[つ-001]
通販カタログ
つうはんかたろぐ
 通信(電話、郵便、電子メール等)による物品販売用目録。出かける手間を省略し、写真と文字データのみによって、購買の判定を援護する。都市部以外に生活する者の流行へのリンクと消費トレンドへの参加幻想を満たすための有力な味方である。しかし、便利であることは、判定基準を甘くする恐れを多分に内包している。通販カタログは物品の手ざわりを、写真と能書きによって表現することを目的としてるのではなく、物品の購買意欲をそそらせることを主眼に作られているからである。カタログ化によって、見る者はカタログ制作者および編集者の価値観を押し付けられ、物品の行列であるはずのデパートやスーパーや会社倉庫が、あたかもガイド付きのレジャー施設と化したかのごとき錯覚に陥る。ざっと1冊見ただけで、コース化された買い物を一度終えたような気分にさせるのが、優れた通販カタログである。しかし、熟読熟考の道に引きずり込む巧妙な見本帖としてのカタログの方が印刷物としての価値は高く、その会社への信頼度は増す。そもそもの出発点が信用にあることでは、小売店販売よりもシビアな一面を持っている。美麗すぎても素朴すぎてもいけない。通販カタログは定期的にチェックすることによってはじめて、その意図、会社の真意、あるいは欺瞞が見える。家庭にいながらにして、その店に行った気になれるという段階を過ぎ、最近では収録商品を頭の中で並べ替えて、各自勝手な店舗を構想させる妄念カタログが主流となりつつある。
WEB 海外通販カタログのリクエストと日英翻訳のコーナー
http://www.world-catalog.com/
WEB Intl.Mail Order Information Center Over 1000 Catalogs
http://www.bfinfo.com/catfish.html


[つ-002]
塚本晋也(1960年生)
つかもと・しんや
 無敵のインディペンデント映画作家。1月1日東京生まれ。中学2年に父親の買ってきた8ミリ・カメラで水木しげるの漫画『原始さん』を映画化。
 高校卒業までに計7本の8ミリ映画を製作するが、『翼』『地獄町小便下宿にて飛んだよ』の2作が日本テレビ主催「日本を記録する映像フェスティバル」に入選して、一躍脚光を浴びることになる。19歳の時には移動式の映画館を東京の随所に建て、8ミリ作品の上映を試みた。日本大学芸術学部美術学科を卒業後、CF製作会社に就職するも4年で退社して、85年海獣シアターを旗揚げ、盟友・田口トモロヲらと組む。87年、『電柱小僧の冒険』を自らの手で8ミリ映画化。同作が88年度ぴあ・フィルム・フェスティバルでグランプリに輝く。続けて完成した16ミリ映画『鉄男』がローマ国際ファンタスティック映画祭でグランプリを獲得。この作品では、鉄と人間が合体するという奇抜なアイデアと、硬質のモノクロ画面に映しだされた映像で、世界に塚本旋風を巻き起こした。以来『ヒルコ/妖怪ハンター』、『鉄男U ボディ・ハンマー』、『東京フィスト』と作りあげるすべての映画が数々の国際映画祭に参加。ヨーロッパやアメリカなどでビデオ発売、テレビ放映、劇場公開された。
 『ヒルコ』を唯一の例外に、どの映画でも監督・脚本・出演のほか、撮影・照明・美術・編集までを手掛ける塚本監督は、独自の映像世界を通じ、都市空間における肉体と精神の変容と葛藤を描きだす。そして、暴力や破壊衝動を内包した荒唐無稽な物語の中には、怒りや悲しみといった人間の根源的なリアルな感情が渦巻いている。クエンティン・タランティーノをはじめ世界中に熱狂的な塚本ファンは多いのである。現在、拳銃犯罪をテーマにした新作『バレット・バレエ』(仮題)を製作中。97年のヴェネツィア映画祭ではコンペティション部門の審査員をつとめた。
WEB M.I.N./Mandala Cinema File/塚本晋也プロフィール
http://www.pdg.co.jp/~mmm/body/people/tukamoto.html


[つ-003]
筒井康隆(1934年生)
つつい・やすたか
 小説家。70年代におけるメタフィクション、80年代におけるサイバーパンクの流行は、SFと純文学の境界を一気に縮めたといわれるが、結果的にそこで起こったのはSFの成果の純文学への転用、もしくは純文学の側からのSFの成果の搾取であって、結果的にこの過程でSFのフロントは消滅した。同様のことはホラー、ミステリー、ポルノにも言える。現在話題となっている純文学で、SF、ホラー、ミステリー、さらにはポルノの手法を使っていない作品を見つけるのが困難であることに、そのことは如実に反映されている。逆に言えば、本家本元の世界では使い古され、飽きられてしまった手法が、純文学の世界ではいまだに大手を振って通用しうる、ということでもある。筒井康隆は70年代には異色のSF作家として認識されていた。が、当時よりSFと純文学とのハイブリッドのような作品を、実験としかいいようのないものも含めて大量にものしており、そこから試行錯誤的に生まれてきた成果の数々が、SFに助けを求めるようになった文学界から斬新な可能性に見えたとしても、逆に筒井の側から敵恐れるにたらずと見えたとしても、それはそれで当然だろう。平成5年、高校教科書に採用された作品の表現が、てんかんに対する差別を助長するとしててんかん協会から抗議を受けたことをきっかけに断筆を宣言(現在は解禁)、「日本語狩り」という言葉を生み出すなど、社会問題となった。この問題は、個人の表現の自由や文学におけるPC(ポリティカル・コレクトネス)といった高級な問題を云々するよりも、筒井の表現のスタイルが、よくもわるくもサブカルチャーであるSFの「自由」の中で育まれてきたということに由来するように思われる。日本におけるジャンルの力関係やその形成過程を再考する機会とすべきではないだろうか。
WEB 筒井康隆ホームページ
http://www.jali.or.jp/tti/index.html
WEB JAPAN LITERATURE Net Home Page
http://www.jali.or.jp/


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