[な-001]
ナイキ
nike
 64年にオレゴン大学の陸上選手だったフィリップ・ナイトと、コーチのビル・バウワーマンが設立したスポーツシューズ・メーカー。今や世界ナンバー1のスポーツ・メーカーであり、金に物を言わせて次々とスーパースター選手と契約を結ぶスポーツマンのありがたいパトロン。かつてはブルーリボンスポーツ社といって、日本のオニツカタイガーのシューズをアメリカで販売する会社だったが、バウワーマンが考案したワッフルソールの成功で、その名を全米に知らしめる。ナイキとは勝利の女神ニケからつけられた。総本山はオレゴン州ポートランド。また全米の大都市にはナイキタウンというオリジナルショップがあり、日本人の観光スポットとして人気がある。
WEB Fan Man
http://www.nike.com/
WEB Nike? That's it!
http://www.geocities.com/Tokyo/2731/index.html


[な-002]
NAKA(1964年生)
naka
 アパレルメーカーのアートディレクターを経て、95年に写真家として独立。デビュー直後からハイクオリティな作品を発表し注目を集める。90年代以降、テクニックがなくとも作家的な個性でみせようとする写真家が増えているが、NAKAは田島一成(TAJIMAX)と並び、“仕事のできる”数少ない若手写真家の一人といえるかもしれない。とくにファッションに関しては希少な才能である。NAKAが籍を置いていたニコルは、内外の優れたファッション写真家をはやくから各ブランドのカタログに登用しており、ユルゲン・テラー、ナディール、七種論、菅原一剛ら、すぐれたファッション写真家と現場をともにしたことは後のキャリアに大きな影響をもたらしたようだ。
 ディレクションワークをすみずみにまで行き届かせた緻密な構成力が魅力。凝ったライティングと繊細な色づかいが冴えるスタジオワーク、ラフでナチュラルな味を大胆に生かしたロケーションワークと、バランスのよさは定評のあるところ。キャリアは短いがテクニシャン。玄人受けする写真家である。ファッション、音楽を中心に活躍。発表媒体は『CUT』『DUNE』『BARFOUT!』など多数。
WEB 


[な-003]
永井豪(1945年生)
ながい・ごう
 マンガ家。トキワ荘系列(石ノ森章太郎のアシスタント出身)の作家では、現在もっとも精力的に作品を発表する一人。68年に『目明かしポリ吉』(『ぼくら』)でデビューする。同年『ハレンチ学園』(『少年ジャンプ』連載)を発表し、子供たちからの圧倒的な支持とPTAからの猛烈な反発・突き上げを受け、全国的な「ハレンチブーム」を起こした。もともとはSFマンガを発表したくて仕方がなかったものの、新人にはそれが許されない時代で、ストーリーギャグ『あばしり一家』(『週刊少年チャンピオン』)などの連載作にSFテイストを入れ込むなど抵抗をしつつ、しばらくはギャグマンガを描き続けることになる。70年、原因不明の高熱に冒されながら執筆したSF第1作『鬼−2889年の反乱』(『週刊少年マガジン』)を発表。永井によれば熱は「鬼のたたり」によるもので、この時から、憑き物(鬼や魔物)に魅入られたり激しく抵抗しながら描く場合に最大限に創造の力を発揮する「憑依型の作家」となったと言える。ストーリーものは思い浮かんだシーン・イメージから物語を組み上げてゆくという創作法とも相まって、ひたすら拡大・逸脱・暴走してゆくタイプの物語が多い(よって内容的に未完の作品も多数)。例えば主人公の少年が自身の内なる力に覚醒すると、それは世界の根元的な力や対立関係にまで到達することになる。かくして学園紛争のパロディ『ガクエン退屈男』(『ぼくらマガジン』)は美醜の対立の物語となり、怪獣ものの変型『魔王ダンテ』(同)は神と悪魔の抗争の問題にまで話が広がる。この破天荒なダイナミズムこそが、彼のマンガの真骨頂である。未完となった『魔王ダンテ』をベースに新しいヒーローものを、と企画されたTVアニメーション『デビルマン』の放映と同時期に、マンガ版の連載を『週刊少年マガジン』(73年)で開始するも、TV版とは似て非なる作品へと成長。『デビルマン』は神と悪魔の最終戦争を描ききり、戦後マンガの金字塔となった。後に同誌に連載された、鬼は人間の“怨”の心が生み出したものと解釈した作品『酒天童子』で、永井の「魔界遍歴」は一応の終わりを告げる。
