[れ-001]
レア・グルーヴ/アシッド・ジャズ
rare groobe/acid jazz
 レア・グルーヴ、読んで字の如く60〜70年代のソウル・ミュージックの貴重な音源を掘り起こした“お宝グルーヴ”。ヒップ・ホップDJによるブレイク/サンプル・ネタとしての宝探しに端を発したこの動きは、80年代後期のイギリスで起こった。ネタのレコードをパーツとしてだけでなく、一つの完成された楽曲として楽しもうというスタンスでノーマン・ジェイらが夜な夜なプレイしていたのと時を同じくして、モッズの親分的存在のエディ・ピラーがレーベルを立ち上げ、その名をアシッド・ジャズとしてジャズ・ファンク・バンドのブラン・ニュー・ヘヴィーズをリリース、DJジャイルス・ピーターソンがTalkin' Loudレーベルを設立してガリアーノを世に送り出し、ポール・ブラッドショウは『Straight No Chaser』誌を創刊する。ジャズを新しい感覚で捉えたアシッド・ジャズ・ムーブメントが始まっていたのだった。
WEB Acid Jazz Archaive -deep
http://www.mb.rnet.or.jp/~takeo/acidjazz.htm
WEB THE RARE GROOVE SHOW
http://www.so-net.or.jp/BEAMS/RareGroove/


[れ-002]
レイヴ
rave
 raveという単語のもともとの意味は、「うわごとをいう。わめく。夢中になって喋る。(風、海などが)荒れ狂う」と辞書(『エポック和英・英和辞典』)には書いてある。88年以降それは、辞書ふうに書くと「野外(もしくはそれに近い場所)で集団で踊る行為」を指して使われるようになった。
 レイヴのはじまりは88年にイギリスで起きたアシッド・ハウスの野外パーティーのムーブメントで、この時期はやがて、アメリカ西海岸でフラワー・ムーブメントが盛んだった60年代後半(サマー・オブ・ラヴ)になぞらえて、セカンド・サマー・オブ・ラヴと呼ばれるようになった。日本では96年の春頃からレイヴが多発しはじめ、同年夏のレインボー2000以後、急速に盛り上がった。
 現在の国内外のレイヴで主流になっている音楽は、レイヴで主流になっている音楽は、テクノ、トランス、ゴア・トランス、ジャングル、ドラムンベース、ハッピー・ハードコア、ガバなどのダンス・ミュージック(広い意味でのテクノ)と、チル・アウトのアンビエント・ミュージックだが、ロックとテクノの境目が限りなく曖昧になってポップ・ミュージックが総ダンス化している中で、レイヴであるかどうかに音楽の種類はあまり関係なくなってきている。今のロック・フェスティバルは限りなくレイヴ的だし、コンサート会場で行われるオールナイトのライブ&DJのイベントも増えた。クラブで行われるパーティーにもレイヴはある。踊りによる陶酔、という意味では、石器時代(記録に残っている最古のものでは1万5000年前)から現代まで続く世界中のシャーマニスティックな祭儀や、日本の祭り、盆踊りなどはレイヴの遠い原型でもある。

 ダンスと反復するリズムがなぜ人間をトランスさせ、エクスタシーを与えるのかについての学術的な研究は少ないが、ある研究ではリズムによって人間の脳波をコントロールすることができるという結果が出ている。ドラミング(反復するリズム)の聴覚的な駆り立て(オーディトリー・ドライビング)が人間の脳波をオーバードライブさせるのだ。人間は耳(聴覚)だけではなく、骨(骨導)でも音を聴いている。レイヴの大音量のサウンドシステムは、体そのものにも音の振動を送り込む。
 ダンスではそこに、過度の体の動きと呼吸が加わっていく。マラソン選手のランナーズ・ハイのように、こうした運動が脳内にエンドルフィンに似た脳内物資を分泌させて人間を陶酔状態に引き込むことは知られている。そうしたことのすべてが、人間の心身にエネルギーの噴出のような陶酔感を与えるのだと思う。それは、重力に逆らって体が飛び上がり、また地面に引き戻されるという、軽さと重さの反復という行為でもある。
 レイヴではさらにそこに、何百人や何千人もが集まって踊る「場」の盛り上がりの力や、夜から朝にかけての時間の経過といったドラマツルギーが加わっていく。レイヴは個人の肉体の中ではダンスによる陶酔の体験でしかないのだが、それを可能にしているのはレイヴ会場という非日常的な「場(=トポス)」の力でもあるのだ。
 こうしたレイヴの持つ集団性は、そもそも「踊る」という快楽以外に何の目的もスローガンもないような性格のものだが、今ではそれが、一時期のロックやパンクがそうだったように、ライフスタイルや社会問題、ビジネス、政治、インターネットに代表されるテクノロジーをも含めた社会現象になってきている。

