[く-001]
Quick Japan
quick japan
 60年代のアメリカで起こったニュー・ジャーナリズム運動を、90年代の日本的な解釈で展開しようとしている情報誌。飛鳥新社の元書籍編集者で、単行本『磯野家の秘密』を大ヒットさせた赤田祐一が、会社に頼らず全くの自費で自分が読みたい雑誌を作ろうと出発した『Quick Japan』。創刊準備号を飛鳥新社の流通を介して発売した後、正式な創刊号からは、いとうせいこう、大塚英志などの単行本を出版し、サブカル系書籍に元々強かった太田出版に版元を移して現在に至っている。素人、ミニコミの主宰者、若いアーティスト等をメインの執筆者として起用し、職業ライターを、というよりは職業的かつ商業的な視線を排除し、主な読者層である10代から20代後半の若者にとって、リアルな情報と視点を獲得しようとした。オウム、完全自殺マニュアル、いじめ、テクノ、トラッシュ、アイドル、ノイズ、フォーク、アイドル、ゴア、山田花子(「消えたマンガ家」シリーズ)ジャパニーズ・ヒップホップ、エヴァンゲリオンと、創刊号からの特集のラインナップを書き出すだけで、90年代のサブカルチャーの大きな流れを俯瞰するのに持ってこいだ。渋谷系と現代美術、ノイズファンとアイドルオタクを同じ土俵で語ることができるのは、あくまで編集者個人としての興味を編集の中心軸に据えているインディーズ・マガジンならではの自由さだ。
WEB 


[く-002]
串間努(1963年生)
くしま・つとむ
 日曜研究家。スーパーの店員、バス車掌を経て、医療業界誌の編集者となり、そのかたわら「日曜研究社」を個人経営して、昭和B級文化の記録を集めるミニコミ誌『日曜研究家』を発行。学童文化、商品文化年表の研究を進める。『日曜研究家』は知る人ぞ知る話題の雑誌となり、今では扶桑社から発売されているが、「著者、発行者、営業マンの三位一体説」を唱える串間は、現在もその姿勢を崩していない。単行本には、駄菓子の歴史とパッケージを集めた『ザ・おかし』、昭和40年代の小学校の民俗誌である『まぼろし小学校』がある。『まぼろし小学校』は全国から寄せられたアンケートと著者による考証とからなる。
 串間は、たんなる懐かしいものコレクターなどではない。高度経済成長時代に少年少女だった世代が体験した、“あの場所”にあったモノや出来事について、匂いや手触りのような感覚的なディテールにいたるまで収集し、さらに文献や取材によってそのモノの歴史的経緯をも明らかにしようとする。それはマスメディアを通して見覚えたものではない、小さな、しかし数多くあったはずの、同世代の共通の歴史的体験である。そんな小さな些細な断片に、我らの共同性は潜んでいるのだ。その記憶を浮き上がせる日曜研究家・串間の仕事は、些細かつ偉大なのである。
WEB 


[く-003]
くっすん大黒
くっすんだいこく
 小説家、町田康を一躍話題にした傑作。『文学界』に発表された当初は悪評の方が耳についた(編集者の責任を指摘する声まであった)が、いまや町田を時代を担う最注目株に押しあげた出世作。パンク歌手、町田町蔵のころから、そのおぞましくも痛快な詩で、アンダーグラウンドの世界ではカリスマ的人気を誇ったが、小説が書けるとは誰も予想しなかっただろう。もっとも、その朗読を一度でも見たことのある人なら、その呼吸や表情、身振り、発声のすべてから彼の言葉が湯水のように沸き立ってくるのに圧倒されないではいられない。その様には、パンクと朗読と小説が彼の中ではたがいに生々しく交流しあっているのだと実感できる。したがって、ブレイクビーツにも乗せたいくらい音楽的な『くっすん大黒』の文体が、黙読されることを前提に書かれてきた現代文学の世界でひときわ異質に見えたとしても当然のことだろう。それはステージでの発声、アクション、呼吸、疾走、思考の急激な加速、減速、楽器との激突等々といった、肉体、機械、電気、照明といったものが即興的に融合されることによって生み出されたものであり、したがって町田にとっては、どんなに長くともあの文体で書き続けることは存外、やさしいことなのではなかろうか。彼に課題があるとしたら、そのようなやさしい道を通らずに、長編と短編とを問わず、いかにして別の形式を発見するかの一点にあるように思う。もちろん、肉体の痙攣を通じて言葉にかたちを与えるのだ。その意味では、アルトーということになるのだろうか。それにしても、町田の容貌が阿部薫によく似ているというのには、興味をそそられる。小野好恵が書いていたことだが、74年頃、時代の風潮からかしだいに阿倍から疎遠となり、かわっていりびたりとなった国分寺のジャズ喫茶でスタン・ゲッツをかけていたのが村上春樹であったという。いま、時代が一回りして村上春樹の小説が奇妙な飽和状態に包まれているのをみるとき、かわって阿倍によく似た小僧が小説界の先陣に名乗りをあげたというのは、はたして偶然なのだろうか。町田には筒井康隆に連なる異端の系譜などではなく、あえて歴史の展開に乗っ取って、村上春樹以後の日本文学の可能性を見てみたい。
WEB DAIKOKU
http://bunshun.topica.ne.jp/newseller/extra9704/daikoku.htm


