・ホップの第一人者DJ CAM、ラッパーMCソラーのアルバム制作をきっかけに結成されたMotor Bassなどが火付け役となった。デジタルロック一派と捉えられがちなダフト・パンクは、1stアルバム『ホームワーク』やソロ活動において幅広い音楽性をアピールしているし、Motor BassはLA Funk Mob名義でもMO'WAXより作品をリリース、DJ CAMはピアノやストリングスによる繊細さと、本国アメリカのヒップ・ホップをそのままネタに使った強引さ、無邪気さが同居するオリジナルなヒップ・ホップをクリエイトしている。こういったフレンチ・サウンドの雑食性は、クラブ・ミュージック後進国であるがゆえの微妙なズレから生まれているのではないだろうか。それは日本が置かれている状況と似ているように思うのだが。
WEB 


[ふ-026]
プロ教師の会
ぷろきょうしのかい
 職業人としての教師の論理に基づいた教育を実践する人々の会。もとは埼玉教育塾といった。諏訪哲二、河上亮一の二人がその著書でよく知られている。学校は国家の暴力装置であるという存在論に基づき、そのダーティな場所で、教師は暴力の体現者たる権力者としての自覚を持って、生徒を管理・掌握せねばならないと論ずる。「管理教育」を勧め、「平等主義」を批判し、「いじめ」を必要といい、「道徳教育」の重要さを説き、「話せばわかる」を否定し、「生徒に反省させること」を拒否するなど、その主張の数々は、戦後民主主義的な教育論を聞き馴れた耳には「反動的!」に響くが、むしろ戦後民主主義的教育論こそ、学校がダーティな場所であるとの認識を持たない理想論にすぎず、科学主義的で、生徒の内面までも「真理」の権力によって侵そうとする、より抑圧的なものであることを、きわめて説得的に論じて隙がない。メディアに流れる安易でセンチメンタルな学校批判は、かつて生徒だった我々のルサンチマンによって支えられているようなものだが、この現場で鍛えられた論理の前には片端から粉砕されるだろう。
WEB 


[ふ-027]
プロデューサー
producer
 ここ数年プロデューサーという名称は、サウンド・クリエーターとほとんど同義になっている。とくに日本の場合、プロデューサーはミュージシャンと同等あるいはそれ以上の効力を発揮する場合もあるものと認知されつつある。力関係からいけば、ミュージシャンの特性よりプロデューサーの手腕とセンスによってサウンドが決定される場合の方が多い、との認識も一般に定着しつつある。実際にはプロデューサーとエンジニアとミュージシャンによる合議および共同作業によるものだが、プロデューサーという職業は音楽産業の中において、強権が発動できるものと考えられている。
 かつての日本の歌謡界では、プロデューサーは各レコード会社の社員であることが当たり前で、ディレクターと兼務というような立場にあり、あまり表にその存在(名前)があらわにされることはなかった。それだけに職人気質的手腕を発揮する人も多かった。素材であるタレントの才能を引き出すことを主眼とした仕事であり、現在のように自分流の音を無差別に付加することはなかった。隠れた才能を引き出すことに喜びを感じるプロデューサーは、現在もやはり“裏方”として存在している。昨今もてはやされているプロデューサーはむしろエンジニアやDJ稼業とクロスオーバーするのが当然と目され、自ら表舞台に立って辣腕を振うことを夢見ている若者も後をたたない。
WEB 


[ふ-028]
プロファイリング
profiling
 暴力犯罪、ことに猟奇殺人や連続殺人などの犯人像を、類似事件のデータを照合して演繹的に推測する手法。犯人の性別・人種・年齢や外見、暮らしぶり、家族関係、性格といったものをはじめ、犯行のパターンや行動様式までを「言い当てられる」と世間一般には思われているが、所詮は「蓋然」のパッチワークでしかない。アカデミー賞映画『羊たちの沈黙』の原作を監修した元FBI行動科学課ロバート・K・レスラーの筆になる『FBI心理分析官』(92年)によって一躍知られるようになったが、彼の自己宣伝癖によってこの手法は千里眼的なオーラを帯びるに至っている。プロファイリングが必要とされる犯罪の多くは、日常的な犯行動機である「色・金・欲」とは無縁の、常識的な感覚では理解の及ばぬ異常心理の持ち主が犯人である。したがって、データ処理の積み重ねというこの無味乾燥な手法は、心の闇へ対するもっとも愚直なアプローチといえるだろう。
WEB 
http://www1a.meshnet.or.jp/porsonale/news2.htm


[ふ-029]
プロレス
ぷろれす
 命をかける史上最強のエンタテインメント。大小様々な団体が乱立した91〜93年にはブームとなり、プロレス界自体も活性化した。この要因となったのは、以前なら考えられなかった団体間の対抗戦が次々と実現していったことだ。ファンにとって、まさにそれは夢のカードのオンパレードであり、とくに女子プロはかつてないほどの盛り上がりを見せた。しかし、対抗戦の乱発で観客は次第に食傷気味になり、手持ちの夢のカードもなくなり、同時に大手団体と弱小インディー団体の技術レベルの差がはっきりと現れだしたため、低レベルの団体の観客動員は激減し経営危機に陥っている。現在男子<プロレスで安泰なのは老舗の全日本と新日本くらいである。女子プロでは老舗の全日本女子が、株式投資に手を出したことでバブル崩壊とともに莫大な赤字を抱えてしまい、給料遅配などから、97年夏から主力選手が次々と離脱した。
 危険度がエスカレートする新技、強行スケジュールなどによる選手の健康管理も問題になっている。97年8月にはJWPのプラム麻里子選手がフォール負けした後、リング上で意識不明となり2日後に死亡するという事件が起こり、大きな衝撃を呼んだ。中小の団体が淘汰されようとしている今、日本プロレス界は大きなターニングポイントを迎えようとしている。
 日本はプロレス先進国であり、日本のプロレス・ファンは世界一目が肥えてると言っても過言ではないだろう。日本のファンは〈結果〉でなく〈過程〉を評価する。そこにはレスラーのヒエラルキーが深く関係しており、日本人的人間関係の縮図を見ることができる。またレスラーにとって、ファンによる観戦後の感想戦に自分の名前がのぼることが勲章でもある。プロレスは〈記録〉ではなく〈記憶〉に残す特殊競技なのだ。
WEB All Japan Pro. Wrestling/Main Menu
http://www.gala-net.co.jp/all-japan-pro-wrestling/
WEB ZENJO RING STAR WEB
http://www.nks.co.jp/zenjo/
WEB 「新日本プロレス」黙認ホームページ
http://www.tomozo.com/NJPW/index.html


[ふ-030]
BOON
boon
 ストリート系ファッションを先導する雑誌。ヴィンテージ・ブーム、スニーカー・ブーム、復刻ブーム、日本別注ブームなど、90年代初頭からアンチモード系のスタイリングを一手に仕掛けたファッション雑誌。創刊の86年当時はファッションよりも「もてない男がいかにすればもてるようになるか?」など大きなお世話っぽい記事が多かったが、いわゆる渋カジが台頭するあたりからストリートのファッションを取り上げるようになり、今や類似雑誌の多さにうんざりするまでになった。全国の古着屋さんや通販でひと儲けをたくらむクライアントのチラシのような広告も積極的に掲載。これらもまた中高生たちのバイヤーズ・ガイドとして重宝されているようだ。“カリスマン”“即ゲット”“根こそぎゲット”“激レア”といった独特な言葉も多数生み出した。
WEB BOON-ONLINE
http://www.boonmagazine.com/


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