 レイヴが始まる前から、ローランドやヤマハといった世界に名だたるテクノな楽器メーカーを抱え、YMOを生み出した日本はテクノ・ミュージックの先進国だったし、数多くのクラブがあった。もっと一般的に知られたことで言えば、バブルの頃には日本中の大都市にジュリアナ東京のようなディスコがあって、お立ち台の上でボディコンが踊り狂っていた。でも96年になるまで、レイヴ・パーティーはほんの数回を除いて存在しなかった。
 レイヴに音楽の種類は関係なくなってきている、と書いたが、レイヴ登場以後のパーティーとレイヴ以前のパーティーのどこが違うのかについて考えてみると、それは、古今東西のダンスとレイヴのダンスのどこが違うのか、日本で言えば、96年以前のクラブ・ムーブメントやテクノと96年以後のレイヴ・パーティーのどこが違うのか……もっと極論すると、ジュリアナ東京のパンチラとレイヴのどこが違うのかという話でもある。
 すぐ思いつくのは、レイヴ会場でいちばん人が集まるのはDJブースとスピーカーの前であって、お立ち台ではない。レイヴでは誰もが勝手に踊っているのであって、レイヴダンスは見せるものでも、見て恰好いいものでもない。お立ち台とそれを見上げるカウンターはナンパという関係性で成り立っているが、レイヴには裸に近い恰好で踊っている人がいても、そもそもナンパなど(そういうような形では)存在しない。
 これは、レイヴダンスが、古今のほとんどのダンスや踊りの形態だった、「見る−見られる」という関係の中で成立するものではなくなったということだし、ジュリアナの話で言えば人が集まった場におけるセックスの欠如という話でもある。枠組みをかえて、60年代のムーブメントの一つの側面がフリー・セックスという言葉で語られていたことを考えてみると、今のレイヴのムーブメントにはそれがない(個人的にはいろいろあると思うが)。レイヴァーにとっては「自ら踊ること」だけが第一次的な快楽だ。この位相の違いは、誰もがセックスをする時に、死につながる病−−HIVのことを考えなければならなくなった時代を象徴的にあらわしてもいるだろう。
 では、クラブとレイヴとの違いは何だろうか? これは、室内か野外かという単純な話ではない。1週間なり1カ月のスケジュールがあって、決まった曜日や週末に好きなパーティーに出かけるのがクラブならば、レイヴは基本的にはどれもが、ある時、ある場所で1回限りに「起きる」不定期で単発のパーティーだ。DJやオーガナイザーはその1回のパーティーに全力を注ぎ込む。そこでできた「場」はパーティーが終われば消え去ってしまうような性格を持っている。
 自分が好きな曜日に顔を出せばなじみの知り合いに会えるような場所としてクラブはある。イギリスのある友人は僕に、ロンドンのクラブは現代の教会のような場所なのだと言った。元々日曜日に教会に行くような人などあまりいない国で育った自分は、そんなものなのか、と思っただけだったが、ドイツには実際にテクノをかける教会までがある。司祭が指揮するテクノに合わせて、礼拝に来た人たちが体を揺らしながら賛美歌を歌うのだ。
 レイヴの「場」はそうした一定の場所ではなく、たえず生成と移動を繰り返す場としてある。そこではフライヤー(ビラ)や口コミに代表されるネットワーク的なつながりや、音楽のジャンルやシーンごとの、あるいはサウンドシステムごとの、もっと大きな枠組みではレイヴァーであるということによる、一定の場所を持たない層が形勢される。国によってはそれが、社会に対する共意識のようなものさえをも作りだしている。
 そうしたシーンはオルタナティブとしてのロックやパンクにも同じようにあったものだ。決定的な違いは、ダンス・ミュージックが聴く(もしくは観る)ものではなく踊るものだということで、ダンスによって今までのような意味での聴衆は消滅してしまった。自分に照らして言えば、家ではロックやノイズを聴きながら、レイヴの時はテクノで踊る、という事態が自然に起きたりもする。
 こういうシーンにとって、インターネットは重要な情報伝達の手段になってきた。レイヴの持つ集団性の性格や、テクノが基本的に言葉がない音楽であるという国境のなさが、国境を越えたフリーゾーンというインターネットの性格と重なっていたからだと思う。
 イギリスでパーティーが規制されはじめた頃、まだそれほど普及していたなったインターネットはアンダーグラウンドに情報を流す手っとり早い手段だった。それが普及した今は昔ながらの口コミやフライヤーと携帯電話にかわったが、インターネットには今でも無数のテクノレイヴの情報が溢れている。世界中のレイヴやクラブのデータベースもあるし、チェコ、南アフリカ、スロベニアといった国のホームページもある。DJは毎週のように世界を飛び回っている。の国のストリートと別の国のスタジアムや海岸はつながっている。格安チケットでそこを渡り歩くレイヴァーとトラヴェラーは限りなく重なった存在になった。