[く-004]
グッチ
gucci
 アメリカ人トム・フォードがデザインチームに加わってから、ドラスティックに若返り、流行ブランドに変身を遂げた、現在プラダとともに日本最高の人気を誇るブランド。そのブランド再生の方法論は、しばしば他の老舗ブランドの若返りのお手本にされる。グッチの伝統、バンブーを残しつつバッグをブルーのヘビ皮にしたり、Gマークのビットを生かしつつピンヒールのブーツにしたりという具合。マリオ・テスティーノ起用の広告写真やスーパーモデルのチョイス一つにも手腕を感じるが、やはりトムの巧さは、折からの70年代ブームの際にも「ビアンカ・ジャガー」や「スタジオ54」をモチーフにするなど「引っ掛かり」のつくり方にある。まあそんなことは日本の若者にはあまり関係なく、ジェンダーを明確に強調したコレクションが、ヴェルサーチ亡きあともっともケバいブランドにさせていることが大きい。また、ヒップハングのパンツやビットローファーなど、メンズも気を抜かずにつくってきたのもブランド巨大化の理由。小室哲哉もバカ買いしている。しかし「次は80' sだ!」と肩パッド入りスーツや色付きの毛皮、街で履けるわけないピンヒール等を、これ見よがしに発表するさまは鼻につかないでもない。
WEB Gucci
http://www.moda.iol.it/marchi/gucci/


[く-005]
クボタタケシ
くぼた・たけし
 DJ、リミキサー。A.D.S.等のジャケットデザインも手掛けるクロオヴィ、DJマコトと共にLBネイションの一員である「キミドリ」を結成したクボタ。彼のサウンドプロダクションは、常に一言で形容できないストレンジな触感を、常に何処かしらに湛えている。ニューウェーブやツートーン、最近ではKUWATA BANDの有名なレゲエナンバーまで違和感なくミックスされる、渋谷・オルガンバーで行われている彼のDJセットからもわかるように、クボタの豊富な音楽知識と好奇心は、次々と興味深い作品を生み出してきた。93年にファイル・レコードからファースト・アルバム『キミドリ』を発表後、96年にカッティングエッジからミニ・アルバム『オ・ワ・ラ・ナ・イ(OH,WHAT ANIGHT!)』を。また同じく96年に東京ナンバーワン・ソウル・セットのかわなべひろしとのユニット『サンズ・オブ・ナイス・ヤング(S.O.N.Y.)』で一風堂のヒット曲「すみれ・セプテンバー・ラブ」をカバー。また97年秋、LBネイションの拠点だった下北沢のクラブ「スリッツ」が設立したレーベル、スカイラーキンの第一弾アーティストとして、かわなべに引き続き、ソウルセットの渡辺俊美とユニットを結成。4曲入りシングル『TIME』を発表した。タイトルチューンの「TIME」はもちろん、あのカルチャークラブの名曲のカバーだ。また、リリックメーカーとしての才能も高い評価を受けており、キミドリの作品はもちろん、外部のアーティストにも詩を提供している。ヒップホップというジャンルからの確信犯的な逸脱が生み出す、日本人離れした(彼は帰国子女だ)彼のユニークでスケールの大きな才能には、日本国内のみならず、今後世界的な注目が集まるだろう。
WEB 