 96年には『凄ノ王』『バイオレンスジャック』(ともに初連載は70年代)を加筆再構成して新たな息を吹き込むことに成功した。マンガ家生活30周年を迎えた97年、『週刊モーニング』で『デビルマン』の姉妹作『デビルマンレディー』を連載開始(なぜ「デビルレディー」でも「デビルウーマン」でもないのかは、読むとわかるようになっている)。さらに女性人気も高い『キューティーハニー』(マンガ・アニメともに73年)の90年代版新作『キューティーハニーF(フラッシュ)』もTVアニメーションとして放映され(マンガ版は別人の手による)、戦うヒロインの姿を追求している。
 話題作『新世紀エヴァンゲリオン』で永井の『デビルマン』『マジンガーZ』などが引用・換骨奪胎されていたことと、彼のプロダクション「ダイナミック・プロダクション」に所属する石川賢(『魔獣戦線』)や風忍(『ガバメントを持った少年』)の評価の高まりとともに、永井作品にも再評価の声が高い。『オモライくん』『キッカイくん』『イヤハヤ南友』『けっこう仮面』など、ギャグにも佳品が多い。
WEB 永井豪とBBRの世界
http://grape.med.tottori-u.ac.jp/~kotaro01/
WEB 俺とデビルマン
http://pweb.pa.aix.or.jp/~khirose/dv.htm


[な-004]
長井秀和(1970年生)
ながい・ひでかず
 M2カンパニー所属の芸人。1月3日生まれ。犯罪を犯した人が、ある鑑定の結果、無罪になることは誰もが知っていることであるが、例えばそういう人が、ふだんはどんな生活をしてどんなひとりごとを言っているのかは、くわしく知っている人は少ないだろう。が、だいたいは想像がつく。そのへんをかなりリアルに再現した、というか完全に創造なのだが、あたかも「そのもの」のようなひとりごとで構成された漫談家である。
 音楽の世界に「ミュージシャンズ・ミュージシャン」があるように、数年前のデビュー時より、芸人からの評価が高い芸人で、今のところ第4次だか5次だかわからないがこの「お笑いブーム」のダークサイドの第一人者である、と書くとずっとアンダーグラウンドの人か?と思われそうだが、先の読めない世の中だから今後どうなるかはまったくわからない。「学校の音楽の時間は、もっぱら壁の穴の数を数えてたんだけど」という、ネタとネタの間の隙間のギャグでふいを突くのが得意だ。
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[な-005]
永瀬正敏(1966年生)
ながせ・まさとし
 80年代後半〜90年代の若手映画俳優のトップ。82年相米慎二監督の『ションベン・ライダー』でデビュー。89年のジム・ジャームッシュ監督『ミステリー・トレイン』出演が、国際的に活躍する転機となる。以来、林海象による日本・シンガポール・タイ・マレーシア・台湾・香港をまたにかけたシリーズ『アジアン・ビート』、山田洋次『息子』、石井隆『死んでもいい』、林海象の“私立探偵濱マイク”シリーズなど精力的に出演。アイスランドでフリドリック・トール・フレドリクソン監督『コールド・フィーバー』の主演も果たした。95年には小泉今日子と結婚し、話題を呼んだ。
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[な-006]
中上健次(1946年生)
なかがみけんじ
 日本近代文学最後の人。日本における近代化が、土着と舶来の接合面にいびつに成立したなら、その境界面に生まれた「日本語」もまた、その刻印を色濃く帯びるのは理の当然である。したがって、日本語の潜在的可能性を抉り出そうとするならば、人は必ず、このいまわしいギャップに直面せざるをえない。日本近代文学が一貫して共同体とその外部、さらには越境者や逸脱者、流浪を扱ってきたのは、日本の社会構造の問題である以前に、日本語の問題でもあったのだ。中上は故郷の紀州、それも血縁と土地(路地)の問題を一貫して追求していたから、一見するとプレモダンな暴力と聖なる錯乱の作家と思われがちだが、そのような問題を中上が扱うのはあくまで日本語という近代のシステムを媒介しての上であって、土着と近代化の問題をここまで徹底して日本語を通じて形式化しえた作家は皆無である。逆に言えば、「路地の消滅」に要約されるように、日本における共同体とその外部そのものが無化されてしまえば、中上の日本語もまた、その輪郭を失って消滅せざるをえない。そのような得体のしれない「場所」でどのような言葉をつむぎ出せるのか、もはや「言葉」は存在しないのかといった根底的な問いだけが、残された作家にとっての本質的な課題といえる。中上のあとにあっては、技術やイメージに頼って文学を生き延びるほど恥ずべきことはないように思われる。