 96年から翌年にかけてイギリス、ベルリン、プラハ、日本、インドのゴアなどのレイヴやフェスティバルを旅した物語(『レイヴ・トラヴェラー/踊る旅人』)を書いた。書きながらいつも頭を離れなかったのは、踊るという行為が自分の中でどういう瀬戸際で成り立っているのかということと、レイヴという集団性を通して見えてくる社会の有り様についてだった。その二つは密接につながってもいる。88年に失業にあえぐイギリスでセカンド・サマー・オブ・ラヴの熱が沸き起こった頃、日本はバブル経済の真っ只中だった。96年に何万人もの日本人が外に出て踊りだしたことは、バブルという形での消費(または資本主義)の果てに起きた数多くの現象と無縁ではないと自分には思えるのだ。
 ここ数年、ヨーロッパではパーティーへの取り締まりが厳しくなっている。イギリスでは94年にクリミナル・ジャスティス・アクトという法律ができた。レイヴ、トラヴェラー、デモ、スクワット(建物の不法占拠)の四つを規制するもので、レイヴについては「11人以上」の集団が「野外でレペティティブ・ビーツ(ビートの繰り返す音楽)という性格を持つ音楽」を聴いていて「警官がそれを危険だと判断した場合に」取り締まることができる。判断の裁量は現場の警察官にまかされていて、黙秘権は認められていない。
 法律ができてからイギリスでは警察に許可を得たパーティーとそうではないパーティーの区別ができあがった。許可というのは具体的には地元の警察に警備名目でお金を払うことで、大きなフェスティバルでは日本円で千万円単位のお金が請求されることもあり、大きなレイヴにはスポンサーがつくのが当たり前になってもいる。
 それでもイギリスには無数のレイヴ集団やニュー・エイジ・トラベラーのグループがあって、パーティーは盛んに行われている。レイヴやスクワットに関する議論は、社会のルール(法律)がどこで機能し、どこで突破され得るのかという話でもある。オーガナイザーと警察の意思疎通が良好ならば、警察はパーティーを見に来ても帰っていく。ただ、警察はそれを好きな時にどうにでもできる権利を持っていて、場合によってはサウンドシステムが没収されたりもする。
 法律ができてしまった限り、ただ踊るための行為は違法行為となり、レイヴについての議論は一部では政治性を持ったものにさえなっている。ロンドンでは大規模なデモが何度も行われ、クリミナル・ジャスティスに反対する新聞が発行されたり、ヒッピーともニュー・エイジ・トラベラーとも何のつながりもないレイヴァーのコミューンが生まれてもいる。
 こうしたイギリスといちばん対照的なのが今のドイツだ。ベルリンのラヴ・パレードは97年には100万人とも言われる人を集めた。そのドイツにしても、ラヴ・パレードの時には電信柱に人が登れないように警察がたっぷりグリースを塗っていたし、パレードの終点は警察が作った巨大な檻だった。そこに囲い込まれた群衆の近くに、ショットガンを持った警察が笑いながら立っている。これはこれで、イギリスとは逆方向の、エンクロージャーという管理の仕方ではある。ある新聞はパレードを「10億マルクのテクノ産業のターゲットにされる若者たち」「ビジネスとしての効果的な集団行動の手本」と評した。ラヴ・パレードに来るレイヴァーは、もはや今のベルリンの多数派なのだ。
 ドイツのテクノ熱は東欧諸国にも感染している。昔からバックパッカーの多かったチェコでは96年の夏、1週間に渡るテクニバル・キャンプというイベントがあって、ヨーロッパ中から人が集まった。東欧におけるレイヴは新しい時代の自由の象徴的な行動という意味合いを持っている。
 こうしたヨーロッパから遠く離れ、30年も昔から、エピュキュリアンの楽園というものが、形は変わりながらも純粋に近い形で生き長らえてきたのがインドのゴアだ。数年前にくらべれば雰囲気はやけにオープンでポジティブだし、一度入ったら出られない魔窟のような感じはなくなったと思うが、それでも97年のハイ・シーズンにはかなりの数のパーティーがあった。
 ゴアでパーティーをするオーガナイザーは、警察にバクシーシのお金を払ってパーティーの許可をとりつけている。考えてみると、イギリスでやっていることと同じではある。ゴアの物価はインドの他の場所にくらべればだいぶ高い。ゴアの海沿いの集落に住んでいるインド人は、シーズンになるとほとんどの人が家を貸したり何かを売ったりして旅行者相手の収入で暮らしているし、警察はバクシーシという現金を手に入れてもいる。パーティーがなければ、ゴアに来る旅行者の数は極端に減るだろう。警察はパーティーを禁止するでもなく、勝手にさせるでもなく、雰囲気が行き過ぎになるのをコントロールしている。僕たちはその物価の安いムラに来て、自分の国ではできないぐらいのどんちゃん騒ぎをして帰るのだ。