[く-006]
クラシックゲーム
くらしっく・げーむ
 ビデオゲーム創世記から黎明期と呼ばれる時代、主に79年から80年代前半にリリースされたゲームの総称。ファミコンに代表される家庭用ゲーム登場以来、人気アーケードゲームを家庭でも楽しもうという移植の動きは幾度となく起こるも、当時はアーケードゲームと家庭用ゲーム機の性能格差が大きく移植の再現度は悲しいまでに低く、ファンの期待を満足させるにはほど遠い物が多かったため「本物をやりたい」とする人たちはわざわざ基盤を手に入れ、アーケードと同じ環境を自宅に用意せざるを得なかった。だが近年のプレイステーションやセガサターン等の高性能家庭用ゲーム機登場によって高品質――アーケードの状態に限りなく近い移植が可能になり、各メーカーが自社(一部例外あり)のクラシックゲームを家庭用ゲーム機に移植、加えて過去に移植されずに埋もれたカルトゲームを再び移植しようと言う動きも活発化し、多くの名作が家庭で遊べるようになった。
 その先駆けとなった「ナムコミュージアム」(ナムコ)はシリーズを通してヒットを記録、その後を追うように発売された『セガ・エイジズ』シリーズ(セガ)、『ニチブツ・アーケードクラシックス』(ニチブツ)、『グラディウスデラックスパック』(コナミ)も高セールスをマークした。これらの作品の高い再現能力から、最近ではクラシックゲーム移植作品は「移植」呼ばず、「復刻」という言い方がされるようにすらなった。長い間、コンピュータ・テクノロジーの性質上、時代と共に淘汰されるのが宿命とされていたビデオゲームにおいて、旧作品が新作と等価値として扱われることは異例のことである。
WEB 


[く-007]
グラフィッカーズ
graphikers
 クリエイティブな仕事を目指している若者に絶大な人気があるデザイナー・ユニット。テイ・トウワとタイクーングラフィックス、3DCGの谷田一郎、イラストレーターのヒロ杉山、カメラマンのTAJIEMAXなどいまをときめくクリエイターがその中心になっている。職業としてのグラフィックデザイナーということではなく、グラフィックの好きな、そして愛するといったネーミングがとてもうまい。また作品のどこかに表記されているタイクーングラフィックスがデザインしたグラフィッカーズのロゴが、そのアイデンティティをうまく具象化しているようだ。ファッションアイテムとしてグラフィッカーズのロゴの入ったTシャツやキャップなども人気があり、現在それらはスーパーラヴァーズで販売されている。『STUDIO VOICE』誌で連載をしたり、またクラブでは「グラフィッカーズナイト」というイベントで自らDJをやったりと、その活動は多岐に渡る。若者の間では「グラフィッカーズ」を真似した「○○○ーズ」といったユニット名とロゴをみる機会も増えてきた。誰もがきっと「グラフィッカーズ」のようになりたくて憧れているのであろう。
WEB TOWATEI
http://www.towatei.com/


[く-008]
倉本美津留(1959年生)
くらもと・みつる
 構成作家。ロックバンド「リビドー」ボーカル。「ダウンタウンのごっつええ感じ」「HEY! HEY! HEY! MUSICCHAMP」「ダウンタウンDX」などダウンタウン出演番組のほとんどを構成。「松本人志の一人ごっつ」では松本の師匠として声の出演をしている(「ダウンタウンDX」の“名前を呼んで”のコーナーでも、あらゆる無機物の声を担当)。また「たけしの万物創世記」「嗚呼!バラ色の珍生」「TVじゃん BLT」「同 サルでもわかるニュース」などなど人気番組を軒並み構成。ビートたけし、島田紳助、タモリ、明石家さんま、古舘伊知郎、大竹まことなどビッグタレントの番組を支え続けた倉本は、現在は東京在住だが96年まで大阪に住みながら番組に携わった。ビートルズの影響を強く受けていた倉本は、82年ミュージシャンになる足がかりにと制作会社のADとなるも、「ロクな作家がいない」と業を煮やし構成作家に転身。以来「夜はクネクネ」「すとらびん式」「EXテレビ>大阪」など、現在もカルトとして語り継がれる番組を次々生み出す。しかし「ベタ」をよしとする関西のテレビ界の土壌とは作風が合わず、ダウンタウンとともにその才を全国ネットに問う。その後は、ご覧の通りの大活躍。またサイケデリックバンド「リビドー」を率いており、坂本龍一作曲の『オフィーリア』で日本クラウンからデビューしている。彼らが坂本龍一に会うためにニューヨークへ渡るドキュメントが「NONFIX」(フジテレビ)で放送された。
WEB Libido Web Page
http://www.about.or.jp/~yonechan/libido-1.html