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[な-007]
長島有里枝(1973年生)
ながしま・ゆりえ
 武蔵野美術大学在学中の93年、第2回パルコ・アーバナート展でパルコ賞を受賞。この時に出品したのが両親、兄弟とともに撮影したモノクロのヌード写真だった。以後「セルフポートレート」「家族写真」といった90年代の写真を大きく動かすことになる重要な主題に、彼女自身のカジュアルなストリート感覚が合わっさった作品を短期間のうちに発表。以後の「女のコ写真家」の急激な台頭、カジュアルな「ロウファイ写真」の流行に大きな影響を与える。94年、個展『愛の部屋』(P-HOUSE)を開催。写真集『nagashima yurie』(風雅書房)には、この時期までの一連のセルフポートレートがまとまっている。また、彼女のもう一つの側面は、スナップショットの名手であることで、身の回りの友人たちを撮影した作品は、この時代の東京をとらえた貴重なドキュメンタリーともいえる(写真集『empty』『white room』ともにリトルモア)。95年に渡米してシアトルに滞在。以降、あまり写真をとらなくなる。現在の生活の中心は“スケートボード”で、そのイメージを時々に各媒体で発表している。
 他の展覧会に、アメリカの女流写真家・キャサリン・オピーとの二人展(' 96年、パルコギャラリー)、「SHASIN展」(' 97年、神戸ファッション美術館)など。
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[な-008]
中野貴雄(1962年生)
なかの・たかお
 オタク文化とAVの融合を模索し続ける異能派AV監督。81年からピンク映画の助監督を務めた後、AV界に転身。86年に『妖艶西遊記』(にっかつビデオフィルムズ)のSFXを担当したあたりからオタク趣味を打ち出すようになり、同年『マン祖ボッキリカメラ』(フリービジョン)で監督デビュー(この時は町屋魔手麿名義)。その後、東京12チャンネル放映のテレビドラマ『プレイガール』にオマージュを捧げた『シークレットガール』(シークレット、88年)など、コスプレ&キャットファイト&オタク趣味を発揮して、エキセントリックなAV作品を連発した。とりわけその趣味性を強く印象づけたのが、クリスタル映像で11作連作された、〈メトミック・アクションシリーズ〉で、彼が愛してやまぬ特撮ドラマやテレビアニメ、B級映画などにインスパイアされた奇抜な内容(『海底轟姦』『学園ヘルキャット』といったタイトルから推し量れるだろう)が、業界内外を問わず関心を集める。それ以後も『うらつき童子』(HOKUTO、94年)など、より趣味性を深めたAV作品を発表するが、セールスに恵まれず、AVのフロントから遠ざかることになる。
 ところが96年にフランスのリール市で行われた「フリーク・ゾーン/国際トラッシュ映画祭」で、94年に監督したピンク映画『女体渦巻地帯』(公開時は『超過激本番・失神』のタイトルで新東宝が配給)がグランプリを獲得し、中野貴雄の名前が一躍世界の好事家の間に知れ渡ることになった。現在は主な活動の場をVシネマに移し、『花のおんな相撲』(96年)など、やはりオタク趣味の濃いエロティック活劇を撮り続けている。またゲイ映画『不思議の国のゲイたち』(ENK、97年)に出演し、その豊満な肉体からデブセン界の若手スターとして注目された。デブセン専門誌『サムソン』97年8月号では巻頭グラビアでヌードを披露している。
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[な-009]
70年代マンガブーム