 そこで感じる複雑な気持ちは、日本を抜け出してどこかへ行く旅という行為そのものについてもあてはまるだろう。インドやタイを旅をするのでも、日本より物価の高い国へ行くのでも、旅をしている限りにおいて、自分はどこにでも行ってしまえる都合のいい旅行者だ。酸欠の金魚が口をパクパクするようにしながら旅に出て、体の中に溜まった何十トンもの塵灰汁田を、他人の国を歩きながら吐き出している。
 日本はレイヴを禁止するような法律がある国でもないし、クラブを教会になぞらえるほどの宗教的な地盤がある国でもない。ドイツのような意味での管理社会でさえもない。それでも多くの日本人は、ひどい閉塞感を感じながらこの国で暮らしている。
 そこから別の位相に旅に出ることは、レイヴで踊ることとよく似ている。
 踊っているとカラダの重さがとれて、そこに音が入ってくる。音がカラダを動かしていく。レイヴダンスは、旅と同じように、非日常的な場と無重力感の中に人間のカラダを放り込むのだ。
 日本でレイヴが本格的に始まったのは、同じような閉塞感に拮抗する現象がいくつも現れた年だった。レインボー2000があったのは、オウム真理教のサティアンがあった上九一色村の富士をはさんだ反対側だったし、96年は『脳内革命』のような本が数百万部も売れた年だった。テレビの中であらかじめセットされた猿岩石の旅をお笑い番組のように見る人がいて、エヴァンゲリオンは言うまでもなく、攻殻機動隊はポリゴンのゲームテクノのCDになり、シャネルはエアーマックスと同じ高校生のアイテムになった。最近では、そうした現象を指して「反重力」といった言葉までが語られるようになった。
 こうしたことはみな、バブルの時代から続いてきたかのようにマス・イメージの中で扱われてきた、ある種の価値観や閉塞感への反動の現れだと見ることもできるだろう。
 日本のレイヴは、そうした中で、起こるべくして起きた出来事だった。イギリスやドイツにしてもそれは同じだ。だからこそ、レイヴの持つ集団性は社会と関わっていかざるを得ないものとしてあるのかもしれない。
 世界は、すべてのモノや行動が可能性だった楽観的な時代とは逆の時代、HIVウイルスの時代、再生の前には破壊が必然に思える時代を生きている。それが踊ってどうにかなるわけではない。ここに書いたことは、世界を覆うレイヴという現象への現時点での事後的な分析だ。踊るという行為は、何かを対価にした消費でも、集団的な目的がある行動でもない。レイヴはただ踊りたいという無意味さの瀬戸際で、瞬間的な行為として成り立っている。でも、ダンス・ミュージックや、それを絞り出すサウンドシステムや、レイヴという「場」が、まだこの世界に何かが起こり得るのだという意味で、もしかしたらそこに来て踊っていない人にまで、ある動機のようなものを与えてはいることは確かだろう。
 重力に逆らって跳びあがったカラダは、また同じ地面の上を踏みしめる。それは重さを持った肉体を確認する行為の一つとして存在している。(清野栄一)
WEB Rave Traveller
http://www.asahi-net.or.jp/~da5e-sin/