[く-009]
グリコ地区限定シリーズ
ぐりこちくげんていしりーず
 グリコのプリッツやポッキーの、その地方でしか販売されないというローカリティーを逆に希少価値として差別化に結びつけて、全国的に成功した人気商品。正式には「地区限定おみやげシリーズ」という。福岡県でしか販売されていない「ジャイアントプリッツ・博多明太子」がとくに有名。現在全部で10品目もある。なかでも97年7月に発売された「ジャイアントプリッツ・カナディアンメープルシロップ」などはついに国境を越えて、カナダ限定である。地ビールのブームの影響から企画された商品のように思われがちだがそうではなく、もともとギフト用の商品だった「ジャイアントポッキー」の観光みやげ版を考えたものだという。限定場所は、若者に人気の観光スポットとして北海道と決まり、94年3月に北海道名産夕張メロンの果汁をクリームとスティックに練り込んだ「ジャイアントポッキー・夕張メロン」が発売され、地区限定シリーズ第1作となった。全国大手製菓メーカーによる、初の地方限定商品の誕生となった。
WEB グリコ・夢のレストランメニュー
http://glico.topica.ne.jp/


[く-010]
クリプトスポリジウム
cryptosporidiumparvum
 大きさは1000分の4〜6ミリという、浄水場の塩素消毒でも死なないとされる病原性の原虫。通常省略して「クリプト」と呼ばれる。このクリプトの出現によって日本の水道水の安全神話が一気に崩壊してしまった感がある。これまで水道水といえば、発ガン性があるといわれるトリハロメタンが注目を集めてきた。トリハロメタンとは消毒用の塩素と汚染物質が反応してできた化合物が分解して発生する物質のこと。この物質の危険性が指摘されるようになり、浄水器やミネラルウォーターの需要が増大したわけだが、塩素消毒でも死なないクリプトの登場によって、水道水の危うさが決定的となってしまった。
 クリプトは家畜や人、野生動物の糞便から感染する。それらの糞便が上流から水源に流れ込み、水道水として人の体内に入るというルートだ。感染すれば下痢、腹痛、発熱に見舞われるが、健康体なら1〜2週間で回復するところを、免疫力が低下した人、例えばエイズやガンの科学療法を受けている患者は死に至ることもある。93年4月、米国ミルウォーキー市において40万人が感染し、うち400人が死亡したと伝えられている(WHOの調査)。日本では96年6月、埼玉県のある町で、人口の約7割に当たる8800人が感染。幸い死者は出なかったが、町は一時パニックに陥ったという。日本ではまだ調査もままならない状況で、飲み水は煮沸するという以外にはとりあえずの防衛手段はないらしい。
WEB Crypto
http://ux01.so-net.or.jp/~twhc/Cryputo.htm
WEB 96/09/30 水道におけるクリプトスポリジウム暫定対策指針(案)
http://www.dtinet.or.jp/~frhikaru/other/cryptoshishin.html


[く-011]
クルーエルレコード
crue-l record
 DJ・瀧見憲司が主宰するインディーズ・レーベル。今はなき下北沢Zoo(その後Slitsと改名)などでの彼のパーティーに集まる、全くの無名アーティストたちを世に出すためにスタートしたのが91年。カヒミ・カリィ、ラヴ・タンバリンズ、フリーダム・スウィートなど数々のアーティストを送り出し、(インディーズ規模としては)メガヒットを連発して“渋谷系”なるムーブメントの中心的存在となり、その勢いは全国へと広がった。日本を代表するインディ・レーベルとなった現在では、海外アーティストとのコラボレートやライセンスなどワールドワイドな展開も始めているが、その活動はあくまで草の根的なスタンスである。インディーズ・レーベルが乱立する中で改めて“インディイズム”というものが問われてもいるが、インディーズに縛られずメジャーにかかわらずフットワークの軽い人たちが作り出すものはやっぱり面白いのだ。グランドロイヤルにしても、このレーベルにしても。
WEB 