ななじゅうねんだいまんがぶーむ
 音楽界では80年代末から、過去の音源(主に70年代のもの)が続々とCD化。ファッション界でも70年代風味を盛り込んだ衣服が多く見られた。それらと呼応するかのように、マンガの分野でも70年代の波が90年代の上へとかぶさってきた。好調な売れ行きを見せていた秋田書店の豪華版『ブラック・ジャック』(手塚治虫)が、93年夏に文庫化。700万部以上の売れ行きを見せたことから文庫ブームが巻き起こり、現在も一時ほどの勢いはないものの、大手出版社はコンスタントに文庫出版を継続している。小学館は97年初夏、「正義」が失われた世界での少年少女の団結と敗北を描いたヒーローものの突然変異作『ザ・ムーン』(『週刊少年サンデー』連載、ジョージ秋山)を文庫の形で出版したが、これなどは他の形で(なるべく安価に)出すことは難しかったのではないだろうか。
 また、ブームとは無縁の形で売れ続けてきたマンガ(秋本治『こちら葛飾区亀有公園前派出所』など)までが文庫化されるなど、復刻ではなく、親本が生きている状態なのに別の版も売れてしまう(実は『ブラック・ジャック』も同様)という現象まで起こってきている。しかも、『デビルマン』(永井豪)は過去に講談社からKC版、講談社漫画文庫版(旧)、KCSP版(以上絶版)、加筆された豪華愛蔵版、KC版の完全復刻版と銘打ったKCSP版が出ているが、新版を刊行するたびに以前より部数が増えたという。怪現象としかいいようがあるまい。この作品も97年5月に文庫(豪華愛蔵版の文庫化)になったが、売れ行きは好調と聞く。こうなると70年代のマンガは、当時よりも現在のほうがより広く読まれていることになりそうだ。
 こうした風潮を背景に、マンガそのものの中にも、70年代テイストが感じられるものが多く見られるようになってきた。汗と無茶を特徴とする「梶原一騎型熱血」の継承作とでも呼ぶべきものだ。すでに70年代末には、梶原作品に見られる大仰な部分が『すすめ!!パイレーツ』(江口寿史)などでパロディにされてきたが、80年代に入ると、島本和彦の『炎の転校生』(83年)あたりから「マジな熱血なのか、そのパロディなのかわからない」状態が出現。最近では、野球で学校の再興を図り、大振りなアクションも頻発する高校野球マンガ『砂漠の野球部』(コージィu」城倉)が代表的存在だろう。板垣恵介『グラップラー刃バ牙キ』、山口貴由『覚悟のススメ』の主人公たちは体を張り続けながら戦い、一途に男の生き方を見せるという点で、梶原作品と共通している(ちなみに以上の2作品は“男”濃度の高い雑誌『週刊少年チャンピオン』の連載)。また、福本伸行の一連の作品(『天ー天和通りの快男児』『アカギ』『銀と金』『カイジ』)は、絵柄こそ泥臭いものの、人生の深奥に迫ったような熱いセリフ廻しが圧巻だ。
 マンガにおける言語や肉体の何らかの過剰さが「70年代テイスト」を醸し出しているわけだが、性的な過激さや、政治的な過激さを持った(かつての宮谷一彦のような)作品にはなかなかお目にかかれないのが現状だ。
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[な-010]
生音系サウンド
なまおとけいさうんど
 生楽器の音をベースに取り入れた打ち込み系サウンド。生楽器をフィーチュアした音作りはこれまでにも数多くあったが、ここ2〜3年、とくにイギリスのアンダーグラウンド・ハウス・シーンではその動きが盛んであり、ジャズやラテンのテイストを大きく取り入れたものや、70年代ディスコなどのルーツに立ち返ったものなど、従来の四つ打ちフォーマットに囚われないハウスを追求したサウンドは、Nuhouseなどとも呼ばれている。この他、フュージョンを高速回転させたかのようなユニークなドラムンベースを聴かせるスクエアプッシャー、マウス・スクラッチャー(スクラッチの口マネ)を擁するヒップ・ホップ・バンドのザ・ルーツなど、生音にこだわった音響を展開するアーティストは少なくない。また、サンプラーに生の演奏を取り込んで使うことも多く、生音と打ち込みのブレンド具合、上モノとしてでなく楽曲のベースとなる部分に生音が使われているのがポイントか。
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