[れ-003]
レインボー2000
rainbow2000
 96年に始まった「日本最大のテクノフェスティバル」(96年のフライヤーより)。アンダーワールドも出演した96年の第1回目から、富士の裾野の遊園地、日本ランドHOW遊園地の会場に1万8000人の観客を動員して日本の本格的なレイヴ時代の幕開けのイベントになった。これは日本最初の大規模野外レイヴであったと同時に、レコード会社などが協賛に名を連ねた日本で初めての商業的なレイヴでもある。会場の作りや設備は日本のパーティーの中ではもっとも充実している。やがて幕張メッセでのオーロラ・サイケデリカ、富士山でのリターン・トゥー・ザ・ソースといったゴア・トランスの大規模なパーティーを手掛け、全国を縦断するレイヴ・ツアーまでをするに及んだ。97年の富士山には大雨に見舞われながらも1万2000人を集め、ジャングル、ハッピー・ハードコア、ゴア・トランスの三つのダンスフロアがそれぞれに盛り上がりを見せるという、世界でも類を見ない画期的なイベントになった。
WEB レインボー2000
http://www.rainbow2000.co.jp


[れ-004]
レコードショップ・フリーペーパー
record shop free paper
 大型CDショップの戦国時代と言われて久しいが、店舗作りはもちろん、オリジナル特典、トークやライブなどのインストア・イベントなどなど、各チェーンごとに様々なカラーを打ち出しており、なかでも店頭で無料配布されるフリーペーパーの充実ぶりには目を見張るものがある。新譜を中心に紹介しているHMVHMV』、Club Quattroのラインナップが掲載されているのも便利なWAVE『FLYER』、タワーレコードでは総合誌『bounce』、月2回発行の『TOWER』、クラシック/ジャズ専門の隔月刊『Musee』の3種を、CISCOでは輸入盤専門店らしくDJやパーティーなどのクラブ情報を満載した『FAME』を発行している。いずれもそのチェーンの特色を活かした誌面作りとなっており、バイヤーの推薦盤やライターによるインタビュー記事、タイムリーな特集記事など、タダで貰ってしまうのが申し訳ないほどハイ・クオリティなものばかりだ。なかでも『bounce』は、洋邦問わず広く深く突っ込んだ編集で、質量共にボリューム満点。そんじょそこらの音楽専門誌よりも読み応えがある。
WEB gut.bounce.records
http://www.dabb.com/gut/bounce/


[れ-005]
レーザー光線
れーざーこうせん
 日本のフーリガンの新兵器。この新兵器使用が発覚したのは、97年8月5日大阪ドームでの巨人対ヤクルト戦。ヤクルト・吉井投手の目がバックネット裏から照射され、吉井投手は目の異状を訴えて3回で降板を余儀なくされた。レーザー光線は直接目に当たると視力低下をきたす怖れがあり、当初は熱狂的なファンか愉快犯の仕業だと想像されたが、スポーツ賭博と関連してるのではないかという説もある。犯人はまだ捕まっておらず、他に他球場やJリーグの試合でも使用が目撃されている。使用されたレーザー光線は、スライドや黒板を赤い点で示すペンライトの一種。光線のゲージを調節すれば500メートル先まで照射することができる。電気店やアーミーショップで簡単に入手でき、価格は約5000円。
WEB 