[く-012]
黒沢清(1955年生)
くろさわ・きよし
 ホラーとアクションを得意とする異色の映画作家。兵庫県生まれ。80年、8ミリ映画『しがらみ学園』がぴあ・フィルム・フェスティバルに入選。その後、相米慎二監督の『セーラー服と機関銃』などで助監督を務めたのち、ディレクターズ・カンパニーに参加。助監督修業の後、83年『神田川淫乱戦争』で監督デビューを果たした。続いてにっかつで『女子大生恥ずかしゼミナール』の撮影に入るが、ラッシュを見た一部のにっかつ重役の横暴によって、一方的にオクラ入りを余儀なくされてしまう。しかし、同作はエピック・ソニーとディレクターズ・カンパニーによって権利を買い戻され、追加撮影の後、『ドレミファ娘の血が騒ぐ』と改題されて完成に至る。この作品は映画批評家から絶賛を浴びると同時に映画ファンを熱狂させた。
 ディレクターズ・カンパニーの最後の製作作品『地獄の警備員』以後、しばらく新作が途絶えていたが、その空白を埋めるようにここ数年ものすごい勢いでホラーとアクションを中心に幅広い創作活動を展開。『傷だらけの天使』の90年代版リメイクとも言うべき哀川翔主演のコメディ『勝手にしやがれ!!』シリーズ全6作など、年に3〜4本のペースで新作を矢継ぎ早に発表している。新作の『CURE』は催眠暗示による連続殺人を主題にしているが、サイコ・スリラーとしてよくできているといったレベルをはるかに突き抜けた、映画的達成を示している。日本のみならず世界中にこのもう一人のクロサワの存在が知れ渡るのも近い。
WEB KIYOSHI KUROSAWA
http://www.chica.com/cinema/K-KUROSAWA/index.html


[く-013]
クローン
clone
 生物の複製。97年2月、スコットランドのロスリン研究所が、羊の成体の乳腺細胞を用いたクローン羊ドリーの誕生を発表。生殖細胞以外の細胞の遺伝子によるクローンの成功は初めてのことで、センセーショナルな話題となった。家畜のクローン研究の目的は、動物を人間の医療用の部品工場とするために、人々の遺伝子を組み換えるなどして人間に有用な家畜を生み出しその個体をクローンで増やすということにある。しかしロスリン研究所の発表の直後、クリントン大統領が人間のクローン研究禁止を宣言。日本もひとまず、それにならった。クローン羊の登場は、人々にまず人間のクローンができるとの連想と不安を惹き起こしたのである。まもなく、サダム・フセインが自分のクローンを作るために、研究を命じたという噂も流れた。日本では正式には、97年5月に、科学技術会議ライフサイエンス基本計画分科会が、今後10年間の基本計画案のなかに、「人間のクローン個体の作製は実施しないこととすべきだ」と記している。
WEB 遺伝子工学科
http://www.o-two.co.jp/school/kd/iri04.htm
WEB 生殖工学研究室
http://ss.niai.affrc.go.jp/pub/seiya/html/intro.html
WEB 日本初!クローン羊ドリーちゃんとポリーちゃんのファンクラブ
http://pweb.sophia.ac.jp/~t-fukumo/dolly01.html


[く-014]
軍もの
ぐんもの
 一部の戦争オタクから、渋カジ時代にストリートファッションにまでなったアメリカの古いミリタリースタイル。その多くはサープラス(放出品)。ただしアメリカ軍以外の国の軍隊ものは、ストリート・ファッションでは一切相手にされない。主な人気アイテムは6ポケットのジャングルファティーグパンツ、MA-1、A-2、チノパンツ、カモフラージュのフィールドコートなど。「ひょっとしたら、戦死した人が着ていた服?」などと言う不安を抱きながら、プレミアがつきまくる30年前のミリタリーウエアに物欲を駆り立てられる若者が多い。ちなみに本国アメリカでも軍ものはマニアが多く、退役軍人などで今もレザーウエアや飛行服などは高く売買されている。
WEB HIDE'S HOBBY ROOM
http://www.asahi-net.or.jp/~sd7h-tkhs/index.htm


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