[れ-006]
レズビアン映画
れずびあんえいが
 世界で興行的成功を収めた『GO fish』に代表される、レズビアンによるレズビアンのための映像表現。90年代、レズビアンが出てくる作品やビデオのみの発売も含めれば、日本でもかなりの数の映画が公開されており、目が離せない状況になっている。メジャーなハリウッド作品では、「レズビアン=変質者=悪者」という古典的な図式が笑える『氷の微笑』、『ボーイズ・オン・ザ・サイド』、『カウガール・ブルース』、友情+αの『テルマ&ルイーズ』『フライド・グリーン・トマト』などが挙げられる。ハリウッドがレズビアン&ゲイをどのように描いてきたかを綴ったドキュメンタリー『セルロイド・クローゼット』も話題を呼んだ。マイナーなところでは、k.d.ラング主演、アドロン監督の『サーモンベリーズ』、フランスで大ヒットした主婦レズコメディ『彼女の彼は、彼女』、幻想的なニュージーランド映画『乙女の祈り』、実話に基づいた『I SHOT ANDY WARHOL』、黒人女性4人の友情を描いた『SET IT OFF』、ドヌーヴ出演の『夜の子供たち』などがある。また、スリリングな展開とスタイリッシュな映像が高い評価を得た『バウンド』は、売り文句からあえて“レズビアン”という言葉を外したようだが、レズビアンが指導したというラブシーンはかなりリアルだ。
 レズビアンまたはバイセクシュアル女性自身が監督した作品では、台湾出身のビデオ・アクティヴィストによる『フレッシュキル』、少女ふたりの初恋を描いた『2ガールズ』、恋愛を通じて生まれ変わっていく主人公が魅力的な『月の瞳』、黒人差別や異人種間恋愛の問題も折り込んだ『ウォーターメロン・ウーマン』がある。これらは、レズビアンがきちんと描けていると同時に、映画としてのクオリティも高い。ビデオ発売作品では、バーバラ・ハマーの『ナイトレイト・キス』や、サディ・ベニングの『それは愛じゃない』、日本のレズビアン・シーンからも着想を得た『Fingers&kisses』などがある。
 邦画では、少女が少年を演じている『1999年の夏休み』、吉田秋生のコミックを映画化した『櫻の園』が一部に高い評価を得ているが、人気小説を映画化した『ナチュラル・ウーマン』と『ルビーフルーツ』はレズビアンからも映画ファンからも酷評された。一方、自主制作ではあるが、レズビアン自身による映像表現もチラホラ誕生しつつある。今後の展開がとても楽しみだ。
WEB Women's Online Media Project Home Page
http://wom.vcom.or.jp/j/index.html


[れ-007]
レズビアン文学
れずびあんぶんがく
 本来はレズビアンによるレズビアンをテーマとした小説。しかし、日本にはほとんど存在しないため、レズビアンを描いたレズビアンが好む作品を指すことが多い。わかりやすい例が、87年出版の松浦理英子の『ナチュラル・ウーマン』だ。性愛と恋情の本質を女同士の関係に託して描いたこの作品は、多くのレズビアンたちに愛され、熱狂的な支持を得た。その一方で、優れた文学作品であるにもかかわらず、題材のみで判断されて正当な評価を受けられなかった。それだけ、女性同士の恋愛を偏見なく描いた作品が少なく、レズビアンが異端視されていたということだろう。
 しかし、91年に仁川高丸が『微熱狼少女』で第15回すばる文学賞佳作を受賞したあたりから、レズビアン文学ブームともいえるような状況になっていく。93年には松浦理英子の『親指Pの修業時代』がベストセラーを記録。また、81年の『愛より速く』の頃から、自らの体験に基づいた力強い文章で、知る人ぞ知る存在だった斎藤綾子が92年の恋愛小説集『ルビーフルーツ』で一気にブレイク。彼女はバイセクシュアルであることをおおやけにしており、その作品には女性への愛が満ちているとともに男性も大勢登場するので、あえてレッテルを貼るならばバイセクシュアル文学ということになるが。90年代に入ってからは他にも、中山可穂の『猫背の王子』(続編にあたる『天使の骨』で第6回朝日新人文学賞を受賞)、石井苗子の『女族』、冨士本由紀の第7回小説すばる新人賞受賞作『包帯をまいたイブ』などが出ている。
 同人誌界でも、セーラームーンの女性キャラを使ったパロディから、レズビアン自身による表現を模索するものまで、女同士モノが増えつつある。ジュニア小説界には、「笑える百合(レズビアン)物を書きたい」という異色作家・森奈津子の存在もある。ジャンルやレベルはさておき、多くの表現物のなかから読者自身が好みのものを選択できる状況はうれしい。この流れが一過性の流行はやりすたりで片づけられないことを祈りたい。
WEB 百合作品一覧
http://www.zzz.or.jp/~kaoriha/list.htm


[れ-008]
レディースコミック
ladies' comic
 少女マンガを卒業した“大人の”女性向けのコミックが必要だというので相次いで創刊された『(ビッグコミック)フォアレディ』(小学館、80年創刊)『ビーラブ』(講談社、80年創刊)『ユー』(集英社、82年創刊)などの雑誌をそのはしりとする。少し遅れて『シルキー』が創刊(86年、白泉社)されたが、それまで恋愛ものが大半を占めるといっても、少女マンガは基本的にキス止まりでベッドシーンはタブーだったため、女性誌でセックスを描くことができるようになったという事実は大きく、この頃すでにこれら大手の出版社が出している雑誌群でも、かなり大胆な性描写を含みこんだ作品が見られるようになっていた。そうなると今度は、よりマイナーな出版社から、ずばり「官能」のみを売り物にした雑誌もちらほらと出されるようになり、80年代後半、これらの雑誌が商売になるのをみてとった女性週刊誌系のレディース誌(『(女性自身)バル』『(微笑)フィール』etc.)が参入した頃から、この市場は一変し始める。即ち、劇画調の大胆な性描写が前面に打ち出されるようになり、次々と新規参入誌が相次ぎ、より刺激的に、より過激に、レディースコミックの性描写はそれまでの「セックスファンタジー」から女性の「マスターベーションファンタジー」の一大絵巻へと、変質を遂げていくことになるのである。
 一方、先行の大手出版社が出していたレディース誌は、逆にこの頃から官能離れを始めていくが、後発の“官能レディース誌”の過激さは、89年頃から他のメディアの耳目を集めるところとなり、90年代初頭には、「こんなに凄い! レディースコミック誌の中身!」「過激さは男性官能誌以上!」といった見出しが、あちこちの週刊誌や雑誌に躍ることになる。実際、この頃のレディースコミックの立役者だった森園みるく、矢萩貴子、鎌田幸美、魔木子、伊万里すみ子、汐見朝子、川崎三枝子、寺館和子などの官能作品は、多彩で大胆で力強く、文字通りそれまで抑圧されていた女性たちの性表現へのエネルギーが一気に爆発した感があった。しかし、あまりにもたくさんの雑誌が創刊されたために作家が量産体制に入り、どの雑誌を開いても同じ作家の同じような作品になってしまったこと、より過激さを求めるあまりスカトロなど一般の読者がついていけないところまでいってしまったことなどから、91年をピークにその勢いはしだいに鎮静化の一途をたどり、一時は毎月コンスタントに出る雑誌だけでも60誌以上、月の累計が1千万部を超えるといわれた市場も、現在ではおそらく、最盛期の1/5以下になっているのではないかと思われる。
 生き残った官能誌では読者の細分化が進んでおり、レズビアンものの専門誌『美粋ミスト』などが創刊されているのが目を引く。この分野の売れ行きナンバー1だった『アムール』はあいかわらず健在だが、絵柄も内容も、もはや男性官能誌とあまり変わらなくなっている。一方、老舗のレディース誌のうち『フォアレディ』は休刊。『ユー』は“レディーズ・コミック”と銘打って他との差別化を図り、『ビーラブ』は92年にはそれまであった「Ladie's comic」の文字を表紙から削り、現在ではヤングレディース誌に分類される雑誌となっている。
WEB おめめ白黒っっ
http://www.linkclub.com/~emi/
WEB うーちゃん・たけちゃんのおへや
http://www.barrier-free.co.jp/homes/takemika/


[れ-009]
レディスナイト
ladies' night
 生物学上の女性しか入ることのできないクラブ・イベント。レズビアンたちが自分を偽らずに過ごせる貴重な場だが、とくにレズビアン限定ではなく、女性なら誰でも入場OKだ。その草分け的存在なのが、ナイトクラブで定期的に開催されているfree・P主催のmonalisa。20代を中心に、多い時で500人もの女性が“刺激的な異空間”を楽しみに来ているという。ハコを変えながらすでに7年も続いているが、パフォーマンスや入場者参加のコンテスト、話題映画とのタイアップなど、巧みな演出で根強い支持を得ている。
 乃木坂の隠れ家的なBar Antibesで、隔月開催されているのがSalon Positive。毎回50〜70人のオシャレなオトナの女性たちが、アンビエント中心のDJプレイに酔いながら、おいしいお酒とくつろいだ会話を楽しんでいる。11時以降はゲイミックスで、タロット占いやネイルアートなどの企画があることも。
 大阪のClub Dawnで2年前から開催されているLesbian Nightは、10〜50代と参加者の年齢も幅広く、開放的な雰囲気。ねるとん大会やストリップショーといった親しみやすい企画も大好評で、毎月200人以上の女性で賑わっている。ゲイミックスも含めると、レズビアンやバイセクシュアル女性たちが楽しめるイベントは、札幌、名古屋、京都、岡山など、各地で盛り上がりを見せている。この勢いは今後さらに広がっていきそうだ。
WEB Tokyo Girls on WWW
http://www.bekkoame.or.jp/~mdvanii/
e-mail CLUB DAUN
indi-net@ff.iij4u.or.jp


[れ-010]
レプリカ
replica
 80年代末から東京の渋谷原宿あたりでジワジワ広まったヴィンテージ・ブームの波に便乗し、昔アメカジ少年だった40代たちが中心になって、40年代から60年代のアメリカン・カジュアルウェアを複製したもの。とくにジーンズやスウェットシャツ、ハワイアンシャツ、エアフォース・ジャケット、チノパンツなどに多く見られる。どのメーカーも大量に当時のウエアを資料として確保し、ヴィンテージでは高くて手の届かないアイテムを次々と複製していく。とはいえ、細部へのこだわりは激しく、素材やパーツを現地アメリカの今じゃ傾きかかったメーカーから調達するという手の込んだ生産もしている。
WEB 


[れ-011]
恋愛シミュレーションゲーム
れんあいしみゅれーしょんげーむ
 モニター越しにアニメチックな美少女キャラクターと仮想恋愛を楽しむゲーム。数名の美少女との出会いや会話、デートを楽しみながら、目的の女性を獲得するために、体力や知性やファッションセンスなどのパラメーターを上げるべく自己修練を繰り返すというゲーム性は定型化しているが、舞台設定や時間軸の設定の違いから、様々な商品が産み出されている。
 こうした恋愛SGLの火付け役となったのが、94年にコナミが発売した『ときめきメモリアル』である。NECが開発した8ビットゲーム機PC-Engine用に開発されたこのソフトは、発売後“ときメモラー”と呼ばれる熱狂的なファンを産み出し、彼等の布教活動にも似たアンダーグラウンドな口コミ効果によって、その包囲を広げていく。やがてPC版が発売され、スーパーファミコン版からプレイステーション版、そしてセガサターン版へとメジャーなプラットホームへの移植が繰り返される中で、巨大なムーブメントを形成するに至った。『ときメモ』は幼なじみの藤崎詩織をヒロインに、サッカー部のマネージャーの虹野沙希など、個性的な美少女7名に囲まれた3年間の学園生活を楽しむゲームであるが、卒業式の日に校庭にある伝説の木の下でそのいずれかの美少女と結ばれる(誰かが待っていて告白される)という設定が圧倒的な人気を生んだ。その後、舞台設定を変えた『同級生』や『ルームメイト』などの競合商品も人気を呼んだが、『ときメモ』を超えるには至っていない。アニメブーム、声優ブームと相乗して、近年では『ときメモ』のヒロインである藤崎詩織がレコードデビューを果たすなど、仮想恋愛のキャラクター達が現実世界への進出を始めている。
WEB ときめきメモリアル ドラマシリーズ
http://www.konami.co.jp/kcej/Products/tokimemo/
WEB 宮本屋正面入口
http://www.st.rim.or.jp/~hodo-f/


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